TALES OF THE ABYSS Re:Birth   作:ばっしー171

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Episode 0-8-A 生まれた日、仮面の誘い

七年目の朝は、騒がしかった。

 

まだ日も高くないというのに、中庭では誰かが走り回り、食堂では怒鳴り声が飛び、旧療養区画の廊下ではティアが朝から機嫌の悪い顔をしている。

 

「だから、静かにって言ってるでしょう」

 

「無理ですよ! サプライズって静かにやるもんじゃないです!」

 

アニスだった。

 

黒いツインテールを振り回しながら、大きな包みを抱えている。

 

その後ろでカンタビレが笑っていた。

 

「朝から元気だねえ」

 

「人ごとみたいに言わないでください! あなたが風船とか言い出したんでしょう!」

 

「言ったねえ」

 

「言ったんですか!」

 

ティアがこめかみを押さえる。

 

「……本当に大丈夫なの、この人選」

 

発端は三日前だった。

 

書類棚を整理していたティアが、古い記録の中に日付を見つけた。

 

ルーク・フォン・ファブレ。出生登録日。

 

手が止まった。

 

未来では、その日を祝った記憶がない。

 

祝う余裕も、穏やかな時間もなかった。

 

だから思った。

 

今年だけでも、と。

 

その結果が今だった。

 

「何でこうなるのよ……」

 

「でもティアさん、顔ちょっと嬉しそうですよ」

 

「黙りなさい」

 

アリエッタは中庭の隅で小さな包みを握っていた。

 

昨夜、自分で編んだ不格好な紐飾りだ。

 

何度も結び直し、何度もほどき、結局少し曲がった。

 

でも捨てなかった。

 

レプリカイオンが横で小声で練習している。

 

「お、おめでとうございます……いえ、かたすぎる……おたんじょうび、おめでとう……」

 

「緊張しすぎ」

 

アニスが即座に突っ込む。

 

「初めてなんです!」

 

「私もこういうの初めてですよ!」

 

「あなたは緊張してないでしょう」

 

「してますって!」

 

していなかった。

 

その頃ルークは、何も知らず訓練場にいた。

 

木剣を振りながら兵士へ文句を言っている。

 

「何で朝一から十本勝負なんだよ!」

 

「最近たるんでるからだ!」

 

「昨日任務帰りだぞ!」

 

「言い訳するな!」

 

「理不尽!」

 

汗だくで木剣を振り下ろした瞬間、アニスが飛び込んできた。

 

「確保ー!」

 

「は?」

 

そのまま後ろから布を被せられる。

 

「ちょっ、おい!」

 

「暴れないでください!」

 

「敵襲か!?」

 

「味方です!」

 

「一番信用できねえ!」

 

数分後。

 

中庭中央。

 

布を取られたルークは固まった。

 

机。料理。雑な飾り付け。風船らしき何か。

整列する面々。

ティアの無表情。

アニスの満面の笑み。

 

そして全員の声。

 

「誕生日おめでとう!」

 

沈黙。

 

ルークが瞬きを繰り返す。

 

「……何これ」

 

「祝ってるんですよ!」

 

「見りゃ分かる」

 

「なら素直に喜んでください!」

 

「何でだよ!」

 

ティアがため息をつく。

 

「面倒な男ね」

 

「いや急すぎるだろ!」

 

カンタビレが肩を叩く。

 

「誕生日って、そういうもんだよ」

 

「絶対違う」

 

---

 

食事会は予想通り騒がしかった。

 

ルークが肉を取ればアニスが奪い返し、ティアが二人まとめて叱り、カンタビレがその隙にデザートを持っていく。

 

レプリカイオンは目を丸くしながら笑っていた。

 

アリエッタは少し迷ってから、包みを差し出す。

 

「……これ」

 

「ん?」

 

ルークが開く。

 

不格好な紐飾りだった。

 

「……お前作ったのか」

 

頷く。

 

「……すげえな」

 

「……へた」

 

「いや、すげえ」

 

素直だった。

 

アリエッタは耳まで赤くなり、視線を逸らした。

 

レプリカイオンも立ち上がる。

 

