ロックス海賊団雑用係の生存記録   作:だれか、

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9話

 

 空を裂くように、蒼白い雷が走る。

 重く垂れ込めた雲の隙間を縫うように不自然なまでの鋭角を描いて伸びるその閃光は、ただの気象現象ではあり得ない破壊的な軌道を描きながら一直線に海上を駆け抜けていた。

 

 その中心にいるのは、ガセルだ。

 肉体そのものを純粋なエネルギーへと変え、大気中を爆走するその姿は、もはや移動という生ぬるい言葉では表現できない。

 連続する落雷そのものであり、常人の肉眼ではその輪郭を視認することすら不可能な神速で、標的との距離を極限まで縮めていく。

 

 視線の先、水平線の向こうに一隻の巨大な船影が浮かび上がった。

 掲げられているのは、世界最悪と謳われるロックス海賊団の旗。

 だが、ガセルの双眸に迷いの色は微塵もない。

 あれがただその威光を借りて身を守ろうとしているだけの偽物であることを、すでに掴んでいたからだ。

 

「……見つけたぞ」

 

 急激に高度を落とす。

 落雷の軌道がわずかに歪み、標的に向かって垂直に突っ込んでいく。

 天空から強烈な圧を伴って迫る異常事態に、船上の偽者どもは総毛立ち甲板はパニックに陥った。

 

「な、なんだあの雷は!? こっちに落ちてくるぞ!」

 

「雲もないのに……ッ、おい、何かが中に──」

 

 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 次の瞬間、ガセルの姿が空中で強引に実体へと戻る。

 冷酷な眼光とともに片腕を前へと突き出し、その周囲に周囲の大気から吸い上げた電流を収束させていく。

 鼓膜を刺すような高周波が響き、大気が異常なまでに軋む。

 甲板に転がっていた金属片や釘が、発生した超強力な磁力によって微かに浮き上がった。

 見えない弾道が、船の中心部へと一直線に定まる。

 

「──轟雷(ごうらい)穿(せん)

 

 指先がわずかに動いた瞬間、電磁の加速を得た金属片が、音を置き去りにして射出された。

 遅れて、鼓膜を震わせる爆裂音が追いつく。

 放たれた一撃は、空気を焼き切りながら一直線に堅牢な船体を貫き、内部の構造を蹂躙するように突き抜けた。

 そして一拍遅れて、内部に残留したエネルギーが爆ぜる。船は内側から強引に抉じ開けられるようにして文字通り木っ端微塵に破裂し、悲鳴とともに海面へと沈み始めた。

 ガセルは水面に上がる水飛沫を見下ろすことすらなく、再び自身の身体を電流へと変じさせ、空へと溶けるように姿を消した。

 

 単独行動。それが今の彼の任務だった。

 なぜこれほど効率的に偽物狩りをしているのか。

 その理由は数日前、船長室での対話に遡る。

 

 ♢

 

「ガセル。お前とまともに話すのは、これが初めてだな」

 

 薄暗い部屋の奥。

 他の喧騒から切り離された場所で、ロックス・D・ジーベックは一人で酒を煽っていた。

 近づいてもすぐにはこちらを見ず、ただ杯を傾けたまま低く愉快そうな声音でそう口を開いた。

 ガセルはわずかに眉をひそめ、無愛想に用件だけを促す。

 

「……ああ。そうだな。それで、話ってのは何だ」

 

「まあ、そう急くな」

 

 その一言が落ちた瞬間、部屋の空気がズシリと重くなった。

 急かすなと言いながら、逆らう選択肢などハナから与えていない威圧感。

 ガセルはそれ以上何も言わず、黙って続きを待った。

 ロックスはゆっくりと酒を飲み干し、ようやく獰猛な目をガセルへと向けた。

 

「お前が俺の船に乗って、どれくらい経った?」

 

「詳しくは覚えてねえが……半年くらいか」

 

「そうだな。雑用係だったお前が、今じゃ億超えの賞金首で、実力も幹部連中に迫る勢いだ。大したもんじゃねえか」

 

 その言葉に嘘はなかった。

 だが、ロックスという男が単なる部下の労いで終わるはずがないことも、ガセルは嫌というほど理解していた。

 

「……そんな話をするために呼んだのか」

 

「ヴォハハハ……!! 船員を褒めるのも船長の役目だろうが」

 

 ロックスは不気味に口元を歪め、杯を机に置いた。

 

「まあ、本題は別だがな。ここ最近、俺達の名を騙って好き放題やってる不届きな連中が増えてやがる。放っておくと名前が安くなる。だから、潰す」

 

 お前に任せると、ロックスは淡々と言い放った。

 

