世界一悪い子と監視役   作:クリ坊

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唯一の希望

トロスト区の空を、一筋の閃光が切り裂いていく。

先陣を切るミカサの機動は、もはや人間のそれではない。重力を無視し、最短距離で巨人のうなじを削ぎ落としていくその姿に、後方を飛ぶコニーが驚嘆の声を上げた。

 

「すげえ……! どうやったらあんなに速く飛べるんだよ、ミカサの奴!」

 

 だが、その背を追うアルフレッドは、ミカサの立体機動装置から異常なほど噴き出す白い蒸気を見て、彼女が自暴自棄になっていることを見抜いていた。

 

(ガスをふかしすぎている。あのペースでは、本部に辿り着く前に空っぽになるぞ)

 

案の定、残酷な結末はすぐに訪れた。

ガガッ、と虚しい音が響き、ミカサの背中から白い煙が途絶えた。彼女の体は慣性に流されるまま、路地の奥へと墜落していく。

 

「ミカサ――ッ!!」

 

アルミンの悲鳴が響き、彼は迷わず本部のルートを逸れてミカサの後を追った。

 

「おい、アルミン! クソッ……!」

 

 コニーが毒づきながらも見捨てられずにその後を追う。

 

「アルミンには俺がつく! アルフレッド、お前はこのままみんなを指揮しろ! 止まるんじゃねえぞ!!」

 

最強の弾頭と仲間たちが離脱し、残された訓練兵たちの間に絶望が伝染していく。アルフレッドはただ前を見据え最善の指示を出し続ける。

 

本部の目前、数人の訓練兵が巨人の太い腕に捕らえられていた。断末魔が響き、巨人の注意がその食事へと向けられる。それを見た訓練兵たちの足が止まった。

 

(今だ、今のうちに……!)

 

アルフレッドが叫ぼうとした瞬間、別の声が先行した。

 

「今だ!! 今のうちに本部に突っ込め!!」

 

ジャンだった。非情なまでの判断を、自分よりも早く下したジャンの指揮官としての資質に、アルフレッドは内心で驚きを覚える。

 

「あいつらの死を無駄にするな! 走れ!!」

 

ジャンの怒号に押されるように、生き残った兵士たちは次々と本部の窓へと飛び込んでいった。目前に迫る巨大な石壁。アルフレッドは後ろにいるヒストリアへ視線を向け、風の音に負けないよう鋭く指示を飛ばした。

 

「いいか、クリスタ! 俺が先に窓を突き破る! お前は俺が割った穴から、迷わずそのまま中へ滑り込め!」

 

最後の一欠片となったガスを使い切り、アルフレッドは自分の体を「弾丸」にして、本部二階の窓へと突っ込んだ。

 

 ガシャァァァァン!!

 

全身を切り裂くようなガラスの雨。その直後、ヒストリアがアルフレッドの割った空間へ吸い込まれるように飛び込んだ。

テーブルをなぎ倒し、激しい埃の中でようやく二人の機動が止まる。アルフレッドは肺に溜まった煤を吐き出し、痛みを堪えすぐに立ち上がった。

 

「……ハァ、ハァ……! 大丈夫か、ヒストリア……!」

 

「う、うん。……平気。でもアルフィ、血が出てる……」

 

「ガラスを割ったんだ、当然だ。お前に刺さってないなら、それでいい」

 

横を見るとジャンは立ち上がることなく顔を伏せ、激しく震えていた。

 

「……何人だ。俺の指示で、何人死んだ……?」

 

自分の言葉で仲間を見捨てた責任の重さに、ジャンは押しつぶされそうになっていた。

 

「……俺も、同じ指示を出そうとしていた。先に言わせてしまってすまなかった」

 

アルフレッドが隣に立ち、平坦な声で告げた。自分だけが汚れたわけではないというその言葉に、ジャンは数秒間呆然としたが、やがて生気を取り戻したように小さく頷いた。

 

だが、安堵は続かない。机の下に、補給班の連中が隠れているのを見つけたからだ。

 

「……おい。お前ら、補給班だよな?」

 

ジャンの低い声に、男たちが震えながら顔を上げた。

その瞬間、ジャンが弾丸のように飛び出し、補給班の男を殴り飛ばした。

 

「ふざけるなッ!! こいつらだ、俺たちを見捨てやがったのは! てめぇらのせいで、余計に人が死んだんだぞ!」

殴りかかるジャンをマルコが必死にはがいじめにする中、補給班は「どうしようもなかった」と言い訳を繰り返す。アルフレッドはその光景を冷めた目で見つめ、突き放すように言った。

 

「……あぁ、そうか。『どうしようもなかった』か」

 

アルフレッドは女の髪を掴み上げ、顔を覗き込み、鼓膜を直接撫でるような、低く這いずる声で言葉を続けた。

 

「なら、なぜお前はこの制服を着ている? なぜその腰に、使いもしない刃をぶら下げているんだ? 恐怖で職務を放り出し、机の下で震えるのがお前の本性だというのなら――最初から訓練兵なんてやめて、開拓地へでも行って泥を啜っていればよかったんだ」

