TALES OF THE ABYSS Re:Birth 作:ばっしー171
ラルゴ預かりとなってから、一年が過ぎていた。
少年だった体つきは、目に見えて変わった。肩は開き、腰は落ち着き、足はよく動く。踏み込みに迷いがなくなり、転ばされてもすぐに立ち上がれるようになった。筋肉の付き方も、剣の握り方も、呼吸の整え方も、一年前とは別人だった。
剣はリグレットに矯正され、数日ごとにラルゴに叩き潰された。
その合間に実戦へも出された。
斥候。護衛。掃討。追跡。
血の匂いにも、怒号にも、以前ほど足は止まらない。
止まらなくなっただけで、慣れたわけではなかった。人を斬った感触も、譜銃を撃った反動も、まだ消えてはいない。ただ、それでも体が先に動くようになってしまっただけだった。
それでも一年という時間は、確かにルークを変えていた。
だからこそ、次の配属先を聞いた時、心底嫌そうな顔をした。
「……で?」
ルークは腕を組み、壁にもたれた。
「なんで俺が、あいつのとこ行かなきゃなんねえんだよ」
視線の先には、淡々と立つリグレット。その隣で腕を組むラルゴ。
二人とも、ルークの不満など最初から織り込み済みという顔をしていた。
「命令だからよ」
リグレットが短く答える。
「便利な言葉だ」
ラルゴが低く呟いた。
「お前に足りんものがある」
「十分やってるだろ」
「身体はな」
ルークの顔が歪む。
「じゃあ何が足りねえんだよ」
リグレットが言った。
「頭よ」
「喧嘩売ってんのか?」
「事実を言っているだけ」
ラルゴが腕を組んだまま続ける。
「見えないものを知れ」
「なんだそれ」
「裏側だ」
その時、扉の向こうから甲高い声が響いた。
「いやですねぇ! 人聞きの悪い!」
勢いよく扉が開く。
派手な身振りとともに現れたのは、ディストだった。
「裏側ではなく、知性の最前線と呼んでいただきたい!」
「帰れ」
リグレットが即答する。
「辛辣!」
ルークは露骨に顔をしかめた。
「……なんだこいつ」
「例の坊やですね!」
ずい、と顔が近づく。
「うわっ、近い!」
「筋肉の付き方は悪くない。反応速度も平均以上。顔はそこそこ。知性は未知数」
「最後余計だろ!」
「安心なさい。未知数には可能性があります!」
「うるせえ!」
リグレットが一歩前へ出る。
「玩具にするな」
「教材です」
「もっと悪い」
ラルゴが口を開く。
「壊すな」
「信用がない!」
ルークは頭を抱えた。
「……帰りてえ」
ディストは満面の笑みで手を叩いた。
「本日より特別講義です!」
「聞いてねえ!」
「今聞きました!」
リグレットはルークを見る。
「数日ごとに戻す」
「剣と譜銃の訓練は継続する」
ラルゴも続ける。
「実戦投入も減らさん」
「増えてねえか!?」
廊下の奥では、ティアがその様子を見ていた。
「……本当に大丈夫なのかしら」
隣には、いつの間にかカンタビレ。
「大丈夫よ」
「根拠は?」
「壊れるにしても面白い壊れ方するもの」
「あなたに聞いた私が悪かったわ」
カンタビレは楽しそうに笑う。
「でも、三人がかりで育てた子を最後にあいつへ投げるの、綺麗じゃない?」
「綺麗かどうかで決めないで」
ティアは小さくため息をついた。
こうしてルークは、新しい地獄へ送られた。
研究区画は薄暗く、金属音と駆動音が反響していた。薬品臭と焦げた匂いが混ざり、壁には用途不明の器具が吊られている。床には配線が走り、棚には結晶や試験管や設計図が無秩序に積まれていた。
「……帰りてえ」
「まだ着いて三分ですよ?」
辿り着いた部屋の机には分解された譜銃が置かれていた。
ルークのものだった。
「なんで俺の譜銃がバラされてんだよ!」