「えっと……お、おたんじょうび、おめでとうございます」

 

練習した通りには言えなかった。

 

だがルークは笑った。

 

「ありがとな」

 

その一言で少年は嬉しそうに座り直す。

 

アニスが腕を組む。

 

「次、私です!」

 

「何でお前が主役みたいなんだよ」

 

「進行役です!」

 

「初耳だ」

 

---

 

夕方。

 

騒ぎが落ち着き、人も散った頃。

 

ティアは一人で中庭の片付けをしていた。

 

そこへルークが来る。

 

「手伝う」

 

「珍しいわね」

 

「今日はまあ……その」

 

歯切れが悪い。

 

ティアは小さく笑った。

 

珍しい顔だった。

 

片付けが終わる頃、ティアは小さな包みを差し出す。

 

「これ」

 

「何だ?」

 

「開けなさい」

 

中には革の手袋。

 

剣を握る手を守る、実用的な品だった。

 

「……お前が選んだのか」

 

「ええ」

 

「へえ」

 

しばらく見つめる。

 

それから、珍しく真面目な顔で言った。

 

「ありがとな」

 

ティアは視線を逸らした。

 

「別に」

 

少し間を置き、静かに続ける。

 

「……生まれてきて、おめでとう」

 

ルークは固まった。

 

冗談も返せない。

 

ただ耳だけ赤くなる。

 

「……そういうの、反応困る」

 

「知ってる」

 

---

 

少し離れた回廊の影。

 

シンクは一人でその光景を見ていた。

 

祝われる少年。

 

笑う輪の中心。

 

与えられる言葉。

 

生まれてきて、おめでとう。

 

胸の奥が、静かに軋んだ。

 

自分にはないものだった。

 

名前も。日も。祝う相手も。

 

「浮かない顔だね」

 

背後から声。

 

ヴァンだった。

 

シンクは振り返らない。

 

「……別に」

 

ヴァンは中庭を見る。

 

「眩しいものを見ると、目が痛むことがある」

 

シンクは黙ったまま拳を握る。

 

ヴァンは穏やかに笑った。

 

「少し、話をしようか」

 

風が吹く。

 

笑い声が遠ざかる。

 

---

 

夜は静かだった。

 

昼間あれほど騒がしかった中庭も、今は人影がない。食堂の灯りも落ち、巡回兵の足音だけが石畳へ規則的に響いている。

 

祝いの跡だけが残っていた。

 

片付けきれなかった紙飾り。

倒れた椅子。

誰かが落とした木皿。

 

シンクは回廊の影から、それを見ていた。

 

昼の喧騒が嘘のようだった。

 

笑い声は消える。

食べ物はなくなる。

飾りは捨てられる。

 

残るものなど、何もない。

 

「そう思うかい?」

 

背後の声に、肩が強張る。

 

ヴァンだった。

 

いつ来たのか分からない。

 

シンクは舌打ちした。

 

「気配消して近づくな」

 

「学ぶと便利だよ」

 

「いらない」

 

ヴァンは笑う。

 

怒らない。

否定しない。

ただ自然に隣へ立った。

 

それが逆に気味が悪かった。

 

「誕生日会、参加しなかったんだね」

 

「興味ない」

 

「そう」

 

「……何が言いたい」

 

ヴァンは少しだけ中庭を見る。

 

「祝われるのは、良いことだ」

 

「……」

 

「生まれたことを喜ばれる。そこにいるだけで席がある」

 

シンクの喉奥が熱くなる。

 

嫌な熱だった。

 

「でも、そういうものを持たない者もいる」

 

沈黙。

 

シンクは拳を握った。

 

「……同情か」

 

「違う」

 

即答だった。

 

ヴァンは横目で見る。

 

「私は、事実を言っているだけだ」

 

その声に嘘は感じなかった。

 

だからこそ厄介だった

 

ヴァンは歩き出す。

 

「来なさい」

 

「命令か」

 

「提案だ」

 

「断る」

 

「それでも来るよ」

 

シンクは舌打ちした。

 

数秒迷い、後を追う。

 

自分でも理由は分からなかった。

 

連れて行かれたのは、使われていない地下保管庫だった。

 

