ロックス海賊団雑用係の生存記録   作:だれか、

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15話

 

 海賊島ハチノスの喧騒から、再び過酷な新世界の海へと出港する朝。

 まだ空気に夜の濃密な名残と冷気が残る時間帯、港にはすでにロックス海賊団の船員たちの野蛮なざわめきが広がっていた。

 巨大な本船のタラップ周辺では、略奪した荷の最終確認をして怒鳴り散らす者、出港直前だというのに酒瓶を片手にくだらない身内揉めを起こす者、それぞれが己の欲望のままに思い思いに動いている。

 そんな喧乱を避けるようにガセルは一足先に静まり返った船へと乗り込み、甲板の手すりに身を預けていた。

 周囲の様子を見回し、ガセルは奇妙な違和感に気づく。

 

「……あれ、グロリオーサが居ねぇな」

 

 いつもならこちらが辟易するほど騒がしいくらいに近くにまとわりついているはずの、グロリオーサの姿がどこにも見当たらないのだ。

 

 甲板のあちこちでも、出港準備が進むにつれて同じことに気づいたらしい男たちの粗野な声が上がり始める。

 

「確かに居ねぇな」

 

「寝坊じゃねぇのか?」

 

「クソして遅れてんだろ。多分な」

 

 品性のない好き勝手な言葉が飛び交うが、どれも深刻さは微塵もない。

 悪名高いロックス海賊団にとって、仲間の出奔や遅刻など日常茶飯事だ。

 いつもの気まぐれだろうとでも言いたげな、ひどく軽い空気だった。

 

 だがガセルはその連中のやり取りを聞き流しながらも、無意識に別の方向。

 ハチノスの港町へと続く通りへと視線を向けていた。

 その時、港を埋め尽くすむさ苦しい人混みを割り進むようにして、こちらへまっすぐ歩いてくる一人の女の姿が目に入る。

 

「……あれ、シャッキー?」

 

 見覚えのある、艶やかに揺れる黒髪。

 周囲の無法者たちを寄せ付けない迷いのない足取りでまっすぐ本船へと近づいてくるその美しい姿に、下の下品な船員たちもすぐに気づき色めき立った。

 

「シャッキーじゃねぇか!」

 

「どうした? まさか見送りか!? 俺の!」

 

「馬鹿、俺のに決まってんだろ。そのツラ拝ませに来たんだ!」

 

「顔見てから言え。俺のだ!」

 

「あァ!? 喧嘩売ってんのかテメェ!」

 

 あっという間に男たちの間でくだらない言い争いが始まり、血を見る寸前の収拾がつかない騒ぎへと発展する。

 そんな脳なしの連中を完全に無視して横目に流しながら、ガセルはタラップを降りシャッキーの方へと歩み寄った。

 

「どうしたんだ?」

 

 怪訝そうに問いかけると、シャッキーはわずかに魅力的な唇の端を緩め、妖艶な視線を真っ直ぐガセルへと向ける。

 

「グロリオーサからの伝言を伝えに来たの。ガセルにね」

 

「俺に?」

 

 ガセルは少しだけ訝しげに眉をひそめる。

 

「『今は顔を合わせられない。気持ちの整理が付いたら会いに来て』だって」

 

 昨夜の彼女の取り乱しぶりを思えば、あまりにも淡々とした調子で告げられたその言葉。

 ガセルはわずかに思考の間を置いた。

 

「……どういう事だ?」

 

 少女の複雑な乙女心の意味を測りかねて問い返すと、シャッキーはくすくすと肩を揺らし、いかにも年上の余裕といった風に小さく笑う。

 

「ふふ、鈍いわね。そういう所もあの子の琴線に触れたのかしら?」

 

 からかうような響きを含んだ声音で、どこか楽しそうに言う。

 

「とりあえずグロリオーサは今貴方に会える状況じゃないから、一旦私の方で預かるわ。また連絡するから、その時はちゃんと会いに来てあげて」

 

 穏やかな口調だったが、その奥には有無を言わせない絶対的な重みが確かに存在していた。

 

 ガセルは一瞬だけ考え、それから余計な詮索は無用とばかりに小さく息を吐く。

 

「……分かった」

 

 深くは聞かない。

 今はそれが最善の選択だと判断した。

 

「じゃあね。色男」

 

 シャッキーは最後にそう悪戯っぽく言い残し、しなやかに踵を返した。

 来た時と同じように、男たちの下卑た視線を浴びながらも一切迷いのない足取りで、雑多な人混みの中へと静かに紛れていく。

 その細い背中をしばらく見送ったあと、ガセルは意識を切り替えて船へと視線を戻す。

 ちょうどそのタイミングで、本船の最上甲板から鼓膜を破らんばかりの巨大な咆哮が響き渡った。

 

