ルート66   作:三毛猫

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二章 急

終わりとは何か。

それは開始の反対語ではない。

むしろ対になるものですらない。

開始と終了は対称ではないからだ。

開始は任意だが、終了は強制される。

少なくとも通常は。

だから人は開始を選び、終了を避ける。

 

避けた結果どうなるか。

単純だ。

終わらない。

終わらないものは、終われないものに変質する。

変質した時点で、それはもはや時間ではない。

時間のように振る舞う何かだ。

ここはそういう場所だ。

 

23時12分。

時計を見る必要はない。

見なくてもわかる。

変わらないという事実が、すでに確認されているからだ。

確認された事実は繰り返す必要がない。

むしろ繰り返すことでノイズになる。

だから見ない。

見ないという選択もまた、分析の一部だ。

 

廊下を歩く。

距離は一定。

照明も一定。

だが奥にいる存在だけが例外だ。

輪郭がはっきりしている。

情報が欠けていない。

均一でもない。

つまり、記録可能な個体だ。

ここにいる連中とは違う。

 

「あなたが最初ですか」

 

僕は言う。

問いかけだが、答えは期待していない。

だが返答はあった。

 

「……最初、というのは違うな」

 

声は低い。

抑揚は少ないが、意味ははっきりしている。

 

「ここを作ったのは俺じゃない」

 

否定。

だが否定の仕方が曖昧だ。

作っていないが、関与していないとは言っていない。

 

「だが、ここにいる理由は、俺だ」

 

十分だ。

原因と結果の関係が成立している。

ならば、ここが核だ。

 

「何を終わらせなかった」

 

僕は聞く。

核心に触れる質問。

遠回しにする必要はない。

ここまで来れば、構造は露出している。

 

「……さあな、忘れた」

 

あり得る答えだ。

記憶はこの空間では不安定だ。

だが完全に消えているわけではない。

消えているなら、ここに留まる理由も消える。

 

「忘れたくて、忘れたんじゃないですか」

 

僕は言う。

仮説ではない。

ほぼ確定だ。

 

男は黙る。

否定しない。

肯定もしない。

だが沈黙は情報だ。

否定しないということは、否定できないということだ。

 

「終わらせればいい」

 

「それはわかってる」

 

理解している。

だが実行していない。

できないのではない。

しないだけだ。

 

「終わらせたら、なくなる」

 

当然だ。

終了は消失を伴う。

少なくともこの構造では。

 

「なくなるのは、何ですか」

 

僕は聞く。

男は答えない。

だが視線が動く。

床。

壁。

天井。

どこにも定まらない。

対象が定義されていない証拠だ。

 

「具体的に言えないものは、存在しないのと同じです」

 

僕は言う。

冷たい言い方だが、事実だ。

定義できないものは扱えない。

扱えないものは、維持もできない。

 

「違う。ある」

 

主張。

だが根拠はない。

 

「あると思っているだけです」

 

僕は訂正する。

 

「そしてその“思っている”という状態が、この空間を維持している」

 

ここは逃避だ。

終わらせないための構造。

終わらせなければ、失わない。

単純で、強力で、そして破綻している。

 

「失っていないわけではない。先延ばしにしているだけだ」

 

男の肩がわずかに動く。

反応だ。

図星か、あるいは近い。

 

「終わらないことは、保持じゃない。停止だ」

 

停止したものは腐る。

時間が流れない場所では、変化がない。

変化がないということは、更新されないということだ。

更新されない記憶は、やがて意味を失う。

 

「だから忘れた。内容じゃない。理由を」

 

なぜここにいるのか。

その理由が消えている。

消えた理由に縛られている。

矛盾だ。

だがこの空間は矛盾で成立している。

 

「……どうすればいい」

 

男が言う。

質問だ。

初めての。

つまり、選択を求めている。

 

「選ぶだけです」

 

僕は答える。

簡単だ。

だが難しい。

 

「終わらせるか、終わらせないか」

 

二択。

だが実際には一択だ。

終わらせない限り、ここは続く。

続けば続くほど、意味は薄れる。

薄れた意味に価値はない。

 

「終わらせたら、どうなる」

 

男が聞く。

 

「外に出ます。時間が進む場所に」

 

保証はない。

だが、この構造の外であることは確かだ。

 

「……失うかもしれない」

 

男が言う。

 

「はい」

 

否定しない。

できない。

 

「でも、進める」

 

それが対価だ。

失う可能性と、進む確実性。

どちらを取るかは本人次第だ。

 

沈黙。

長い。

だがここでは長さは意味を持たない。

23時12分。

変わらない時間の中で、決断だけが進んでいる。

 

「……終わらせる」

 

男が言う。

選択。

確定。

十分だ。

 

「了解しました」

 

僕は言う。

手を伸ばす必要はない。

儀式もいらない。

ここは概念の空間だ。

選択そのものがトリガーになる。

 

音がする。

今度ははっきりと。

軋み。

破断。

構造が崩れる音。

壁が歪む。

天井が揺れる。

照明が明滅する。

 

23時12分。

時計を見る。

針が動く。

わずかに。

だが確実に。

進んでいる。

 

「終わりです」

 

僕は言う。

誰に向けてでもなく。

ただ事実として。

 

廊下にいた連中が消える。

あるいは、外に出る。

区別はつかない。

どちらでもいい。

重要なのは、この空間からいなくなることだ。

 

男の姿が薄れる。

だが消えるのではない。

これは消滅ではない。

移動だ。

ここではない場所への。

 

「……ありがとう」

 

男が言う。

礼。

不要だが、受け取る。

 

「どういたしまして」

 

形式として返す。

形式は最後まで守る。

それが構造を安定させる。

 

光が差す。

窓の外。

夜が薄れる。

色が変わる。

黒から青へ。

青から灰へ。

灰から白へ。

朝だ。

初めての。

あるいは、やっとの。

 

時間が流れる音がする。

実際には音などない。

だがそう感じる。

感覚としての時間。

これは正常だ。

 

部屋に戻る。

ベッド。

テレビ。

机。

椅子。

変わらない。

だが意味が違う。

ここはもう、ただのモーテルだ。

 

時計を見る。

6時03分。

数字が進んでいる。

問題ない。

 

エンジンをかける。

外に出る。

空気が違う。

軽い。

密度が違う。

時間が流れている場所の空気だ。

 

バックミラーを見る。

誰もいない。

正常だ。

 

「終わることは、失うことじゃない」

 

僕は言う。

結論として。

 

「進むための条件だ」

 

アクセルを踏む。

車は進む。

道路は続く。

線はまだ終わっていない。

だから、辿る。

終わるために。

あるいは、終わりを知るために。

 

どちらでもいい。

重要なのは、止まらないことだ。

今回は、正しい意味で。

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