「学習教材です」
「戻せ!」
ディストは部品を一本持ち上げる。
「これは何です?」
「部品」
「雑」
「何のための部品です?」
「知らねえよ」
「素晴らしい。知らないと認めることは知性の第一歩です」
「うるせえ」
「では第二歩に進みましょう」
「勝手に進めんな!」
そこから始まった生活は、狂っていた。
朝は講義。
昼は譜術実技。
夕方はリグレットとの射撃訓練。
夜はラルゴとの実戦訓練。
合間に任務。
睡眠時間だけが削られていく。
最初の一週間で、ルークは三回逃げようとした。二回は研究区画の出口でディストに捕まり、一回はラルゴに首根っこを掴まれて戻された。
「離せ!」
「歩くな」
「矛盾してんだよ!」
「口は元気だな」
ラルゴに担がれたまま連行される屈辱は、ルークの短い人生の中でもかなり上位だった。
一ヶ月後、ルークは机に突っ伏していた。
「……死ぬ」
「死にません」
「死んでたら今しゃべってねえ!」
ノートには意味不明な単語が並ぶ。
音素収束率。展開偏差。術式再構築。出力補正。環境共鳴。
「こんなの覚えて何になんだよ……」
「賢くなります」
「ならねえよ!」
ディストは板へ円と線を書き始めた。
「今日は譜術の基礎です」
「毎日やってるだろ」
「今日は理解する日です。昨日までは苦しむ日でした」
「最低だな」
ディストは杖の先で図を叩く。
「この世界のあらゆる物質、現象、生命活動は音素によって成り立っています」
「また始まった……」
「聞きなさい」
珍しく強い口調だった。
ルークは少し黙る。
「火が燃える。風が吹く。水が流れる。肉体が動く。思考が巡る。全て音素の組み合わせです」
「じゃあ譜術ってのは?」
「既にある法則へ、人の意思で横槍を入れる技術です」
「……分かりづれえ」
「火が無い場所で火を出す」
「最初からそう言え」
「雑」
ディストは続ける。
「ただし、勝手に何でも出来るわけではない。術者の資質、集中、知識、音素親和、詠唱構築、それら全てが必要です」
「じゃあ俺は向いてねえな」
「ええ、普通なら」
「おい」
「ですがあなたは妙です」
一拍置く。
「理解は遅い。繊細さも足りない。なのに反応だけは良い」
「褒めてんのか?」
「半分けなしています」
「素直だな!」
「あなたは職人型ではなく実戦型です。戦いながら掴むタイプだ」
ルークは鼻を鳴らした。
「それでいい」
「よくありません。私の教え子なら理論も覚えなさい」
「嫌だ」
「却下です」
そこから始まったのは、譜術を“使えるようになる”ための地獄だった。
呼吸。姿勢。視線。集中。音素の流れを感じる意識。
何度やっても出ない。
「肩に力が入りすぎです」
「うるせえ」
「今昼飯のこと考えましたね」
「なんで分かる!」
「顔に書いてあります」
「気持ち悪ぃな!」
「褒め言葉ですね」
苛立って拳を握った瞬間、胸の奥が脈打った。
掌を振る。
風が走る。
木箱が綺麗に裂けた。
「……出た」
「素晴らしい!」
「うるせえ!」
「今のです! 再現しなさい!」
「出来るか!」
そこから偶然を再現性へ変える訓練が始まった。
同じ呼吸。同じ姿勢。同じ踏み込み。同じ視線。
術を出す前に、体の形を作る。
リグレットが来れば譜銃と合わせて叩き込まれる。
「術に頼りすぎるな」
「なんでだよ」
「出ない日がある。乱れる日がある。殺される時は大抵そういう日よ」
「縁起悪ぃな」
「現実よ」
譜銃を投げ渡される。
「だから撃てるものは複数持ちなさい」
その教えは妙に腑に落ちた。
ラルゴとの訓練では、剣で受け、風術で体勢を崩し、木剣を叩き込む。
「使える」
ラルゴはそれだけ言った。