「よし、野郎共!出港だァ!」

 

 ロックスの一声。

 それが響いた瞬間、船員たちの動きの鈍さが一気に変わる。

 騒ぎながらも手際よくそれぞれの配置につき巨大な錨が巻き上げられ、船はゆっくりとハチノスの港を離れ始めた。

 こうしてガセルは、グロリオーサ不在という一抹の妙な引っかかりを抱えたまま、海賊島を後にすることになったのである。

 

 ♢

 

 それから数日後。

 どこまでも続く果てしない航海の最中。

 新世界の海にしては珍しく風は穏やかで巨大な帆を一定の間隔で打つ風の音と、船体にぶつかる波の擦れる音だけが単調に、そして退屈に続いていた。

 激しい戦いも派手な騒ぎもない平穏な時間が続くと荒くれ者たちが集う船の上には、自然と緊張感の抜けた弛緩した空気が広がっていく。

 甲板の一角ではいつもの顔ぶれがなんとなく集まり、特に目的もなくサイコロを転がしたり酒を飲んだりして時間を潰していた。

 そんな淀んだ空気の中で不意に、座っていたキャプテン・ジョンが声を潜めて口火を切った。

 

「なぁ、次の島には宝があるんだ」

 

 手にした高級な酒瓶を揺らしながらの一言だったが、その語り口だけはやけに具体的で彼の目の奥には特有のギラついた欲望が宿っていた。

 ガセルは甲板の樽に背を預けて寝転んだまま、鬱陶しそうに視線だけを向ける。

 

「宝?」

 

「ああ。ちゃんとしたやつだ。俺はその在り処を示した本物の地図を持ってる」

 

 ジョンはそう言って、自慢げに上着の懐を軽く叩く。

 その仕草には、普段のホラ話とは違う妙な自信が漲っていた。

 だが日頃から彼の一癖も二癖もある強欲さを見知っている側は、そう簡単には乗らない。

 

「本物なのかそれ。また偽物じゃねえのか?」

 

 呆れたように、鼻で笑いながら口を挟んだのは王直だった。

 明らかにジョンの実績を信用していない冷ややかな目を向けている。

 

「……今回は違う」

 

 ジョンが心外だとばかりに顔をしかめる。

 

「前も同じこと言ってた気がするがな」

 

 王直は冷淡に突き放すだけだった。

 その二人の小競り合いを聞きながら、別の方向から地響きのような低い声が上がる。

 

「だが、それが本物なら見つけてぇな」

 

 ガンズイが極太の腕を組みながら、獰猛な笑みを浮かべて言う。

 大柄で粗野な雰囲気を纏い破壊衝動の塊のような男だが、こういう即物的な宝探しのロマンには意外にも素直に乗るタイプらしい。

 細かい地図の真偽などはどうでもいい、とにかく面白そうかどうか。

 それだけで動くような肉体派の男だった。

 

「だろ?なぁ、俺達で宝探しに行かないか?見つけたら四人で山分けだ」

 

 ジョンは待ってましたと言わんばかりに身を乗り出し、話を広げる。

 最初からこの面々を巻き込んで、安全に財宝を回収するつもりだったのが見え見えだった。

 

「四人って……勝手に頭数に入れてんじゃねぇよ」

 

 王直が呆れたように、ため息混じりに突っ込む。

 

「いいだろう別に。どうせお前も来る気だろ」

 

「まぁ、面白そうではあるな」

 

 王直も完全否定はしないあたり内心の強欲さはジョンと大差ないらしく、乗る気はあるようだった。

 話が勝手に進む中で悪党たちの貪欲な視線が自然と、黙って寝転んでいるガセルへと向けられる。

 

「……それ、俺も行く流れか?」

 

 ガセルは寝転んだ姿勢のまま、心底面倒くさそうに低い声で口を挟む。

 

「なんだガセル。お前、宝が欲しくねぇのか?」

 

 ガンズイが不思議そうに巨躯の首を傾げる。

 ガセルは少しだけ前世と現世の金銭感覚を天秤にかけ、それから興味なさそうに視線を青い空へと戻した。

 

「……あんま興味はねぇな」

 

 はっきりとした拒絶ではないが、まったく乗り気でもない。

 財宝そのものに強い執着があるわけではなかった。

 金が必要になれば、その時に手に入れればいい。

 彼にとって宝探しとは、その程度の認識でしかなかった。

 

