TALES OF THE ABYSS Re:Birth   作:ばっしー171

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Episode 0-4 壊れているのは誰ですか?

ラルゴ預かりとなってから、一年が過ぎていた。

 

少年だった体つきは、目に見えて変わった。肩は開き、腰は落ち着き、足はよく動く。踏み込みに迷いがなくなり、転ばされてもすぐに立ち上がれるようになった。筋肉の付き方も、剣の握り方も、呼吸の整え方も、一年前とは別人だった。

 

剣はリグレットに矯正され、数日ごとにラルゴに叩き潰された。

 

その合間に実戦へも出された。

 

斥候。護衛。掃討。追跡。

 

血の匂いにも、怒号にも、以前ほど足は止まらない。

 

止まらなくなっただけで、慣れたわけではなかった。人を斬った感触も、譜銃を撃った反動も、まだ消えてはいない。ただ、それでも体が先に動くようになってしまっただけだった。

 

それでも一年という時間は、確かにルークを変えていた。

 

だからこそ、次の配属先を聞いた時、心底嫌そうな顔をした。

 

「……で?」

 

ルークは腕を組み、壁にもたれた。

 

「なんで俺が、あいつのとこ行かなきゃなんねえんだよ」

 

視線の先には、淡々と立つリグレット。その隣で腕を組むラルゴ。

 

二人とも、ルークの不満など最初から織り込み済みという顔をしていた。

 

「命令だからよ」

 

リグレットが短く答える。

 

「便利な言葉だ」

 

ラルゴが低く呟いた。

 

「お前に足りんものがある」

 

「十分やってるだろ」

 

「身体はな」

 

ルークの顔が歪む。

 

「じゃあ何が足りねえんだよ」

 

リグレットが言った。

 

「頭よ」

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

「事実を言っているだけ」

 

ラルゴが腕を組んだまま続ける。

 

「見えないものを知れ」

 

「なんだそれ」

 

「裏側だ」

 

その時、扉の向こうから甲高い声が響いた。

 

「いやですねぇ! 人聞きの悪い!」

 

勢いよく扉が開く。

 

派手な身振りとともに現れたのは、ディストだった。

 

「裏側ではなく、知性の最前線と呼んでいただきたい!」

 

「帰れ」

 

リグレットが即答する。

 

「辛辣!」

 

ルークは露骨に顔をしかめた。

 

「……なんだこいつ」

 

「例の坊やですね!」

 

ずい、と顔が近づく。

 

「うわっ、近い!」

 

「筋肉の付き方は悪くない。反応速度も平均以上。顔はそこそこ。知性は未知数」

 

「最後余計だろ!」

 

「安心なさい。未知数には可能性があります!」

 

「うるせえ!」

 

リグレットが一歩前へ出る。

 

「玩具にするな」

 

「教材です」

 

「もっと悪い」

 

ラルゴが口を開く。

 

「壊すな」

 

「信用がない!」

 

ルークは頭を抱えた。

 

「……帰りてえ」

 

ディストは満面の笑みで手を叩いた。

 

「本日より特別講義です!」

 

「聞いてねえ!」

 

「今聞きました!」

 

リグレットはルークを見る。

 

「数日ごとに戻す」

 

「剣と譜銃の訓練は継続する」

 

ラルゴも続ける。

 

「実戦投入も減らさん」

 

「増えてねえか!?」

 

廊下の奥では、ティアがその様子を見ていた。

 

「……本当に大丈夫なのかしら」

 

隣には、いつの間にかカンタビレ。

 

「大丈夫よ」

 

「根拠は?」

 

「壊れるにしても面白い壊れ方するもの」

 

「あなたに聞いた私が悪かったわ」

 

カンタビレは楽しそうに笑う。

 

「でも、三人がかりで育てた子を最後にあいつへ投げるの、綺麗じゃない?」

 

「綺麗かどうかで決めないで」

 

ティアは小さくため息をついた。

 

こうしてルークは、新しい地獄へ送られた。

 

研究区画は薄暗く、金属音と駆動音が反響していた。薬品臭と焦げた匂いが混ざり、壁には用途不明の器具が吊られている。床には配線が走り、棚には結晶や試験管や設計図が無秩序に積まれていた。

 

「……帰りてえ」

 

「まだ着いて三分ですよ?」

 

辿り着いた部屋の机には分解された譜銃が置かれていた。

 

ルークのものだった。

 

「なんで俺の譜銃がバラされてんだよ!」

 

「学習教材です」

 

