ロックス海賊団雑用係の生存記録   作:だれか、

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13話

 

 ガープのあまりにも唐突な勧誘にガセルは一瞬、言葉を失った。

 海楼石による脱力感の中でどうにか頭を働かせてその言葉の意味を整理しようとするが、そもそも大前提が崩壊している。

 捕らえた海賊に向かって開口一番、海兵になれとはどういう思考回路なのか。

 その一言には、現実味というものが欠片も存在していなかった。

 

「何だ、聞こえなかったのか? 海楼石の手錠の所為で、耳まで遠くなったか?」

 

 ガープが、本気で不思議そうに首を傾げる。

 

「……いや、聞こえてっけど」

 

「よし。なら海兵になれ」

 

「いや、ならねぇよ」

 

 寸分の遅れもない、純然たる即答だった。

 迷う間も、交渉の余地を残す気すらもない。

 だがその明確な拒絶は、ガープという男の分厚い壁を突き破るには至らなかった。

 

「聞いたなお前ら。 雷禍は今日から海兵だ!」

 

「俺の話を聞けよ、この分からず屋が」

 

 あまりにも一方的な超展開の宣言に、ガセルは思わず痛烈なツッコミを入れざるを得なかった。

 どうにもこの男の頭の中とは、言語の噛み合わせが悪すぎる。

 

「落ち着けガープ。見っともない真似をするな。雷禍は露骨に嫌がっている」

 

 後ろから重厚な声で割って入ったのは、ゼファーだった。

 冷静沈着な声音ではあったが、その鋭く刈り込まれた髪の下にある双眸は値踏みするようにしっかりとガセルの反応を観察している。

 

「なんだ、嫌なのか? 海軍の特製カレーは美味いぞ?」

 

「……まぁ、カレーはともかく、海兵になる気はサラサラねぇな」

 

「そうか。なら海兵になれ」

 

「だからならねぇつってんだろ! 人の話を最後まで聞け!」

 

 どうにも会話の歯車が噛み合わない。

 いや、そもそもガープの側に噛み合わせる気など毛頭ないとしか言いようがなかった。

 

「海兵になりたくないやつなんざ居る訳ないだろ」

 

 ガープは冗談でも嫌がらせでもなく、本気でそう確信している顔をしていた。

 なるほど、とガセルは内心で深い溜息をつく。

 道理で話が通じないわけだ。

 己の正義に対して、この男は狂信的なまでに純粋なのだ。

 

「勧誘が雑すぎるわよ、ガープ。少しは脳みそを使いなさい」

 

 心底呆れ果てたように額を押さえて口を挟んだのは、つるだった。

 

「そうは言うが、最初にこいつの身柄を確保して海兵に引き抜くべきだと言い出したのは、おつるちゃんだろ?」

 

「つるが……?」

 

 思わずガセルの口から、驚き混じりの声が漏れた。

 

「そうだ。海軍の将来のために、その異端の才能を闇に葬るべきではないとな。俺達もその話には賛同したがな」

 

「俺もだ。お前の戦闘技能と、その奥にある規律は海軍でこそ活きる」

 

 ゼファーが短く、重みのある言葉付け加える。

 

「ここには居らんが、センゴクもお前がこちら側に就くなら、新世界のパワーバランスが覆ると賛成だったぞ」

 

 その高名な名前に、ガセルはわずかに双眸を細めた。

 海軍の実力者たちが揃って自分という存在を品定めし、根回しを済ませていたという事実。

 

「……正義の味方が、揃いも揃って悪党の勧誘か。俺はロックス海賊団の船員だぞ? 世間体はいいのかよ」

 

 軽く自嘲気味に投げるように言う。

 だが、返ってきたのは。

 

「よくないに決まってんだろ。馬鹿か?」

 

 ガープの即答だった。

 間を置く気もない、あまりにも身も蓋もない返事。

 

「……意味が分からねぇ。お前ら、俺をおちょくってんのか」

 

「……ガープの戯言は無視していい」

 

