♢クロソフィア
「さすが里香! 飛び級で医大に合格するなんて、流石私たちの娘だわ!!」
母が妹を褒める。美香もその場に居るのに、母は妹の里香の方だけを見ている。母にとっての自慢の娘は、妹だけなのだ。
「ああ、本当に凄いよ。お前は私たちの誇りだよ」
そう言って、父が妹の頭を撫でる。美香には、一度も頭を撫でてもらった記憶はない。父の手はきっと大きくて、ほんの少し暖かいのだろうか。その温もりを感じられた試しは無かった。父も、美香の方は一度も見ない。
同じ食卓を囲んでいるはずなのに、一人だけ仲間外れだ。でも、こんなのはいつものことだ。母と父は、悪くはない。悪いのは、出来損ないの自分と、なんでもできてしまう妹だ。
「あはは~。ありがとね、ママ。パパ。⋯⋯ねえ、お姉ちゃん。あたし、頑張ったんだ。お姉ちゃんにも、褒めて欲しいな」
不意に、美香が自分に話しかけてきた。何故このタイミングで。本当にやめて欲しい。母と父の視線が自分に向けられる。その瞳に込められた感情は、失望。そして怒り。
「美香。あなたも里香を見習いなさい」
「だらだら食事している暇があるなら、部屋に戻って勉強でもしたらどうだ?」
「⋯⋯はい。分かりました。お母さん、お父さん」
こんなことを言われてしまう自分が情けなくて、腹立たしくて。涙が溢れそうになったのを、必死に堪える。胸に手を当てると、心臓が激しく鳴っている。それを、いつものように抑えつけながら、美香は眼前の料理を急いで食べる。幸い、早食いは得意だった。食卓はいつも心がざわつく。だから、急いで食べて部屋に帰るのが習慣づいてしまった。
「⋯⋯ごちそうさまでした」
ぼそっとそう呟いて手を合わせ、食器を洗面所に持っていく。自分の食べた食器は自分で洗えと言われているので、ささっと食器を洗い、ポケットにしまったハンカチで手を拭く。洗面所にタオルはあるが、無駄に使うなと叱られてからは自分のハンカチを常日頃持ち歩き使うようにしていた。
そして、母と父の話し声を背に、美香は自分の部屋へと向かう。その背中を里香がじっと見つめていたことには、気づくことはなかった。
自分の部屋に戻り、美香はふぅと息を吐く。毎度のことながら、あの食卓の空気にはなれない。数分に一度は胸に手を当てて心臓のリズムを確かめておかないと、泣いてしまいそうになる。
先ほど、父には勉強をしろと言われたが、美香はこれから外に出る。宿題は既に済ませてあるので問題ないし、両親は自分の部屋に入って来ることは無い。だから後で叱られることは無いだろう。
そう思いながらも、父の言いつけを破ってしまうことへの罪悪感はある。美香にとっては正しいこと、ルールを守り続けることだけがアイデンティティだったのだ。だが、今は少し違う。こんな自分でも、ちょっとだけ他の人とは違う力を持っている。それが新たなアイデンティティとなって美香を支えていた。
両手を胸に当て、目を閉じ、祈りを捧げる。目を開けると、正面の姿見にはクロソフィアに変身した自分の姿があった。いつ見ても、凄く綺麗だ。気分がちょっとだけ高まるが、これからの予定のことを思い出し、上がったテンションは元に戻った。魔法の端末には、新波笑美からの呼び出しのメールがあった。
あの出会いから既に1週間ほど経過したが、クロソフィアは未だ笑美のことが苦手だった。いや、正確には初対面の時よりも苦手になっている。
初対面の時に、笑美は自分のことをこの地域の魔法少女を統括するリーダー的存在だと名乗っていたが、あれから調べてみると地域リーダーの魔法少女は別にいた。クロソフィアが魔法少女になったばかりの時少しだけお世話になった魔法少女がそうだったらしい。そうなると、笑美は自称リーダーということになる。だが、自称リーダーとはいえ、同じ魔法少女同士。交流を深めることは大事だ。そう思い何度かあった呼び出しには毎回遅れず参加しているのだが、会うたびに高圧的な態度で嫌味を言われる。今日もまた何か言われるのだろうか。そう思うと憂鬱だった。
「おっそ。普通先輩より先に到着しとくもんでしょ? これだから最近のガキんちょはダメダメなんだぞ☆」
案の定、到着してすぐ笑美に罵倒されてしまった。これ以上何か言われるより先に、クロソフィアは頭を下げて謝っておく。
「すみません。夕食は家族一緒に取るって決まっているので、食べてからじゃないと抜け出せなくて⋯⋯」