「戻せ!」

 

ディストは部品を一本持ち上げる。

 

「これは何です?」

 

「部品」

 

「雑」

 

「何のための部品です?」

 

「知らねえよ」

 

「素晴らしい。知らないと認めることは知性の第一歩です」

 

「うるせえ」

 

「では第二歩に進みましょう」

 

「勝手に進めんな!」

 

そこから始まった生活は、狂っていた。

 

朝は講義。

昼は譜術実技。

夕方はリグレットとの射撃訓練。

夜はラルゴとの実戦訓練。

合間に任務。

 

睡眠時間だけが削られていく。

 

最初の一週間で、ルークは三回逃げようとした。二回は研究区画の出口でディストに捕まり、一回はラルゴに首根っこを掴まれて戻された。

 

「離せ!」

 

「歩くな」

 

「矛盾してんだよ!」

 

「口は元気だな」

 

ラルゴに担がれたまま連行される屈辱は、ルークの短い人生の中でもかなり上位だった。

 

一ヶ月後、ルークは机に突っ伏していた。

 

「……死ぬ」

 

「死にません」

 

「死んでたら今しゃべってねえ!」

 

ノートには意味不明な単語が並ぶ。

 

音素収束率。展開偏差。術式再構築。出力補正。環境共鳴。

 

「こんなの覚えて何になんだよ……」

 

「賢くなります」

 

「ならねえよ!」

 

ディストは板へ円と線を書き始めた。

 

「今日は譜術の基礎です」

 

「毎日やってるだろ」

 

「今日は理解する日です。昨日までは苦しむ日でした」

 

「最低だな」

 

ディストは杖の先で図を叩く。

 

「この世界のあらゆる物質、現象、生命活動は音素によって成り立っています」

 

「また始まった……」

 

「聞きなさい」

 

珍しく強い口調だった。

 

ルークは少し黙る。

 

「火が燃える。風が吹く。水が流れる。肉体が動く。思考が巡る。全て音素の組み合わせです」

 

「じゃあ譜術ってのは?」

 

「既にある法則へ、人の意思で横槍を入れる技術です」

 

「……分かりづれえ」

 

「火が無い場所で火を出す」

 

「最初からそう言え」

 

「雑」

 

ディストは続ける。

 

「ただし、勝手に何でも出来るわけではない。術者の資質、集中、知識、音素親和、詠唱構築、それら全てが必要です」

 

「じゃあ俺は向いてねえな」

 

「ええ、普通なら」

 

「おい」

 

「ですがあなたは妙です」

 

一拍置く。

 

「理解は遅い。繊細さも足りない。なのに反応だけは良い」

 

「褒めてんのか?」

 

「半分けなしています」

 

「素直だな!」

 

「あなたは職人型ではなく実戦型です。戦いながら掴むタイプだ」

 

ルークは鼻を鳴らした。

 

「それでいい」

 

「よくありません。私の教え子なら理論も覚えなさい」

 

「嫌だ」

 

「却下です」

 

そこから始まったのは、譜術を“使えるようになる”ための地獄だった。

 

呼吸。姿勢。視線。集中。音素の流れを感じる意識。

 

何度やっても出ない。

 

「肩に力が入りすぎです」

 

「うるせえ」

 

「今昼飯のこと考えましたね」

 

「なんで分かる!」

 

「顔に書いてあります」

 

「気持ち悪ぃな!」

 

「褒め言葉ですね」

 

苛立って拳を握った瞬間、胸の奥が脈打った。

 

掌を振る。

 

風が走る。

 

木箱が綺麗に裂けた。

 

「……出た」

 

「素晴らしい!」

 

「うるせえ!」

 

「今のです! 再現しなさい!」

 

「出来るか!」

 

そこから偶然を再現性へ変える訓練が始まった。

 

同じ呼吸。同じ姿勢。同じ踏み込み。同じ視線。

 

術を出す前に、体の形を作る。

 

リグレットが来れば譜銃と合わせて叩き込まれる。

 

「術に頼りすぎるな」

 

「なんでだよ」

 

「出ない日がある。乱れる日がある。殺される時は大抵そういう日よ」

 

「縁起悪ぃな」

 

「現実よ」

 

譜銃を投げ渡される。

 

「だから撃てるものは複数持ちなさい」

 

その教えは妙に腑に落ちた。

 

ラルゴとの訓練では、剣で受け、風術で体勢を崩し、木剣を叩き込む。

 

「使える」

 

ラルゴはそれだけ言った。

 