 ゼファーが重厚な体躯を一歩前へと進める。

 場のふざけた空気を引き締めるように、ゼファーは現実的なトーンで言葉を続けた。

 

「お前が現在進行形でロックス海賊団の一員であり、手配書が回っていることは確かに重大な問題だ。だが現状、特例としてお前を公式に海兵へ入隊させる手続き自体は、不可能ではない」

 

「……本気で言ってるのか?」

 

「ああ」

 

 ゼファーは迷いなく、頑強な腕を組んで頷いた。

 

「お前は確かにロックスの船に乗っている。だが、海軍の情報網が掴んでいる限り、お前自身は民間人に対する略奪を一切行わず、市民に理不尽な手をかけることもなかった」

 

「……」

 

「それどころか、略奪を働く凶悪な海賊を率先して潰して回っていたな。結果として、一部の民衆の間にはお前を、海賊狩りの英雄と密かに慕う声すらある」

 

 淡々とした軍人らしい口調だったが、その語る内容はガセルのこれまでの行動を完璧に肯定するものだった。

 

「それに、お前は戦闘において我々海兵を殺していない。激しい交戦はあっても、致命傷を避けて命までは奪っていないだろう。違うか?」

 

 ガセルは何も言わない。返す言葉がなかった。

 なぜなら前世の価値観と無駄な殺生を避けて生存確率を上げるという、己の都合の事実そのものだったからだ。

 

「その一線を越えていないおかげで、現場の海兵たちからの感情的な反発は最小限で済む。問題は頭の固い政府の上層部だが……」

 

「それは、私達が総力を挙げて抑え込むわ」

 

 横から冷徹かつ確固たる意志を込めて口を挟んだのは、つるだった。

 

「⋯⋯私達?」

 

「ええ。ここにいる私達中将三人に加えて、大将であるセンゴク。彼の発言力は政府にとっても無視できない」

 

「さらに言えば、コング元帥もこの超法規的措置には、新世界の怪物を一人減らし、正義の盾を一枚増やす好機として賛同している」

 

 ゼファーが冷静に補足する。

 

「……随分と、裏での根回しがいいな」

 

 包囲網の完成度の高さに、思わずガセルの本音が漏れる。

 

「ぶわっはっはっは! おつるちゃんが寝る間も惜しんで熱心に書類を作って動き回ってたからなぁ! 愛だなぁ!」

 

 気の抜けた笑い声が返ってくる。

 いつの間にか檻の隅の木箱にどっしりと座り込んでいたガープは、どこから取り出したのか、私物のせんべえをボリボリと小気味よい音を立てて齧っていた。

 

「……余計な口を叩かないで、ガープ。ぶちのめすわよ」

 

 つるの額に青筋が浮かび、低い声で威嚇する。

 

「お前は少し緊張感が欠如し過ぎているぞ、ガープ」

 

 ゼファーも呆れたように大きな溜息をつき、視線を向ける。

 

「……おいガープ。俺にも一枚くれ」

 

 ガセルが檻の中から、何気なく手を差し出した。

 

「おー、いいぞ。ほい」

 

 何の躊躇もなく、ガープの手からせんべえがひらりと投げ渡される。

 ガセルは海楼石の手錠に繋がれたままの両手を器用に交差させ、見事な手際でそれを受け取った。

 そのまま躊躇なく口に放り込む。

 ボリ、と薄暗い檻の中に乾いた咀嚼音が響く。

 

「……あんたら、今はまだ敵同士だという自覚を持ちなさい……」

 

 つるが頭痛を堪えるように深く息を吐く。

 

「……フッ、意外とこいつらは、根っこの部分で相性がいいのかもしれんな」

 

 ゼファーがその奇妙な光景を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 ガセルは塩気の効いたせんべえを噛み砕き飲み込んでから、ゆっくりと口を開く。

 

「とりあえず、あんたらが俺を高く評価してくれてるっていう話の筋は分かった」

 

 少しだけ間を置き、覚悟を決めた目で三人を見る。

 

「けど、その誘いは断るわ」

 

