世界一悪い子と監視役   作:クリ坊

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「これ需要あるのかなあ...」とかなり不安な中投稿したので早速お気に入り登録3件もいただけて本当にうれしいです!ありがとうございます!


忘却の境界線

ヒストリアには、時折「誰か」と会っている形跡があった。

監視役である俺にとって、それは理解を拒絶するような「空白」だった。

 

「……あいつ、どこへ行った」

 

つい数秒前まで、柵の向こう側で草をいじっていた彼女の姿が、ふとした瞬間に視界から消える。瞬きをしたわけでも、目を離したわけでもない。ただ、風景の一部として溶け込むように、彼女という存在への意識だけが脳から滑り落ちてしまうのだ。

 

慌てて周囲を探そうとしても、なぜか「探さなければならない」という目的自体が霧に包まれ、気づけば別のどうでもいい仕事――柵の綻びや、空の雲の形――に意識が釘付けになっている。

 

「……っ、またか」

 

舌打ちをして、俺は自分の太ももを強くつねった。

激痛で意識を繋ぎ止め、ようやく「彼女が茂みの奥へ消えた」という事実に立ち返る。だが、そこへ追いかけようとすると、今度は猛烈な眠気と、生理的な嫌悪感が全身を支配した。まるで、この場所そのものが俺に「そこを見るな」と命じているかのようだった。

 

しばらくして、満足げな顔をして戻ってきたヒストリアは、決まって同じことを言う。

 

「アルフィ。私、なんだかさっきまで、とっても楽しい夢を見てた気がするの」

 

そう言って笑う彼女の目には、涙が溜まっていることがある。

何を教わったのか、何を話したのか。彼女の記憶からは消えていても、心には温かさだけが取り残されている。

 

俺は震える手で、思い出せない「何か」への恐怖を押し殺し、ノートに事実だけを叩きつけた。

 

『○月○日。対象、監視の目を潜り、境界付近へ移動。追跡を試みましたが、見失ってしまいました。本当に申し訳ありません。

ですが、対象が戻ってきた際は、誰かと会っていたかのような情緒の安定が見られます。帰還後の対象は当該時刻の記憶を喪失している様子。引き続き注意します』

 

「……ちっ、これでいいか」

 

俺は誰にともなく毒づいた。

親父が恐れる「レイス卿」の仕業なのか、それともこの牧場に何かが潜んでいるのか。ヒストリアを閉じ込め、勝手にかまい、勝手に忘れさせる。あいつを人間としてではなく、ただのペットか何かのように扱っている「誰か」がいる。それが、なんだか無性に腹立たしかった。

 

「アルフィ? 怒ってるの?」

ヒストリアが、俺の顔を覗き込んできた。

 

「怒ってねえよ。……ただ、お前がバカ面して笑ってるのが鼻についただけだ」

 

「ひどいなあ。……ねえ、アルフィ。私ね、本で読んだの。昔の人は、大切なことを忘れないように、石に刻んだりしたんだって」

 

「石? んなもん、誰かに壊されたら終わりだろ」

 

「じゃあ、……心に刻むのは?」

ヒストリアは自分の胸に手を当てて、真剣な顔をした。

「記憶がなくなっても、心が覚えてるってことがあるかもしれないでしょ。私がもし、アルフィのことを忘れちゃっても……たぶん、ここがギュッてなると思うんだ」

 

「……」

 

俺は言葉を失った。

もしあの不気味な「何か」が、俺の存在すら彼女から奪おうとしたら。

俺が監視役だという正体がバレて、彼女の前から消される日が来たら。その時、彼女の心に「ギュッとなる」痛みだけが残るのだとしたら、それはあまりに惨い仕打ちだ。

 

「……忘れていいよ」

俺は、自分でも驚くほど低い声で言った。

 

「え?」

 

「全部忘れていい。お前を苛めるガキも、お前を見ない母親も、……俺のことも。全部忘れて、いつかどっか遠くへ行け。ここじゃない、もっと広い場所に」

 

「……アルフィ……」

 

ヒストリアは困ったように眉を下げた。俺は彼女の頭を乱暴に撫で回し、そのまま母屋の方へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――全部忘れて、どっか遠くへ行け)

 

あんな格好つけた台詞を吐いた直後だというのに、母屋の重い扉が見えてくると、さっきまでの意気込みはどこかへ霧散してしまった。

胸ポケットに入ったノートが、鉛のように重く感じる。

 

「……あー、くそ。なんて説明すりゃいいんだよ」

 

足が、目に見えて震え始めていた。

「見失いました、すみません」だけで許してくれるほど、親父は甘くない。あの短気で冷酷な目が、俺の言い訳を値踏みするように見下ろしてくる光景を想像しただけで、胃の奥がキュッと縮み上がる。

 

俺は扉の前で立ち止まり、何度も深呼吸を繰り返した。

「対象が、その、幽霊みたいに消えたんです」なんて口が裂けても言えない。そんなことを言えば、狂ったかサボったかの二択で殴り飛ばされるのが目に見えている。

 

「……落ち着け。適当に、茂みの影で見えなかったことにすれば……」

 

口の中で言い訳を反芻するが、震えは止まらない。

どんなに「監視役」としての知識を詰め込まれていても、俺はまだ十歳のガキだ。暗い部屋の奥で椅子に座る親父の影は、壁の外にいるという巨人よりも、今の俺にはずっと恐ろしい怪物に見えていた。

 

「はぁ……死ぬな、これ」

 

情けない溜息が漏れる。

ヒストリアの前では格好つけていた口が、今は恐怖でガチガチと音を立てている。

 

俺は震える手で、硬いノブを掴んだ。

報告書に書けない「私情」を守る代償は、十歳の肩にはあまりにも重すぎた。




書きだめはそこそこあるので修正加えながら出していく予定です

大学生の長かった春休みが今日で終わってしまう...
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