たった一言で、三日は頑張れた。悔しいが。
ルークの生活には、いつの間にか小さな日常も混ざり始めていた。
研究室の隅で、ルークは分解途中の譜銃を見ている。
「そこ逆です」
「うるせえ、前もこうだったろ」
「前回は偶然成功しただけです」
「成功したならいいだろ」
「研究者の敵ですねあなた!」
言い合いながら、部品はきちんと組み上がっていく。
「……何だよ」
ルークが顔を上げる。
ディストが黙ってこちらを見ていた。
「いえ」
少し悔しそうに、少し嬉しそうに笑う。
「最初はドライバーの持ち方すら怪しかったのに」
「殴るぞ」
「成長を褒めたのに!?」
それを見たリグレットがぼそりと言う。
「字も前よりマシよ」
「誰のおかげだと思ってんだ」
「私」
「うぜえ……」
口ではそう言いながら、ルークは少しだけ笑った。
だが、それは長く続かなかった。
任務の比率が増えるほど、夜は浅くなる。
返り血にも慣れた。
人を斬った夜も、以前ほど手は震えない。
それが嬉しくない。
「強くなるって……こんなもんなのかよ」
眠れない夜、天井を見ながら呟く。
強くなれば、もっと胸を張れると思っていた。
出来ることが増えれば、少しは楽になると思っていた。
現実は逆だった。
出来ることが増えるたびに、出来なかった時の重さが増す。
ディストもまた、本物だった。
暴走した装置の異音を一度聞いただけで原因を言い当てる。
譜術の失敗を見て修正点を即座に指摘する。
ルークの古傷や疲労まで見抜く。
「天才ってのは、こういうのを言うんでしょうねえ」
「自分で言うな」
「私とジェイド限定です」
「誰だよ」
「嫌な男です」
その名前は、その後何度も聞かされることになる。
ある夜など、ほとんど一時間近く熱弁された。
「私が三日かけた理論式を、一晩で修正して翌朝には欠点まで指摘してきたのです!」
「うわ、性格悪ぃな」
「ええ、最悪です」
「でもすげえんだろ?」
ディストは一瞬黙った。
「……悔しいですが」
その顔だけは本音だった。
「あの男は、最初から完成品みたいな顔をしているんですよ」
「むかつくな」
「ええ、非常に」
「でもさ」
ルークが机に肘をつく。
「お前も大概だろ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「受け取り方が気持ち悪ぃ」
半年後。
研究室は妙に居心地の悪い場所になっていた。
「遅い!」
「うるせえ!」
「課題は終わりましたか!」
「知らねえ!」
「終わっていませんね!」
会えば喧嘩する。
だが任務帰りに傷を負えば、真っ先に椅子へ座らされる。
「見せなさい」
「平気だ」
「傷口から腐ります」
「盛るな」
消毒液が沁みる。
「っっっ!?」
「騒がしいですねえ」
「絶対わざとだろ!」
「当然です」
腹は立つ。
だが、手を振り払う気にはならなかった。
ラルゴがそれを見て呟く。
「仲が良いな」
「「違う!」」
声だけは綺麗に揃った。
その日の夜、研究室でルークは寝落ちした。
机に突っ伏したまま、ノートの上へ額を押しつけている。
ディストはしばらくその寝顔を見下ろし、ノートを閉じた。
乱れた姿勢を少し直し、棚から毛布を持ってくる。
「……ここまで付き合う体力だけは評価しますよ」
返事はない。
肩へ毛布を掛ける。
「才能だけの子なら、嫌いになれたのですがね」
小さく零れた声は、誰にも届かなかった。
廊下の外では、ティアが時折足を止めていた。
中から聞こえる騒がしい声を、黙って聞いている。
「その術式は実戦向きじゃねえ!」
「理解が浅い!」
「浅いのは睡眠時間だ!」
ティアは小さく息を吐く。
「……前よりは、元気そうね」