「ッ……! なんでよッ!」

 

 つるの声が、初めて明確な動揺を含んで強くなった。

 ガセルは冷たい床から、静かにつるの瞳へと視線を上げた。

 

「つる。お前が俺のために、裏で色々と泥を被って動いてくれたんだろ」

 

「……」

 

「そこまでしてくれたことには、素直に感謝する。ありがとな」

 

 短く、だが偽りのない本心の礼を告げる。

 その上で。

 

「だけど、悪ぃな。興味ねぇんだわ」

 

 はっきりと、容赦なくその好意を切り捨てた。

 

「あんた、前に言っていたじゃないッ」

 

 つるが珍しく感情を剥き出しにして食い下がる。

 鉄格子を一歩踏み込み、詰め寄るように。

 

「好きで海賊になったわけじゃないってッ。好きでロックスの船に乗ってるわけじゃないってッ」

 

「ああ、言ったな」

 

 ガセルは静かに頷く。

 

「今でも海賊に、大した愛着も興味もねぇよ」

 

 だが、とガセルは言葉を繋ぐ。

 その漆黒の双眸に、底知れない冷徹な光を宿して。

 

「俺の最終的な目的を天秤にかけたら、今のところは海兵になるより、海賊でいる方が遥かに都合がいいんだ」

 

「……その目的って、一体何よ」

 

 つるの声が、張り詰めたように低くなる。

 ガセルはわずかに視線を逸らし、独り言のように呟いた。

 

「理不尽に死なねぇことだ」

 

 間を置かずに、かつて誓った絶対の生存本能を言葉にする。

 

「そのために、誰よりも強くなる。それだけだ」

 

「それなら、海軍に入って正当な訓練を受けたって同じじゃない! 命の保証だって──」

 

「強くなるための環境だけならな」

 

 ガセルは肩をすくめ、手錠の鎖を鳴らした。

 

「ならッ!」

 

 歓喜に揺れ、一歩踏み出そうとしたつるの言葉を、ガセルは冷酷な眼差しで遮った。

 

「だけどよ」

 

 ガセルの声の温度が、一気に氷点下まで吹き飛ぶ。

 

「俺は、上でふんぞり返ってるあの屑共の下につく気は、死んでもねぇ」

 

 頭の奥底に浮かぶのは、前世の記憶。

 この世界の未来で暴虐の限りを尽くす世界の上に立つ連中の、あの醜悪極まりない姿。

 あいつらの奴隷になり下がることも、あいつらの我が儘のために盾として命を捨てることも己のプライドが、そして何より前世の魂が絶対に拒絶している。

 

「ッ──!?」 

 

 刹那、檻の中の空気が爆発的に張り詰めた。

 それまで静観していたゼファーの目に明確な、そして尋常ではないレベルの警戒と驚愕が宿る。

 

「お前……今、何と言った。何を知っている」

 

 ゼファーが低い、地鳴りのような声で問う。

 ただの海賊が口にしていい領域の言葉ではない。

 

「何も知らねぇよ」

 

 ガセルは即座に表情を消し、平然と肩をすくめてみせた。

 

「別に珍しい話でもねぇだろ。世界を少し回ってりゃ、あの連中がどれほど傲慢で理不尽な屑かってことくらい、嫌でも耳に入る」

 

 どこにでもある噂話の延長。

 そう思わせるよう、わざと無関心を装って軽く言い捨てる。

 

「……民衆を助けて回っていた時に、その闇の片鱗を見たか」

 

 ゼファーが鋭い視線を逸らさずに呟く。

 彼自身の経験則から、その解釈で勝手に納得したようだった。

 ガセルは否定も肯定もしないまま、ただ静かに黙秘を貫いた。

 

「……そんな、理由で……」

 

 つるの美しい表情が、絶望に似た陰りでわずかに曇る。

 海軍という組織が抱える最大の矛盾を突かれ、反論の言葉が見つからないのだ。

 

「だから悪ぃな、つる」

 