たった一言で、三日は頑張れた。悔しいが。

 

ルークの生活には、いつの間にか小さな日常も混ざり始めていた。

 

研究室の隅で、ルークは分解途中の譜銃を見ている。

 

「そこ逆です」

 

「うるせえ、前もこうだったろ」

 

「前回は偶然成功しただけです」

 

「成功したならいいだろ」

 

「研究者の敵ですねあなた!」

 

言い合いながら、部品はきちんと組み上がっていく。

 

「……何だよ」

 

ルークが顔を上げる。

 

ディストが黙ってこちらを見ていた。

 

「いえ」

 

少し悔しそうに、少し嬉しそうに笑う。

 

「最初はドライバーの持ち方すら怪しかったのに」

 

「殴るぞ」

 

「成長を褒めたのに!?」

 

それを見たリグレットがぼそりと言う。

 

「字も前よりマシよ」

 

「誰のおかげだと思ってんだ」

 

「私」

 

「うぜえ……」

 

口ではそう言いながら、ルークは少しだけ笑った。

 

だが、それは長く続かなかった。

 

任務の比率が増えるほど、夜は浅くなる。

 

返り血にも慣れた。

人を斬った夜も、以前ほど手は震えない。

 

それが嬉しくない。

 

「強くなるって……こんなもんなのかよ」

 

眠れない夜、天井を見ながら呟く。

 

強くなれば、もっと胸を張れると思っていた。

出来ることが増えれば、少しは楽になると思っていた。

 

現実は逆だった。

 

出来ることが増えるたびに、出来なかった時の重さが増す。

 

ディストもまた、本物だった。

 

暴走した装置の異音を一度聞いただけで原因を言い当てる。

譜術の失敗を見て修正点を即座に指摘する。

ルークの古傷や疲労まで見抜く。

 

「天才ってのは、こういうのを言うんでしょうねえ」

 

「自分で言うな」

 

「私とジェイド限定です」

 

「誰だよ」

 

「嫌な男です」

 

その名前は、その後何度も聞かされることになる。

 

ある夜など、ほとんど一時間近く熱弁された。

 

「私が三日かけた理論式を、一晩で修正して翌朝には欠点まで指摘してきたのです!」

 

「うわ、性格悪ぃな」

 

「ええ、最悪です」

 

「でもすげえんだろ?」

 

ディストは一瞬黙った。

 

「……悔しいですが」

 

その顔だけは本音だった。

 

「あの男は、最初から完成品みたいな顔をしているんですよ」

 

「むかつくな」

 

「ええ、非常に」

 

「でもさ」

 

ルークが机に肘をつく。

 

「お前も大概だろ」

 

「褒め言葉として受け取っておきます」

 

「受け取り方が気持ち悪ぃ」

 

半年後。

 

研究室は妙に居心地の悪い場所になっていた。

 

「遅い!」

 

「うるせえ!」

 

「課題は終わりましたか!」

 

「知らねえ!」

 

「終わっていませんね!」

 

会えば喧嘩する。

 

だが任務帰りに傷を負えば、真っ先に椅子へ座らされる。

 

「見せなさい」

 

「平気だ」

 

「傷口から腐ります」

 

「盛るな」

 

消毒液が沁みる。

 

「っっっ!?」

 

「騒がしいですねえ」

 

「絶対わざとだろ!」

 

「当然です」

 

腹は立つ。

 

だが、手を振り払う気にはならなかった。

 

ラルゴがそれを見て呟く。

 

「仲が良いな」

 

「「違う!」」

 

声だけは綺麗に揃った。

 

その日の夜、研究室でルークは寝落ちした。

 

机に突っ伏したまま、ノートの上へ額を押しつけている。

 

ディストはしばらくその寝顔を見下ろし、ノートを閉じた。

 

乱れた姿勢を少し直し、棚から毛布を持ってくる。

 

「……ここまで付き合う体力だけは評価しますよ」

 

返事はない。

 

肩へ毛布を掛ける。

 

「才能だけの子なら、嫌いになれたのですがね」

 

小さく零れた声は、誰にも届かなかった。

 

廊下の外では、ティアが時折足を止めていた。

 

中から聞こえる騒がしい声を、黙って聞いている。

 

「その術式は実戦向きじゃねえ!」

 

「理解が浅い!」

 

「浅いのは睡眠時間だ!」

 

ティアは小さく息を吐く。

 

「……前よりは、元気そうね」

 

隣には、またしてもカンタビレ。

 

