「今日も天気に恵まれたね」
「えぇ。デートのリベンジとしてはぴったりじゃないですか」
先日、お互いにデートに対する集中の欠如より失敗してしまったと言わざるを得なかった一件。今回はそのリベンジを昨日という過去の自分たちに果たすべく、また外へと足を運ぶこととなった。
「ん〜〜……やっぱり学園の外だと空気がまた違って美味しいですね。煙の匂いとかもしませんし!」
大きく背伸びをして、胸いっぱいに息を吸い込む。やや無機質と言えるほど変に透き通った空気が肺を満たして、全身の血管を駆け巡る。
正直、個人的には苦手な清涼感ではあるけれど……本の香りに塗れた魔法学園とは異なる空気と言うだけで、美味しいというには不足のない味なことには代わりなかった。
「さて、何しよっか。朝早いからまだ暗々としているわ・け・で・す・が〜」
「散歩しましょうよ、散歩。それで昼顔区まで歩いて……美味しそうなお店を見つけるんです。軽めでも重めでもピンと来たらそこに行きましょう」
「ぶらり散歩しながらて感じだね。オッケ〜」
現在時刻は7時。今は冬場であるためまだ外は薄暗く、また肌寒い。この前作った体温を保つ魔法を自分とリーベさんにかけてから、手を繋いで歩き出した。
昼顔区、と呼ばれるのは魔法学園アストヒクが所有する土地の区画のこと。区画は四つ存在しており、それぞれ朝顔区、昼顔区、夕顔区、夜顔区と呼ばれている。
その内、昼顔区は一次・二次産業が盛んで、それに伴い飲食店も結構多いみたい。前にリーベさんに連れて行ってもらった「A・Fストリート」も昼顔区に位置している。
「こんな明かりの中だと、常夜の森を思い出しますよね」
「分かる。月明かりも星空も今は見えないけど……なんだか少し隠れたようで、密やかな感じ。昼顔区からは音が出始めたけど、それでも朝は静かなものだしね」
これから人の営みが始まるという前兆は、どうにもワクワクする。
もくもくと煙突から煙を吐き出す炊事の雲が立ち昇っては、朝を告げる鶏の耳を劈くような声は、思わず目を瞑ってしまう眩しい日の光を象徴するかのよう。
僕たちは寮生活のため、アストヒクが存在する朝顔区より下りる。別に朝顔区全体が高台に位置するというわけではないけれど、アストヒクは高台に位置しているから、今こうして僕たちは昼顔区を始めとした区全体を見下ろすことが出来ている。
二人はそこらにある塀の上に腰を下ろして、小一時間その光景を眺めていた。時折吹く風が冷たいけれど、その時は保温魔法の設定を上げて、少しくっ付く時は、設定を下げた。
「突然すみません。そろそろ雨が降りそうですので、ここから右に曲がった先に傘屋があることをお伝えしておきますね」
ただ時間を有意義に傍観していた僕たちに話しかけて、要件だけ告げて足はやにその傘屋へと向かった魔女がいた。あまりにも突飛な事だったから顔もきちんと見れず、後ろ姿から美しい金髪の髪の毛である事しか記憶に留めることは叶わなかった。
その言葉を聞いて空を眺めても、お天道様は相変わらずニコニコとしていて、空気もカラっとしている。生き物の存在を感じさせる雨の匂いも丸っきり感じられない。
「ほんとに降るなら、やだなぁ」
酷く憂鬱そうな声と悲しそうな顔を浮かべる彼女が隣にいたので、傘屋に行くことを決める。もし雨がリーベさんにとって憂鬱な存在だとしても……時間を共にしたら、少しは良いものであると、気持ちを慰めることができるかもしれないから。
「せっかくですし、紹介されたお店……行ってみましょうか」
☆☆☆
「へぇ、こんな所にお店あったんだ。傘屋って言ってるだけあって傘しか置いてない。珍しいねぇ」
「まだA・Fストリートしか足を運んだことありませんでしたけど……どこもかしこも、魔法道具店なら複数の種類の魔法道具を並べていましたもんね」
