ルート66   作:三毛猫

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第三章オクラホマ州 スキンウォーカー
三章 起


同一性というものは、信頼しすぎると裏切られる。

逆に疑いすぎても機能しない。

要するに扱いが難しい概念だ。

だが人間はそれを前提に生きている。

昨日の自分と今日の自分が同じであること。

目の前の相手がさっき会った相手と同じであること。

それらをいちいち証明しないで済むから、社会は成立している。

証明しなければならない世界は、極めて非効率だ。

だから僕たちは証明を省略する。

省略された証明は、やがて前提になる。

前提は疑われない。

疑われないものは、最も壊れやすい。

 

車を停める。

エンジンを切る。

音が消える。

音が消えた瞬間、世界の輪郭が一段階だけ薄くなる。

これは錯覚ではない。

少なくとも、僕にとっては。

 

音は境界を作る。

境界があるから、内と外が分かれる。

内と外が分かれるから、対象が定義できる。

定義できるから、分析できる。

分析できるから、理解できる。

だから音は重要だ。

だが今は、その音がない。

 

町は静かだ。

静かすぎるわけではない。

風はあるし、遠くで何かが軋む音もする。

だがそのすべてが均一だ。

強弱がない。

強弱がないということは、強調がないということだ。

強調がない情報は、記憶に残りにくい。

記憶に残らないものは、存在しないのと同じだ。

だからこの町は、存在しているのに存在していない。

そういう中途半端な状態にある。

 

「観光ですか」

 

声がする。

振り向く。

男が一人。

年齢は三十代前半。

服装は一般的。

顔立ちは平均的。

平均的すぎる。

特徴がない。

特徴がないという特徴がある、と言い換えることもできるが、それは言葉遊びに過ぎない。

重要なのは、記憶に残らないという事実だ。

 

「調査です」

 

僕は答える。

いつもの返答。

形式は守る。

形式は再現性を担保する。

再現性があるから、差異が見える。

 

「何の?」

 

「同一性の」

 

少しだけ言い換える。

異常現象と言ってもいいが、この場合は具体的な方がいい。

 

男は頷く。

理解したような、していないような曖昧な反応。

だが曖昧なのは彼の問題ではない。

この町の構造だ。

 

「この町は、同じ人が多い」

 

 

興味深い。

自己言及だ。

つまり彼自身も、その“同じ人”に含まれている可能性を自覚している。

 

「例えば?」

「例えば……」

 

男は少し考える。

 

「俺、さっきもあんたに会ってる気がする」

 

既視感。

だがそれは錯覚ではない。

少なくとも、この状況では。

 

「いつ?」

 

「さあ」

 

曖昧な時間認識。

ミズーリ州のそれとは違う。

あちらは時間が停止していたが、ここでは時間は流れている。

ただし、その流れが均一すぎて区別がつかない。

 

「どこで?」

 

「この辺で」

 

空間も曖昧だ。

位置情報が固定されていない。

あるいは、固定されているが差異がない。

 

「なるほど」

 

僕は頷く。

仮説はすでに立っている。

あとは検証するだけだ。

 

「名前は?」

 

僕は聞く。

基本的な質問。

だがこの場では重要だ。

 

「ジョン」

 

男は答える。

 

典型的だ。

典型的すぎる。

統計的に最も多い名前の一つ。

それ自体が異常ではない。

だが、この状況で出てくると意味が変わる。

 

「姓は?」

 

僕は聞く。

 

「……ジョンソン」

 

やはり。

テンプレートだ。

用意された答え。

あるいは、用意されたように見える答え。

どちらでもいい。

重要なのは、個別性が薄いことだ。

 

「あなたはこの町の住人ですか」

 

「ああ」

 

即答。

だが確信はない。

声にわずかな揺れがある。

 

「いつから?」

 

質問を重ねる。

 

「生まれてから」

 

標準的な回答。

だが検証不能。

記憶が曖昧な以上、その発言に裏付けはない。

 

「両親の名前は?」

 

男は口を開き、閉じる。

 

「……父さんと母さん」

 

失敗だ。

定義の再現に失敗している。

家族という概念は理解しているが、具体的な情報が欠けている。

 

「なるほど」

 

僕は呟く。

ここまでで十分だ。

構造は見えている。

 

