「……」
「もうすぐ目標地点ですよ」
「そう……ですわね」
復旧中の魔法学園、その廊下の突き当たり。
僕はヒルフと共にそこに辿り着いた。
この廊下は崩壊した学園に点在する"道"の一つであり、肝心要。
誰も来ないはずの要所。
魔法学園には様々な異界へ繋がる道が存在している。しかしその殆ど全てうぃ「境界の魔女」である学園長が管理しているため、本来はこんな"道"に来たところで、何か出来る事はない。
「学園長が僕たちを信用して弱点を教えてるんですよ。やる気出してください」
「……」
「僕まだ替えの杖手に入れてないんですよ、ほんと頼みますからね」
「えぇ」
何を言おうとヒルフはぼうっとした様子で歩くだけで話にならない。
替えの杖を未だに入手出来ていないのは本当なので、"本命"に出会ってしまえば僕は脳無しだ。
そもそもの実力から言っても、主戦力はヒルフなのだし、やる気を出して欲しいのだけど……
「おや……生徒が何故こんな所に?」
「────」
そう頭の中でぼやいていると、角からとある教師が顔を覗かせた。
「ヒルフさんと……そちらの子は?」
辺鄙な場所への来訪者は、外部講師の一人だった。
魔法薬学担当講師であり夜の位階。
名を、ト・アリストン・エートス。
サファイアのような深く美しい青色の髪の毛を腰まで下ろした魔女。
彼女の瞳もまた同じだったけど、それは宝石のように美しかった。
「ミコ・マレガカリと言います」
「……なるほどあなたが。けほん、ミコさんですね。お二人とも、学園に置かれている状況はご存じでしょう。ここはまだ復旧途中の一区画です、危険ですのですぐ寮棟に戻りなさい」
アリストン先生は優しく諭す。
僕たちは、彼女を待っていたと知る由もなく。
「先生……」
「どうしましたミコさん……これは?」
彼女の眼前に学園長の印が刻まれた令状を広げる。
令状には、この場所に近づいたミコ・マレガカリ及びヒルフ・クヴェーレ以外の全ての存在を拘束する事が記されている。
この場所は“道”の一つ。
“道”とは、学園長が作り上げた膨大な結界の内部────特に機密性の高い空間────へと通じる出入り口を指している。
先にも言った通り、普通は“道”にきたところで何も出来ない。学園長の許可がなければいかに高名な魔女とてその“道”を渡ることは不可能だ。
そう、普通なら。
「私は警邏のために通りかかったのですよミコさん。お二人は任務でしたけれど、悪戯で危険な場所にこようとする子がいてもおかしくありませんからね」
「もう一つ、私は学園長から言い伝えられていることがあります」
「どのようなことでしょうか」
「少なくとも今日、教員へは“道”に近づく事がない命令を下しているという事です」
その言葉を突きつけるのと同時に、“道”をの鍵を開ける。
僕とヒルフのみでは拘束に不確実性が生じると提言した結果、学園長から“道”の使用許可が出された。許可された権限は第一から第四までの階層。僕に理解する事はまだ出来なくても、ヒルフならこの結界を理解し扱えるらしい。
……のだけれど。
肝心のヒルフがあの調子だからなあ。
出来ることならこのまま、虎の威を前に拘束されて欲しいんだよね。
「これは……!」
第一階層は薄暗い牢獄のような空間だった。
汚れは見当たらない。けれど幾つもの足枷と鉄格子が備わって、拷問器具すらあるその空間は不気味で。そしてそれら全てが何かしらの魔法を帯びているという事は、素人目でも瞭然としていた。
ちなみに第ゼロ階層はさっきまでの地上のこと。僕に許可されているのは第一から第四まで。つまるところ────僕らでは第ゼロ階層に戻ることは出来なかったりする。
「っなるほど、流石は学園長……いえ、『境界の魔女』といった所ですね。私の防御魔法を掻い潜って、こう、も……重さをかけるとは……!」
