「へへへ、いい車にしたもんだな。」
と、男は言った。
「凄い車だな。」
「ああ、これはトヨタ・セリカと言ってスポーツカーなんだよ。」
「これなら、パトカーの追跡でも振り切れるな。」
「ああ。」
2人のが乗る赤いクーペは、1985年(昭和60年)8月、4代目にモデルチェンジし、プラットフォームが前輪駆動レイアウトとなる大変革となった。FFコロナ/カリーナのフロアパンをベースにしているため、型式も同じ「T」となり、セリカにはコロナクーペとカリーナEDという姉妹車が生まれた。『流面形、発見さる。』の広告コピーが象徴するように、スタイリングは、先代モデルの後期型を流動感ある曲線でなめらかに整形したかのようなラインを採用し、その後のトヨタ車やダイハツのクーペ風軽自動車「リーザ」にも影響を与えた。日本国内におけるセリカのボディタイプはリフトバックのみとなり、ノッチバッククーペは日本国外専用となったが、日本国内では車名とフロントエンドのデザインを変更し、コロナクーペとしてトヨペット店で販売された。また、4代目からリフトバックのことも「クーペ」と呼ぶようになった。1986年(昭和61年)には、3S-GTE型 2.0 L DOHCターボエンジンに、トヨタ初のベベルギア式センターデフ(手動デフロック付き)をもつフルタイム4WDを組み合わせた『GT-FOUR』(ST165型)が登場。GT-FOURは映画『私をスキーに連れてって』の劇用車として登場し、映画のヒットとともにスキーリゾート向けのデートカーとしての人気を不動のものとした。[10]2026年現在においてもGazoo Racing自身がが同作を意識したイベントを行っており、そのイベントレポートムービーにおいても劇中で雪上走行を行ったシーンで使用された『BLIZZARD』が使用されているなど160系セリカを語るうえで同映画/楽曲は外せない存在となっている。1987年(昭和62年)8月のマイナーチェンジで2,000 cc・ハイメカツインカム(3S-FE)搭載の ZR を追加。1.6 L DOHC(4A-GE)車及び最廉価グレードの SV を廃止。同時にGT-FOURのセンターデフの作動制限が、任意手動式のロックから操作不要のビスカスカップリングに変更された。1987年(昭和62年)10月にはトランクルームを持つ専用ボディーのコンバーチブル(ST162C型)が日本でも正式にラインナップに加わり、3S-FEエンジンを搭載して発売された。コンバーチブルは米国のASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション=現アメリカン・スペシャリティ・カーズ(英語版))によってオープン化改造を行っており、太平洋を往復する生産ラインが後のモデルのコンバーチブルでも継承されることになった。1988年(昭和63年)5月には1.8 L車もハイメカ・ツインカム(4S-Fi)となり、これでセリカ全車が DOHC 化された。ST165型 GT-FOUR を含め、当代はすべてレギュラーガソリン仕様である。生産終了前月までの新車登録台数の累計は3万9,992台。
「よしっ、一丁やりますか。」
「おう。」
そして、2人はセリカに乗って走り出した。
と、その時だった。
横浜市内を走行していた千速と猿渡が乗る120クラウン交通パトカーは、セリカを発見し追跡をした。
「そこの赤いセリカ、直ちに止まりなさい。」
「ちっ、又見つかったか。」
「振り切れっ。」
「おう。」
と、2人が乗った赤いセリカは千速のクラウンをスピードをで振り切って逃走した。
「何者かしら。」
「ええ。」
その後の神奈川県警の調べで、2人の男は広域手配中の15号と17号と判明した。
そして、次の日。
千速と猿渡は午後の下校時刻に合わせて、通学路規制の取り締まりが行われた。
1台の黄色いプレリュードが走ってきた。
ピピィーッ
と、交通警官はプレリュードを停車させた。
「はい、ここは14時から18時の間は歩行者自転車専用なので通行が禁じられているんです。」
と、千速は言った。
「えっ、ここ近道できると思ってたのに。」
「去年、ここで事故が逢って自転車に乗っていた高校生が死亡したんです。」
「知らなかったよ。」
と、ドライバーは言った。
男には、違反点数2点と反則金7000円に処せられた。
と、その時だった。
「あっ、そこのセリカ止まりなさい。」
と、千速の成駿を振り切って逃走したのであった。
「猿渡、追うわよ。」
「は、はいっ。」
千速と猿渡は120クラウンのパトカーに乗って、赤いセリカを追跡した。
その男の正体は何者なのか?
次回は、コナンの登場です