創世魔法。
結界・空間魔法の極地にして、至高と呼ばれる魔法。
創世魔法は名前の通り世界そのものを創りだす。世界のデザインも世界の法則も術者の思いのままで、その中では術者こそが全能の神とすら呼べる存在になる。
欠点はある。
それは必要な魔力があまりにも膨大すぎること。
話によれば、創世魔法に必要な魔力は霊脈以上の脈と直結して魔力供給を受け続けなければいけないらしい。原発が大量の冷却水を必要とする……のとは違うと思うけど、膨大な量を必要とした膨大な力という意味では、僕の追いつかない理解には丁度いいのかもしれない。
そしてその膨大な量の魔力は、僕が負担していた。
「────っ!!」
自分でも制御出来ない量の魔力をヒルフは手綱を握って操っていた。
子供の頃の体験と、ススピロとの最初の決闘で少し理解したことがある。
魔女がそういう生態なのか、それとも僕独自のものかはわからないけれど……双方向に感情が強い状態でぶつかり合った時、あるいは感情に代わるその人たちの大きな────今であれば、膨大な魔力が接触した時だろうか。
僕の心に、相手の心が映り込む。
☆☆☆
『お嬢様見てください。今日は桔梗の花を生けたのです』
寝室にいた。室内の殆どがボヤけてよく見えない。辛うじて分かるのは窓が開け放たれていることと、カーテンが柔らかくたなびいている事が見えるくらいだろうか。
その小さな世界の中心には、小さな太陽があった。
太陽は眩しくも熱くもなくて、ただ優しい明かりと温もりを持っている。そして目の前のボヤけたテーブルの上に、桔梗の花を生けた花瓶を見せていた。
この目には、太陽と、桔梗の花だけが鮮明に見えていた。
「この人……この太陽がヴィダー、なのかな」
声が出ない。身体も動かない。
記憶の動画ファイルが再生されるように、僕からヒルフの声が発せられる。
『そうですか』
淡々とした、とても冷たい、たった一言が静かに部屋に響く。
反面、僕の胸の内は太陽への淡く穏やかな好意と、愛着物を喪う事への恐れが捻じれて存在し、その恐れ故に、好意を取り払うという逃避的な考えが頭を支配していた。『好きでもなければ失っても構わない』から……
ヒルフのことがまるで一人称のようにも三人称のようにも思える。
まるで夢の中を彷徨っているような感覚。
早送りのように季節が切り替わっていき、窓から見える木の葉が咲いては散っていく。その中でまた気がついたのは、窓から見える木の、その更に奥が見えることだろうか。
部屋の中はボヤけていても、窓の外は鮮明に見えた。
特に、外の更に外、壁の向こうが。
そこでは大量の巨大で恐ろしい魔法生物が秩序立たない群れで押し寄せる光景が焼きついていた。地中から魔法が飛び出して、壁から魔法が飛び出して、時には魔女が繰り出して、領の全ての力を動員して押し寄せる魔法生物を撃退する。
完璧な撃退、と呼べるシーンは数える程しかなかった。
何れかの部位を欠損した者、大きく損壊した壁、建物。
そして死者……
争いが終われば必然的にその全てが溢れ出る。
それらを目に焼き付ける事の裏腹に、心は焦りと動揺に常に動かされていた。
それでもヒルフは心と面を切り離し、嫡女として相応しい振る舞いを続ける。
何故なら、その作戦を計画したのはヒルフだったから。
『私は嫡女として生まれた以上、勝手に死ぬことは許されない。より効率的に母上の叡智を引き継ぎ、修め、民を導き壁とならなければいけない。私の手には多くの命が載るけれど、私が指揮棒を振えば当然手にしていたはずの命が溢れていく。それに慣れなければならない。』
絢爛なはずの寝室は、相変わらずボヤけて見える。
豪華なはずの食卓は、相変わらず無味でしかない。