「どうですか先生、僕たちもあんまり大騒ぎしたくないんです。無礼も承知です。けど学園長の命ですから……申し訳ないんですけど、大人しく拘束を受けて貰えませんか?」
「ふ、ふ。嫌と、言えば?」
「遺憾ながら、この結界の中で永遠に私とヒルフの二人にご指導を授けていただく運びとなりますね。先に言いますが、僕たちは一定階層を使用する権限を持っていても、地上に出るための権限は持っていませんよ」
返答を待っていると、急にアリストンは立ち上がった。
さっきまでの動きにくさがまるで存在しなかったかのように。
それはつまり。
「学園長の命令に逆らう、という事でよろしいですか?」
「正解です。ミコさん」
「ヒルフ!」
「……分かっています」
────戦いが始まることを意味していた。
戦況は芳しくない。
当然と言えば当然のことだ。
魔女には、肉体、精神、魂の三つの概念が存在する。
魂が肉体を作り、肉体が精神を育み、精神が魂を変える。
そしてその循環により生じるものが魔力である。
故に欠損しようとも肉体は回復し、望めばその想いが魂へと理想を伝え、魂が肉体をデザインを変える。大小問わず、魔女の生態とはそのような理屈の元に成り立っており、それは逆に言えば、一つ欠けても他二つが健全であれば次第に穴も埋められていく事を意味している。
が。
「(適応が早すぎる。各階層に設定された現象は把握したけど、それはアリストンも同じこと。上手く階層を回しても結界の力だけじゃ限界が近い……!)ヒルフ、いつまでしょぼくれてるんですか、やる気出してくださいよ!」
「……静かにしてください」
彼女の心に刻まれた傷と穴はまだ治っていない。
それは自ら行動して治すしか無い。けれど今ここに至っては治療するために行動する事も出来ず、他に考えが行っている中で任務をただ成し遂げなければならない。
穴が空いたままであればその循環は正しく流れず、心が揺らいだままであれば全ての動きが精彩を欠くことは、あまりにも必然だった。
「先生は何故この‘道“に来たのですか!」
それなら、僕一人で足止めをし続けるしかない。
時間稼ぎが戦闘だけとは限らない。
何を尽くしてでもこの人をこの結界に閉じ込め続ける。
「仲間を助けるためです。その点はミコさんであればもうご存知のはずでしょう?私がここに来た理由も、何故“ここ”なのかも。」
「えぇ。ここは学園長がジロフソニアを閉じ込めた異界へ通じる”道“ですから……ただ。何故ジロフソニアのために来たのか。私はそこが気になります」
「そう不思議な事でしょうか?当然、仲間を助けるためですよ」
「仲間、仲間ですか。あんな極悪非道のテロリストが?」
「えぇ。とは言え私としても彼女を肯定しているわけではありませんよ。仕事仲間……協力関係。そんな所でしょうか?それでも仲間なんですから、仲間なら窮地に陥った時、助けてあげるのが善い行いというものでしょう」
「善い行いというのは、テロリストと手を取り合わない事だと思いますが」
ジロフソニア、仲間。
ふと、脳裏にフレスノ先輩との任務の出来事が過る。
『……まさか、またジロフソニアが欠席したのですか?』
バシレイア、クラティラ。
盗聴した際にジロフソニアというワードを出していた、とある人物たちの名前……そしてこの二人は奇妙な事に夜の位階の外部講師で、アリストン先生もまた、夜の位階の外部講師だった。
「まさか。外部講師全て……いやジロフソニアは外部講師じゃない。けどジロフソニアは確か外部講師が来るのと近いタイミングで入学してきた。それに彼女は自分の位階を隠して……」
「おっと。」
アリストンがすかさず仕掛けた魔法を結界の階層を切り替える事で回避する。
拙い事態だ。僕程度が思いつくのなら学園長もきっと気がついていると信じたい。この学園襲撃は夜の外部講師だけでなく、生徒の中にも犯人が混ざっているという事を。
複数人の夜の位階による犯行。
これは……!
