「母上、見てください!」
「どれどれ、見せてみなさい」
褒められたそうに魔法の研究資料を見せる私の頭を母上は優しく撫でてくださる。
私は夜の位階の位置する偉大な母上より生を受けました。
生誕よりその娘である私には大きな期待が課せられましたが、幸いなことに私は極めて素養に優れ、母上の期待にひとつふたつと次々に応えることが出来ました。
「ふむ……ふむ。おぉ素晴らしい、流石は私の娘ちゃんだ」
「えへへっ」
「魔力量さえ追いつけば黄昏に至るのにも十分だろう。アリストン、お前は母の自慢の子だ、母はとっても誇らしい」
「私も母上が母上で、とっても誇らしいです!」
「よし、良い子だな。何かプレゼントをやろうじゃないか、何が欲しい?」
母上は私がその期待に応えると、いつだってプレゼントを約束してくれました。母上は夜の位階ですから、どんな物だって取り寄せることが出来るのです。
「その……母上、アリストンはお婿さんが欲しいです」
「ほう?それは一体どうして。母はまだ早いと思っていたぞ」
「魔法薬学を学んでいると、どうしても壁に突き当たるのです。男性の体液無くして魔法薬学の岐路は見えません。他の素材であれば購入や採取をすれば良いですが、男性の体液は必要量に対して供給量が全く足りません」
「そんなの適当に攫ってくればいいじゃないか」
「その、母上怒らないでください。私は搾取構造が好みではありません」
「なんだそれは……まぁいい、婿だな?どういった物がいい。顔に筋肉や背丈、性格から夜の具合まで望みを言いなさい」
「く、クリオス・ニヴルヘイムと申します。不束者ですがよろしくお願いいたします!」
希望の殿方は数週間もすれば届きました。
人形のように愛らしく、私にどこまでも献身的で一途でいてくれる人。
素材にも使いますから夜の方も体力が高い方が……
身体を弄らせて貰いますから、どちらにしてもですけれどね。
「ト・アリストン・エートスです。これからよろしくお願いいたします」
「はい……!」
母上はやっぱりすごい魔女です。
希望通りの素敵な方を連れてきてくれました。
それにニヴルヘイム家は圏域外で辺境伯を務めてる大家です。この婿を通して両家の仲を取り持つという意味合いも持たせたのでしょう、一石二鳥とはまさにこの事です。
「その。失礼でなければお聞きしたいのですけれど」
「どうしたのですかクリオス、私たちはもう夫婦の仲ですからそんなにお行儀よく質問をしなくてもいいのですよ?」
「えへ……その、どうして私をこんなに良い待遇で受け入れてくださるのかなって」
「それがより善い行いだと思うからです」
当時から私は魔女の善悪というものについて、課題の片手間ながら考えに耽る事が少なくありませんでした。悪は醜く、善は美しい。この世が清濁によって彩られている事に気がつくのはそう遅くありませんでしたから。
私は善に魅了されました。
きっかけは母上に連れられて、ある僻地に足を運んだ時の事です。
領主は烏の獣人であり、領民は多種多様。獣畜生から派生した存在でありながら人と共存するどころか、人の上に立つ。人種に問わず力を発揮し、互いに扶助する姿を私は見ました。
獣と言えども烏は知恵が周り凶兆を知らせる伝令。
つまり、適材適所がこの僻地では完成しており、どの魔女も効率と敬意を持って運営していました。社会とは魔法陣であり、人とは魔法陣の術式の一文。一人たりとて欠けてはならず、扶助し合うことで円環し、その秘密の力が現出する。
足りねば埋め、過ぎれば降りる。
まるで水のように流動し、人が生き、人が活きていました。
これこそが人の営みであり、これこそが善い方向。
幼いながら、私は善というものの一片を学びました。
果たして、これ程美しいものが他にあるのでしょうか?
