ロックス海賊団雑用係の生存記録   作:だれか、

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息抜きで作りました。続くか分かりません


1話

 

 気が付いた時、俺は知らない船の甲板の上にひっくり返っていた。

 

 最初に脳に届いたのは、状況に対する論理的な理解ではない。

 あまりにも生々しい、けれど現実味の一切を欠いた奇妙な感覚に対する、強烈な拒絶反応だった。

 

 鼻腔を突き刺すのは、むせるほどに濃い潮の匂いだ。

 だが、その奥にねっとりと張り付くような、錆びた鉄に似た血の臭いが混じっている。

 耳を澄ませば、波に揉まれてギチギチと軋む船乗りの木の音と、下卑た人間の笑い声が、全く同じ場所で不気味に重なり合って響いていた。

 

 すべてが、あまりにも瑞々しく、生々しすぎる。

 

(……なんだ、ここは。どこなんだ)

 

 混乱する頭のまま上体を起こしかけて、俺はその動きを反射的に止めた。

 背中にじりじりと伝わる、容赦なく硬い床板の感触。

 足元から全身を揺さぶる、掴みどころのない大きなうねり。肌を打つ風の、湿り気を含んだ冷たさ。

 どれ一つをとっても、輪郭がはっきりとしすぎている。夢にしては、やけに悪質で悪趣味なリアリティだ。

 

 恐る恐る視線を動かした瞬間、俺の思考は完全に凍りついた。

 袖の先からだらりと血を流し、片腕がない状態のまま大口を開けて笑っている男。

 床に転がったまま、ピクリとも動かない人間の肉塊。

 大樽の酒をあおりながら、エンターテインメントでも楽しむかのように誰かを殴りつけている狂った連中。

 どこをどう切り取っても異常でしかない光景なのに、周囲の誰一人としてそれを気にかけていない。

 

(……嘘だろ。なんだこれ、何なんだよッ)

 

 この状況に戦慄し、正気を疑っているのは、世界中で自分ただ一人のようだった。

 そしてその孤独な恐怖こそが、逆説的に、ここが紛れもない現実であるという事実を突きつけてくる。

 今すぐ立ち上がって、この狂気の手の届かない場所へ逃げ出したい。

 そう思い詰めて爪を立てた、まさにその時だった。

 

「おい、新入り」

 

 不意に、視界が変わる。

 頭の真横を、容赦のない衝撃が駆け抜ける。

 

「がっ……!?」

 

 脳を揺さぶられ、視界が激しく回転する。

 もつれる足をどうにか踏ん張ろうとするが、身体が言うことを聞かない。

 激しい痛みの余韻の中で、俺は自分が今、何者かに思いきり蹴り飛ばされたのだと遅れて理解した。

 

「何ぼさっと寝転がってやがる。さっさと動け、働けよ」

 

 頭上から、押しつぶすような低い声が降ってくる。

 涙目のまま辛うじて見上げると、そこには薄汚れた服を着た大柄な男が、見下すような歪んだ笑みを浮かべて立っていた。

 男の放つ、妙に肌を刺すような威圧的な空気。

 それだけで、本能がこれ以上近づくなと、けたたましく警報を鳴らし始める。

 

「聞いてんのか、あ?」

 

 短く、凄むようにもう一度。

 しかし、打撲の痛みと恐怖のせいで、男の言葉が脳にうまく入ってこない。

 

「そいつ、新入りだろ」

 

 すぐ脇から、別の男の野次馬染みた声が割って入った。

 

「昨日、海から拾い上げられたばかりのやつだ」

 

「あぁ、あのボロ雑巾か。なんだ、まだ死んでなかったのかよ」

 

 それを合図に、周囲からどっと下劣な笑い声が広がっていく。

 

(拾われた……?)

 

 その単語が、喉元に刺さった魚の骨のように引っかかった。

 俺は必死に周囲へ視線を巡らせる。

 甲板の隅、冷たい潮風が吹き付ける吹きさらし。

 さっきまで自分が転がされていた場所。

 意識が混濁する中で、誰かにずるずると引きずられていたような、断片的な記憶が脳裏をかすめる。

 

(……俺は、どこかからここに連れて来られたのか?)