「まさか、サバトの素月が学園に侵攻を!?」
「ふむ……」
知られた以上、僕たちを始末しにかかる……かと思いきや、アリストンは僕の驚愕を前に何かを考え、杖をしまった。
「ミコさんは、善とは何だと思いますか?」
「はい?」
そうして出てきたのは、問答だった。
「善とは何であるか、です。悪を挫き弱者を守ること、様々な人が得をする発明をすること、泣いている者の話を聞くこと。様々あると思いますが、貴女にとっての善とは何か、気になったのです」
「……概ね、貴女が今語った通りの認識ですよ。争うことが善いとはあまり思えませんが」
「争いのない世界、私も素敵に思います。実のところ先ほどの戦いも私としては不本意でした。しかし抵抗しなければ夢を叶えられなくなってしまいますからね」
「唐突にこんな話をするなんて、何がしたいんですか?」
「いっそのこと、貴女達も私と共に理想の世界を作る選択肢もあると思ったのですよ」
そう言う彼女の表情は、本当に素晴らしい考えを思いついたと言わんばかりに嬉しそうな顔をしていた。狂気的なまでに、一切の影もなく。
「は……?」
「思った事はありませんか?強者による搾取が魔女の社会では続いていると。力あるものが力ないものから、あらゆるものを搾り取っていくのです。なけなしの魔力、時間、男であれば体液……弱いから尊厳ごと損なわれるなんて、おかしいと思いませんか?」
「それは……そうですけど」
「私が目指す世界はそんな不公平の存在しない世界なのです。隣人は隣人を支え合い、例え実力差に知識の差があれども相手を軽んじず、尊重し合う。そしてこの世界はですね、本当に実現するのですよ」
「……実現?」
話に食いついたのは、僕ではなくヒルフだった。
ヒルフはぼおっとしたまま、ただ興味のままにアリストンの話に耳を傾ける。
「ヒルフ、話に耳を貸すな────」
「私の領地で!……既にこの世界は実現しているのです。」
「……ほう」
「ヒルフ!」
大声をあげようと、ヒルフはこちらを一瞥もしない。
「我がエートス領は正に理想郷と言えます。そして、平和である事は牙が抜けたというわけではありません。外からの襲撃に備え修学と鍛錬もまた怠る事はない。ただ、お互いに憎み合い傷つけあう円環の中から抜け出した、それだけの事なのです。しかし、それだけの事が実は一番難しい」
「そう、でしょうね。誰もが他人を気にする事が出来るほどこの世界は易しいものではありませんから。自分のために他人を奪い取って、自分のために使い潰すのです。そうしないと、自分よりも強い者に使い潰されるから……」
「本当に……本当に残酷な連鎖です」
アリストンはヒルフの言葉に涙を溢す。
演技……とは思えない。わざとらしくも見えるけど、何故だろうか。この人は他人の事で本気で悲しんで、既存の在り方に本気で怒っていると思わせる。
「理想郷……ですか」
「もう一度言いましょう。今やエートス領は僻地にありながら全ての民が笑い、全ての民がその魔法の口先を敵に向けます。隣人にではありません。アストヒクもアナヒットもヴァハグンも……この世界の中で唯一、最高善を体現していると言えましょう」
「ふふ……」
俄かに笑い声が漏れる。
「ふふ。はい、えぇ。そうですね?偽善卿さん」
ヒルフは吹き出すように笑って、その失礼を諫める事もなく先生──
いや、アリストンの夢物語を認めた。
その善、最高善と称したものを、偽善と語って。
「偽善卿……?」
「おめでとうございます偽善卿。あなたの領は間違いなく、紛れもなく、純然に、この世界で最も美しい理念を実現していると言えるでしょう」
「……この理念を貶す事は許しませんよ」
「ミコさん、貴方はどう思いますか?」
「私は……」
二人の視線が突き刺さる。
「正しいと、思う」
「理由は」
「笑顔を表にする余裕があり、人の闘争心の矛先を変え、互いに協力し合う。魔法世界だろうと物理世界だろうとそれは難しい事で、殆ど……不可能だと思うから。それを本当に実現したのなら、それは間違っているわけでも誰かに貶される謂れも無いと思います」
「その通りです」
「「……?」」
僕も、アリストンも。
二人してヒルフの肯定に疑問を浮かべた。
「全くもってその通りなのですよ。アリストン、貴女の所業は正しく偉業です。他のどの魔女もその境地を創り上げる事は出来ないでしょう、自身が悟るだけなら誰だって出来ます。けれど貴女が成し遂げたのは、他者をもその理念の中に取り入れ、持続する社会へと作り替える事に成功しました」
「では何故、偽善などと?」
「貴女があまりにも恥知らずだからです」
半笑いの声が冷たくなる。
魔力はなだらかで、いつだって余裕な態度をしていたヒルフの様子が明らかに変わる。
声も顔も魔力も全てが冷たいというのに……彼女の臓腑は熱く煮えくり返っていた。
「恥知らず、ですか。いいえ、それは貴女たち魔女の方でしょう。貴女たちはいつだって互いに無意味な諍いを繰り返して奪い合い、邪魔をし合い、時に殺し尽くしてしまう。私は知っていますよ、かつて圏域外に存在し全ての種族も性別も関係なく手を取り合おうとした、アルトナインという王国とその末路を」