「より善い?」
「はい。私は一方的な搾取構造は醜い悪だと思います。逆に、相互扶助は美しい善であると。善い行いは美しく尊いものなのです」
「なる、ほど?」
クリオスは首を傾げながらもひとまず頷く。
それも当然でしょう。彼は私と同じ歳、まだ生まれてより十二年ですから。
私が特別才覚に優れているだけの話です。
「さぁ、それよりも今日を共にしましょう。終わったら美味しいケーキが待っていますよ、最近取り寄せた茶葉も一緒です」
「がんばります……っ」
それから。
十と数年が経ちました。
母上……いえ。我がエートス家は南南西に位置する僻地の一つに任ぜられ、辺境伯の爵位と同時に地脈を引っ張った領地を与えられました。
「流石母上です」
「我がエートス家は辺境伯となりこの土地を治める。アリストン、お前は次期後継者だ。私が万一があった時は全権を背に負い民を導く事になる、覚悟をしておきなさい」
「はい。とはいえ私としてはいつまでも母上の脛を齧っていたいですが」
「ははっこの愛しい娘ちゃんめ。学問だけでなく冗談まで覚えたか。よし、よし。面白いぞ、母はその冗句気に入った。お前の欲しい物をいつでも手にすることが出来るように貿易には特に力を入れなければな」
領主になってからというものの母上は忙殺の日々。
かく言う私も運営の手伝い、特に書類仕事などに時間を費やしました。
時折クリオスと夜を過ごしては彼から貰った体液で魔法薬学に打ち込み、書類の片手間に魔法を組み立てては休憩時間に実験をする。
息を吐く時間もないとはこの事ですが、そう悪くはありませんでしたね。
「お茶会に母上が出席を……!?」
その報せを知ったのはまた数年経ってからのことです。
正体不明、尊大鋭敏、魔法世界の魔女を束ねる魔女の集会「お茶会」へ客として母上が招かれた事を、ある日私は聞かされました。
「うむ。同伴可能というので娘ちゃんも連れて行こうと思ってな、どうだ?彼女たちの目通りに遭う事で娘ちゃんも普段よりも格別に良い刺激を得られるんじゃないかと思ってな」
「是非とも。」
「いらっしゃいエートスの親子。さぁ座って。まずはお茶を淹れよう」
「お招きいただきありがとうございます」
「楽にしていいよ、娘さんの方もね」
「ありがとうございます」
お茶会で私たちを待っていたのは服も髪も瞳も黒く染まって、肌だけが病的なまでに青白い……おそらく魔女でした。
彼女が魔女であると確信が持てないのは、それだけ強い権限を持っているのであれば、彼女は魔女ではなく魔法使いである可能性もあるからです。
「さて。私たちは君たちにあの土地を与え、任せたわけだ。うるさいかもしれないけどこれも恒例の儀式というか、必要な手順でね。ちょいとばかりその責任について語らせてもらうよ」
「当然です。どうぞ」
「我々は切り拓き、治め、遍く探求する生き物である。輪郭とは表紙であり、壁であり、内地と外地とを隔てる砦である。内にて一を百とする者が安らかにいるのはあなた達が僻地にて壁を築く奉公に他ならない。あなた達が自らの地を得て想いを馳せるのは我々が信じ任ずる恩赦に他ならない。我々とあなた達は一心一体である。ここに、エートス家へ夜の位階を与える」
彼女は賞状を渡す代わりにお茶を二杯、母上と私に渡す。
私は……私は震える手を抑えながら、杯を受け取りました。
魔女の社会は、己を突き詰める社会。
その頂点君臨者が語った言の葉は、私がかつて見た僻地と……
私が悟った善と、同じものだったのですから。
善とは何か。悪とは何か。
母上を輔弼しながら日々想う。
他者と手を取り合う事、技術や理論が発展することは善でしょう。
しかしその究極の形とは何なのか。
善を知った私はどこへ向かえば良いのか……
「最近顔色が良くないですよアリストン。その、ベッドに行きますか?」
思い詰めていると私の夫が心配そうにお茶を持ってきてくれました。
「クリオス……ありがとうございます。そうですね、少し根を詰めすぎたかもしれません。これだけ片付けたらそちらに行きますね」
「は、はい」
「……クリオス」
「……?」
「その、あなたからお誘いいただけるとは思っていなくて……少しドキっとしました。えっと、その……それだけです。ごめんなさい上手く言えなくって」
「アリストン……やっぱり可愛い…………」
クリオスは優しく微笑んで、私の帰りを待ちました。
その日の夜は、久しく幸福というものを体感したように思います。
「魔力の徴収が悪いな。食糧自給率は悪くないが……そうか料理人が不足しているからか。不味い食事は精神を病ませる。肉体・魂・精神の調和が乱れれば魔力の生成効率は低下する……しかしすぐには料理人を育成することも誘致することも出来ない。悩ましいな……」
「失礼します。アリストンです」
「おぉ娘ちゃんか、どうした?」
「民から魔力の徴収について、幾つもクレームが寄せられておりまして」
「その事か……丁度今、母も悩んでいるところだよ」
また暫く年月が過ぎた、その年のこと。
近頃は人口が伸び産業は活気つき、新たに土地の開拓も始まりました。
しかし、そうした産業に力を入れるあまり、税という重要な政に対する意識が欠如し、未納税の者が多く発生し出したのです。
しかも間が悪いことにその数年前から税量を引き上げたため、民は締め上げられていると感じたのでしょう。意見箱には多くの意見もとい、クレームが舞い込みました。
『お前らお偉い魔女がどれだけ立派なのかは知らないけどね、私らのおかげで飯食えてるって事忘れるんじゃないよ、徴収量を元に戻せ、何なら無くせ!』
「この一枚に始まりまして、実に千通程来ております」
「頭が痛い……」
実際のところ、地脈があるため領地の運営に困ることはありません。
しかし多くの領地でそうするように、エートス領においても魔力を徴収し、結晶の備蓄を行っていました。この数十年の備蓄量だけで、エートス領に引かれた地脈の実に一年分に達する事でしょう。
「……」
正直なところ、この魔力税が正しいのか分かりません。
これは搾取なのではないでしょうか?