「最初はシキにやらせようと思ったが、あいつはうちの機動力の要だ。そう簡単に単独で動かせねえ。その点、お前は違う。雷で空を飛べるお前なら、単独の機動力はシキ以上。適任ってわけだ。頼んだぜ」

 

 重い沈黙。断る選択肢など最初から存在しない。

 ガセルは小さく息を吐き、「……分かった」とだけ答えて部屋を後にしたのだった。

 

 ♢

 

 そして現在。再び、雷となって空を走る。

 ロックスの名を騙る小悪党どもを一つ残らず叩き潰すため、雲を裂いて進む最中。

 不意にガセルの覚醒した見聞色の覇気が、妙に覚えのある強烈な気配を捉えた。

 

「ガセル!!」

 

 海風に乗って届いた、やたらと耳に響く女の声。

 

「……げっ」

 

 ガセルは思わず空中で顔をしかめ、高度を落とした。

 海上を進む一隻の巨大な軍艦。

 その船首に立ち、こちらへ向かって声を張り上げているのは見間違えるはずもない相手だった。

 

「またお前かよ……つる」

 

 単独行動を始めて以来まるで執念深いストーカーのように何度も鉢合わせ、追い回されている海軍本部中将。

 

「今日こそ大人しく捕まりなさい!」

 

「嫌に決まってんだろ」

 

 即答し、さっさと距離を取って振り切ろうと雷化の準備をした、その時だった。

 

「お前が雷禍か! 随分と若いじゃねえか、おい!!」

 

 別の、地鳴りのような豪快な声が割り込んできた。

 つるの背後から一歩前へ踏み出してきたのは、筋骨隆々たる大柄な海兵。

 つるが、わずかに不敵な笑みを浮かべる。

 

「逃げてばかりだから、少しは対策させてもらったわ。頼んだわよ、ガープ」

 

 その名前が脳内に響いた瞬間、ガセルの思考が一瞬だけ凍りついた。

 モンキー・D・ガープ。海軍中将

 後に海軍の英雄と呼ばれる、文字通りの怪物。

 

(……こんなところで、とんでもないのが出てきたな)

 

 だが、戦慄している暇はなかった。

 ガープはすでに動いていた。

 

「おう、準備はいいか! さっさと始めるぞ!」

 

 ガープの合図で、海兵たちが一斉に山のような砲弾を甲板へと運び込む。

 ガープはその中の一発を、まるで庭の小石でも扱うかのように軽々と片手で持ち上げた。

 構えなどない。

 ただ、無造作に腕を後ろへと振りかぶる。

 だがその肉体から放たれる圧倒的な圧に、ガセルの本能が最大級の警告を発した。

 

「いくぞ、雷禍!! 拳骨流星群!!」

 

 次の瞬間、ガープの手から放たれた砲弾が視界から消えた。

 大気を引き裂く爆音が遅れて響く。

 

「っ……!?」

 

 反射的に身体を雷化させて捻る。

 すぐ脇を、大砲の性能を遥かに超越した速度の砲弾が通り抜けていった。

 ただの投擲ではない、弾道そのものが凄まじい風圧を伴っている。

 

「まだまだいくぞ!!」

 

 一発では終わらない。

 右、左、上。

 間髪入れずに投じられる砲弾の嵐が、ガセルの逃げ道を確実に圧殺していく。

 軌道を読む前に飛んでくる圧倒的な速度の暴力。

 

「ふざけんな……! 人間大砲かよ!!」

 

 ガセルは必死に空中で回避を重ねるが、砲弾が掠めるたびに凄まじい衝撃波が肉体を震わせる。

 ガープは豪快に笑っていた。

 まるで楽しげなゲームでもしているかのように。

 だが、その一投一投は確実にガセルの未来の退路を潰しにかかっている。

 その時、ガープの動きがさらに一段常識を置き去りにした。

 

「全て避けるか! これならどうだ!」

 

 叫ぶと同時に、ガープは自らが投げ放った砲弾の上へと凄まじい跳躍で飛び乗った。

 空を裂いて飛ぶ砲弾に足をかけ、それを足場にしてさらに空中を加速する。

 理屈を超越した怪物の接近に、ガセルの反応がコンマ数秒遅れた。

 視界いっぱいに、黒く硬化された巨大な拳が迫る。

 

「遅い!」

 

 至近距離で響く、底の知れない声。

 

「拳骨衝撃!!」

 

 ロギアの流動する身体であるはずのガセルの肉体に、ガープの放った純度の高い武装色の覇気が完璧に突き刺さった。

 衝撃が内臓まで突き抜け、ガセルは弾丸のような速度で海軍の甲板へと叩きつけられた。

 

「ぐぁッ……、はっ……!」

 

 バリバリと音を立てて木板が砕け散る。

 肺の中の空気が強引に絞り出され、激しい痛みが全身を走る。

 