「心配?」

 

「確認よ」

 

「何を?」

 

「壊れていないかどうか」

 

カンタビレは楽しそうに笑った。

 

「壊れたらもっと静かになるわ」

 

「縁起でもないこと言わないで」

 

ルーク自身も変わっていた。

 

単独任務。偵察。護衛。掃討。

 

成功しても褒められず、失敗だけが記録される。

 

ヴァンに呼ばれたこともあった。

 

「よく育ったな」

 

その一言だけで、胸が熱くなる。

 

「お前には、お前にしか出来ない役目がある」

 

詳しくは語られない。

 

だが、それで十分だった。

 

それが、余計に重かった。

 

ある夜、限界が来た。

 

講義中、ルークはペンを机へ叩きつけた。

 

「ふざけんな!」

 

研究室が静まり返る。

 

「朝から晩まで訓練して、任務行って、寝る時間もねえ!」

 

「俺だって好きでやってんじゃねえ!」

 

肩で息をする。

 

言ってしまった、とルークは思った。

 

ディストは珍しく黙っていた。

 

しばらくして、静かに言う。

 

「……知っていますよ」

 

それだけだった。

 

いつもの嫌味も、茶化しもない。

 

「才能だけなら嫌えたんですがね」

 

ぼそりと続ける。

 

「努力する者は、厄介です」

 

ルークは言い返せなかった。

 

怒鳴り返されると思っていた。笑われると思っていた。

そうではなかった。

 

その日の講義は、そこで終わった。

 

翌朝、肩の毛布で、昨夜の終わり方を知ることになる。

 

ある日、研究室でディストが言った。

 

「あなた、最近笑わなくなりましたね」

 

「忙しいだけだ」

 

「成長ですよ」

 

一拍置いて続ける。

 

「損耗とも言いますが」

 

ルークは机を蹴った。

 

「お前ほんと嫌なこと言うな」

 

「図星ほど腹が立つものです」

 

否定できなかった。

 

「……お前、そういうの分かってて言ってんのか」

 

「もちろんです」

 

「最悪だな」

 

「ええ。ですが、誰かが言わないと、自分がどこまで減ったか分からないでしょう」

 

その言葉だけは、妙に残った。

 

そんなある日、研究区画への襲撃が起きた。

 

狙いは資料か、装置か、あるいは研究者本人か。

 

兵士たちが応戦する中、ディストは重要記録を抱えていた。

 

「逃げろ!」

 

「嫌です!」

 

「なんでだよ!」

 

「私の研究成果です!」

 

敵の刃がディストへ向く。

 

考えるより先に、体が動いた。

 

剣で受け、風術で弾き、譜銃で牽制する。

 

「下がってろ!」

 

「命令口調ですねえ!」

 

「うるせえ!」

 

敵を退け、肩で息をする。

 

ディストは目を丸くしていた。

 

「……何だよ」

 

「いえ」

 

珍しく、まともな顔だった。

 

「こいつムカつくけど、俺の教官だからな」

 

言ってから、少し後悔した。

 

ディストは数秒黙り、ふっと笑った。

 

「満点です」

 

「何がだよ」

 

「育成結果ですよ」

 

「やっぱ取り消す」

 

「遅いです。もう記録しました」

 

「消せ!」

 

「却下です」

 

その夜。

 

研究室にはディスト一人。

 

棚の奥から古い資料束を取り出す。

 

共同研究記録。

 

そこにある署名。

 

一つは自分。

 

もう一つは、ジェイド・バルフォア。

 

赤字の修正。冷静な指摘。完璧な理論。

 

どれも腹が立つ。

 

「……相変わらず、嫌な字です」

 

資料を閉じる。

 

視線を眠るルークへ向ける。

 

「どうしてあなたは、先に行けたんですかねえ」

 

「どうして私は、まだここにいるのでしょう」

 

一拍。

 

口元が歪む。

 

「……ですが」

 

「こちらにも、ようやく面白い札が育ちました」

 

「次に会う時は、驚かせて差し上げますよ」

 

悔しさ。羨望。対抗心。

 

そして、少しの誇らしさ。

 

資料を仕舞い、灯りを落とす。

 

その手つきだけが、妙に静かだった。

 

翌朝。

 

研究区画の奥から、幼い咳払いが聞こえた。

 

もう一つ、獣のように鋭い気配。

 

ディストは笑う。

 

「さて」

 

「次の時代です」

 

眠っていた少年たちが、目を覚まそうとしていた。

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