「足手纏いだから……ですか?」
心臓がドキン、と身体を鳴らす。
震える声で他に思い当たった原因でその場を凌ぐように質問する。
ミコくん。先輩はそう呼んだ、もしかしたらただの間違いかもしれない。ニヒルに振る舞うために呼び方を変える。そういう事もあるだろう。
そうだ、まともに考えれば。リーベさんと鎬を競えるほどの力を持った魔女のヒルフとの間に躍り出て、何が出来るというのか。
そして、被害者である僕がそこまでする──
あれだけ取り巻きに殺意が湧きすらした僕に紛れ込む、事なかれ主義、平和ボケしたなえ。喧嘩したらはい仲直り、手を繋ぎましょうと訴える私の思考。
そうだ、質問の本質はそんな事のはず──
「そうです。それに」
「キミは。男の子なのでしょう?」
「──」
「えっ、そうなの!?」
「……えぇ、そうです」
肯定する。
皆さんの間で……嘘はつきたくないから。
アン先輩は驚きながらも膝から離れない。衝撃の事実が出ようが僕を動かすつもりは無い、というのは変わらないのだろう。
「私、音属性魔法を研究していますから。耳がいいんですよ。今の戦況も、そしてこの前の喧嘩も当然聞こえていました」
「肉の裂ける音、血液が滴り落ちる音、苦悶の声、リーベ先輩の焦燥。そしてキミの必死さ……性別までは、確信していませんでしたけど」
顔が俯いて、僕を抱きしめる腕が震える。
あの時の音と声は聞かれていたらしい。
そこまで詳細に、繊細に聞こえるのならそれは実に不快な音だったろう。
「嫌な音を聞かせて申し訳──」
「だからもっと、もっと自分を大切にしてください。あなたがススピロから先輩を庇った時も、一番心配して一番後悔して、一番泣いていたのは確かに先輩でしたよ」
「でもね、私たちだってキミがそのまま目を覚まさなかったらって思うと、怖かったんですよ……」
僕の胸に顔が埋められ、先輩の恐怖と悲しみが、濡れるシャツの感覚と共に伝わる。僕はまた人を泣かせて。それだと言うのに……
「キミはそれでも、行こうとするんでしょうね」
「……はい」
自分が敵うはずのない戦場に。
余計な責任感と正義感によって向かおうとする。
「どうして……?」
シャツを掴み上げ、赤く腫らした目で見つめられる。
「何があなたをそんなに駆り立てているんですか。男としての義務とかですか、恋人に守られる事の屈辱とかですか?」
「ねぇ、そんなの魔女の世界では当たり前なんですよ。男は弱いんです、並大抵の努力で女に魔力で勝つ事は出来ないんです。だから、ここでは!あなたは……あなたは守られていいんですよ……!」
男なんて、この世界じゃ家畜だろうに。リーベさんも、フレスノ先輩もアン先輩も……あるいは、ムネメ先輩も。どうしてここまで僕に優しく出来るのだろうか。
「それでも自分を変えることが、出来ないんです。確かに今は、皆さんが守ってくださいます。心配してくれるし、リーベさんは僕の事を知った上で、愛してくれると言ってくれました」
だと言うのに。僕は「私」を変える事ができない。
争いの元凶である事の責任?恋人に後始末をさせる事への罪悪感?そしてそれが命の奪い合いであること、あるいは?
自分にどうにか出来る範囲なんて、とっくに超えている。
それなのに言い張る僕と、そんな僕であっても注がれる優しさと親愛が。ここにはある。激昂だとか喪失だとか、そんな大きな感情の変化や出来事が僕にやって来たわけではない。
腕を切り落とされたのは痛いし怖かったけど、平気なんだ。自分にされる分には平気であってしまう。だから今、心が乱れるのは親愛と心配を受けている事で。それはきっと「普通」の人が当たり前に享受しているものかもしれなくて。
「でも」
でも。
僕の感情の関は。それだけで壊れてしまった。
愛情は、何もない僕の心を満たしてくれるのと同時に、本当は欲しかったという気持ちを抑え閉じ込めていた鎖を千切り、破壊してしまう。例え14年しか生きていないとしても、その年月の中で負った苦しみが溢れかえっているから。
僕の口からは、震える声で苦痛が吐き出された。
「生まれついた性分を……どうやって変えろって言うんですか?」
胸から溢れ出てきた言葉は。
一度決壊してからはもう止める事は出来なかった。
「自分を大切にしなければならない事なんて僕だって分かってますよ。人を助けることの無意味さも、余計な善意も、正しい善意を働こうが搾取されるだけだって事も!でも!」
「でも……変えられなかったんですよ……」
リーベさんの前でも言い切れなかったこと。
善意への搾取という茨を、また善意という衝動が僕を締め付けあげる事の苦痛。
