世界一悪い子と監視役   作:クリ坊

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ついにバーに色が付きました!
評価してくれた方、読んでくれた皆様本当にありがとうございます!


震える指先

生臭い。

鼻腔にこびりつくのは、巨人の返り血が蒸発する際の、独特の噎せ返るような死の臭いだ。

 

「……左、八メートル級二体。ユミル、一体の注意を引け。コニー、右の死角から回って足を削げ。クリスタは俺の左側面に付き、コニーが崩した方の膝裏を狙え」

 

彼は空中でワイヤーを交差させ、建物の狭間を最短距離で加速した。正面から迫る巨人の太い腕を、身を翻して紙一重で回避する。ユミルが嘲笑うような身のこなしで一体の顔面を掠め、その視線を釘付けにした。

同時にコニーがワイヤーを放ち、もう一体の背後に回り込む。

 

「……っ、いけ、クリスタ!」

 

アルフレッドの合図に合わせ、ヒストリアが恐怖を押し殺して踏み込んだ。コニーとは逆の足の膝裏に、彼女の刃が追い打ちをかける。巨人が石畳へと膝を突き、その巨大なうなじが無防備に晒された。

 

(……今だ)

 

アルフレッドは反転し、ワイヤーを巻き取る加速をそのまま回転力に変えた。

 

 一閃。

 

肉を断つ不快な感触と共に、二対のブレードが巨人のうなじを抉り取る。

 

(……チッ、手応えが悪い)

 

切り替えたばかりの刃が、すでに鈍い輝きを放っていた。巨人の個体数が多すぎるのだ。 

 

一本のブレードで数体、理想的な角度でうなじを削ぎ続けてきた自負はある。だが、皮膚を断ち切るたびに、超硬質スチールの刃は目に見えて磨り減り、脆くなっていく。本来なら補給一回で十分に事足りるはずの計算が、完全に狂っていた。

 

「……ハァ、ハァ、……補給、まだかよ……。ガスが、もう半分しかねぇぞ……」

 

後ろを飛ぶコニーの、泣き言に近い呟きが耳を打つ。

 

そもそも前衛の駐屯兵団、その精鋭とやらはどこへ行った。街の入り口で巨人を食い止めるはずの連中が音もなく溶けて消えたせいで、中衛のはずの自分たちが泥沼の連戦を強いられている。

 

(精鋭……? 笑わせるな。ただ巨人の餌になっただけじゃねえか)

 

期待していた防波堤は、最初から存在しなかった。その事実に、アルフレッドの精神的な摩耗は加速していく。

 

残りの替え刃は、あと二対。このペースで戦い続ければ、本部まで辿り着く前に文字通り「牙」を失うことになる。

 

肉体的な疲労はすでに臨界点を超え、全身の筋肉が断続的に痙攣を始めていた。特に、ワイヤーの衝撃を支え続ける右腕が酷い。掌の皮は摩擦で剥がれ、汗と血が混じって、ブレードの柄がぬるりと滑る。

 

(……動けない奴、死んだ奴にかまうな。時間の無駄だ。俺の仕事は、こいつを死なせないことだけだ)

 

背後で、ヒストリアが悲鳴にも似た息を漏らしているのがわかる。路地裏で貪り食われる駐屯兵、下半身を失って内臓を撒き散らして倒れている死体。アルフレッドはそれらを一瞥し、コンマ数秒で「無視」を選択し続けた。

 

「前だけ見ろ、クリスタ。余計なものを視界に入れるな」

 

冷徹に言い放つ声も、今は掠れて刺々しい。

やがて、彼らがたどり着いたのは、中衛部隊の防備を固めるはずだった時計塔付近の屋根だった。

 

「……ッ、止まれ」

 

アルフレッドの合図で、四人は瓦礫の散らばる屋根に降り立つ。

そこに、不自然な「塊」があった。

一人の少年が、座り込んでいた。

 

「……アルミン……?」 

 

ヒストリアの声が、恐怖で上擦る。

アルミン・アルレルト。ついさっきまで、壁の上で眩しいほどの希望を語っていたはずの少年だ。

 

「おい、アルミン! しっかりしろ! 」

 

コニーが駆け寄り、顔を覗き込んで必死に呼びかける。だが、アルミンはピクリとも反応しない。ガタガタと、まるで壊れた振り子のように全身を震わせ、焦点の合わない目で虚空を見つめている。

 

「……あ……。……あ……」

 

少年の唇から漏れるのは、言葉にもならない絶望の残響。アルフレッドはその姿を、冷静なふりをした絶望の目で見下ろしていた。

アルミンの制服を汚す、その異様な「ぬめり」。それが巨人の口腔内にいた決定的な証拠であることを、アルフレッドの脳は瞬時に理解した。

 

