「母上も心配性、いえ細々としているといった方が良いかもしれませんね……こちらでも帰還に備えてクヴェーレ領でも通用するものは用意してありますのに」
近頃学園を巡る騒動が頭をよぎりつつも、母上から届いた手紙を開く。
こうして届いたのは、ただの文通ではない。
我らクヴェーレ領の近郊や私に課せられた母上からの「課題」……任務と言ってもいいでしょう。その修正や追加についてです。とはいえ今のところ一つの問題を除いては上手くいっているのですけれどね。
「────な、え……?」
けれど。
「嘘、ですわ母上。そんな事悪戯にしては悪質でして、よ……」
そこに書かれていたのはあまりにも突拍子もなくて。
「ヤークト領が、亡んだ?」
私の心を崩す一文が刻まれていました。
僻地。
それは、魔女の圏域という、魔女が魔法生物や現象という魔法世界を相手にし勝ち取った安全な領土の輪郭あるいは外邦に位置する防波堤にして砦。私ヒルフ・クヴェーレはその一つ、クヴェーレ家に生まれました。
ヤークト家もまた同様。私たちクヴェーレ家が防衛を主軸とするのであれば、ヤークト家はその逆、こちらから出向き魔法生物を狩り、現象を消し去る方法を取る家でした。
方針は違えど、互いに僻地を担う者としての矜持を持ち、全力で望む姿勢から我々の領地は良好な関係を結んでおりました。
『貴女がクヴェーレ家のご令嬢、時期当主様。私の名はヴィダーと申します』
『えぇ、よろしくお願いいたしますヴィダー
ある日、私にはヴィダーという名の許嫁が出来ました。
ヴィダーは、ヤークト家に出来た男子。
これ以上にない宝であり、両家を繋ぐに足る信用の贈り物でしょう。
『お嬢様、何かお手伝い出来る事は』
『必要ありません。貴方は召使ではないのですよ……また夜にそれなりの量を頂きますので、身体の調子を万全にしておいてください』
『はい!』
素直で、純粋で。ひたむきな良い方でした。
彼は自分が財産であり金の生る木であるとしか見られていないのを自覚しているのに、それでも冷たく接する私に嫌な顔をせず、その日もベッドにいきました。
『クヴェーレ領はまだ余裕はあるものの来たる限界が見えてしまいました。物質の生産数には限界があり、魔力の徴収も脈からの供給にも限界がある。より効率的に、より長期的な方法を新たに考える必要があるのに、魔女の質が上がらない……!』
当たり前の事でした。僻地は内地と異なり、知識の収集や研究は基本的にそれぞれの領で完結しなければなりません。他領と連携することも選択肢の一つですが、彼女らも必死にかき集めた知識を易々と渡すはずもなく、交渉は難航し、自然に流れてしまう事が常です。
けれど現実は、日に日に備えるべき保健案が消えていくもの。一つ増やせば二つ消え、三つ作れば四つを使う。策を練る魔女が有能でなければそれ以上の策は出ず、真綿で締め殺されるようにクヴェーレ領は遠い未来に抵抗する力を失い、その壁が崩れる事でしょう。
『お嬢様、私に手伝えることがあったら────』
『静かにしてください。貴方に出来る事は変わりません』
『……はい。』
冷たくあたってしまった日も彼は悲しそうな顔をしながらそのまま自室に戻りました。そして、その日の夜、今までで最も多い量の素材が私の研究室に密かに置かれていました。
『ヒルフ、お前は内地のアストヒクへと渡れ』
『承知いたしました』
『お前へ課す課題は三つ。内地に集積する知識を吸収せよ、そしていかなる手を尽くしても人材を確保しこちらへ送れ、最後にクヴェーレ領で扱える資材魔法道具────「可能性」を研究せよ』
『承知いたしました。』
ある日、私は母上に呼ばれ魔法学園アストヒクへ向かう課題を言い渡されました。実に理に適い、そして効果的な留学案です。異論を挟む余地もありません。
『お嬢様……その、いってらっしゃいませ』
『……ありがとうございます』
謝る事も打ち解けることも出来ずに、結局私はヴィダーをクヴェーレ領に残してアストヒクへと渡ました。何故、罪悪感がこの胸にあるのでしょうね。
そうして……
「────ヤークト領が亡んだ?」
私が学園で過ごしている間に、ヴィダーの故郷が亡びました。
許嫁、婚姻とは両家に力があってのこと。
存在すらしなくなれば……彼は、ヴィダーは……
「ただの素材。物資の生る木。何も変らないはずですわ」
では何故私はミコさんを見つけた時にあれ程心躍ったのでしょうか。
彼が優秀な素材だからでしょうか。
母上より賜った課題の一つを完璧に満たせる。
しかもまだ弱い故に確実に我が手に出来るから。
「……」
けど、違うのでしょうね。
ミコさんが、ヴィダーの「代わり」になれるから。
だから私は彼を手に入れようとしました。
ヴィダーの役目が無くなれば素材として扱われる必要もなくなって、夫として振る舞う事が出来るようになる、なんて思っていました。
ミコさんは見ず知らずの魔女だから。深く知ろうとも関係を持たなければ心が痛むはずもなく、魔女の摂理、弱肉強食の理通りにしただけと、私に偽って。
「ヴィダー……」
家が無くなれば、婚姻は破棄される。
我が家に残ったヴィダーは私の夫等という高い地位ではなく、領地全体の共有財産として扱われるようになる。私の人ではなくなる、人でもなくなる。ただ精を吐き出すために改造を施された肉人形へと成り果てる。
「そんなもの見てきたはずです。自分の手で作ってきたはずです」
そう言い聞かせても、彼の頭が私の頭蓋の中で焼き付いて離れない。
嗚呼、彼は最後にこそ私を呪ってくれるのだろうか。
嗚呼、それとも彼は最後まで私を呪おうとすらしないのだろうか。
「……大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」
目の前には彼がいました。いつの間にか部屋に入ってきて。
彼は私が傷つけ私が尊厳を踏み躙り、今さっきまでも懐柔して領地に連れて行こうとしていた、貴重品です。無防備にも私の部屋に入ってきたのなら、据え膳を食らってしまうべきでしょう。
「貴女でも泣く事、あるんですか」
「え……」
気がつけば涙が溢れて、手紙を濡らしていました。
「……」
彼は何も言わずに私の隣に腰掛けて、ただそこに居続けました。
嗚呼、ケダモノが。
彼を失い、寄り添われただけで好意を芽吹く畜生が。
死ね、死ね、死んでしまえ。
全て中途半端で、一番大切な時に
恥知らずが。
そのまま水も枯れて、死んで仕舞えばいいのに。
私には、二人の母親がいる。
一人は現クヴェーレ領当主フュルング。私が母上と呼び、尊敬するお方。
もう一人はその妻ゲレーグ。私がお母様と呼び、慕うお方。
二人の母親は魔女社会において至って平凡で、領主においては至って少数派な家族でしょう。何故なら、目的の子供が一人目で出来てしまったのですから。