「そういうところがダメだって言ってんの☆ お前高校生とかそんくらいだろ? それなら親の顔見てビクビクしないで友達とご飯食べる~とか言えばいいんだよ。⋯⋯あ、メンゴメンゴ☆ お前友達少なそうだもんね! 無理か☆」
「⋯⋯⋯⋯」
図星だったので何も言い返せずに俯いてしまう。そんなクロソフィアの頬を無理やり掴んで持ち上げ、至近距離で更に追い詰めてくる。
「友達いないボッチちゃんでも嘘くらいつけるだろ☆ 頭回せ? 私らを友達って呼ぶのを許可するから口実にでもなんでも使えよ。そんなんも考えられないの? お前、真面目なうえに頭悪いとか、終わってる☆」
「もぉ、エミちゃん言い過ぎだよぉ。ごめんねぇ、クロソフィアちゃん」
申し訳なさそうな視線をこちらに向けてくるホップシロップも、結局は笑美の味方だ。途中までは一切フォローを入れてはくれず、しかも何かの準備をしている手は止めず、ようやく出たフォローも片手間だ。⋯⋯やっぱり、この人たちは苦手だ。クロソフィアはいつもの癖で胸に手を当てる。変身前と比べ、力強い鼓動は少しだけクロソフィアを元気づけてくれた。
「じゃ、出発前に念のため今からの任務の再確認すっからな。耳の穴かっぽじれ☆」
「は、はい!」
「うっさい返事☆ 挨拶ならサルでもできる☆ 任務は、熱海組の雑魚雑魚軍団が運営している違法カジノの取り締まり。あいつら、魔法少女の癖に犯罪行為とか馬鹿な真似やってんのマジ笑えちゃう☆ 全員笑い転がしてカジノぶっ潰しちゃうぞ☆」
「お~!」
軽く罵倒を挟みながら告げられたのは、違法カジノの取り締まりとかいう魔法少女とは縁遠い任務だった。もう少しキラキラした感じの任務を想像していたが、これまで何度か一緒に行った活動も、壁の落書きの掃除や自転車泥棒の確保、転売魔法少女の成敗など、あまりキラキラした仕事ではなかった。案外、魔法少女とはこういうものなのだろうか。
緩い返事をしながら右手を突き上げたホップシロップは、既に出発の準備を終えている。地面には3つのシロップの水たまりが出来ており、それを踏んでジャンプすれば、夜の街に飛び出していくことになる。クロソフィアは、2人の後ろを追いかけて、違法カジノが行われているという場所へと向かうのであった。
〇〇〇〇〇
「くっそ! スペードの6抱えてんの誰だよ!! 早く出せやおらぁ!!」
「ははっ! お前パスの権利あと1回しか残ってねぇな。ご愁傷様~」
「絶対てめぇだろ!! ぶっ殺すぞ!!」
違法カジノの入り口の扉越しに、中の会話が聞こえてくる。こういうところに来たことが無いのでよく知らないのだが、会話的に七並べをやっているように聞こえるのは気のせいだろうか。違法カジノで七並べが行われているということは、七並べをすることは違法なのかもしれない。一人で七並べをした過去を思い出し、心臓がバクバクと音を立てる。
「⋯⋯ねえシロップ。なんであのザコたちカジノで七並べやってんの? 馬鹿なの?」
「なんかぁ、ちょっと前にポーカー分かんないから七並べをやりたいって言った魔法少女がいてぇ、その影響で今流行っているらしいよぉ?」
「馬鹿じゃん☆」
2人の会話を聞くに、違法カジノで七並べをすることはどうやら普通ではないらしい。よかった、これで安心して1人七並べを続けられそうだ。
「そんなバカタレ達にはお灸をすえてあげないとね☆ おいお前、私は強いから中の雑魚雑魚相手でも余裕だけれど、お前よわよわなんだから、邪魔にならない程度に働け☆ 死ぬのだけは絶対NGな。返事!!」
「は、はい!!」
「うっさ☆ ⋯⋯じゃあ、お邪魔しドーン!!」
笑美は口でドーンと言いながら、入り口のドアを蹴り飛ばす。その爆音に、中にいた魔法少女たちは一斉にこちらに視線を向けた。
「なんだお前ら! 魔法の国の連中か?」
「おい、ここが熱海組の管轄の場所だって知って喧嘩売ってんのか、ああん!?」
「マヌケに答える意味は無し☆ はい、笑って!!」
笑美は満面の笑みを浮かべながら空中に飛び上がり、魔法少女たちの視線を一身に引き寄せながらパァン!と手を打ち鳴らした。その拍手の音を聞いた魔法少女たちは、お腹を抱えて笑いだす。
「あは、あはは!! な、なんだこれ」
「ま、魔法だ!! お前ら全員、耳を塞⋯⋯あはははは!!」