楽しいはずの夜伽は、相変わらず悍ましく感じた。
そうして彼女はただ生まれたが故の特権と幼少期の残酷な太陽の要求を思い返すたびに……彼女は、己の全てに価値が無いように思えて他ならなかった。
『お嬢様、今日は冷えますよ。どうぞお茶をお飲みになってください』
『そこに置いておきなさい』
その度に太陽はヒルフへと声をかけた。
温かいお茶が喉を通り、部屋の中心には百合が飾られている。
早送りされていく記憶の映像のどの瞬間にも、太陽と花は鮮明に映っていた。
凍てつかせるしかない心が溶かされて、傷にお茶が染み込んでいく。
痛い。
温かい。
シクシクと泣き出したくなる。
この人をもし失ったら……
たまにそんな考えが過ぎる程、心は雨に降られたように冷たく濡れて痛くなる。
『お嬢様見てください────』
『お嬢様。今日は────』
『お嬢様────』
『やめて……』
胸の内には静かに塵が積もっていった。
罪悪感という名の塵が。
映像が送られていく度にその塵は積もり、重くなる。
まるで砂時計のように。
どの瞬間にもヴィダーはヒルフに心配をして、どの瞬間にもヒルフの心を温めようとしている。太陽と花はいつだって罪悪に押しつぶされそうなヒルフの心を温かくして、そして心には新たな塵が降りかかる。
『ヒルフ、お前は内地のアストヒクへと渡れ』
ある日、ヒルフは母親に呼ばれた。
魔法学園アストヒクへ向かう課題を言い渡された。
母親の顔は刺すような明かりがあって、眩しく、見る事はもう出来ない。
『お嬢様……その、いってらっしゃいませ』
出立前の一日のことだった。
その日、初めてヴィダーの顔がとても沈んで、悲しい色を見せた。
太陽は精一杯の明るさと暖かさを発しようと空元気になおるけど、暖められるべきなのはヒルフではなく、彼の方である事は明白だった。
『……ありがとうございます』
それでもヒルフは踵を返す事なく、背を向けたまま凍てついた言葉を返した。
塵は最早大山を成して、土台を崩さんとするばかり。
けれど心の荷を下ろす術も引き返す事も彼女には出来ない。
本当なら妻として彼を抱きしめてやるべきなのだろう。安心させてやるべきなのだろう。必ず帰ると言葉だけでも尽くすべきなのだろう。
でも、そうして距離を近づけて彼が死んだら、自分はより深く傷つくだろう。
結局のところ、この選択をしたのは自分自身だったのだから。
義務と情の狭間に、失い傷つく「かもしれない」未来に一人勝手に怯えて、彼を突き放し続けたのは自分だから。半端に好きになって、どこに行く決心をつけなかったのは、他でもない自分だから。
心は凍らせた。
馬車で自領を経った時、心の太陽から目を背け記憶の奥底に鍵をかけて。
もうこれ以上私心を乱すのは止めようと決めて。
全てはクヴェーレ領のために。
全ては内地のために。
全ては壁として機能するために。
僻地を守るためなら己のために奪って見せる。例えそれが守るべき内地の者を害することでも、彼女は心の罪悪を犯して使えるものを使い、己共々使い潰す。それが、彼女が生を受けた理由だと、信じるしかなかったから。
────今この時までは。
☆☆☆
「うぐ……頭いったい」
「ようやく目覚めましたか」
意識が戻ると僕は桔梗の花畑の中で横たわっていた。
先ほど見た山々は蒼炎の元に焼け溶けていて、満月は爛々と輝いている。
よく見れば、山々と、太陽と、月以外の全てはボヤけていた。
けれど僕の足元に広がる花畑はピントが合っていて、鮮明に美しく映る。
「ススピロさんが仰っていたのはこの事だったのですのね。はぁ、乙女の心に無断で立ち入り覗き込むとは、見損ないましたわミコさん」
「自分で制御出来たら苦労してないんです。あとそう言いながら笑ってるでしょう!」