 

 記憶の断片という点と点が、ほんの少しずつ繋がり始める。

 だが、それを論理的に整理する猶予など、目の前の男たちがくれるはずもなかった。

 

「動けって言ってんだよ、耳まで腐ってんのか!」

 

 苛立ちの混じった、鋭い舌打ちが頭上から落ちてくる。

 

「まずはそこらの水を汲んでこい。それとも、動けるようになるまでもう一発叩き込んでやろうか?」

 

 男が威嚇するように肩を揺らした瞬間、俺の足が無意識に一歩後ろへと下がった。

 完全に恐怖に支配された、惨めな拒絶反応。

 それを見た男は、満足そうに下卑た笑みをその顔いっぱいに広げた。

 

「あぁん? ビビってんのか、おい?」

 

「……っ」

 

 喉の奥が引き攣り、乾いた音が鳴る。

 

(やばい。これ以上は、本当にやばい)

 

 具体的な理由は分からない。

 だが、ここで完全に竦み、動きを止めてしまえば、二度と立ち上がれなくなる。

 そんな確信だけがあった。

 

 いつの間にか、周囲の連中の視線が俺たちに集中している。

 面白がって囃し立てる笑い声、獲物の値踏みをするような冷酷な眼差し。

 まるで、檻の中の道化にされたような感覚だった。

 

「……何を、すればいい」

 

 奥歯を噛み締め、掠れた声でやっとそれだけを絞り出す。

 

「雑用だ」

 

 男の返答は、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。

 

「水汲み、掃除、あとは――死体の処理だ」

 

 その言葉の背後で、クスクスと不気味な笑いが漏れる。

 

(死体の、処理……?)

 

 言葉の意味が、少し遅れて胸の奥を深く刺し貫く。

 

「おい、聞こえなかったか?」

 

 男がさらに、圧迫感を増して一歩近づいてきた。

 

「死体の処理だ、って言ったんだよ」

 

 怯える俺の反応を楽しむように、わざわざ一語一語を区切って言い直す。

 

「……もし、断ったら?」

 

 気づけば、口が勝手に動いていた。

 その一言が放たれた瞬間、一瞬だけ、周囲の空気がピキリと凍りついた。

 

「死ぬだけだ」

 

 男は、まるで明日は雨だ、とでも言うかのように、軽く言い放った。

 あまりにも軽薄で、だからこそ一片の容赦もない、残酷な一言。

 

「それとも、今すぐここで試してみるか?」

 

 男がじり、と足を踏み出す。

 周囲の連中は誰も止めようとしない。

 むしろ、これから始まるであろう凄惨な暴力を期待し、目を輝かせてこちらを凝視している。

 

(……こいつらは、口先だけじゃない。本当に、やる)

 

 ここにはまともな選択肢など最初から存在しないのだ。

 従うか、それともここでなぶり殺されて海の藻屑になるか。

 

「……分かった。やる」

 

 俺は小さく頷いた。

 生き延びるためには、それしかなかった。

 

 そこから、地獄のような作業が始まった。

 海から水を汲み上げ、重い木樽を運び、血の匂いが染み付いた甲板を何度も往復する。

 ただの単純作業のはずなのに、水の入った桶は信じられないほど重く、持ち手を通した縄が手のひらに容赦なく食い込んでくる。

 その痛みが、また嫌なほどリアルだった。

 

 不規則に揺れる船の挙動に足が追いつかず、ほんの少しでもバランスを崩せば、バシャリと容赦なく水が跳ねて床を濡らす。

 

「遅ぇぞ、足が止まってやがる!」

 

 背後から、容赦のない蹴りが腰のあたりに見舞われた。

 

「……っ!」

 

 痛みに耐え、必死に床を踏みとどまる。

 ここで桶をひっくり返してしまえば、また最初からやり直しだ。

 それだけは避けたかった。

 

(重い……なんなんだよ、これ……)

 

 ただの水を運んでいるだけのはずなのに、両腕は鉛のように重くなり、じわじわと感覚が痺れていく。

 それでも、立ち止まることは許されない。

 

(……浮いてる。俺だけが、この場所に全く馴染めていない)

 

 周囲の連中が当たり前のようにこなしている空気の中で、自分だけが異物として浮き彫りになっている。

 その隔絶された恐怖だけが、妙に輪郭をはっきりさせていた。

 

「次、それ運べ」

 

 男が顎で指さしたのは、頑丈に補強された大きな木箱だった。

 

 這いつくばるようにして手をかけ、全身の力を込めて持ち上げる。

 重い。背骨がきしむような重量だ。

 だが、それ以上に、隣で行われた光景に対する衝撃のほうが大きかった。

 

(なんで……なんでそんなに軽々と、持てるんだ……?)