古い木箱と壊れた備品ばかりが積まれ、埃の匂いがする。

 

ヴァンは壁際の長机へ小さな包みを置いた。

 

「座って」

 

「立ってる」

 

「好きにしなさい」

 

包みが開かれる。

 

中には、白い仮面があった。

 

無機質な面。

 

目元だけが細く切られ、表情はない。

 

シンクは眉をひそめる。

 

「趣味悪いな」

 

「そうかな」

 

ヴァンは手に取り、光へかざした。

 

「顔というものは、人を縛る」

 

「は?」

 

「見た目。年齢。過去。出自」

 

淡々と続ける。

 

「だが仮面は、それを消す」

 

シンクは鼻を鳴らした。

 

「逃げだろ」

 

「違う」

 

また即答だった。

 

「選び直すんだ」

 

その言葉だけが、妙に胸へ残った。

 

「お前は、自分の顔が好きかい?」

 

突然の問いだった。

 

シンクは答えない。

 

答えられない。

 

鏡を見るたび思う。

 

どこかで見た顔。

誰かの代わりのような顔。

自分のものではない気がする顔。

 

ヴァンは追及しなかった。

 

「嫌いなら、それでもいい」

 

仮面を机へ戻す。

 

「顔は変えられなくても、名は変えられる」

 

「……名?」

 

「今のお前は、誰かに付けられた呼び名だ」

 

シンクの目が細くなる。

 

「じゃあ何だ。あんたが新しく付けるのか」

 

「違う」

 

ヴァンは微笑んだ。

 

「自分で選ぶんだ」

 

---

 

しばらく沈黙が落ちた。

 

遠くで水音がする。

 

古い配管だろう。

 

シンクは仮面を見つめた。

 

白く、冷たい。

 

空っぽの顔。

 

まるで自分みたいだと、一瞬思ってしまう。

 

腹が立った。

 

「……価値があるとか、前も言ったな」

 

ヴァンは頷く。

 

「あるよ」

 

「何を見て言ってる」

 

「目だ」

 

「は?」

 

「死にきれない目をしている」

 

シンクは思わず一歩踏み出した。

 

胸倉を掴みそうになって止まる。

 

ヴァンは動じない。

 

「怒りも憎しみも、まだ燃えている」

 

静かな声だった。

 

「それは力になる」

 

「……くだらない」

 

吐き捨てる。

 

だが離れられない。

 

ヴァンはそこで初めて、少しだけ厳しい目になった。

 

「では聞こう」

 

一歩近づく。

 

「このまま、あの輪の外で腐るか?」

 

シンクの呼吸が止まる。

 

祝われるルーク。

笑うアリエッタ。

優しくされる白いイオン。

輪の中にいる全員。

 

自分だけが、外だった。

 

「……うるさい」

 

声が震えた。

 

「うるさい!」

 

拳が机へ叩きつけられる。

 

仮面が揺れる。

 

ヴァンはただ見ていた。

 

「そうだ」

 

その声だけが静かだった。

 

「その怒りを捨てるな」

 

---

 

しばらくして、シンクは背を向ける。

 

「帰る」

 

「そうしなさい」

 

「……その仮面、いらねえ」

 

「今はね」

 

ヴァンの声に、足が止まりかける。

 

「必要になったら、取りに来るといい」

 

シンクは振り返らなかった。

 

地下室を出る。

 

冷たい廊下の空気が肺へ入る。

 

なのに胸の奥だけ熱かった。

 

---

 

その夜、自室の隅。

 

シンクは膝を抱えて座っていた。

 

眠れない。

 

目を閉じると、昼の光景が浮かぶ。

 

生まれてきて、おめでとう。

 

知らない言葉だった。

 

欲しかったとも思わない。

 

思いたくない。

 

なのに、胸が痛む。

 

壁を殴る。

 

鈍い音。

 

拳の皮が少し裂ける。

 

「……クソ」

 

血が滲む。

 

その赤さだけが、妙に生きていた。

 

遠くの地下で、白い仮面は静かに待っている。

 

---

 

春は、まだ終わっていなかった。

 

だが本部の空気は、少しずつ変わり始めていた。

 