笑美の魔法、『皆を笑顔にさせちゃうよ』は、触れた相手を笑わせることが出来る魔法だ。だが、直接触れずとも問題はない。拍手をする際、手は空気に触れる。そこから発せられ、空気を伝わる“音”にも、笑美の魔法の効果は乗るのだ。そう事前に説明を受けていたクロソフィアは、耳栓をすることで笑美の魔法の対象から逃れ、自由に動くことが出来ていた。
「あいつの動きを止めろ!! やっちまえ!!」
距離が遠かったせいか、笑美の魔法の効果を受けずに動ける魔法少女たちが、銃を構える。初めて見た銃に、どきりと心臓が高鳴り、固まってしまう。自分が今とんでもない場所に来ていることを再確認した。幸い、銃口はすべて一番目立つ動きをしている笑美に向けられているので、クロソフィアが怪我する心配はない。だが、笑美はあのままだと撃たれてしまう。何か手助けした方がいいだろうかとクロソフィアが迷っている間に、無情にも銃声は鳴り響いてしまった。
「エミちゃんに怪我はさせないよぉ?」
しかし、その銃弾は笑美に届くことは無い。ホップシロップが空中にバラまいていたシロップが盾の役割を果たし、銃弾を跳ね飛ばしていた。そして間髪入れず、床や壁にまき散らしたシロップを使って部屋中を飛び回るホップシロップ。その俊敏な動きは、普段の言動からはまるで想像できなかった。
さらに、こうしている間にもどんどん笑美の魔法で行動不能となっている魔法少女は増えている。耳を塞がれ拍手が通じないと判断した笑美は、ホップシロップのばら撒いたシロップを用いて飛び跳ね、直接触れることで笑い転がしていた。
クロソフィアは2人の様子を眺めていたが、はっと我に返って十字架を模したロッドを構える。何もせずぼーっとしていたとあっては、後で怒られそうだ。何か少しでも役にたっておかなければ。
「天に召します我らが神よ。この祈りに答えたまえ⋯⋯!!」
クロソフィアの魔法は、呪文を唱え祈りを捧げるポーズを取ることで発動できる。祈りの言葉は、自然に頭に浮かんできたものをそのまま言えばいい。後は、祈りのポーズをするだけだ。呪文を唱えたことで光り始めたロッドを床に突き刺し、ポーズを取るために跪く。
「おい、あいつ何かやろうとしているぞ! 撃て!!」
しまったと思った時には遅かった。光ったロッドを見て、魔法を使うことがバレてしまったのか、放たれた弾丸はロッドを後方へ弾き飛ばす。魔法が中断されたことで頭が真っ白になったクロソフィアは、続けざまに放たれた弾丸を前に目をぎゅっと瞑ることしかできなかった。
「マヌケ☆ 絶対死ぬなって命令すら守れないわけ?」
その声は、正面から聞こえてきた。恐る恐る目を開けると、目の前に笑美が立っていた。その肩は銃弾で撃ちぬかれ、血が流れ出ている。
「その傷! わ、私を庇って⋯⋯?」
「は? 調子乗んな雑魚。戦えないなら寝とけ☆」
有無を言わさずにクロソフィアは頬を叩かれ、熱海組の魔法少女たちと同様に、地面に笑い転げることになってしまった。クロソフィアは、笑いすぎて涙が溢れ滲む視界の中、肩の傷を物ともせず、笑いながら敵を蹂躙する笑美と、高速で跳びまわるホップシロップの姿を見ていた。
数分後。違法カジノの制圧を完了させた笑美は、ホップシロップに監査への連絡を任せ、ずかずかと大股でクロソフィアの元へと近づき、未だ笑い続けているクロソフィアを無理やり立たせ、その腹に拳を叩き込んだ。
「ぐふっ⋯⋯!?」
「あのさぁ、敵の前で悠長に呪文とかポーズとかやってどうすんの? 馬鹿なの? 死にたいの?」
「で、でも!! 私の魔法の発動には必要で⋯⋯!!」
「言い訳とか聞きたくないの☆ 頭固すぎ。コンクリートかよ☆ お前、魔法少女向いてないよ。大人しく家に帰ってママのおっぱいでも吸っとけ☆」
そう言い捨て、笑美は背を向けて去っていく。クロソフィアは、何も言い返すことは出来なかった。確かに、自分には魔法少女は向いていないのかもしれない。でも、これはようやく見つけた、妹にはない自分の才能なのだ。手に入れたチャンスを、ここで捨てたくはなかった。もし魔法少女をやめてしまえば、クロソフィアは本当に無価値な人間になってしまう。
クロソフィアは殴られたお腹を抑えながら、よろよろと笑美の後ろを追いかけていく。笑美は一瞬だけこちらを振り返り鼻で笑ったが、それ以上は何も言ってくることは無かった。