 ガセルはもう一度その瞳を真っ直ぐに見つめ直して、はっきりと言い切った。 

 

「俺は、お前たちの言う正義は背負えねぇよ」

 

「……でもッ! それでもあんたはッ」

 

 まだ諦めきれずに食い下がろうとするつるの手首を、背後から伸びた無骨な手が優しく止めた。

 

「諦めろ、おつるちゃん」

 

 ガープだった。

 その顔からは、さっきまでのふざけた笑みが完全に消え去っていた。

 

「……ガープ」

 

「そこまであいつらの本質を知っとるなら、無理だろ」

 

 ガープは残りのせんべえを無造作に口へ放り込み、天井を見上げた。

 

「……まあ、気持ちは分からんでもないからな。俺だってあいつらは大嫌いだ」

 

「……口を慎めガープ。どこに耳があるか分からん。特にこの一件は上が神経質になっているんだ」

 

 ゼファーが低く、冷徹な声で制止する。

 

「それでもッ!!」

 

 それでも、つるは引かなかった。

 彼女はガープの手を振り払い視線を再びガセルへと戻し、魂をぶつけるようにまっすぐ言い切る。

 

「……何でそこまで俺に拘るんだ」

 

 ガセルは降参したように小さく息を吐く。

 彼女の真っ直ぐな視線が少しだけ気恥ずかしく、そして重かった。

 

「別に拘ってなんかいないわよ。勘違いしないで」

 

 つるは即座に、冷徹な仮面をかぶり直して返す。

 

「ただ、貴方はどこまでも海賊に向いてない。それだけよ」

 

「向いてない……? 悪党の集まりのロックス海賊団でも、それなりに上手くやってるつもりだけどな」

 

 ガセルはわずかに眉を上げ、自嘲気味に鼻を鳴らした。

 

「向いていないわ」

 

 つるの双眸が、檻の奥のガセルを射貫く。

 

「新世界で略奪を繰り返していた凶悪な海賊たちを、貴方は容赦なく潰して回った。結果として多くの市民が救われたわ。それに、あんたがいる時のロックス海賊団は、今日に至るまで海兵の命を一度も奪っていない。ガセル、貴方が殺させなかった」

 

 まるで裁判官が罪状を読み上げるかのように、しかしその声音には確かな熱を孕ませて彼女は一つ一つ事実を積み重ねるように告げていく。

 

「⋯⋯全部、俺の都合だ」

 

 ガセルはいたたまれなくなったように視線を逸らす。

 前世の価値観が残っているからだなんて、口が裂けても言えない。

 

「誰かを救おうなんて高尚な大義名分を持ってやったわけじゃねぇ」

 

「動機なんてどうでもいいわ! 実際に貴方がその手で行ったことでしょう!」

 

 つるは鉄格子を激しく叩き、強く言い切った。

 その凛とした声が、薄暗い檻の中に大きく響き渡る。

 

「貴方がどれだけ冷血な悪党を気取ろうとしても、その事実は絶対に変わらないわ!私をあの日、助けてくれた事実だって、消えないのッ!」

 

 何度突き放しても、どんなに断っても、彼女は一歩も引く気配を見せなかった。

 

「……どうしたもんかな、本当に」

 

 頑なすぎる彼女の執念に、ガセルは困ったようにぽつりと漏らした。

 

 その、瞬間だった。

 

 軍艦の巨体が内側から軋みを上げるように大きく激震した。

 地下の床が強烈に跳ね上がり、頑強な鉄格子が悲鳴を上げて軋む。

 天井の隙間から、細かい埃や破片がぱらぱらとガセルの頭上へ落ちてきた。

 ただの荒波による揺れではない。

 外側から強大な衝撃を直接叩き込まれたのだ。

 

 直後、バァン!!! と慌ただしい足音とともに、地下室の重厚な扉が乱暴に開け放たれた。

 

「た、大変です! 中将各員!!」

 

 顔面を蒼白にし、息を切らした海兵の通信兵が滑り込んでくる。

 

「何があった! 報告しろ!」 

 