「ケガは無ぇのか? おい!! お前の班は!?」

 

コニーの焦燥に満ちた問いかけが、静まり返った屋根の上に虚しく響く。

アルミンはゆっくりと視線を上げ、コニーを見た。だが、その瞳には光が一切なかった。

 

「……班……?」

「うぁぁぁぁぁぁあぁ!!!この役立たず!死んじまえ!!」

 

突然、アルミンが自分の頭を掻きむしり、魂を削り取るような絶叫を上げた。

あまりの衝撃に、コニーが思わず絶句する。

 

「おい! しっかりしろよ! 何で一人だけなんだ!? 一体何があったんだよ!?」

 

堪らなくなったコニーがアルミンの肩を掴み、激しく揺さぶる。

アルフレッドは、胃の奥から酸っぱいものがせり上がってくるのを感じた。

 

(……こいつがこうなっているということは、エレンの班は……ほぼ全滅か)

 

エレン・イェーガー。あの直情的で、生命力そのものだった男が、あっけなく消えた。

疲労の極致にあるアルフレッドの精神を、その「事実」が鋭く削り取っていく。

 

「もういいだろ、コニー!全滅したんだよ、コイツ以外は」

 

ユミルの無感情な声が、上から投げつけられた。その言葉が、コニーの逆鱗を叩き切る。

 

「うるせぇな! アルミンは何も言ってねぇだろ!!」

 

「周りを見りゃ分かるよバカ! これ以上そいつに構ってる時間は無ぇんだ!」

 

「じゃあ何でアルミンだけ無事なんだよ!!」

 

「さぁな、死体だと思ったんじゃねえの?」

 

ユミルは鼻で笑い、座り込むアルミンを冷ややかに見下ろした。

 

「複数の巨人に遭遇したのは気の毒だが……劣等生のコイツだけ助かるとは……エレン達も報われないな……」

 

ユミルの無神経な挑発に、コニーの顔が怒りに染まる。

 

「……なぁクソ女……。二度と喋れねぇようにしてやろうか!?」

 

絶望的な戦場、ガス限界、刃の摩耗、そして仲間の死。そのすべての上に、さらに仲間割れという最悪なシナリオが積み重なろうとしていた。

アルフレッドの脳内で、何かがブツリと切れる音がした。

 

「――やめろ!!」

 

鼓膜を突き刺すような、激しい咆哮。

それは、普段の彼からは想像もつかないほど荒げられた、剥き出しの怒号だった。

 

「ッ……!?」

 

ブレードを抜きかけていたコニーとユミルが、弾かれたように動きを止める。

あの、いつだって冷静だったアルフレッドが肩を僅かに震わせ二人を射殺せんばかりの目で見据えていた。

 

「……アルフィ……?」

 

同じく口を挟もうとしていたヒストリアも息を呑み、震える声でその名を呼ぶ。

アルフレッドは額に浮き出た血管を指で押さえ、乱れた呼吸を整えようとしたが、指先の震えが止まらない。精神的な疲弊は、もはや「理性」という薄皮一枚でようやく繋ぎ止められている状態だった。

アルフレッドは乱れた呼吸と共に言葉を絞り出した。

 

「仲間割れしてる場合か……! じきに巨人がここにも集まってくる。さっさと移動するぞ」

 

アルフレッドは震える指先で自分の腿を強く叩いて無理やり落ち着かせると、アルミンの前に膝をつき、その襟首を掴み上げた。

 

「……アルミン。お前は後衛に下がって、班の全滅を報告して来い」

 

 アルミンの喉から、ヒュッ、と短い呼吸が漏れた。

 

「今のお前は戦力にならない。だが、情報の伝達は兵士の義務だ。……行け。エレンたちの死を、無意味にするな」

 

アルミンの瞳に、絶望の淵で辛うじて踏みとどまるような光が宿る。

 

「……ごめん。……ごめんなさい……」

 

 アルミンは力なく謝罪すると、逃げるようにワイヤーを射出し、後衛の方角へと飛び去った。その背中を見送るアルフレッドの掌には、じわりと血と汗が混じった不快な感触が残っていた。

この絶望的な状況になっても未だ「撤退」の合図はない。

 

「……チッ。行くぞ、お前ら。指揮官様は尚も前進をお望みらしい」

 

アルフレッドは最後の一対となった、刃こぼれしたブレードを握り直し、巨人がひしめく地獄の先を睨みつけた。





実はアルフレッドは精神的にはそこまで強くないです。彼はもともと、小さい頃に厳格な父親の顔色を窺って生きてきた少年なので本来の精神耐性は決して高くなく、むしろ「完璧に振る舞わなければならない」という強迫観念で自分を縛り付けて、理性の皮を厚く被っているタイプです。

凄惨な過去を持つヒストリアの方がこういう絶望に強いかも。
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