「私もそれ以外の魔女も関係ありません」
「……では?」
「何回でも言いましょう。確かに貴女は偉業を成し遂げました。確かに貴女は正しい。確かに貴女は善良で、確かに貴女は素晴らしい魔女なのです」
ヒルフは淡々と微笑みながら美辞麗句を並べ立てる。
「しかし貴女はただ一つの責任を、唯一にして絶対的な責任を放棄しました」
彼女の全身が全てを焼き尽くすかのような憤怒を体現した魔力で満ちる。
「輪郭とは表紙であり、壁であり、内地と外地とを隔てる砦である。内にて一を百とする者が安らかにいるのは私達が僻地にて壁を築く奉公に他ならない。私達が自らの地を得て想いを馳せるのは彼女らが信じ任ずる恩赦に他ならない。我々と私達は一心一体である。」
「……」
「貴女は私達辺境伯が唯一にして絶対に守らなければならない契約を破りました」
「一体どこを破ったと?外からの侵略を許した事などありません」
「エートス家の領地は僻地にありながら現象による侵食も魔法生物による侵攻も、その可能性が極めて低い場所です。外部からの侵略を許していないからといって契約を破らないと限りませんし、同時に外部からの侵略を防げなかったからといって契約を破ったとは言わないのです」
「それは……」
反論しようとしたアリストンの言葉は悉く一刀の元に両断される。
ヒルフは迷いを抱えているから、アリストンの甘言に唆されるかもしれないと、さっきの僕は思っていた。けどそれは違った。ヒルフはアリストンが理想郷を作ったと聞いて、自分の悩みを前にその矜持が叫び出していたんだ。
「これは決して忘れてはならない事です。他のどんな雑事があったとしても、辺境伯として外に備えなければなりません。責任を先に果たしてからこそ、私事に取り掛かって良いなんてことは朝日のひよこでも分かることです」
「ヒルフ、アリストンがその契約?を破ったという証拠はあるんですか?努力義務の怠りなんて外からじゃ分からないと思うんですけど」
「分かりやすい出来事が二つありました」
「一体どんな出来事でしょうか」
「一つは、前エートス公の突如の死。私の母上と前エートス公は文通をしており直近の書面には至って健康なことが確認出来ています。とはいえ魔法世界ですから突然死も変死もおかしくはありません」
「……もう一つは?」
「体制の急激な変更。エートス領はアリストンの代になってから運営方針を急転換しました。それも、領地の運営及び防衛に必須となる魔力の徴収を放棄する形で」
「脈があります。問題はありませんでした」
アリストンは断固として反論を続ける。
しかしヒルフは首を振って、またその言葉を断じた。
「確かにエートス領が設立する際に地脈を引っ張っていましたね。だから分かりやすいんですよ、貴女は。貴女は内地でぬくぬくと育った雛と結局変わらない。貴女は僻地が備えるべき圏域外より来る脅威をまるで知らない」
「知っています」
「知っていたら地脈一本程度で使用可能な魔力量に満足していないでしょうね。一度の侵食と侵略でどれだけの魔力が費やされるのか体験したことないでしょうから」
「……」
その言葉を前にして、アリストンはついに黙ってしまう。
目の前にいる少女が背負う責任と見てきた景色が、どれだけ自分と異なるのかを理解したから。自分は壁を守りながら理想を叶えたと思っていたら、その実は自分もまた壁に守られていたという事実があったから。
「貴女が契約を破ろうとも、貴女が理想を追い求めようとも、実際のところ私には関係ありません。私もまだ嫡女ですし、実力も母上には遥かに劣りますから」
「ヒルフ……」
「……けれど。」
少女はその目に闘志を滾らせ、杖をサファイアへと向ける。
同時に蒼い炎が立ち昇った。
それは彼女の精神が復調し、魔力が流れ、滅さなければならない怨敵を目にした事を示していた。
「貴女が学園の敵であり、守るべき矜持を忘れ去り、今まさに害敵になるのであれば。ヒルフ・クヴェーレの名において貴女を討ちましょう。辺境伯ト・アリストン・エートス」
景色が変わる。
第一から第四までの世界が移り変わり、未知の世界へと世界が書き換わる。
沈みゆく太陽が山々から僕たちを覗き込み、登りゆく満月が僕たちを見下ろしている。
太陽は山々という檻の中にいる。
月はその鍵を手にしている。
太陽は囚われているというのに傷一つなく輝いていて、自由のはずの月は傷だらけで月光はくすんだ色をしていた。月光は太陽の光を反射したものだから、未だにその光は輝きを取り戻せていないのだろう。
「これは────まさか、あり得ない」
それでも……
「私は決断します。領を背負う事を……そして彼も救うことを」
「二兎を追うものは一兎も得ず、ってことわざ知ってます?」
「ふふっ……それは負け犬の教訓でしょう」
彼女は僕の冷やかしを笑って一蹴し、立ち上がる心と共に言い放った。
「覚悟なさい。今日、魔女の夢が一つ覚める事になるのですから」
「────どうして脈もないのに『創世魔法』が使えるのですか!?」
月明かりが一際強く、沈み行く夜を照らす。