 ゼファーが即座に軍人としての顔に戻り、鋭く問い返す。

 

「海賊船からの急襲です! 本艦のド真ん中に直接、接舷されました!」

 

「何だと……? この警戒網を抜けてか。どこの海賊だ!」

 

 一瞬にして緊迫感が地下室を支配する。

 

「ろ、ロックス……! ロックス海賊団の本船です!!」

 

 その最悪の名前が響いた瞬間、室内の温度が一気に氷点下まで凍りついた。

 

「……ッ! もう追いついてきたかッ!」

 

 つる、ゼファー、ガープの三人が同時に息を詰める。

 

「行くぞ、お前ら!」

 

 ガープが即座に踵を返し、凄まじい覇気を全身から放ちながら階段を駆け上がっていく。

 

「ああ、話どころじゃなくなったな。総員戦闘配置! とにかくガセルを死守しつつ対処するぞ!」

 

 ゼファーも迷いなくその巨躯を翻して続く。

 

「……待ってなさい、すぐに片付けるわ」

 

 つるは最後にガセルを強く一瞥し、翻るマントと共に背を向けた。

 三人の足音が猛烈な勢いで遠ざかり、地下には再び静寂が戻った。

 

 ♢

 

 激闘の渦巻く甲板。

 そこには、圧倒的な存在感を放つ男が立っていた。

 

「ヴォハハハハ……! うちの若い船員が随分と世話になったようだな、海軍。さぁて、返してもらうぜ?」

 

 凶悪な笑みを浮かべながら前に出るのは、船長ロックス・D・ジーベック。

 その背後には、世界の終わりを体現したかのような名だたる怪物たちがズラリと並び立っていた。

 

「ハ〜ハハママ! あいつにまたデカい恩を売るいい機会だねぇ! うちのガキ共も世話になってんだ、派手に暴れさせてもらうよ!」

 

 甲高い、大気を震わせる笑い声とともに、シャーロット・リンリンが巨大なナポレオンを構えて踏み出す。

 

「ジハハハ! あいつはそのうち、俺の部下にするって決めてんだ。てめぇら政府の犬どもに渡すわけにはいかねぇな!」

 

 金獅子のシキが、二本の銘刀を翻して不敵に笑う。

 

「お前ら、無駄な戦闘で目的を忘れるんじゃねぇよ。ガセルを連れ戻したら、さっさとズラかるぞアホンダラ」

 

 低く重厚な声で全体の調子を制したのは、エドワード・ニューゲートだった。

 

「ガセル──ッ!! 私のせいで捕まっちゃって……本当にごめん!!」 

 

 その背後から、グロリオーサが涙目で叫ぶ。

 

「今、助けに来たわよッ!」

 

「ロックス海賊団の主力が、ほぼ完璧に揃っているなんて……ッ!」

 

 甲板へ駆け上がってきたつるの声に、かつてない緊張が滲む。

 

「……未曾有の大事になったな。全軍、死ぬ気で気を引き締めろ!」

 

 ゼファーが己の拳を黒く染め上げながら一喝する。

 だが。

 

「心配すんなお前ら! 丁度いい!」

 

 ガープが狂気すら孕んだ笑顔で笑う。

 

「俺がここで、全員まとめて取っ捕まえてやる!」

 

 言うが早いか、彼は地を蹴って突進した。

 

「おい、待てガープ! 陣形を崩すな!」

 

 ゼファーの制止の声も耳に入らない。

 ガープはそのまま敵の前線のド真ん中へと超新星の如き勢いで飛び込む。

 

「ロックス──ッ!!!」

 

 渾身の力を込めた拳を振りかぶる。

 

「お前もここで、俺の拳のサビにしてやる!」

 

「やってみろ、ガープ! 俺を楽しませてみやがれ!」

 

 ロックスが漆黒のオーラを纏いながら嗤う。

 次の瞬間、両雄の衝突。

 

