レンタル彼氏のバイトをしてたら学校の美少女三姉妹に目をつけられた 作:ku216
「百合、大丈夫か?」
……返事がない。
「……まずいっ!」
焦って肩を揺さぶりかけて、手を止めた。
揺らしたら余計に悪くなる。そういうのくらいは分かる。
(とにかく、保健室――!)
俺はしゃがみ込んで、百合の腕を自分の肩に回した。
背中に回した手で膝の裏をすくい上げる。
「……ごめん、ちょっとだけ我慢してくれ」
俺は百合を背負ったまま、階段を駆け降りた。
幸い、すれ違う生徒はほとんどいない。背中が揺れないようにだけ、必死で意識する。
保健室の前までたどり着き、俺はノックもそこそこに扉を開けた。
……よかった。先生、いる。
保健室の先生は一瞬だけ驚いた顔をしたけど、すぐに手招きした。
「こっち。ベッド」
案内されるまま奥へ進み、俺は百合をそっと下ろす。
軽いはずなのに、腕が変に震えた。
「……ありがとう。あとは私が見るから」
俺は黙って頷き、保健室の外へ出た。
廊下の壁にもたれかかった瞬間、足から力が抜けそうになる。
「……はぁ……」
やっと、息ができた気がした。
……急に倒れたから、ほんとにびっくりした。
少し熱っぽかった。風邪……引いてたのか。
そんな素振り、なかったのに。
――いや。
体調を崩したきっかけが、俺だったのかもしれない。
そう思った瞬間、申し訳なさと自分への苛立ちが一気にこみ上げて、俺は唇を噛んだ。
頭の中でいろんなことが浮かんでは消える。
飲み込むたびに、胸の奥が重くなる。
……時間が過ぎるのが遅い。
――そのとき、保健室の扉が開いた。
先生が俺のほうへ歩いてくる。
「ちょっとだけ熱があったわ。でも、これくらいなら少し休めば大丈夫だと思う」
「でも、急に倒れたんですよ」
「……そうね」
先生は首のあたりに手をやって、少し考える顔をした。
「あとは……寝不足気味かしら」
「寝不足……?」
思わぬ言葉に、間の抜けた返事が出た。
「ここ最近、まともに寝てなかったのかもね。コンシーラーで誤魔化してたけど、クマができてたわ」
「…………」
……なんで、そこまでして。
「まあ、テスト週間で根を詰めすぎちゃったのかもしれないわね」
先生はそう言って、肩をすくめた。
「私はとりあえず親御さんに連絡してくるから……その間、悪いけど君。彼女の様子、見ててくれないかしら」
「あぁ……はい」
先生はそれだけ言い残して、廊下へ出ていった。
俺は保健室の中に戻った。
百合が眠るベッドの横へ向かい、近くにあった丸椅子を引き寄せて腰を下ろす。
「…………」
……良かった。
胸の奥の力が、少しだけ抜けた。
俺は小さく息を吐いて、手持ち無沙汰に指先を組み替える。
ときどき、百合の額にかかった前髪が、吐息に合わせてふわりと揺れた。
――改めて見ても、やっぱり可愛い。
長いまつ毛も、少し幼く見える横顔も――
……って、待て待て待て。
こんな時に何考えてんだ、俺!
俺は慌てて視線を逸らして、頭をぶんぶん振った。
「……んっ」
「……っ」
百合の喉から、急に小さな声が漏れた。
俺は思わず肩が跳ねて、ベッドのほうを見る。
ぴくり、と百合のまつ毛が揺れる。
ゆっくり、まぶたが持ち上がって――ぼんやりした瞳が俺を捉えた。
「……和泉くん?」
「……よかった。体調、平気か?」
「……うん、平気。あれ、私……」
百合は額に手を当てて、少しだけ眉を寄せる。
「倒れたんだよ。あの時」
「えっ……そうなんだ」
百合は目を丸くして、ゆっくり周りを見渡す。
「……ここ、保健室?」
「ああ」
短く答えると、百合は小さく息を吐いて――それから、俺を見た。
「そっか。和泉くんが運んでくれたんだ。……ありがとう」
「お、おう……」
百合がふわっと笑う。
その笑顔が、やけに可愛く見えて。
俺は耐えきれず視線を逸らした。体がじわっと熱くなる。
……なんだこれ。
誤魔化すみたいに、俺はぶっきらぼうに言った。
「……それより。なんで学校来たんだよ。しんどかっただろ」
「……朝の時は、そこまでじゃなかったし。平気かなって」
百合はまだ熱っぽいのか、言葉が少しふわふわしている。
「平気なわけあるか。さっき倒れただろ」
「そ、それは……」
百合は視線を泳がせて、苦しそうに口を尖らせた。
「……和泉くんが悪いんです」
「は?」
「いろいろ……もやもやして。誤魔化したくて。だから、とりあえずテスト勉強でもすれば気が紛れるかなって……」
……それで、寝不足になったのか。
「……悪い」
「……っ、や、謝らないでください」
百合は慌てて首を振る。だけど、その動きも少し弱い。
「今の、八つ当たりでした……体調崩したの、私のせいなのに」
百合は申し訳なさそうに目を伏せた。
「……本当に、今朝の時点では大丈夫だったんです。でも――さっき和泉くんと話したら、なんか……気持ちの糸が切れたみたいで」
百合は胸のあたりを押さえて、言葉を探す。
「すごくホッとして……そしたら急に、ふらって……」
「……そっか」
俺がそう返すと、百合は自分の言葉が恥ずかしくなったみたいに頬を赤くして、
「……っ、何言ってんだろ私。あはは……」
百合はそそくさと毛布を引き上げて、顔の下半分を隠した。
目だけがこっちをちらっと見て、すぐ逸れる。
――その仕草が、また妙に可愛く見えて。
胸が、どくんと跳ねる。
(……なんなんだよ、本当)
お互い、言葉が出ない。
保健室の時計の音だけが、やけに大きい。
その静けさをほどくみたいに、百合が口を開く。
「ねえ、和泉くん」
「……なに」
「もし、和泉くんが良かったら、だけど」
百合は毛布の端を指先でつまみながら、目を泳がせる。
「……私のこと、菜月って呼んでくれない?」
「えっ……」
反射で声が漏れた。
「あっ、いや……その、ね」
百合は慌てて言葉を継ぎ足す。
「千亜希のことは名前で呼ぶのに、私のことだけ苗字なの、なんか……ずるいっていうか……」
最後は小さくなって、視線が落ちる。
俺は、堪えきれずに口元を緩めた。
「……菜月」
口にした瞬間、喉の奥が少しだけ熱い。
たった二文字なのに、やけに破壊力がある。
「……っ」
菜月は一瞬目を丸くして――すぐに、口元だけふわっと緩めた。
「じゃあ、私も……敏之くん。いや――」
菜月はそこで一度、言葉を切った。
毛布の端をきゅっと握って、視線だけが落ち着かない。
「……トシくん」
小さく呼んでから、にこりと笑った。
カーテンの隙間から差し込む夕暮れが、その横顔を淡く照らす。
見とれてしまって、胸の奥がじんわり温かくなった。
(……ああ)
やっと分かった。
俺が、なんでこんな気持ちになるのか。
踊り場で言おうとした言葉。
あのとき、ちゃんと言えてたら――って思う。
でも今、言おうとした瞬間、喉がきゅっと縮む。
息の吸い方まで分からなくなる。
「……どうしたの?」
菜月が不思議そうに首を傾げる。
「……っ、なんでもない」
俺は体が熱くなり、少しだけ顔を背けた。
――間違いない。
俺は、”百合菜月”のことが好きだ。