「そういうなって。金はいくらあっても困らねぇぞ」

 

 ジョンが下品に軽く笑いながら誘いかける。

 その言葉に、ガセルはわずかに目を細めた。

 確かにこの狂った新世界を生き抜く上で、資金という名の力は否定できない。

 

「……まぁ、そりゃそうだな」

 

 小さく呟く。

 

「いこうぜガセル。俺達で宝見つけて山分けだ」

 

 王直が今度は優しげな声音で軽くそう言った。

 その声音には、珍しく仲間内の遊びを楽しむような気配が混じっていた。

 

「どうせ暇だろ?」

 

 ガンズイも太い指を鳴らしながら続ける。

 

「……そうだな」

 

 ガセルは一度だけ深く息を吐き、重い腰を上げるようにゆっくりと身体を起こした。

 

「いくか」

 

 その一言で、幹部四人による宝探しの流れは完全に決まった。

 

「よし来た!」

 

 ジョンが満面の笑みで拳を握る。

 

「で、その地図とやらはちゃんと見せられるんだろうな?」

 

 王直が冷酷な目で釘を刺すのを忘れない。

 

「お前ほんと疑り深いな……」

 

「当たり前だろ」

 

 互いに軽口を叩き合いながらも、空気はどこか浮き足立っていた。

退屈極まる航海の最中、ようやく退屈を紛らわす何かが転がり込んできたのだ。

 それが例えジョンの掴んできた偽物の情報だとしても、格好の暇つぶしにはなるだろう。

 ガセルはそんな軽い、どこか警戒を緩めた考えでその話に乗ることにしたのだった。

 

 ♢

 

 目的の島に到着すると、本船の巨大な錨が下ろされ船の動きがゆっくりと止まる。

 岸に近づくにつれ船上から見えてくる地形は、切り立った荒れた岩場と光を遮るような鬱蒼とした密林が複雑に入り混じった不気味な場所で、いかにも文明の手が入っていない未開の島だった。

 上陸の準備が整うにつれ、甲板の空気が引き締まる。

 そんな中で船首に立っていたロックスが、振り返ることなく前に出た。

 

「俺はやる事がある。お前らは自由にしろ」

 

 それだけを絶対的な命令として言い残すと、部下の返事も待たずに一人で軽々と島へと飛び降り歩き出す。

 相変わらず誰に何を説明する気もない、己の野心のみで動くいつも通りのやり方だった。

 その圧倒的な背中を見送ると、残された船員たちもそれぞれ勝手気ままに動き出す。

 

「よし、いくか」

 

 先に動いたのは、やはり言い出しっぺのキャプテン・ジョンだった。

 その目は迷いなく、密林の奥深くの方角を見随えている。

 

「どうやって探すんだ?」

 

 ガンズイが手斧を弄びながら、周囲の広大な地形を見回して問いかける。

 これほど広い島のどこに宝が眠っているかも分からない以上、最初の方針が成否を分ける。

 ジョンは懐から幾度も使い込まれた古びた羊皮紙を取り出し、乱暴に広げた。

 海風に揺れて飛ばされないよう片手で押さえながら、無骨な指で地図に記されたいくつかの位置を示した。

 

「地図を見る限り、この二箇所に手掛かりがあるはずだ」

 

 それは確実な断定というよりも、地図に刻まれた古代の情報を彼なりに組み立てたような説明だった。

 だが、宝への執着が生む彼の視線には一切の迷いはない。

 それを横からじっと凝視していた王直が、細い顎を軽く上げる。

 

「二箇所か。なら二手に分かれるか」

 

 王直は冷徹な声でそれだけ言うと、リーダーシップを取るようにさっさと段取りを決めていく。

 

「ジョンとガンズイ。俺とガセルでいこう」

 

 その組み合わせはまるで最初から頭の中で決めていたかのように、淀みなく提示された。

 

「いいだろ、それで」

 

 ジョンは短く答え、特に不満も挟まない。

 ガンズイも太い肩を回しながら豪快に頷いた。

 

「面倒が減るならそれでいい」

 

 全体の流れはそのまま、王直の主導で固まっていく。

 王直は冷たい視線を横に流し、黙って佇むガセルを見た。

 

「よし、行くぞガセル」

 

「ああ」

 

 短いやり取りのまま、上陸前の簡素な準備は終わる。

 それぞれが別の方角へと鋭い視線を向け、湿った島の奥深くへと足を踏み出した。

 こうして一行は計画通り二手に分かれ、未開の島に眠る宝の探索へと動き出したのである。

 