「ふふっ」
ヒルフは不快を示すどころかスッキリした顔つきをして僕をほくそ笑んでいる。
「こうも手強いとは、流石クヴェーレ家の嫡女だけあります。しかしここまでです……!」
衣服の殆どを失い重度の火傷を負っているアリストンの前面に、光を乱反射する青色の結晶体が形成されていく。結晶の中では光と魔力が増幅され、一点に集いつつある。
「創世魔法も結界魔法には違いありません。世界の強度を超える損傷を受ければ崩れ去る……貴女の世界は美しいですが、私も、私の世界を守らなければならない。そして……」
結晶に凝縮される光が直視出来ない程に強くなり、同時にアリストンの杖と腕が塵となって消えていく。おそらくは、杖が無くなった時、その瞬間が来るのだろう。
「そして、私が犠牲にした母上と彼に見合うだけの世界を作らなければならない!!」
「ミコさん、今一度お力を。」
ヒルフの言葉に無言を頷く。
今回は「私」を締め上げる必要はなかった。
お互いの意見は一致し、井戸より水を汲み上がり続ける。
その大量の水を呑み干すのはヒルフだ。
……何故意見が相違しないかって?
恋する人を応援するのも、己の罪を見つめようとした人を応援するのも……
そして、選択をしようとする人を助けるって事は、善い事でしょう?
「塵の山に火をつけましょう。その全ての業火と共にありましょう。私は全てを掴む事を選択するのですから、私が損ねた全てとこれから損ねる全てを背負いましょう。」
言葉と共に太陽と月が消えた。
代わりにヒルフの杖の先には白い炎が燃え盛り、目も眩む程の極光で以て対峙する一つの光を見据えている。今やこの世界の光源はアリストンとヒルフの二つだけとなった。
「「……」」
カッッッ!!
杖が崩れ去る音を合図に光と光がぶつかり合って、視界が真白に塗りつぶされる。
対峙するのは完成した理想と未熟な我欲。
魔法の練度だけで言えば、アリストンに勝てるはずもない……けど。
「貴女の口から溢れた言葉が本当なら、僕も貴女を否定します。大切な人を犠牲にしなければ成し遂げられない善が、最高なわけないでしょう!!」
「貴女に何が……!なに、が……?」
ヒルフには太陽だけでなく、今この時は
アリストンは光の中で光を見ている。
理想を既に実現したのにも関わらず彼女は最後の最後まで星に成る事もなく、ただ天上に浮かぶ星々の光を眺めるしかない。星に成る事が全てではないとしても、到達したはずの彼女が意思の極限に至らなかったのは……
「────クリオス、ごめんなさい」
彼女にも、振り切る事の出来ない未練があったからなのだろう。
「ふ、ぅ。アリストン先生は……」
学校の廊下……であった場所に戻る。創世魔法とその外側にある学園長の結界ごと吹き飛ばして、ついでに現世の廊下も吹き飛ばしたのか更地になっていた。遠くに見える寮棟の高い屋根が、僕たちの帰還を遅れて知らせる。
「再生は……しないみたいです。塵になって……あ」
アリストン先生は半身を吹き飛ばされて、もう動かなくなっていた。肉片の一つも増える事なく、彼女は己の人生を打ち砕かれて消えていく。
ぱさっ。
「は。ははは……こう、なるんだ」
彼女が消えて無から一冊の本が落ちる。
「『ト・アリストン・エートスの紀行録』」
死人に口なし。
彼女は今後、その人生を全ての生者に曝け出される事になる。
「それをこちらへ」
ヒルフへ本を渡すと、彼女は静かに火に焚べた。
僕も何も言わず灰になるまで見届ける。
「さぁ、帰りましょう」
ヒルフは一輪の百合を灰の山に刺した。
それはモノクロの世界にあっても美しいと思うほどの、白だった。
この日、一つの夜が明けて。
一つの夢が覚めた。