 

 すぐ隣にいた男は、俺が両手で必死に抱えているものと同じ箱を、まるで羽毛でも扱うかのように片手でひょいと持ち上げていた。

 筋肉の量とか、そういう次元の話ではない。

 

(身体の構造か、それとも世界の基準そのものが違うのか……)

 

 それほどまでに、目の前の男と自分との間にある絶望的な質の差(・・・)を感じずにはいられなかった。

 再び這う失意のまま甲板に戻った、その時だった。

 

 唐突に、周囲の空気が重く、張り詰めたものへと変貌する。

 肌にまとわりつく気圧が急変し、呼吸が少し喉に引っかかるような息苦しさを覚えた。

 その違和感の正体を脳が処理するよりも早く、視界の端で爆音と共に何かが激しく弾け飛んだ。

 反射的に首を振り向ける。

 

 そこにいたのは、常軌を逸した巨体を持つ一人の女だった。

 彼女はただ、邪悪に、そして無邪気に笑っていた。

 しかし、その存在がそこにあるというだけで、周囲の空間そのものがグニャリと歪んでいるかのような錯覚さえ覚える。

 女が軽く腕を振るっただけで、頑強な体躯をした男が遥か彼方へと吹き飛んでいく。

 バキバキと床板が派手に軋み、破壊される音が、ワンテンポ遅れて鼓膜に響いた。

 

 

「マママママ!!」

 

 鼓膜を直接揺さぶるような、頭が狂いそうになる独特の笑い声。

 

(……なんだ、あの化け物は。人間なのか……)

 

 脳の理解が、視覚の情報に全く追いつかない。

 だが、理屈を抜きにして一つだけ、生存本能が断言していた。 

 

 関わってはいけない。

 

(近づいたら駄目だ。一瞬で消される)

 

 全身の毛穴が逆立ち、視線を切ってその場から逃れようとした、まさにその直後だった。

 

「てめぇ、いい加減にしろ」

 

 地鳴りのような、低く静かな声が響いた。

 それだけで、狂乱に満ちていた甲板の空気が一瞬にして沈み込む。

 恐る恐る振り返る。そこに立っていたのは、これまた尋常ではない体躯を誇る、大柄な男だった。

 

「船が壊れんだろうが」

 

 淡々とした、しかし有無を言わせぬ絶対的な一言。

 その言葉が放たれただけで、荒れ狂っていた風の流れすら

 止まったかのように思えた。

 信じられないことに、さっきまで暴れていたあの巨体の女の動きが、ぴたりと止まったのだ。

 

(……止めた? あの化け物を、言葉一つで……?)

 

 やはり、理解が追いつかない。

 あの圧倒的な破壊の権化を、ただの凄みだけで制する男。

 二人の間に、目に見えない強烈な圧力が火花を散らして激突しているのが、遠目からでも肌に刺さるように伝わってくる。

 

(……どっちも、次元の違う化け物だ)

 

 直感が、心臓を直接掴まれたかのような恐怖と共にそう告げる。

 

(あんなものに巻き込まれたら、肉片すら残らない。死ぬ)

 

 気づけば、足が勝手に動いていた。

 本能的な恐怖に突き動かされ、俺はその場から這うようにして離れる。

 背後で、再び何かが激しくぶつかり合う凄まじい音が響いたが、二度と振り返ることはしなかった。

 関わったら間違いなく殺される。死にたくない。

 その一念だけで、恐怖で今にも外れそうになる膝を必死に叩き、足を前へと動かした。

 

「リンリンのやつ、また盛大に暴れてやがるな」

 

「おいおい、今回はニューゲートが止められるかどうか、賭けねぇか?」

 

 逃げる俺の耳に、すれ違う賊たちのそんな呑気な会話が届く。

 

(……リンリン。ニューゲート)

 

 その響きが、脳内の記憶の引き出しとカチリと噛み合いかける。

 

 その後、俺が回されたのは、船のさらに奥深くへと続く地下通路だった。

 頭上からの光が一切届かない暗がりの通路。

 湿った冷たい空気。

 そして、鼻を突く重たい、腐臭の混じった臭い。

 案内された扉を開けた瞬間、俺はあまりの光景に足が完全に止まった。

 