 ♢

 

 王直の後ろを歩き地図の手掛かりが示されていたとされる鬱蒼とした岩場の辺りまで来たところで、ガセルはふと足を止めた。

 周囲を警戒深く見回すが、目印になりそうな古代の遺物も不自然な造形も見当たらない。

 あるのはただ、ごつごつとした剥き出しの岩と立ち枯れた巨木があるだけで、人の手が入った形跡も極めて薄い場所だった。

 とてもではないが、財宝の地図が指し示す重要な場所とは思えなかった。

 

「……この辺りで合ってんのか?」

 

 半ば独り言のように、不審に思って呟く。

 だが、背後からの返事はない。 

 

 その刹那、強烈な違和感と寒気がガセルの背筋を駆け抜け、振り向こうとしたまさにその瞬間だった。

 視界の死角から、尋常ではない速度で何かが割り込んでくる。

 あまりの身内の裏切りへの想定のなさに、反応が一瞬だけ遅れた。

 

「ぐッ……!」

 

 強烈な、殺意の籠もった物理的な衝撃が横腹へと叩き込まれ、ガセルの身体が紙切れのように横へと弾き飛んだ。

 地面の泥と岩を激しく滑りながら野生的な本能で勢いを殺し、ガセルは片膝をついてどうにか踏みとどまる。

 鈍く重い痛みが肩と脇腹に走り、そこから衣服を染めてぽたり、ぽたりと赤い血が地面の渇いた土へと落ちた。

 

 信じられない思いで顔を上げた先。

 そこに立っていたのは、さっきまで親しげに隣を歩いていたはずの王直だった。

 その顔にはいつもの冷徹な仮面はなく、歪んだ嫌らしい笑みがべったりと張り付いている。

 

「……なんのつもりだ」

 

 低く、怒りを押し出すように問うガセルの視線の先で、王直は両拳に黒い覇気を纏わせ口元を歪めたまま愉しげに答える。

 

「この時を待ってたぜ。誰の目にも触れず、2人きりになれる時をな」

 

 その声音には、船の上で見せていた仲間内の軽さは一切残っていない。

 最初からこの罠を仕込んでいたと言わんばかりの、冷酷な響きだった。

 

「丁度いいタイミングでジョンが宝の地図を持ってきたからな。最高の舞台だろ?」

 

 王直は言葉を続けながら油断なく、それでいて確実な足取りでガセルとの間合いを詰めてくる。

 その一歩一歩に合わせてガセルも崩れた体勢を鋭く立て直し、身体を引き締めながらわずかに距離を取り直した。

 

「ガセル、お前は邪魔なんだよ」

 

 吐き捨てるような一言と同時に、王直の凄まじい踏み込みが爆発する。

 一直線にガセルの心臓をぶち抜こうと伸びてきた硬質な拳をガセルは上半身を極限まで捻ることで紙一重でかわしたが、掠めた風圧だけでも皮膚が鋭く切られ血の筋が出来る。

 

「ッ……!」

 

 足元を深く踏み締め直し、流されかけた体勢を無理やり軸に戻す。

 視線だけは王直の動きから決して外さず、次の致命的な一撃に備えて神経を研ぎ澄ます。

 

「……俺が何したってんだ」

 

 短く絞り出すようなガセルの問いに、王直はすぐには追撃せず愉悦を噛み締めるように一拍だけ間を置いた。

 そのわずかな間が、ガセルの脳裏に昨夜の出来を開明に思い出させる。

 

「お前がハチノスで潰した連中、覚えてるか」

 

 その言葉が王直の口から落ちた瞬間、ガセルの中で散らばっていた全てのピースが一本の線で繋がった。

 暗い路地裏、縛られていた無抵抗な男、それを運んでいた悪党ども、そして自分が叩きのめした連中の顔。

 

「……」

 

 無言のまま視線を細めるガセルを見て、王直は満足げに言葉を続けた。

 

「ありゃ全部、俺の息が掛かった奴らだ」

 

「あの人身売買……」

 

 確信に至った思考が、自然と低い声になって口から出る。

 その呟きを聞いた王直は、小刻みに肩を揺らして嘲笑した。

 

「気づくのが遅ぇな」

 

 侮蔑を込めて言い放つが、その事実を否定することはしない。

 ガセルはその裏切り者の男を鋭く見据えたまま、ゆっくりと目を細めその身体から青白い電撃の火花を散らし始めた。

 

「……お前がやってんのか」

 

「ああそうさ。ハチノスは表じゃロックスが全てを仕切ってることになってるがな……」

 

