世界一悪い子と監視役   作:クリ坊

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誓い

食堂から漏れ聞こえてくる祝宴の喧騒は、分厚い夜の帳に遮られ、どこか遠い世界の出来事のように思えた。

ヒストリアは、冷え切った夜気の中、一人で立ち尽くす背中を見つけた。

 

篝火の届かない、見張り台の影。闇に溶け込むように立つその男、アルフレッド・ローマイヤーは、月明かりさえも拒絶するようなアイスブルーの瞳で、壁の向こう側――巨人の跋扈する外の世界を、静かに、そして冷徹に見据えていた。

声をかけるべきか、迷う。だが、ヒストリアの足は無意識のうちに彼へと向かっていた。今、この瞬間、彼に会わなければ、自分の中にある何かが取り返しのつかない形で壊れてしまう。そんな予感があった。

 

「……アルフィ」

 

震える声でその名を呼ぶ。アルフレッドは振り返りもしなかった。ただ、低く、確信に満ちた声が夜風に乗って届く。

 

「……で、結局お前も調査兵団に志願するつもりなんだろ」

 

その言葉に、ヒストリアは息を呑んだ。まだ誰にも、心強い味方であるはずのユミルにさえ話していない決意だった。

 

「……隠してたつもりはなかったんだけど。やっぱり、アルフィには敵わないね」

 

「お前の考えてることを当てるなんて、ガスの残量を当てるより簡単だ」

 

アルフレッドはゆっくりと向き直った。その瞳は、彼女の心の奥底に隠した「空っぽ」を、容赦なく暴き立てる。

 

「あの熱血馬鹿の青臭い演説に当てられて、自分を投げ出すのに丁度いい場所を見つけた……なんて、安堵してる頃だろ」

 

図星だった。ヒストリアは、自分でも気づかないうちに「立派な死に場所」を求めていた。誰かの役に立って、惜しまれながら死ぬ。そうすれば、自分という無価値な存在に、ようやく意味が宿る気がしていたのだ。

 

「……自分を安売りして、立派に死んで、それで満足か? 反吐が出るな」

 

いつも通りの厳しい言葉。だが、今日のヒストリアは俯かなかった。

 

「……そうだよ。そう思ってた。でもね、決めた瞬間に、急に怖くなったの」

 

「巨人がか?」

 

「違う……」

 

ヒストリアは一歩、彼に近づいた。その距離では、彼の纏う冷ややかな空気の奥にある、確かな体温が伝わってくる。

 

「もし私が死んだって報告が届いた時、アルフィがどんな顔をするかなって」

 

喉が震える。

 

「……それを想像したら、震えが止まらなくなったの」

 

指先が冷たいのに、胸だけが熱い。

 

「私……ずっと、自分なんてどうでもいいって思ってたのに」

 

声が崩れる。

 

「アルフィの中でだけは……ちゃんと生きてたかったんだって、気づいちゃった」

 

アルフレッドの眉が、わずかに動いた。感情が読みにくいアイスブルーの瞳に、困惑と、それ以上に切実な熱が宿った気がした。

 

「……お前、俺をなんだと思ってるんだ。そんな無駄な想像で、勝手に俺を絶望させるな」

 

彼は無造作に手を伸ばし、クリスタの細い肩を、逃がさないように少し強めに掴んだ。

 

「いいか、よく聞け。俺はお前を死なせるつもりはない。……地獄に行こうが、俺がお前をこの世に繋ぎ止めてやる」

 

あまりにも強引な、生への執着。ヒストリアは、彼の言葉の重さに圧倒される。

 

「……どうして? どうして、そこまでしてくれるの?」

 

彼女は彼の服の裾をぎゅっと掴み、縋るように見上げた。

 

「アルフィなら、もっと賢い生き方があるはずだよ。私みたいな……空っぽな女の子に、人生を預けるなんておかしいよ。割に合わないよ、そんなの」

 

アルフレッドは、心底呆れたように短く溜息をついた。掴まれた裾の上から、彼女の震える手を、大きな手で包み込む。

 

「……計算だの理由だの、そんなもんに期待するな。あの牧場で出会ってからの五年間……お前と分けた飯も、共に過ごした時間も、今さら無かったことにはできないだけだ」

 

五年間。

三年の訓練期間だけではない。牧場で、誰からも疎まれ、居場所のなかった少女を見つけ、守り続けてきた月日のすべて。その膨大な「投資」を、彼は今さら捨てるつもりなど毛頭なかった。

アルフレッドは一度言葉を切り、夜の静寂が二人を包み込む。彼は彼女の瞳を逃がさないようにじっと見据えた。

 

「いいか。俺は、あの鼻持ちならない『クリスタ・レンズ』は反吐が出るほど嫌いだ」

 

突き放すような冷たい言葉。クリスタの胸が、ぎゅっと締め付けられる。

だが、彼はそのまま視線を逸らさず、彼女がひた隠しにしてきた「空っぽの深淵」を、真っ向から肯定するように――その名を呼んだ。

 

「……だが。『ヒストリア・レイス』のことは」

 

名前を呼ばれた瞬間、彼女の心臓が、大きく跳ねた。

アルフレッドはわずかに声を低め、誰にも聞こえないほどの熱を込めて、最後の一撃を放つ。

 

「……俺は、嫌いじゃない。それだけだ」

 

その一言が、彼女の胸に深く突き刺さった。誰からも肯定されなかった本当の私を、「いい子」じゃないときの私を、彼は受け入れてくれていたのだ。

 

「調査兵団でも、駐屯兵団でも、憲兵団でも……お前が行くなら、どこへだってついて行ってやる。…だが」

 

「簡単に死ねるなんて思うなよ。……俺が隣にいる限り、お前は嫌でも生き続けることになる。そのつもりで、覚悟しておけ」

 

アルフレッドは彼女の頬に流れた涙を、親指で乱暴に、けれど丁寧に拭った。

ヒストリアは泣き笑いのような顔で、彼の服をこれ以上ないほど強く握りしめた。

 

「……ずるいよ、アルフィ。……それじゃあ私、もう、死ねないじゃない」

 

夜風が二人の間を通り抜けていく。

その温もりがある限り、彼女はどんな地獄でも、自分の命を投げ出すことは二度とできない。

遠くで夜鳥が鳴いた。

不器用な男が結んだ「生存の契約」が、冷たい夜を静かに溶かし、明日への道標を刻んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

深夜、宿舎の片隅。

アルフレッドは、手元の小さな記録用紙を前に、動かぬペン先をじっと見つめていた。

窓の外では、まだ卒業の余韻に浸る訓練兵たちの話し声が微かに聞こえる。

 

「はぁ…」

 

彼は一度、重苦しい溜息をついた。

やがて、彼は投げ出すようにペンを走らせた。

 

【〇月〇日】

『クリスタ・レンズの動向、及び周囲の状況。

 対象、調査兵団への志願を決定。

 ――特に、これ以上報告すべき事項なし。』

 

 

 

 

 





次からトロスト区奪還作戦になると思います。

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