兵士の配置換え。

上層部の会議増加。

神託の盾、六神将、それぞれの動きの活発化。

 

表向きは平穏でも、水面下では何かが進んでいる。

 

ルークのような現場人間ですら、それを感じる程度には。

 

「最近、みんな顔怖くねえ?」

 

訓練場で木剣を肩へ担ぎながら言うと、ティアは即答した。

 

「あなたの顔の方が怖いわ」

 

「何でだよ」

 

「寝癖」

 

「関係ねえだろ」

 

アリエッタが横で少し笑う。

 

その日常の裏で、呼び出しは行われていた。

 

---

 

旧会議棟の小部屋。

 

アリエッタは椅子へ座らされ、落ち着かない様子で足元を見ていた。

 

向かいにはヴァン。

その隣にティア。

少し離れてカンタビレが壁にもたれている。

 

「……なに」

 

警戒心は隠さない。

 

ヴァンは穏やかに微笑んだ。

 

「そんなに怖がらなくていい」

 

「……こわい」

 

「正直だね」

 

カンタビレが吹き出す。

 

ティアはため息をついた。

 

「本題に入りなさい」

 

ヴァンは頷く。

 

「アリエッタ。君へ六神将就任の打診がある」

 

沈黙。

 

数秒後。

 

「……ろくしんしょう?」

 

ティアが額を押さえる。

 

「そこからなのね」

 

「知らない」

 

「でしょうね」

 

カンタビレが笑いを堪えていた。

 

説明は簡潔だった。

 

教団内でも高い権限を持つ特務位階。

独自行動権。

指揮権限。

専用任務。

相応の待遇。

 

そして何より、

 

「君の能力が必要とされている」

 

ヴァンはそう言った。

 

魔物使役。

索敵能力。

現場適応力。

生存能力。

 

確かにアリエッタにしかない力だった。

 

だが本人は困った顔をした。

 

「……わたしで、いいの」

 

その声は小さい。

 

本気で分からないのだ。

 

ティアの視線が少し柔らかくなる。

 

ヴァンは即答した。

 

「君がいい」

 

アリエッタは黙り込む。

 

嬉しい、とは違う。

 

怖い、でも違う。

 

自分が“選ばれる側”にいることへ、まだ慣れていなかった。

 

その日の昼。

 

中庭。

 

ルークは肉を食べながらアリエッタの話を聞いていた。

 

「六神将?」

 

「……うん」

 

「すげえじゃん」

 

即答だった。

 

アリエッタは目を瞬く。

 

「……すごい?」

 

「そりゃそうだろ。偉いやつなんだろ?」

 

「……たぶん」

 

「ならすげえ」

 

単純だった。

 

だが迷いがない。

 

アリエッタは視線を落とす。

 

「……わたし、わからない」

 

「何が」

 

「……えらい、とか」

 

ルークは少し考え、肉を飲み込む。

 

「じゃあ、お前のままでいればいいんじゃねえの」

 

「……わたしのまま」

 

「魔物連れて、無口で、たまに怖くて」

 

「……こわくない」

 

「怖い時ある」

 

「……うるさい」

 

ルークが笑う。

 

「でも、お前なら大丈夫だろ」

 

その言葉に根拠はない。

 

でもアリエッタには、それで十分だった。

 

少し離れた柱の影。

 

シンクがその様子を見ていた。

 

聞くつもりはなかった。

 

だが耳に入った。

 

すげえじゃん。

お前なら大丈夫。

 

胸の奥がざらつく。

 

アリエッタまで、選ばれる側へ行くのか。

 

自分と同じように拾われたはずの少女が。

 

自分と同じように捨てられたはずの少女が。

 

なのに彼女は、輪の中へ入っていく。

 

シンクは視線を逸らす。

 

その時、アリエッタがこちらへ気づいた。

 

「……シンク」

 

呼ばれる。

 

逃げるように踵を返した。

 

「待てよ」

 

ルークの声。

 

追ってくる足音。

 

シンクは苛立って振り返る。

 

「来るな」

 

「何だよ」

 

「……何でもない」

 

「ある顔だろ」

 