 王直はせせら笑いながら、己の野心を言葉に乗せる。

 

「裏の経済を回してんのはこの俺だ。肝心のロックスのあいつは、世界を手にするだの何だのと夢みたいな大言壮語に夢中で、足元の小さな金の動きにゃ気づいちゃいねぇよ」

 

 吐き出された内容は船長に対する明確な反逆の意志だったが、当の本人はまるで大したことでもないように言ってのける。

 その傲慢な言葉を受け止めながら、ガセルは一歩だけ力強く前へと踏み出した。

 

「……わからねぇな」

 

 低く抑えた声には、裏切りへの怒りとその矮小な器への疑問が混じる。

 

「それが、あの人身売買と何の関係がある」

 

 ガセルの真っ直ぐな問いに、王直はすぐには答えなかった。

 わずかに間を置いたあと、鼻で不愉快そうに息を鳴らす。

 

「……分かってねぇのはお前だ、ガセル」

 

 低く吐き捨てるように言いながら、確実に仕留められる間合いへと距離を詰める。

 ガセルはその微細な動きを網膜に焼き付けながらも、一歩も後ろへは動かない。

 

「今はロックスの時代だ。それは間違いねぇし、あの男の力は本物だ」

 

 続けざまに言葉を重ねる王直の目には、狂信的な野心と計算高い私欲が渦巻いていた。

 

「だが、何れあの男は破滅する。その時、俺がその組織の頂点に立つ」

 

 言い終えるのと同時に、王直はさらに踏み込み足元で乾いた土と岩が激しく擦れる音が、静まり返った岩場にやけに大きく響き渡った。

 

「その為には絶対的な力がいる。ロックス亡き後の世界を支配するための膨大な金も、兵隊となる人もな」

 

 ガセルはわずかに眉を寄せる。

 王直の独白は止まらない。

 

「人身売買はその為の、最も効率の良い資金集めだ。世界の闇と繋がるためのな」

 

 淡々とした、良心の呵責など微塵もない口調だった。

 奴にとって、他人の命など己の野心を叶えるためのただの通貨に過ぎないのだ。

 

「そういうことかよ」

 

 言葉の奥に王直という男の底知れない強欲さと、それに伴う苛立ちが残る。

 王直はそのガセルの軽蔑を含んだ反応を見て、わずかに口元を凶悪に歪めた。

 

「お前はニューゲートみてぇに甘い奴だ。規律だの仁義だの、海賊のくせにくだらねぇ倫理を持ち込みやがる。そのくせ、実力だけはあるから周りにも同じような空気を押し付けやがる……目障りなんだよ、お前みたいな正義漢気取りのガキは」

 

 言葉の終わりと同時に、王直の身体が完全に消えた。

 凄まじい速度の踏み込み。

 黒い覇気を一点に集中させた拳が、空気を切り裂きながらガセルの首筋へと真っ直ぐ振り抜かれる。

 ガセルはそれを間一髪で身体の軸をずらして外すが、王直の放った鋭利な風圧によって頬の皮膚が裂け鮮血が一筋、顎へと流れた。

 

「……ッ」

 

 それでも構えを崩さず、ガセルはその燃えるような視線を外さない。

 王直はそのまま圧倒的な間合いを維持し、勝利を確信したように言葉を続ける。

 

「ニューゲート相手ならまだ分が悪いが……能力にかまけたお前をここで人知れず消す程度なら、話は別だ。事故死とでも言っておけばロックスも疑わん」

 

 その言葉を受けガセルは全身の細胞を激しく沸騰させ、周囲の空気をバチバチと鳴らすほどの強烈な雷撃のオーラを立ち上らせた。

 怪物の巣窟で生き残ってきた少年の目が、冷酷な戦士のそれへと完全に切り替わる。

 

「やれるもんならやってみろ」

 

 言い切ったまま一切の恐怖を排除した視線で射すくめると、その言葉を受けた王直の細い目が怒りと殺意でわずかにさらに細くなる。

 張り詰めた空気が爆発する間もなく、次の瞬間には王直が地面の岩盤を強く踏み砕きながら、ガセルの命を奪うべく牙を剥いて距離を詰めてきた。

 

「死ね、ガセル!」

 

 頭上から猛烈な勢いで叩き込まれる王直の必殺の一撃に対し、ガセルもまた己の右拳に強烈な雷禍の力を集約させ正面から真っ向へと応じた。

 岩場が二人の衝突によって、激しく揺れ始める。




いつも感想ありがとうございます。
気まぐれで返信してますが、ちゃんと全部確認してテンション上がってます。
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