 

「お前たちが職務を放棄したせいで、外では『生きたい』と願った優秀な兵士たちが、家畜のように貪り食われた。お前たちのその、汚い涙を流している数秒の間にもだ。……分かるか? お前たちは、自分たちの臆病さを正当化するために、仲間を巨人の口へ放り込んだんだ」

 

アルフレッドは掴んでいた頭を、ゴミを捨てるように床へ叩きつけた

 

「……二度と兵士を名乗るな。お前たちが息をしているだけで不快で堪らない」

 

ヒストリアは、そんなアルフレッドの苛烈な姿を黙って見つめていた。普段なら止めに入る彼女だが、今は壁から戻ってこないユミルのことが気に掛かっているのか、口を挟む様子はなかった。

 

その時だった。

 

ドォォォォン!!

 

鼓膜を直接打ち鳴らすような衝撃音と共に、本部の壁が内側へ向かって弾け飛んだ。

石材と木片の土砂降りの向こう側、もう逃げ場のない二階の室内に、一体の巨人が顔から突っ込んできた。

 

「うわあああっ!?」

 

悲鳴が上がる。

剥き出しの巨大な歯、焦点の合わない不気味な瞳。巨人の巨大な顔面が、すぐそこにある。その口が、脂じみた舌を覗かせながら、獲物を求めてゆっくりと開かれた。

 

「……っ、クリスタ、こっちへ!」

 

アルフレッドは思考を切り替え、すぐさまヒストリアの手を引いて奥の部屋へと逃れようとする。

 

(ガスがない……戦えない……ここで終わりか!?)

 

アルフレッドが最悪のシナリオを脳内で再生しかけた、その瞬間だった。

覗き込んでいた巨人の顔面を、強烈な打撃が横から捉えた。凄まじい衝撃音。壁を突き破っていた巨人の顔が、まるで紙屑のように捻じ曲がり、そのまま外へと弾き飛ばされていく。

 

アルフレッドの視界の先、砂塵の向こう側に、一体の巨人が立っていた。

それは、他の巨人とは明らかに異なっていた。整った筋肉、長い黒髪、そして知性を感じさせる獰猛な眼光。

 

その巨人は、倒れ込んだ別の巨人の頭を踏み砕き、天に向かって雄叫びを上げた。圧倒的な、暴力の権化。だが、その拳は人間ではなく、巨人のみを殺すために振るわれていた。

 

逆光の中で、黒髪の巨人が次々と巨人を蹂躙していく。アルフレッドはその光景を、言葉を忘れて見つめていた。崩壊した壁から差し込む光の中に浮かぶその姿は、地獄に現れた漆黒の救世主のようでもあり、あるいはそれ以上の破滅を運ぶ悪魔のようでもあった。

 

それからほどなくして、窓からアルミン、コニー、そしてミカサが飛び込んできた。

 

「作戦成功だな、アルミン! ギリギリだったぜ!」

 

コニーが興奮気味に叫んだ。

 

「みんな、聞いてくれ! あの巨人は、巨人を殺しまくる奇行種だ! 俺たちには興味を示さない。あいつを利用すれば、ここから脱出できる!」

 

訓練兵たちが動揺し、「巨人に助けてもらうなんてそんな夢みたいな」と拒絶反応を示す中、静かに一歩前に出たのはミカサだった。

 

「夢じゃない」

 

彼女の冷徹で、けれど確信に満ちた声が広場を支配した。

 

「……それが、現実的に私たちが生き残るためにできる最善策。あいつを利用して、地下の補給所を奪還する。そうしなければ、私たちはここで全滅するだけ」

 

巨人が、巨人を、殺している。

その信じられない、残酷で、けれどあまりにも美しい光景を、アルフレッドは見つめていた。

 

(計算不能のイレギュラー……。だが、これこそがこの詰んだ盤面をひっくり返す唯一の核になるのかもな)

 

不意に、右腕に柔らかな感触が触れた。

見れば、ヒストリアが自分の白いハンカチを取り出し、ガラスで深く切れた彼の腕に、手際よく、けれど丁寧に巻き付けていた。

アルフレッドは、その手元の処置をじっと見つめていたが、結び目を作った彼女の指先が離れると

 

「ありがとう。助かった」

 

その言葉を受けた瞬間、ヒストリアは弾かれたようにビクッと肩を揺らした。

 

「っ……!」

 

不意打ちすぎる素直な反応に、すぐさま後ろを向いて顔を隠した。

アルフレッドに今の顔を見られるわけにはいかない。なぜなら、胸の奥から込み上げる喜びのせいで、こんな状況にも関わらず、だらしなく口角が上がってしまっているからだ。

 

(……っ、もう、どうしよう……!)

 

ヒストリアは両手で必死に口元を抑え込み、ニヤケそうになるのを堪えながら、震える肩を強張らせて逃げるように歩き出した。

 

 

 




表紙を作ってみました!


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