隣には、またしてもカンタビレ。
「心配?」
「確認よ」
「何を?」
「壊れていないかどうか」
カンタビレは楽しそうに笑った。
「壊れたらもっと静かになるわ」
「縁起でもないこと言わないで」
ルーク自身も変わっていた。
単独任務。偵察。護衛。掃討。
成功しても褒められず、失敗だけが記録される。
ヴァンに呼ばれたこともあった。
「よく育ったな」
その一言だけで、胸が熱くなる。
「お前には、お前にしか出来ない役目がある」
詳しくは語られない。
だが、それで十分だった。
それが、余計に重かった。
ある夜、限界が来た。
講義中、ルークはペンを机へ叩きつけた。
「ふざけんな!」
研究室が静まり返る。
「朝から晩まで訓練して、任務行って、寝る時間もねえ!」
「俺だって好きでやってんじゃねえ!」
肩で息をする。
言ってしまった、とルークは思った。
ディストは珍しく黙っていた。
しばらくして、静かに言う。
「……知っていますよ」
それだけだった。
いつもの嫌味も、茶化しもない。
「才能だけなら嫌えたんですがね」
ぼそりと続ける。
「努力する者は、厄介です」
ルークは言い返せなかった。
怒鳴り返されると思っていた。笑われると思っていた。
そうではなかった。
その日の講義は、そこで終わった。
翌朝、肩の毛布で、昨夜の終わり方を知ることになる。
ある日、研究室でディストが言った。
「あなた、最近笑わなくなりましたね」
「忙しいだけだ」
「成長ですよ」
一拍置いて続ける。
「損耗とも言いますが」
ルークは机を蹴った。
「お前ほんと嫌なこと言うな」
「図星ほど腹が立つものです」
否定できなかった。
「……お前、そういうの分かってて言ってんのか」
「もちろんです」
「最悪だな」
「ええ。ですが、誰かが言わないと、自分がどこまで減ったか分からないでしょう」
その言葉だけは、妙に残った。
そんなある日、研究区画への襲撃が起きた。
狙いは資料か、装置か、あるいは研究者本人か。
兵士たちが応戦する中、ディストは重要記録を抱えていた。
「逃げろ!」
「嫌です!」
「なんでだよ!」
「私の研究成果です!」
敵の刃がディストへ向く。
考えるより先に、体が動いた。
剣で受け、風術で弾き、譜銃で牽制する。
「下がってろ!」
「命令口調ですねえ!」
「うるせえ!」
敵を退け、肩で息をする。
ディストは目を丸くしていた。
「……何だよ」
「いえ」
珍しく、まともな顔だった。
「こいつムカつくけど、俺の教官だからな」
言ってから、少し後悔した。
ディストは数秒黙り、ふっと笑った。
「満点です」
「何がだよ」
「育成結果ですよ」
「やっぱ取り消す」
「遅いです。もう記録しました」
「消せ!」
「却下です」
その夜。
研究室にはディスト一人。
棚の奥から古い資料束を取り出す。
共同研究記録。
そこにある署名。
一つは自分。
もう一つは、ジェイド・バルフォア。
赤字の修正。冷静な指摘。完璧な理論。
どれも腹が立つ。
「……相変わらず、嫌な字です」
資料を閉じる。
視線を眠るルークへ向ける。
「どうしてあなたは、先に行けたんですかねえ」
「どうして私は、まだここにいるのでしょう」
一拍。
口元が歪む。
「……ですが」
「こちらにも、ようやく面白い札が育ちました」
「次に会う時は、驚かせて差し上げますよ」
悔しさ。羨望。対抗心。
そして、少しの誇らしさ。
資料を仕舞い、灯りを落とす。
その手つきだけが、妙に静かだった。
翌朝。
研究区画の奥から、幼い咳払いが聞こえた。
もう一つ、獣のように鋭い気配。
ディストは笑う。
「さて」
「次の時代です」
眠っていた少年たちが、目を覚まそうとしていた。