 そこには、確かに人がいた。

 だが、それはもう、人として扱われることを許されなくなった、ただの肉の塊だった。

 

「ほら、さっさと片付けろ」

 

 先導していた男からの指示はそれだけだったが、部屋の中の惨状を見た瞬間、自分がこれから何をやらされるのか、嫌でも察せざるを得なかった。

 震える足で、一歩を踏み入れる。

 床は不気味に湿っており、靴の裏で踏みしめるたびに、ねっとりとした嫌な感触と音が伝わってくる。

 

「……た、すけ……て……」

 

 不意に、床に転がっていた一人の男と目が合った。

 まだ、生きている。

 微かに指先を動かし、俺の靴に縋り付こうとしていた。

 

「おいおい、構うな。どうせすぐ死ぬやつだ」

 

 背後から、無慈悲で軽い声が飛んでくる。

 

(……命が、安すぎる。軽すぎるんだ、ここは)

 

 俺は奥歯が砕けるほど噛み締め、その生きている人間の身体を持ち上げた。

 そのまま重い足取りで甲板の端まで運び、漆黒の海へと放り投げる。

 ボチャン、と短い水音がして、夜の闇に吸い込まれるようにしてすぐに何も見えなくなる。

 

 そんな作業を、何度か機械的に繰り返しているうちに、俺はふと、自分の中にある恐ろしい違和感に気づいた。

 手に残る、肉の重みと感触。

 それが、最初に持ち上げた時と明らかに違っているのだ。

 10人目を持ち上げて海に放る頃にはもう、自分が人間(・・)を運んでいるという生々しい感覚が、綺麗に麻痺して薄れていた。

 

(……慣れてきてる。俺自身が、この狂気に適応し始めてるんだ)

 

 認めたくはなかったが、嫌でも分かってしまう。

 ここで起きている全ての出来事は、自分が元いた平和な世界の基準では、何一つとして測ることはできない。

 それでも、この船の連中は誰一人としてそれを異常だと思わず、当然の日常として消化している。

 その狂った事実だけが、逆に冷徹な現実味を帯びて俺の胸に沈殿していく。

 

 用を終えて甲板に戻ると、はるか遠くのセクションで、またしても誰かが激しく吹き飛ばされるのが見えた。

 だが、相変わらず足を止める者は誰一人いない。

 それどころか、視線を向ける者すらほとんどいなかった。

 

(……まともじゃねぇ。どいつもこいつも、狂ってる)

 

 だが、心の中でどれだけ否定し、罵倒したところで、何の意味もないことも分かっていた。

 

「おい、あんまり騒ぐなよ。船長に目ぇつけられたら、それだけで終わりだからな」

 

「あぁ、全てはロックスの機嫌次第だ。あの頭のネジが飛んだ化け物のな」

 

 リンリン。ニューゲート。そして――ロックス。

 

 これまでバラバラに散らばっていたピースが、脳裏で一気に噛み合った。

 

(……ワンピース、かよ。嘘だろ……)

 

 乾いた笑い混じりの声が、喉の奥から掠れて漏れ出た。

 よりにもよって、ここはあの『ロックス海賊団』。

 世界の歴史から消し去られた、最悪としか言いようのない怪物の巣窟だったのだ。

 

「……無理だろ、こんなの、生き残れるわけがない……」

 

 思わず漏れ出た本音を、血がにじむほど奥歯を噛んで無理やり飲み込む。

 こんな場所で弱音を吐いたところで、同情してくれる奴などいるはずもなく、ただの隙を晒すだけだと分かっているのに、弱気な口が先に動いてしまっていた。

 だが、俺はすぐに激しく頭を振った。

 

(いや……待て……)

 

 ここで絶望して立ち止まれば、本当にそれでおしまいだ。

 昨日海に捨てられた死体と同じになる。

 どうあがこうと、泥水をすすってでも、ここでは生きるしかないんだ。

 その冷徹な結論に行き着いた瞬間、俺の思考は生き残るための、極めてシンプルな一つの答えに収束していった。

 

「……力が、いる。あいつらに対抗できるだけの、圧倒的な力が」

 

 そう呟いた、直後だった。

 

「おい」

 