「よくやったわ、ガープ!」

 

 間髪入れず、つるの影がガセルの眼前に滑り込んできた。すでに逃げ場はない。

 

「ガセル! もう逃げられないわよ。安心しなさい、あんたの悪い部分は、全部私が洗い流してあげる」

 

 つるの手が、倒れ伏すガセルの身体へと伸びる。

 

「洗濯」

 

 触れられた瞬間、ガセルの全身の感覚が激変した。

 肉体の張りが、骨組みが、あらゆる力が一気に霧散していく。

 視界が奇妙に平面的に広がり気がつけば自身の身体が、洗濯物のように薄っぺらい紙のようになっていた。

 

「……は?」

 

 一瞬だけ、あまりの不条理さに思考が停止する。

 だが、ガセルの生存本能が勝った。

 質量を失った平面の身体を、無理やり純粋な電流へと変換する。

 バリバリと蒼い火花を散らしながら、つるの手から滑り落ちるようにして瞬時に後方へと距離を取り、元の肉体へと再構築した。

 

「っ……!」

 

 つるが、驚愕にわずかに目を見開く。

 

「本当、ロギアって厄介ね……! でも、今ので多少は悪の心が洗い流せたはずよ」

 

 確信に満ちたその言葉に、ガセルは痛む身体を押さえながら怪訝そうに首を傾げた。

 

「……いや、別に何も変わってねえけど」

 

「な……!?」 

 

 つるの冷静な表情が、初めて綺麗に崩れた。

 

「な、なんでよ……!? あんたはあのロックス海賊団の船員でしょうが! 悪の塊みたいなものじゃないの!?」

 

 悪の心が洗い流されなかったことに、本気で納得がいっていない様子のつる。

 

「⋯⋯理不尽にも程があるだろ……」

 

 自分はただ必死に生きているだけで、世界を滅ぼすような悪意など最初から持ち合わせていない。

 だが、悠長に考えている暇はなかった。

 視界の端では、ガープがぶわっはっは!と大爆笑しながら、楽しげに次の特大の砲弾を持ち上げている。

 あの拳をもう一度喰らえば、今度こそ海軍本部の地下深くへ連行される。

 

「……とりあえず、今日はここまでにしとく。またな、つる」

 

 身体を完全に稲妻へと変え、軽く手を振る。

 蒼白い雷撃は天空へと爆裂的な速度で跳ね上がった。

 一瞬で雲の彼方へと消え去るその速度には、流石の海軍本部も追いつけない。

 残されたのは、砕けた甲板と、わずかに焦げた空気の匂いだけ。

 

「ぶわっはっはっは! まんまと逃げられたな、おつるちゃん!」

 

 悔しさなど微塵もないガープの笑い声に、つるは深くため息を吐いた。

 

「……なんであんたはそんなに楽しそうなのよ」

 

 呆れながらも、その視線は遠く消えた雷の軌跡を鋭く見据えたままだった。

 

 ♢

 

 その後も、ガセルは空を駆け続けた。

 海軍の追撃を振り切り、見聞色で拾い上げた気配を頼りにロックスの名を騙る海賊たちを容赦なく沈めていく。

 そうしていくつ目かの処理を終え再び空へと身を変えようとしたその時、ふと視界の端に先程の海軍とは明らかに異なる、だが異様な風格を持つ船影が映り込んだ。

 その帆に掲げられた旗を見た瞬間、ガセルの動きが止まる。

 

「あれは……」

 

 見間違えるはずがない、あの独特の髑髏。

 

 ──ロジャー海賊団。

 つい最近、あの凄惨な邂逅を果たしたばかりの男たちの船だ。

 今の任務はあくまで偽物狩りであり、彼らと戦う必要性はない。

 むしろ避けるべきだ。

 だがそう判断した時には、向こうの船は明らかにこちらを視認し、真っ直ぐに進路を取っていた。

 

 距離はすでに近い。

 今さら逃げ回ったところで、あの冥王やロジャーの見聞色から逃げ切れるとは思えなかった。

 ならば、無駄に背中を見せる意味はない。

 

 それに、とガセルは思う。

 ロジャー海賊団の面々はあの海軍の怪物どものように、問答無用で捕縛しに来たり洗濯しようとしてくる理不尽さはない。

 そんな奇妙な安心感があった。

 ガセルは小さく息を吐き、進路を変えるのをやめた。

 ゆっくりと高度を落とし、雷の軌道を緩やかに収束させながら人の形へと戻っていく。

 そのままゆっくりと、迫り来る海賊船の正面へと佇んだ。

 

「……また、面倒なことになりそうだな」

 

 小さく呟きながら、目の前に迫る巨大な船体を見据える。

 甲板の上には、すでにあの見覚えのある顔ぶれが並び始めていた。

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