男の背後で、別の男が歩いている。

視線を向ける。

同じ顔だ。

完全に一致しているわけではない。

だが、区別がつかない程度には似ている。

いや、似ているのではない。

同じ定義で生成されている。

テンプレートが同一だ。

 

「彼は知り合いですか」

 

僕は最初の男に聞く。

 

「誰だ?」

 

男は振り向く。

見る。

首を傾げる。

 

「知らない」

 

即答。

だが、その答えは信用できない。

認識が曖昧だからだ。

 

二人目の男がこちらに近づく。

 

「観光ですか」

 

同じ質問。

同じ声。

微妙に違うが、区別する意味はない。

 

「調査です」

 

僕は答える。

繰り返し。

再現性の確認。

 

「何の?」

 

同じ流れ。

ここまで一致しているなら、次も同じだろう。

 

「同一性の」

 

僕は言う。

 

二人目の男は頷く。

一人目と同じ反応。

だが完全一致ではない。

頷きの角度がわずかに違う。

誤差。

あるいはノイズ。

だがその誤差が重要だ。

完全一致ではないという証拠だからだ。

 

「名前は?」

 

僕は聞く。

 

「ジョン」

 

やはり。

同一の回答。

 

「姓は?」

 

「……ジョンソン」

 

遅れがある。

処理に時間がかかっている。

つまり、この個体は再現精度が低い。

 

「面白い」

僕は言う。

独り言だが、聞こえているだろう。

聞こえても問題はない。

どうせ理解されない。

 

「何が?」

 

一人目の男が聞く。

 

「あなたたちです」

僕は答える。

率直に。

 

「僕たち?」

 

二人が同時に反応する。

完全な同時ではない。

わずかにズレる。

やはり完全一致ではない。

 

「同じですね」

 

僕は言う。

 

「違う」

 

二人が同時に言う。

 

否定。

だがその否定こそが同一性の証明になっている。

皮肉な話だ。

 

「違う、ですか」

 

僕は繰り返す。

 

「どこが?」

 

質問。

単純だが答えにくい。

 

「俺は俺だ」

 

一人目が言う。

自己同一性の主張。

だが定義としては弱い。

 

「俺も俺だ」

 

二人目が言う。

 

重複。

意味が衝突している。

だが本人たちは気づいていない。

 

「なるほど」

 

僕は頷く。

十分だ。

仮説はほぼ確定している。

 

これは模倣だ。

だが完全なコピーではない。

コピーであるなら、ここまでズレは生じない。

これは再構築だ。

定義をもとに、人間を再構築している。

だが元となる“本物”が不明確なため、精度が安定しない。

 

「本物はどこにいる?」

 

僕は言う。

問いではなく、確認だ。

 

二人は答えない。

答えられない。

存在しないからだ。

あるいは、すでに消えているからだ。

 

風が吹く。

町の看板が揺れる。

文字が擦れている。

読めないわけではないが、判別しづらい。

名前が曖昧だ。

名前が曖昧な場所は、存在も曖昧になる。

 

「……いい町だ」

 

僕は言う。

皮肉ではない。

評価だ。

分析対象としては優れている。

 

「どこが?」

 

一人目が聞く。

 

「均一で、再現性が高い」

 

僕は答える。

 

「つまりは壊しやすい」

 

結論。

まだ実行はしない。

だが方向性は決まった。

 

町の奥を見る。

さらに同じ顔がいる。

増えている。

あるいは、最初からいたのかもしれない。

どちらでもいい。

重要なのは、増殖しているように見えることだ。

定義が拡散している。

制御されていない。

ならば、崩壊は時間の問題だ。

 

「さて」

 

僕は言う。

誰に向けてでもなく。

 

「どこから崩すか」

 

分析は終わりつつある。

次は検証だ。

そしてその先に、解体がある。

 

この町は同じ顔でできている。

だが同じ顔は、同じではない。

そのズレが、すべての始まりだ。

あるいは、終わりの。

どちらでもいい。

重要なのは、違いがあるという事実だ。

それさえあれば、壊せる。

 

僕は歩き出す。

町の中心へ。

あるはずの場所へ。

本物がいるはずの場所へ。

あるいは、最初から存在しなかった場所へ。

どちらにせよ、答えはそこにある。

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