 空間そのものが悲鳴を上げて歪み、軍艦の甲板が真っ二つに裂けんばかりの衝撃波が吹き荒れる。

 お互いの覇気がぶつかり合い、天の雲が引き裂かれていく。

 戦場は、一瞬にして完全なる混沌へと飲み込まれた。

 

 

 その大混乱の最中。

 

 一筋の蒼い雷霆が船内から甲板へと突き抜けた。

 

「くそっ……! まんまとやられたかッ!」

 

 ゼファーが敵の別働隊の動きに気付き、激しく歯噛みする。

 

「ガセルッ……!」

 

 つるの視線が、硝煙の向こう側へと一直線に向けられる。

 その視線の先にいたのは、すでに地下の檻から悠然と脱出していたガセルだった。

 両手首を縛っていた海楼石の手錠は破壊され、何事もなかったかのように五体満足で立っている。

 ガセルはそのまま気負いのない平然とした足取りで近づき、つるの目の前でピタリと足を止めた。

 

「おう、つる」

 

 周囲で世界最高峰の怪物の殺し合いが繰り広げられている喧騒の中でも、その声だけは妙にいつも通りに抜けていた。

 

「悪ぃな。俺はやっぱ海兵にはならねぇ」

 

「……ッ!」

 

 つるの喉が、わずかに悔しさで詰まる。

 言い返そうとした無数の説得の言葉が彼のそのあまりにもブレない姿勢に、そのまま形にならずに喉の奥で止まった。

 目の前にいるのは、さっきまで檻の中で無力化されていたはずの男。

 けれどその態度も声音も、何一つ変わらない姿で当たり前のように自分の正義を断ってくる。

 

 だが、ガセルはそこで会話を終わらせなかった。

 ほんのわずかに間を置き、ふっと肩の力を抜いたまま悪戯っぽく口元を緩めて続ける。

 

「けどまぁ……。もし万が一、俺の気が変わることがあったら……その時は、海軍の特製カレーってやつを食わせてくれ。頼むわ」

 

 軽く、冗談とも本気ともつかないどこか未来を含んだ口調だった。

 

「え……?」

 

 予想だにしない救いのある言葉に、つるがわずかに美しい目を見開く。

 

「じゃあな」

 

 それ以上は何も語らない。

 短く言い残して、ガセルはあっさりと背を向けた。

 ガセルはそのまま混乱する戦場を悠々と横切り、ロックスたちの陣取る本船の元へと跳んで戻る。

 

「船長、すまねぇ。ちょっと油断してヘマこいた」

 

「ヴォハハハハ! 気にするな!」

 

 ロックス・D・ジーベックは細けぇことはいいんだよと言わんばかりに笑い飛ばす。

 

「お前が生きて戻りゃあ、それで万々歳だ!」

 

 そのまま周囲の戦況を見渡し、戦場の流れを一瞬で掴み取る。

 

「お前ら、目的は達した!」

 

 低く、だが戦場全体によく通る指揮官の声が響く。

 

「これ以上長居は無用だ! 全船、最大速でズラかるぞ!!」

 

 ロックスの一言で、ロックス海賊団の怪物たちが一斉に退き始めた。

 暴風のように突如として現れ、嵐のようにすべてを破壊して去っていく。

 残された海軍の視界にあったのは、荒れ狂う新世界の海と半壊した自軍の軍艦。

 

 そして──。

 去り行く黒い帆を何も言わずにただ静かに立ち尽くして見つめ続ける、つるの姿だけだった。

 こうして海軍本部を巻き込んだ雷禍強奪作戦の一連の騒動は、劇的な幕を下ろした。

 

 ♢

 

 海軍の追撃を完全に振り切り、戦場の凄まじい喧騒も遠い彼方へと遠ざかった頃。

 ロックス海賊団の本船甲板。

 

「ごべぇ~~んガセルぅ~~! 私のぜいでぇ~~! インペルダウンに行きかけちゃってぇ~~!」

 

 激しい泣き声混じりの絶叫と一緒に、グロリオーサが凄まじい勢いでガセルの胴体に飛びついてきた。

 勢いのままがっしりと小柄な体でしがみつき、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま必死に顔を上げてこちらを見つめてくる。