案内に従った先、朝顔区の入り組んだ路地の入り口にぽつんと立っている傘を売るお店の名前は「マイア・タフミ」というようで、外装も内装もさして客の目を引く気がない……むしろ気付かれる気がないと思うような、周囲に溶け込む平凡さを持っていた。
「さっきの人は……いないみたいですね」
「たまたま道が同じだったか、それかすぐ買ってすぐ次の目的地に行っちゃったのかもね」
カランと軽いベルの音が鳴り、僕たちは店内に足を運ぶ。傘、傘、傘がそこにはあった。無地の傘から色とりどりの傘。ただ奇抜なだけのものから、緻密で美しく気品に満ちた薔薇園に似合いそうなものまで。
その品揃えから、このお店には物理世界と近い印象を受けた。魔法世界において美醜の差が殆ど見受けられない異質さをかつて感じたのとは反対に……
この店にはハッキリ言って「ダサい」と感じられるものまでもが、堂々と飾られていたから。
「お求めの品はございましたか?」
店の奥から出てきたのは、頭に紫陽花を咲かせアメジストのような美しい紫のワンピースに身を包んだ
花人、正式名称をエルトメンヒェン。植物が知性を持ち、二足歩行へと進化した種族。彼女たちはそれぞれモチーフとなる花を持っていて、その特徴の花や葉を身体から茂らせる事がある。
「お二人には……うん、これなんかどうでしょうか?冬場にあっても尚降る雨には、冷たい傘と暖かな持ち手が必要でしょう」
その女性、店主は穏やかな声でマイペースに品々を紹介する。見せられた傘は雪のように美しい白を基調とした傘で、傘に水が当たれば雪の結晶となって砕け散り、傘の内はじんわりと暖かい──決してじめじめと蒸し暑くない、素敵な魔法道具だった。
「綺麗な傘ですね。それに水が弾けて雪になって、砕けて消えていくところが特に……風流、侘び寂び?日本をなんだか思い返します」
「ね、魔法ってこんな綺麗なものも作れたんだ」
「わぁ、日本。ジャパニーズ?もしかして貴女、物理世界のジャパニーズからきたの?私マイアっていうの。水って意味でね、よければ友達になってちょうだい、いっぱいお話を聞きたいの」
「え、あ、はい──」
「結構、いやかなりマイペースな人だったね……」
「だいぶ疲れました……代わりに傘をタダで頂いちゃいましたけど」
あのあと小一時間日本の話を聞き出された僕は、そのお代なり友達料と称してさっき紹介していた傘を一本もらうことになり、今は相合傘をしながら昼顔区に向けて歩いているところだ。
面白いもので、雨粒がぶつかるのと同じように、雪の結晶が砕ける感触までもが手に伝わる。やかましい程のものではなく小さくか細い感触だけれど、これら全てが雨と傘というものを楽しませてくれる。
傘の下への保温機能もあるいは、冷たさを楽しむために切ることすら出来るのだから……あの花人の店主さんは、傘のことが本当に好きなんだろうなって思わされる。
「ミコちゃんは雨、苦手じゃない?」
「好きですよ雨。土砂降りなのは別に好きではないですけれど」
「そっかそっか。私はさ、嫌い……っていうより、苦手なんだよね」
「苦手?」
リーベさんは道に出来た水溜りを蹴飛ばす。
ぱしゃっと音を立てて雨水が泥混じりに飛び散って、雨の中に消えていく。
「うん。私の故郷が亡くなった日に雨が降っていたから」
「……」
あまり快くない話がこの雨の中で燻っていたみたい。
「私ね、圏域外にあったとある小さな国で生まれ育ったの。普通に生きて……魔女として最低限教えは受けてたけど、日常で使えるちょっとした魔法くらいしか覚えていないくらいでね。普段は土をいじったり、山にいって山菜取ったり川まで水を汲みに行ったりで……」
大切な宝物を抱きしめるように彼女は続ける。平凡、普通は価値のないものと人は思うけれど、その平和が当たり前のものではないことに気がついた時、もう人はその当たり前を享受できなくなるものだから。