「うるさい」

 

ルークは眉をひそめる。

 

「最近そればっかだなお前」

 

「黙れ」

 

「何怒ってんだよ」

 

その無自覚さが、一番腹立たしい。

 

シンクは拳を握った。

 

だが殴らない。

 

代わりに吐き捨てる。

 

「……お前には分からない」

 

「何が」

 

「全部だ」

 

それだけ言って去った。

 

ルークはその背中を見送るしかなかった。

 

---

 

夕方。

 

旧療養区画。

 

アリエッタは一人で座っていた。

 

膝には魔物。

 

手には、渡された任命書。

 

難しい文字ばかりで読めない。

 

そこへレプリカイオンが来る。

 

「……元気ないですね」

 

「……わからない」

 

「何がですか」

 

「……えらい、ってなに」

 

少年は少し考える。

 

それから微笑んだ。

 

「誰かの上に立つこと、ではないと思います」

 

「……?」

 

「誰かの前に立つこと、かもしれません」

 

アリエッタは黙る。

 

難しい。

 

でも少しだけ分かった気がした。

 

守るために前へ立つ。

 

母の背中を思い出す。

 

ライガクイーンの、最後まで振り返らなかった背中を。

 

「……やる」

 

少年が笑う。

 

「はい」

 

その夜。

 

地下保管庫。

 

ヴァンは白い仮面を見ていた。

 

扉が開く。

 

シンクだった。

 

無言で立っている。

 

ヴァンは振り返らない。

 

「おや」

 

「……話がある」

 

「そうだろうと思った」

 

シンクの視線は仮面へ落ちる。

 

白く、冷たい面。

 

そして昼間見た光景が脳裏を焼く。

 

選ばれる少女。

祝福する少年。

自分だけが外にいる世界。

 

ヴァンは静かに言った。

 

「順番に失っていく気分は、どうだい?」

 

シンクの拳から血が滲んだ。

 

---

 

ルークはさらに忙しくなった。

 

朝は訓練場。

昼は物資護送。

夕方は現場報告。

夜は巡回補助。

 

休みがあるのか怪しい。

 

本人も怪しんでいた。

 

「俺っていつ寝てんだ?」

 

食堂で机へ突っ伏しながら呟く。

 

アニスが呆れた顔をする。

 

「知りませんよ。寝てください」

 

「寝る暇ねえんだよ」

 

「じゃあ今寝てるじゃないですか」

 

「それもそうだな」

 

「納得しないでください」

 

ティアは冷たい目で見る。

 

「倒れる前に断りなさい」

 

「断れる相手じゃねえ」

 

「断り方が下手なのよ」

 

「お前ら簡単に言うな」

 

アリエッタが無言でスープを押しやった。

 

「……のめ」

 

「おう」

 

素直に飲む。

 

その横でレプリカイオンが小さく笑っていた。

 

忙しさには理由があった。

 

ルークは現場で使いやすい。

 

足が速い。

腕も立つ。

無駄に丈夫。

文句は言うが断らない。

 

そして、誰よりも現場の空気を変える。

 

険悪な兵士同士でも、ルークが一人いれば言い合いになる前に騒ぎへ変わる。

 

上層部から見れば便利だった。

 

本人だけが気づいていない。

 

その日も、倉庫前で資材搬入の指示をしていた。

 

「それ東!」

 

「東ってどっちですか!」

 

「俺から見て右!」

 

「分かりづらい!」

 

「じゃあお前から見て左!」

 

「もっと分かりづらいです!」

 

周囲が笑う。

 

ルークは怒鳴る。

 

「笑ってねえで動け!」

 

そこへ兵士長が現れた。

 

「ルーク」

 

「何すか」

 

「終わったら北門警備、その後訓練兵の指導、その後夜巡回」

 

「殺す気か?」

 

「期待している」

 

「便利な言い換えやめろ!」

 

兵士長は本気でそう思っている顔だった。

 

ルークは頭を抱えた。

 

その様子を少し離れた場所からシンクが見ていた。

 

まただ。

 

また呼ばれている。

 

また頼られている。

 

また中心にいる。

 

肩書などないくせに。

 