 背後から声をかけられ、ビクリとして振り向くと、少し離れた樽に腰掛けた痩せた男がこちらをじっと見つめていた。

 さっきから過酷な雑用をこなす中で、何度か視界に入っていた男だ。

 周囲の血生臭い連中とは違い、どこか冷めたような、妙な余裕を感じさせる男だった。

 

「新入りだろ、お前」

 

「……ああ、そうだ」

 

 警戒を隠さず短く返すと、男は不敵に口の端を吊り上げた。

 

「運がいいな、お前は」

 

 何が、とはわざわざ聞かなくてもいいはずだった。関わりたくないなら、ここで無視して立ち去るべきだ。

 なのに、俺の口は渇望に突き動かされるように、つい問い返していた。

 

「……何が、運がいいんだ」

 

 男は一拍置いてから、こちらの必死さを見透かすように、わざとらしく大袈裟に肩をすくめてみせた。

 

「今日、この船にアタリ(・・・)が来るんだよ」

 

 一瞬、その言葉の意味が脳内で滑った。

 だが、その直後に彼の口から放たれた名詞によって、全ての思考回路が閃光に貫かれる。

 

「悪魔の実だよ」

 

 ドクン、と心臓が破裂しそうなほど強く跳ね上がった。

 その瞬間、周囲の空気がわずかに、しかし確実に変質した。

 誰も露骨に武器を構えたり、大声を上げたりしたわけじゃない。

 なのに、船内のあらゆる場所に散らばっていた連中の視線と意識が、目に見えない磁場に引き寄せられるようにして、一斉に同じ方向へと向いたのが分かった。

 

 どす黒い欲望。

 

 この船に巣食う、飢えた獣たちの本性が、一斉に海面下から浮き上がってくるような錯覚。

 

「まぁ、どうせここから先は凄惨な奪い合いになるさ」

 

 男は他人事のように冷ややかに言って、薄く笑う。その残酷な予言に、俺の胸の奥から熱い息が漏れ出た。

 

「……地獄だな」

 

「はは、違ぇねぇ。この船じゃあ、それが日常だ」

 

 男は軽く受け流す。

 だが、その会話の裏側で、俺の脳細胞は全く別の、狂気じみた方向へと急速に回転を始めていた。

 

(……チャンスだ。これは、絶対にチャンスだ)

 

 まともに奪い合う必要なんてない。

 今の剥き出しの一般人でしかない自分じゃ、化け物たちに一瞬で消し飛ばされるだけだ。

 だが、見ることだけならできるかもしれない。

 それがどこの部屋に運ばれるのか、誰が最初に手にするのか、どう扱われるのか。

 その情報を知るだけでも、この地獄を生き抜くための次の手札に繋がるはずだ。

 とにかく、何かしらの行動を起こさない限り、このまま雑用として消費されて死ぬだけだ。

 

 乱れる思考がパズルのようにカチリとまとまると同時に、自然と口が動いていた。

 

「……その実は、どこにある」

 

 男は少しだけ意外そうに片眉を跳ね上げたが、すぐに面白がるように口元を緩めた。

 

「船の最奥だ」

 

 それだけを短く告げてから、男は楽しげな色を消し、冷徹に視線を細めた。

 

「言っとくが、身の程を弁えろよ。近づけば、本当に死ぬぞ」

 

「……ああ。分かってる」

 

 短く頷き、俺は男に背を向けた。

 忠告の、そして警告の本当の意味は痛いほど分かっている。

 だが、それでも俺の足は、もう止まらなかった。

 

(……力がいるんだ。何が何でも)

 

 その執念だけは、もう何があっても揺るがなかった。

 さっき目にした、リンリンやニューゲート、そしてロックス。

 

 あんな天災のような化け物たちが、同じ屋根の下に、同じ船の上にいるのだ。

 あの中で凡人が生き残るには、今のままの肉体と精神じゃ、圧倒的に、絶望的に足りない。

 

(使えるものは、泥だろうが呪いだろうが、全部使う)

 

 そこに善悪なんて、高尚な概念は存在しない。

 今この瞬間の俺に必要なのは、ただ一つ。

 この最悪の海を生き延びるための、絶対的な力だけだ。

 

「……行くか」

 

 状況は最悪、生存率は限りなくゼロに近い。

 それでも、ここで怯えて立ち止まっているわけにはいかない。

 万に一つのチャンスがあるなら、その細い糸に全力を賭けるしかない。

 

 その力を掴み取れるかどうかは全て、これからの自分次第だ。

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