「でも、ある日突然、魔法生物の襲撃が起きて国は綺麗に消えちゃったんだ」
だからリーベさんもまた、日常から突き落とされた人の一人だった。
また一つ、水溜りが蹴飛ばされる。
今度は強く、バシャンとを音を立てて雨の中で波打つ形が見えた。
「本当に綺麗に、真っ新に、瓦礫一つなくそこは無くなってた。代わりに何を火元にしているのかも分からない炎が空高く燃え上がっていて、それなのに空は泣いてるように土砂降りで。たまたま遠くの山に山菜を取りにいっていた私だけが生き残ったの」
彼女の感情と傷を写すように、降りしきる雨は少し強くなる。打って凍って砕けて消えて。雨粒は雪に姿を変じては消えていく。
「お母さんたちも、近所のお肉屋さんも、学校の先生も、妹も……遺体が残るでもない。まるで雑巾掛けの後みたいにピカピカ真っ新」
「遠目に、見えてしまっていたんですね」
「うん。そして……雑巾である魔法生物たちが止まったあとに残した、ソレも。」
いっそ見えなかった方がマシだったんだろう。例えどれだけ残酷な真実があったとしても、知らないという事実で覆い尽くせば心はどれだけ傷を負わずに済むから。
「あいつらが止まった跡には、まるで糞便のように全てが一塊にされた『ニヴルヘイム』の残骸があったんだ。それとも、絞った事で出た汚水といってもいいのかもね」
「そんな言い方」
「だから……」
ごろごろと雷までもが鳴り出して、リーベさんは泣き出した。
煮えたぎった憎悪と憤怒の心と大切な全てを貶し損ねられあげた悲しみ、その全ての大切な苦痛が吐き出される。
「だから、一匹残らず殺し尽くしてやった。お母さんの分を、妹の分を、パリス、アウラ、デカルテおばさん、衛兵のミリアさん……皆の仇を頭蓋を砕いて臓腑をかき混ぜて、この雨みたいに血を吐き出させて……」
最後に一つ、彼女は水溜りを大きく踏みつける。
泥水は跳ね返って彼女の足元を濡らし、僕の足元にも泥水が染み込む。
「……それで結局、やり過ぎって言われてこの学園に保護って名目で押し込まれた」
「リーベさんはまた外にいって、復讐を続けたいんですか?」
「……うん」
僕たちはいつの間にか昼顔区に辿り着いていた。けれど彼女たちは雨の中でも活気に溢れているから、商店、工房、果てには食肉へと姿を変える動物までもが、僕たちの話なんか聞いていなかった。
血塗られた連鎖は雨のように降っては消えて、また降っては消えるのだろう。リーベさんはきっと外で雨が降れば飛び出して、ずぶ濡れになってから帰って。
自傷行為に等しい復讐の円環に入ってしまっていることを、僕はこの日理解した。
「手を貸してあげる事は出来ないですけれど……それでも、僕は隣にいますよ。リーベさん」
それならせめて、傘を差し出そう。
跳ね返る水もあるだろうけれど、僕は一緒に濡れて一緒に乾く事を自分に誓ったのだから、リーベさんが雨の日には外に出なくてもいいんだって納得できるその日が来るまで、辛抱強く待つべきだろう。
「一緒に濡れて、一緒に洗い落として、一緒に乾かして。いつかリーベさんの心に澄み切った虹がかかるまで付き合いますよ」
最初に一つ、僕は水溜りを大きく踏み締める。
僕の脚は濡れて汚れ、飛び散った泥水がリーベさんの脚をまた汚す。
「あはは、そっか……そっか。ありがとうね、ミコくん」
雨打つ音が消える。
傘は必要なくなった。
それでも雨が降り続けていると思うから、僕たちは変わらず傘を差して目指す場所もなく歩いていく。
自分から溢れて止まらない雨は誰もが持つから、ふとした拍子に降ってしまうのだろう。嫌いな雨と、僕への信頼が今回の発端で降り出したリーベさんの雨。
もしそれがずっと続くのなら……
彼女の遣らずの雨が止むまで、僕はずっと傘を差し続けよう。