アスタファイオスの理念は良い隠れ蓑となり、ぼくが結界に潜り込む良い囮となった。
ぼくは深く、奥深くへと潜っていく。道中に存在する千を越えた結界断層はぼくが通る前より既に幾つも破損していて、またその幾つかには死んだ根が残っている。ジロフソニアはかなりの深度まで根を伸ばしていたらしい。
「独断専行も甚だしいけれどね」
愚か者は嫌いだ。死ねば良い。
だが、人には捨てるところが少ないともよく言う。
とりわけ、ジロフソニアのような快楽主義者や、アスタファイオス、サバオートのような理想主義者は却って扱いやすい。今回はまさにその使い所だった……機を狙うサバオートをどのタイミングで始末するかには頭を悩ませるが。
「……!これが、神器『脈打つ瞳』か」
結界の最奥、潔癖なまでの白い空間。
白い空間の床には幾つもの溝があり、また天井には作り物の月が下げらえている。
そこには静かに涙を流す一つの目玉があった。
涙が一滴落ちると、そこには大河が生じる。大河は溝へと流れ、その川を速やかに分断し、小川を作り、結界を越えて水を運んでゆく。その川の水全ては魔力だった。
ぴちゃん、ぴちゃん。
不定のリズムで涙は流れる。
一体誰が彼女を悲しませているというのだろうか。
思い出か、あるいは人の世に流すとでも言うのだろうか。
「神らしい傲慢さだな。お前達は生まれた瞬間から死んだようなものだというのに、人の情などを残すとでも言いたいのか?理不尽の化身どもめ、お前達に、泣く権利などあるわけないだろう」
偽りの怒りが空間に木霊する。
誰もぼくがいることを知らないから、誰の反応も返ってこない。
「……」
ここでこの神器を手にすれば、他の誰を待たずとも計画の最終段階に進むことが出来るだろう。それどころか他のメンバーの妨害に遭うこともなく、また学園側の妨害に遭うこともない。ぼくは母親から受け継いだこの怒りと憎しみのままに、神へと昇華し、続く神が飛びゆく空の天蓋となれる。
「いや、今は……やめておこう」
だがどうしてだろうか。
脳裏にはずっと彼女の顔が浮かぶ。彼女の声が木霊し続ける。
「……もう一度だけ会いたい。そうだな、一緒に授業でも受けようか。いや最後の出会いに愚母がいるのは耐え難い。あぁそうだまた喫茶店にでも入ろう。二人でコップを傾けながら何でもない話をするんだ、僕たちのどうしようもない話を交換して、やるせない気持ちを吐き出す……」
この後に及んで何を言っているのだろうか。
引き返す事は出来ない。全てを彼女が知ればどんな事情があれど、もうそのままではいられなくなる。そしてぼくは彼女に傷を残す事になる。
ぼくの道は全て敷かれたレールで、ぼくはトロッコに乗せられ走り続ける。
ブレーキは存在せず、出来る事は線路を選ぶことだけ。
星は選択の中で走る火花と共に輝き生まれた。
『ど、どうして……?私たち何か間違えたの?』
十年ほど前のこと。
ある日、小国を一つ滅ぼした。
200年も前、ノドが亡ぶ時のこと。元より友好的な関係を築いていたはずのその国が、いざノドが亡んだ時になって我関せずの態度を示した。だからその仇を、200年越しに返した。そんな話。
馬鹿げている。
200年も前のことを誰が覚えているっていうんだ?
亡んだ場所に人を寄越して何になると?
その憎悪の張本人さえ、わたしに全てを押し付け全てを忘れ去ったと言うのに。
『はは……いい様だ……うぷっ、ぐぽっ……ぉえええぇ!!』
わたしは与えられた感情と怨恨のままに、潜伏した頃世話になり共に過ごした少女ごと、一つの国を焼き払った。身の震える快感と、悍ましい吐き気がわたしに降りかかる。
そしてそんな事を五度繰り返した。
『あは、ははは。なんでみんなうごかないの?』
『へんじしてよ』
『わたし、いつまでこんなこと……』
憎い。私の国を見殺しにした魔女共が。
憎い。私の国を亡した神という存在が。
憎い。わたしに全てを押し付けた母親が。
わたしの道には初めから選択肢なんてものは無かった。
『────お願い。こんな国、もう亡ぼして』
自らの意志は、初めて選べる選択肢と共に目覚めた。
最後に殺した国は星宿しを檻に入れ、魔力を搾り取り、民に撒いていた。
その娘は天星者故に制御のしようもない事が理解出来てしまった。
けれど魔力を接収する技術はあまりにも拙く、体液を介してしか魔力を抽出する事の出来ないほど酷くお粗末なものだった。
肝心の民が悪者だったわけではない。一文無しのわたしたち親子に宿と食事を与え、仕事を紹介し、隔てなく接してくれた。けれどその余裕ある生活が一人の犠牲の元に成り立っている事は誰も知らなくて、誰も気にする事もなくて……
女王に嘆願せども、爆弾を野放しにするつもりもなければ、脈に代わる財源を手放すつもりもない。このままの体制でいる限り当分国家は安泰するから……
『ありがとう、プロドスィア』
だからその日、国を亡した。
その国は母親の怨恨の対象ではなかったから、それはわたしの選択だった。
目の前で星の光が消えていくのが見える。
この手には彼女の心の臓を貫いた短剣が握られている。
わたしはその光がとても美しくて、儚くて、消えてほしくないと思った。