「……三大欲求、ってありますよね。食欲、睡眠欲、性欲。生きる上で必要なものへの欲求……それに近いんです。何故か他人のために自分を捨てる行いの衝動があるんですよ。ははっ、おかしいでしょ?」
自分で言って、自分で笑えてくる。生きるために必要なはずのない行いが、どうしてこうまで湧き出てくるのか。どうか、この衝動は幼少期に受けた政府主導のプロジェクトだとかのせいで洗脳されているものだと思いたい。
そうでなければ、そうでなければ僕は……
「僕だって意味がわからないですよ。イカれてるんです、欠陥した人間なんですよ。だから失敗作と言われて、父親も母親も見放したんです」
「野良犬を助けるために喜んで身を捧げられる人間に、他人よりも自分を大切にしなさいって言っても聞かないんですよ。どうせ同じことを繰り返していつか死ぬんだったら、手をかけるがどれほど無駄な事か。全く両親に同情しちゃいますよね」
僕は、生まれてくるべきではなかった事になるのだから。
自分を嘲り、喉を通る棘に悶えて、それでも今まで飲み込んだ全ての苦痛が迫り上がるのを止められないから。僕の目からも涙が出て、心の底に沈めておいたガラスの破片までもが込み上げる。
砕けた心の破片は、ガラスの破片。
何故なら砕けて散ったはずの過去の自分が
『再現性がないですね。失敗です』
「僕は多くの人の願いを叶えるために生まされて……それを果たせなかったかんです」
『お前は私の何の助けにもならない癖に、なんでそう平然と生きていられるの?』
「死を望んだ人もいます」
砕かれた幼い自分。
純粋だった、皆んなと手を繋いで歩けば平和になれると考えてた自分。
僕は成長して未来へ進んでいくけど「私」は過去の僕であり続ける。そいつはずっと昔に砕けて、変わって、成長したはずの現在の僕に、砕けた無垢な僕を突きつけてくる。
『でも昔は暴力なんて良くないって言ってたよね?』『許し合おうよ、お互いに悪いところがあったはずなんだから』『殺すなんてダメだよ』
「リーベさんは僕を好きと言ってくれました。僕のこの側面も好ましくて、可愛い姿をしているからって。でもいつか、きっと。捨てる選択を迫られるでしょう。精液を搾取されるだけの関係の方がまだマシかもしれませんね、何せ生みの親ですら見捨てたゴミなんですから」
言葉を抑える事が出来ない。
震え、涙を流し、拳を握りしめて、叫ぶ。
それしか出来なくて。
自分の感情を縛られる事なく吐き出すことを、望んでいたから。
「勝手に自分から壊れにいく欠陥を抱えた価値のないゴミだから、僕は僕を変えられなかったんですよ。リーベさんもそういう人って言いたいんじゃないです。僕なんかはさっさと見捨てる方が正常な判断で、正解の選択だって言いたいんです。そうでないと、きっとリーベさんたちは自分で苦しんでしまうから」
手にした物の短所が曝露された時、いっそ嫌いになるのならまだいいだろう。
でもこの人たちは優しいから、例え嫌いになったとしても、嫌いになった自分を責めるかもしれない。それは嫌だ。
だから。
ここで嫌われてしまった方がいいだろう。
それで全て終わって、夢の世界を最後に見れたと思って。
死んでしまおう。
「分かってもらえたら、いいんですけどね。どちらにしても僕は行きます。それで……さよならにしましょう」
そうやって僕は二人から目を背けて立ちあがろうとした。
「ッ!」
頬にぴしゃん、と痛みが走る。
「あぁ……じゃあ、何ですか?先輩がミコくんの言うような“正常な”魔女じゃなかったらいいんですかね?私たちも、イカれた魔女だったら満足でしょうか?」
震える声には怒りが混じっていた。
でもそれは、他者を思うが故に生じる怒りだった。
「生憎ですね、私たちも皆んなイカれてるんですよ。故郷を亡くした復讐鬼、他人の心を操るらしい女、呪われた異端、ただの除け者。そんな連中の集まりがこの派閥なんですよ」
「ゴミだかなんだか知らないですけどね。私たちはあなたの事を大切に思ってるんですよ」
胸ぐらを掴まれ顔が引き寄せられ、逃れる事の出来ない視線を受ける。
その視線は瞳から心を覗き込み、暴こうとするかのようだった。
「もしあなたも、私たちのことを大切に思っているのなら……私たちを自分の言い訳に使えばいいじゃないですか。迷惑かけて、迷惑かけられるのならお互い差し引き0でしょう」
「何が言いたいか分かりますか……?」
彼女は大きく息を吸い込んで、叫ぶ。
「いいから黙って私たちにあなたの体重を任せてよ!!」
「──っ」
僕が罪悪を抱えるように、彼女たちもまた罪悪を抱えているのは当然のこと。けど、それを互いに分かち合って歩くのはそう簡単に出来る事ではない。
