世界一悪い子と監視役   作:クリ坊

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決断

北の開拓地で過ごした数年間は、ただ生き延びることだけが目的の、色彩を欠いた日々の積み重ねだった。

凍てついた土を穿つ鍬の音、空腹に耐えかねて咽び泣く子供の声、そして、明日をも知れぬ難民たちの淀んだ吐息。ここでは「希望」という言葉は、かつて人類が持っていた贅沢品の一つに過ぎなかった。

 

そんな泥沼のような生活の中、彼女は日を追うごとに「クリスタ・レンズ」という虚像を完成させていった。

 かつて無理をして倒れ、俺に「本当の名前」で激しく叱り飛ばされたあの日以来、さすがに反省したようで、彼女は度が過ぎた献身を控えるようになった。俺に心配をかけまいとしているのか、自分に配給された食料は、以前のように他人に譲りすぎることなくしっかり食べるようになった。

 

だが、「『良い子』でいなければならない」と一度染みついてしまった強迫観念は払拭できず、今や呪いのように彼女の精神に深く根付いてしまっていた。重労働に倒れそうな老人の肩を貸し、どんなに過酷な状況でも、天使のような微笑みを絶やさない。周囲の人間は、そんな彼女を「女神」と呼び、心の拠り所にし始めていた。

 

ある日、開拓地の掲示板に、一枚の紙が貼り出された。

「第104期訓練兵団 志願者募集」

それは、この泥沼のような生活から抜け出す唯一の手段であり、同時に巨人の餌食になる権利を得るための、呪われた切符でもあった。

 

「……あー、ついに来たか。面倒なもんが」

 

俺は遠目からその紙を眺め、深く溜息をついた。

周囲の若者たちが、淡い期待と恐怖をない交ぜにしてざわついている。だが、俺が視線を向けた先にいた彼女だけは、透き通るような、それでいてどこか空虚な瞳でその文字を見つめていた。

その日の夕暮れ。

人気のない開拓地の外れで、彼女は俺を待っていた。

 

「アルフィ……。あのね、私、決めたの」

 

振り返った彼女の表情は、完璧な「クリスタ・レンズ」だった。

どこまでも清らかで、自己犠牲の精神に満ちた、非の打ち所がない偽物。

 

「私、兵士になる。そこでなら、もっとたくさんの人の役に立てるかもしれないから。……もしそこで死んじゃったとしても、誰かに『ありがとう』って言ってもらえるなら、それでいいの」

 

「……」

 

俺は答えなかった。

 

「もちろん、自分の命を軽く思ってるわけじゃないよ。あの時、アルフィにすごく怒られちゃったし……あんな顔、二度とさせたくないから。ご飯もちゃんと食べるようになったでしょ? でもね、アルフィ、私ね……」

 

彼女は一歩前に踏み出し、どこか遠くを見つめるような目で言葉を続けた。

 

「……死ぬ気で頑張ってみたら、私みたいな人間でも、自分のこと、少しは好きになれるかもしれないって思ったの。誰かを助けて、その誰かが私を必要としてくれたら……。その時ようやく、私は自分を許してあげられるような気がするんだ」

 

彼女が死に場所を探しているのは、ずっと前から知っている。誰かのために死ぬことで、ようやく「生まれてきてよかった」と自分を許そうとしているのだ。

 

「そうか。勝手にしろよ」

 

俺が背を向けて立ち去ろうとした、その時だった。

 

「……待って」

 

背後から、衣擦れの音がした。

振り返ると、さっきまでの「女神様」の顔が、剥がれ落ちそうに歪んでいた。

彼女は俺の袖をぎゅっと掴み、縋るような目で俺を見上げていた。

 

「アルフィ……。あなたも、……一緒に、来てくれる?」

 

「……」

 

「わかってるよ。こんなこと言うの、すごく身勝手だって。……でも、……『ヒストリア』として私を知っている人が、そばにいてくれないと……。私、本当に、空っぽになっちゃいそうで……怖いんだ」

 

震える声。『クリスタ』として立派に死ぬと宣言しておきながら、その実、一人の少女として「独りになりたくない」と泣いている。

俺は、懐のノートに手をやった。

ロッド・レイスからは、彼女が兵士になるなら同行し、監視を続けろと命じられている。だから、俺が彼女についていくのは、既に決まっていたことだった。

だが、そんな命令以前に、俺には、こんな今にも消えてしまいそうな少女を一人で放り出す気にはなれなかった。

 

「……勘違いすんなよ」

 

俺は、彼女の手を振り払わずに、わざとぶっきらぼうに言葉を吐き出した。

 

「お前みたいな危なっかしいやつを一人で戦場に出してみろ。すぐに死んで、化けて出られでもしたら俺が寝覚め悪くなるだろ」

 

「……じゃあ……」

 

「ああ。行くよ。……訓練兵だろうが調査兵団だろうが、付き合ってやる。お前が『クリスタ』なんて偽物の名前で消えちまわないように、俺がずっと側で監視してやるよ」

 

俺が言った「監視」という言葉を、彼女は幼馴染としての「見守る」という意味で受け取ったのだろう。

彼女の顔に、今日初めての、本物の安堵の色が浮かんだ。

 

「……ありがとう、アルフィ。……私、あなたがいれば、きっと頑張れる」

 

彼女は俺の腕を抱きしめるようにして、小さく笑った。

俺はその温もりを感じながら、自分の「嘘」の重さに胸が苦しくなる。

俺は監視役だ。お前を地獄へ誘い、その過程を記録する側の人間だ。

それでも――。

 

「……面倒くせえなあ。本当に、一生分の苦労をさせられそうだ」

 

俺たちは、沈みゆく夕日に背を向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

―第104期訓練兵団入団式

 

土埃が舞う広場に、教官キース・シャーディスの怒号が響き渡る。

 

「お前は何しにここへ来た!!」

 

次々と志願者たちの精神がへし折られていく中、死神のような眼光が俺の前で止まった。

 

 

 

 

 

「――この残酷な世界から、決して目を背けないためです」

 





次から訓練兵団編です!
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