民は苦しみ、目の前の仕事に集中出来ず、家族は貧困に喘ぐ。
それはこの何通もの便が表しています。
「アリストン、また顔色悪いね」
「そうですね……悩みは尽きませんから」
クリオスは最初から今まで、ずっと私に尽くしてくれています。
母上は最初から今まで、ずっと私にその威光で照らしてくれています。
では私は、何を以て二人に示し表すべきなのでしょうか。
「……より善い、未来を」
私には最高善がありました。
母上が私に与えた名と同じものがありました。
それは人が行き着くべきだと思う、善良で尊く崇高で暖かい理想。
今の私は母上の輔弼をする中で多くを知り、代行に足る力を持ちました。
学問においては時に母上と並び、時に優れる程に暗きを得ました。
故に私の前には道が見え、歩き方が頭に浮かんでいる。
私は悩みました。
それを遂行する事は間違いなく偉大であり美しい事。
しかし、多くの犠牲がつきまといます。
誰も傷つかない理想などない。
進歩には代償が伴う。
それを最初に払うべきは私である。
「な……ん、で……」
「申し訳ありません、母上」
母上は徴収を是とするお人。
以前の意見箱において、その後収束を見せましたが、事の発端が徴収によるものには違いありません。母上はその姿勢を変える事はなく、建言せどもその通りになることはありません。
なら、殺すしかないですよね。
その日、私は最初の血を支払いエートス家の当主となりました。
目標は互いが互いの手を取り合える世界。
母上の死を無駄にしないためにも、最高の善をこの領地に体現させます。
「え……?じょ、冗談だよねアリストン?は、はは……」
「真剣に、何日も何日も考えた結果なのです」
「僕が、エートス領の
私が支払える物は全て支払い、他にありません。
元よりクリオスは私が幼少期に欲した物。
最高善を目指す者が、己の所有物一つに執着してはなりません。
「嘘だ、嫌だ。なんでどうして僕は君のためにずっと──」
「さようならクリオス」
「────いやだ、いやだ!絶対に、絶対に!許さないからなああ!!」
私はその日、初めて手放した物を記憶しました。
また、百年と少しが過ぎた時。
私の領地は成功しました。
民は隣人を助け、書斎に潜り耽ることがあり、山々を登り恵みを享受することあり、魔法道具を弄り、学問を学び、旅人を暖かく迎え、蓄えを考え、私がここを離れて尚も穏やかに発展を続けています。
小さな罪と罰、闘争の代替。
最高善とは多少の悪を認めつつも向き合い続けることを必要としました。
「しかし……」
結局のところ。
支払った代償は確かに存在し、必要とした時は膨大です。
たった一つの領地で百年かかるのですから、遍く人々に伝える事にどれだけの幾星霜が必要となるのか計算も出来ません。私の支払った代価は結局のところ、この小さな卵の中でしか成し得ない事だったのでしょうか。
「ト・アリストン・エートス」
その時、翡翠が私の前に現れました。
彼女は言う。共に理想の世界を作ろうと。
私の全ての人が隣人の手を取り輪を作る最高善を体現する世界。
その手を私は取りました。
アストヒクが遺した神器「脈打つ瞳」を元にして……
善の神へと至り、世界を遍く繋げましょう。