自分の苦痛を知れば知るほど、他人の苦痛を受け入れる余裕なんてあるはずがないから。
だから。
彼女の言葉は、それを踏み越えるもので。
僕を縛り上げていた自縄自縛の縄が断ち切られる。
そうして自由落下する僕と、歩み寄ってくれる彼女たちとがまた別の、縁や親愛、愛情でもって結びあげられる。僕を独りにしないために。
自分の苦痛の破片は……使いようによっては、他人を縛り上げる鎖や縄を断ち切る事が出来るのだと、僕は初めて知る。
「それに……逆に聞きますよ。リーベ先輩は今、あなたが傷つけられたことに怒り狂って、ヒルフを追跡しながら邪魔する奴らを皆殺しにして。ヒルフの反撃との衝突で起きる被害に目もくれてません」
「そんな彼女をあなた、愛せるんですか?あなたの言う善性とはかけ離れているじゃないですか。ただの殺人鬼、凶悪犯ですよぉ?」
「愛せ、ます」
意識と思考がその是非を判断する前に、言葉は溢れていた。
「どうして?自己矛盾なんじゃないですかぁ!?彼女は極悪人なんですよぉ!?」
あぁそうだ。僕は彼女が人を殺した姿を見た。
「私」は言う。止めなければならないと。
それは紛れもない悪であると。
「リーベさんが僕を好きでいてくれるから、僕もリーベさんが好きです。彼女が僕が欠陥と思う側面を良いものだと評してくれたから──僕は少しだけでも、自分を好きになれたんです」
そうだ。僕は目の前で、人が自分を変えるところを見た。
人はそう簡単に自分を変えることができない。
けどそれは。僕に対しても同じことだった。
「そうですよ、他人任せですよ。でもその他人のおかげで……ほんの少しでも自分への気持ちが変わったんだ、それは覆しようのない事実だったんですよ……!」
胸ぐらを掴む腕を掴み返して、苦痛に満ちた心の底を浚う。
パンドラの箱が不幸を撒き散らし、奥底に一欠片の幸福を残していたように。
心もまた同じで、重く沈殿する苦痛を吐き出せば、幸せな記憶が底から舞い上がって、水面へと浮かんでくるものだから。
「彼女を好きであると認めて、受け入れたのは僕の意思だ。私のクソみたいなお節介なんかじゃない。これは僕の、僕が選んだ恋だ」
「僕が取った選択だ!リーベさんが罪悪を背負うのなら僕だって背負ってやる!」
そうだ、デートだってまだ一回しかしてないじゃないか。
もっと一緒にいろんな場所に足を運んで、いろんな事をして、思い出を作るんだ。今までのクソみたいな人生を塗り潰して、自分が望んだ自分へと作り変えていって、幸福を掴み取るんだ。
痛みを分かち合って、罪悪を共に背負おう。
もっとお互いを知るんだ。
リーベさんとも、フレスノ先輩とも、アン先輩とも、ムネメ先輩とも。
今、フレスノ先輩が僕と向き合ってくれたように。
「だから僕が彼女を愛するのは変わらない!自分だって変えてやりますよ!全部ぶつかって、苦しみながらでも生きるんです、大好きな人たちと──僕だって一緒に生きていきたいです、生きていきたいんです!」
ぜぇぜぇと、叫び続けて荒れた呼吸の音がロビーに静かに染み込む。
「……きちんと言えるじゃないですか、自分の気持ちを。今の言葉、忘れないですから」
「私たちのためにも、ミコくんのためにも。絶対に自分を大切にしてくださいね」
腕を掴む力は解けて。
代わりにその腕は、僕を胸に抱き寄せた。
「……はい」
僕を蝕む善性の宿痾が消える事はない。それでも。
医者に打ち明け病と付き合っていく人のように。
少しだけ、自分というものを理解して、掌握することが出来たような気がする。
「……けど、先輩」
「なに?」
「その上で、やっぱりヒルフと戦うのがリーベさんとムネメ先輩だけなのは気に食わないです」
僕は先輩の胸から離れつつ、また一つ湧き上がった感情とその考えを明かす。
そう、気に食わない。
僕のために戦ってるのに蚊帳の外なのはどうか、という気持ちは勿論ある。
ただそれと同じくらい「報復するなら自分も手を汚すべきだ」と思うだけだ。
「ふぅん」
「もちろん自分を大切にするのは、最優先にします。それなら安全な範囲で加勢すればいい、そうじゃないですか?」
「それは最もですけど、何が策でも?」
「えぇ。その前にフレスノ先輩にはかなーり力を貸してもらう事になりそうですけど」
そう、今浮かんだ策が通用しない可能性もある。リスクを最小限にして最大のリターンを得るためには情報を得る事が不可欠だ。
会う必要のある、魔女がいる。
「──みんなで悪戯をしませんか?」
僕とフレスノ先輩は、いつの間にか釣られ泣きして疲れて眠ってしまっていたアン先輩を叩き起こして。