けれど尊厳の全てを喪っていた彼女に生きる選択肢は残っていなかった。
わたしに出来ることは……無辜の民と女王の血を手向けとする事だけ。
「そうか」
わたしはその光が消えるのを見届けて、酷い耳鳴りと共に己の内から湧き上がるあらゆるものへと向けられた悍ましい憎悪を認めた。全てを押し付け忘れた母親、何も知ろうとしない民草、前へと進もうとしない統治者、その全てに手をかけるわたし。
わたしは「悪性」である。
人を妨げる者である。
人の願いを叶え、その願いにより他の願いを手折る者。
発展を妨げる。恨みを晴らす。後ろへと進む。
人類に仇なす事しか脳のない存在。
それがわたしだった。
……でも。
「ミコ、わたし……本当はね。あなたともっと話して、もっと遊びたかった。もっと早く出会って普通の魔女として……ううん。星を宿す者だから普通ではいられない、でも……でも。」
わたしはもっとあなたと時間を作りたい。
だってこの道は人から離れる道だから。
わたしが負わされた憎悪に、わたしが成り果てる道だから。
初めて出来た友達と、もっと一緒に時間を過ごしたい。
けどその道へと外れる事は出来ない。
わたしの憎悪は決して消えず、犯した罪から逃れる事も出来ないから。
例えそれがわたしの自由意志でないとしても、わたしは背負ったものを最後まで運ばなければならない。それが唯一わたしに出来る選択だから。
『うーん。それなら少しだけ待つくらいはいいんじゃないですか?』
「誰!?」
わたしが一人仮面を外していると、溌剌とした少女の声が聞こえた。
「ま、まさか……この神器しゃべ……!?」
『違う違う!ごめんそれは喋んないよ!』
少女の声は慌てて訂正し、この結界の最奥に姿を現す。
金色の髪の毛に挿さったカチューシャ、宙のような美しいワンピース。
この場に似付かない、いささか当世風に過ぎる女の子だった。
「けほん。さぁ、自己紹介からしましょうか?私の名前はペルラ・ディアマンテ・プラティーナ。人は私のことをこう呼びます、詩の神ペルラと!」
「詩の、神……!?」
神と名乗っただけで、心の底から怒りが噴き上がる。
植え付けられた間欠泉はわたしの心を焼いて、酷く痛んだ。
そうして再び咀嚼する。
あぁ、わたしは本当に偽の人生を歩んでいるのだ、と、
「あ、あれ、目が怖いですね?私何かしちゃいました?」
「いや……何も。申し訳ないペルラ様。いきなり神が目の前に現れるだなんて信じられず動揺してしまったよ。いやはや、悪い事していると心臓がドキりと胸打つから、やらない方が良いものだね」
「ふーん……?さっきの口調の方が可愛らしいと思いますけど、でも男の子っぽい口調も似合ってていいですね」
慌てて仮面を被り直すと、その様もつぶさに見つめて見聞を受ける。
「それはそうとね、貴女が今迫られている選択はもう少し延期しちゃってもいいんじゃないって神様は思いますよ。どうせバックドアは作ったんでしょう?なら別に今やらなくったっていいじゃないですか〜、悔いが残らないようにしておきましょうよ!」
「突然現れた貴女にぼくの何が分かると?それに────」
「まぁまぁそこは神様ですからお見通しなんです。でもほら、違わないでしょ?」
同意はするが、もし今この場で実行に移さなかった場合、他メンバーと学園とでこの神器の争奪戦が間違いなく始まる。犠牲者は大勢出て、確実にプロドスィアに課せられた使命が果たせるかは、分からなくなる。
「
「今更……ぼくに生き恥を晒せとでも?ぼくの手は真っ赤に濡れて、今この時ですら彼女たちを脅かしているというのに?ぼくには────」
「そうですよ」
彼女は笑顔でわたしの言葉をぶつ切りにした。
「生き恥。結構じゃないですか、死ぬよりマシです。私にも友達はいたんですけれど、彼ってば狡賢くて幸運にも恵まれてて、いっつもやらなきゃいけない事から逃げてるギャンブルカスだったんですけど……でも、ちょっとした縁で一緒に旅をした時、ヤバい魔法生物と出会った時に私を庇って死んじゃったんです」
「……」
「あんなカスは死んでも誰も困らないって思ってたんですけど、その時は落ち込みました。時間が経ってから思ったのは、庇うんじゃなくて私の手を引っ張って一緒に逃げて欲しかったって事でした」
今でも苦い思い出なのか、彼女は苦笑を浮かべて頬をかく。
「神様だろうと人だろうと魔女だろうと、悲しいものは悲しいし。詩は詩であって、詩の通りの悲劇が現実で起きるのは誰だって嫌でしょう?」
「まともな事を、言うものだね」
「そりゃあまともな神様を自称してますから!」
誇らしげに胸を張る。
生き恥を晒してでも……生きる?
自分の人生が本物かも分からないというのに、まだ続けなければいけないのか?
「だからね、プロドスィアちゃん。自分の心に嘘つかないで、とりあえずその子ともう一回会ってみればいいんじゃない?私は死んで欲しくないけど、その道を歩くのならせめて後悔はない方がいいよ」
「神の助言に従うのは不服だけど……そうするよ」
結局、ぼくはペルラの言葉の通り、その場を後にした。
もう一度だけ会おう。
他の全ての真偽は最早分からない。
けれどこの学園に来て出会ったミコとの思い出は本物で。
もう一度会いたいというこの想いは真実だから。