勲章もないくせに。

 

正式な地位もないくせに。

 

それでも人が集まる。

 

「……何なんだよ」

 

小さく漏れる。

 

横から声。

 

「羨ましい?」

 

カンタビレだった。

 

シンクは即座に睨む。

 

「違う」

 

「そう」

 

「近づくな」

 

「ひどいなあ」

 

カンタビレは壁にもたれ、ルークを見る。

 

「でも不思議ではあるね」

 

「……何が」

 

「肩書なくても、人が寄る人間っている」

 

シンクは鼻を鳴らす。

 

「能天気だからだろ」

 

「それも才能だよ」

 

その言葉がまた腹立たしかった。

 

---

 

夕方。

 

中庭ではアリエッタが新しい六神将用の外套を試着していた。

 

深い色合いの装束に、魔物を模した意匠。

 

ティアが丈を確認している。

 

「少し長いわね」

 

「……ふむ」

 

「そこで納得しないで」

 

アニスが騒ぐ。

 

「え、普通に似合ってません!?」

 

ルークが戻ってきて足を止めた。

 

「おー、すげえ」

 

アリエッタが振り返る。

 

少し落ち着かない顔。

 

「……へん?」

 

「全然」

 

ルークは即答する。

 

「強そう」

 

「……つよい」

 

「言ってねえ」

 

アリエッタが少し笑った。

 

そのやり取りを、シンクは回廊の陰から見ていた。

 

まただ。

 

また自然に輪へ入っている。

 

誰かを褒め、笑わせ、そこにいる。

 

何の資格もないくせに。

 

胸の奥が焼ける。

 

その夜。

 

北門巡回帰りのルークは、一人で壁にもたれていた。

 

珍しく静かだった。

 

シンクは通り過ぎるつもりだった。

 

だがルークが気づく。

 

「お、いたのか」

 

「……いたら悪いか」

 

「別に」

 

ルークは空を見る。

 

「疲れた」

 

「知らない」

 

「お前冷てえな」

 

「普通だ」

 

沈黙。

 

それからルークがぽつりと言う。

 

「何か最近、避けてねえ?」

 

シンクの足が止まる。

 

「気のせいだ」

 

「そうか?」

 

「そうだ」

 

「ならいいけど」

 

その無警戒さが腹立たしい。

 

シンクは振り返る。

 

「お前さ」

 

「ん?」

 

「何でそんな何でも持ってるみたいな顔してんだ」

 

ルークが眉をひそめる。

 

「は?」

 

「人が寄ってきて、頼られて、祝われて」

 

言葉が止まらなかった。

 

「何でも与えられてるくせに」

 

ルークの顔つきが変わる。

 

「……何の話だ」

 

「分かんねえならいい」

 

「待てよ」

 

ルークが立ち上がる。

 

「言いたいことあんなら言え」

 

「お前にだけは言いたくない」

 

「何でだよ!」

 

「お前だからだよ!」

 

夜気が震えた。

 

ルークは本気で分かっていない顔をしている。

 

それが一番残酷だった。

 

シンクは舌打ちし、背を向ける。

 

「……クソ」

 

「おい!」

 

呼ばれても止まらない。

 

走るようにその場を去る。

 

ルークは追えなかった。

 

何を怒らせたのか、本当に分からなかったからだ。

 

---

 

同じ頃、旧療養区画の窓辺。

 

ティアはそのやり取りを遠くから見ていた。

 

隣でオリジナルイオンが静かに言う。

 

「……間に合うでしょうか」

 

ティアは答えない。

 

答えられなかった。

 

シンクの傷は、もう嫉妬だけではない。

 

もっと深く、もっと古い。

 

そして誰より、ルーク自身がその理由を知らない。

 

それが最悪だった。

 

---

 

地下保管庫。

 

白い仮面が机の上に置かれている。

 

扉が静かに開いた。

 

シンクだった。

 

荒い呼吸のまま、何も言わず仮面を見下ろす。

 

ヴァンは暗がりで微笑んだ。

 

「おかえり」

 

シンクは答えない。

 

ただ、その白い面へ手を伸ばした。

 




いよいよ本編スタート間近
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