 

「……おい、もう分かったから。いい加減離れろって、暑苦しいな」

 

 呆れ混じりにガセルは言うが、彼女の細い腕に込められた必死の力は一向に緩む気配がない。

 海軍の船から救出されて戻ってきてからというもの、ずっとこの調子で付きまとわれている。

 何度離れろと言ってもグロリオーサは首を激しく横に振るばかりで、頑なにしがみついたまま離れようとしなかった。

 本人なりに、自分がつるに不覚を取ったせいでガセルが捕まったと激しい責任を感じているのは痛いほど分かる。

 だからといって、このパーソナルスペースを完全に無視した距離感はどうかと思うのだが。

 

「グララララ。 まったく、つくづく世話の焼けるハナッたれだ」 

 

 低く豪快に笑いながら、特大の酒樽の横からエドワード・ニューゲートが口を開いた。

 

「……ニューゲート、今回はマジで助かった。すまねぇ」

 

 短く、ガセルが真摯に返す。

 

「ふん、ちったぁ腕を上げたかと思ったが、海軍の中将如きに出し抜かれるたぁ、まだまだ修行が足りねぇみてぇだな」

 

 ニューゲートは退屈そうに鼻を鳴らす。

 

「また鍛え直しだ」

 

 軽く言い捨てるようないかにも厳しい口調だったが、その金色の瞳の視線はガセルが怪我をしていないかをしっかりと確かめるように捉えていた。

 

「……」

 

 ガセルは何も言い返さない。

 何せ、今回は完全に助けられた側の身の上だ。

 ここで生意気に言い返す気にもならなかった。

 

「グズッ……、ニューゲート、そんな意地悪なこと言って!」

 

 袖で涙をゴシゴシと拭いながら、グロリオーサが怒ったように顔を上げる。

 

「ニューゲートだって、ガセルが海軍に連れて行かれたって聞いた瞬間、あんなに大慌てで心配してたじゃない!」

 

 鼻をすすりながら、容赦なくニューゲートの裏の顔を暴露し続ける。

 

「あの時のあんたの慌てようと怒り狂い方は、逆に私の方がちょっと落ち着きなさいよって冷静になるくらい凄かったんだからね!」

 

「……オイ、適当なホラ吹いてんじゃねぇ」

 

 即座に返すニューゲート。

 彼はわずかに視線を彼方の海へと逸らしながら。

 

「俺はただ、最近ちっと暴れ足りなかったから、海軍の軍艦をぶっ壊すついでに、落ちてたハナッたれを拾っただけだ」

 

 ぶっきらぼうに、徹底してツンとした態度で言い捨てた。

 それでもその場にいたガセルもグロリオーサも、それが彼の照れ隠しの不器用な本音であることくらいは百も承知で分かっていた。

 

「ヴォハハハハ! 何はともあれ、全員無事だったんだ。それでいいじゃねぇか!」

 

 豪快極まりない笑い声とともに、中央甲板の階段からロックス・D・ジーベックが悠然と姿を見せた。

 場の全ての空気を一瞬で自分の色にまとめて掻っさらうような絶対的なカリスマは、ゆっくりと集まった船員たちを見渡した。

 

「それよりお前ら。寄り道はここまでだ。そろそろ戻るぞ」

 

 何気ない一言だったが、その声には新世界の王としての絶対的な重みが宿っていた。

 船員たちの間に、興奮を孕んだ小さなざわめきが波のように走った。

 

「戻るってことは、船長……!」

 

 最前線の船員の一人が、目を輝かせて問いかける。

 

「ああ」

 

 ロックスは口の端を凶悪に、そして最高に愉快そうに吊り上げた。

 

「俺達の本拠地──ハチノスだ」

 

 その決定決定の一言で、船団の行き先は完全に決まった。

 こうしてロックス海賊団は、本拠地ハチノスへと向かって堂々たる進路を進めていくのだった。

 

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