帝国暦473年 帝都オーディン マッケンゼン邸
ゴットフリート・フォン・マッケンゼン
俺はこの世界が銀河英雄伝説の世界だと知った。ならば俺の取るべき道はどうするべきなだろうか。
あっという間の3年間だった。前世で読んだ様な技術革新や内政チートなどの銀英伝の二次創作の様なことは残念ながらできなかった。理由は簡単で我が家にそこまでの資金力はないことが理由である。
武門の名家として名声を得ているが、裕福な他家の帝国騎士とでは大きく異なるだろう。
それに公爵や伯爵といった爵位を所持している貴族たちとは、豊かさが大きく異なる。
わかりやすく言えば、我が家はロイエンタール家よりやや下と言ったところであろうか。
こういった背景や我が家の成り立つ歴史からブランシュバイク公やリッテンハイム侯といった門閥貴族達からは武門の名家ではあるが、ただの帝国騎士よりマシ程度の認識しかないのであろう。
やろうと思えば確かにより豊かな家になることもできるのかもしれない。
だが、初代様からの教えで清貧を旨として良き騎士となり男子は帝国軍人となることが求められている。
やはり青眼帝に仕えた初代様が自らの子孫達が青眼帝を苦しめた貴族達の様になることを防ぎたかったのだと思う。必要以上に豊かな生活を送らずに、軍人となり帝国を守護することを願ったのであろう。
状況を整理しよう。まず第一は家族を守り抜くこと。そう遠く無い未来、ラインハルト・フォン・ローエングラムという一人の覇者が帝国の覇権を握る。帝国貴族はおおよそ三千家あると言われていたがその多くが滅んだ。多くの貴族家を滅ぼしたことについて非難はない。彼らの多くは特権によって腐敗、堕落していた。
ロイエンタールではないが才能によってではなく血統によって政治権力や特権を世襲する者達の何処に正義が有るのだろうか。ましてや彼らは平民や下級貴族に対して横暴な振る舞いをしていた。
それが銀河帝国を築いたルドルフの頃から五百年になる。人々の怒りや憎しみ、苦しみは、一体どれほどのものであっただろうか。だとするならば、やはりラインハルトは彼らの怒りの体現者とも言うことができるのではないだろうか。
まず、やるべき事は帝国軍人になる。我が家では帝国軍幼年学校には進学させずに、家庭教師や退役した軍人から直接教育を受けることを初代様からの教えで続けている。入学出来る年齢つまり今年であるのだが士官学校に進学する。
そして、ラインハルトが覇権を握るまでに将官に出世して正規軍の艦隊司令官になれなくてもラインハルトに対して意見具申できる様な立場になりたい。それでどうにかジークフリート・キルヒアイスを生存させて原作の世界線よりも良い世界線にしたい。彼の生存は帝国のより良い未来を創り上げるのに欠かせない存在なのだから。
…これはひどい矛盾なのかもしれないが俺はヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラム
この2人にはどちらにも幸せになってほしい。
やはりいけないな…どうしても自分がこの世界の一員と言う自覚がこういうところでは湧いてこない。
もう以前の様な1人の読者ではないのに…そんな贅沢は許されないのに…これからは1人の読者ではなく、この世界に生きる1人だ。家族に危害を加えるようなら、この2人と敵対しなくてはならない。
それに軍人になればラインハルトは兎も角、ヤン・ウェンリーとは戦場で命のやり取りをすることになるだろう。
そんなことができるんだろうか…。どちらの人物も思い入れがある。
ヤンが命を落とした時は三日間泣くことになった…結果を知っていてもOVA版のアニメを見た時はもっと酷かった。仮に好きな創作上の人物は誰かと言われたら、彼の名前は上位に上がるだろう。
仮にヤン・ウェンリーが丸腰で目の前にいて自らの手にブラスターを握っていたとして、俺は彼を撃つことができるとは思えない…ヤン・ウェンリーを亡き者にすれば、命を落とすであろう人々が生きながらえることになるのではないだろうか。…だが一個人を殺めてこの戦争が終わるのか。それにそんな行いは騎士として恥ずべきことではないだろうか。正々堂々と戦場でヤン・ウェンリーを倒さずに、名声を得る以前の彼を暗躍・策謀して暗殺などによって屠ればそれは誇り高い騎士ではなく俺はただの人殺しになってしまうのではないだろうか。
たとえ150年間戦争をしていようともこんなことをすれば、憎しみや怒り欲望によって他者を殺めた殺人鬼とどんな違いがあるのだろう。そんな行いのどこに正義があるだろうか…
戦争をしているからこそ、決して超えてはいけない境界線と言うものがあるのだと思う。その境界線を超えれば、ただの獣に成り果て人ではなくなってしまうのではないだろうか…
もしもオーベルシュタインあたりが聞いたら、『何を生ぬるいことを…綺麗ごとでは、銀河系から戦争はなくならん。たった1人の犠牲で死傷者が数十万、数百万単位で減るならば、それこそ正しい行いなのではないか。卿はくだらん軍事ロマンチシズムに囚われている。』とでも言うだろうか…自分が甘い考え方をしているのはわかっている。
戦国時代において謀神と謳われ一代で中国地方に覇を唱えた毛利元就は『謀多きは勝ち、少なきは負け」と言ったとされる。これは核心を得ていると思う。
どんな手を使ってても、勝利を望むべきなのではないだろうか…
わかってはいるんだ…綺麗事だけでは済まないと言うことを…軍人ならば部下を1人でも多く、生きて帰りを待つ家族に再開させること、そして必ず勝利すること。この為ならば、名誉や面子など邪魔なものだと言うことを分かってはいるんだ。越前の朝倉氏の名将と謳われた朝倉宗滴は『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候』という格言を残している。優しくこれは武人として軍人としてのあるべき姿だと俺は考える。
それでも…甘い世界ではないと言う事をわかっていても俺は…。
…いや。こんなことを考えること自体、おこがましいことだろう…。
こと軍事においては、常勝の英雄ラインハルトを戦術レベルにおいて互角以上でありながら権限さえあればラインハルト以上の戦略で帝国を追い詰めただろうあのヤンに俺が勝てるとは思えない…。
例えどんな手段を使ったとしても、あの2人に俺が勝てることなんてありえないだろ…
それにだ、俺が直ぐに戦死することだったあり得る。そんな考えてもどうしようもないことを考える自分自身に苦笑した。
座っていた椅子から立ち上がって、窓から外の景色を眺める。今日もいい天気で過ごしやすい日だ。
庭は、母が丹精込めて世話をしているからか薔薇は旬を迎えて美しさを増して、心を奪われる程に美しい。今までは嫌なことがあれば、母上の庭を見てすぐに元気になった。
しかし、今の俺の心はそんな美しい光景を見ても少しも晴れなかった。ため息を吐くと白い息が出た。
今までにないほど強く揺れ動き、考えが定まらない。今年で16歳になり来年には士官学校に進学する。
考える時間は限られている…。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかロイエンタールやヴィッテンフェルト、それにワーレンといったラインハルトの抜擢と彼ら自身が持つ才覚によって名を挙げることになる彼らとは同期になる。士官学校でも関わる機会があるかもしれない。
話を本題に戻そう。ラインハルトとヤンという2人の英雄がこの銀河系で熾烈な争いをしたからこそ、銀河系の統一につながったのではないだろうか。仮にあの2人が登場しなければどうなっていただろう…。さらに150年たっても戦争は終わらなかったのではないだろうか…。
机の上に飾られる家族や我が家に仕える全員と撮った写真を眺める。
新しい家族が1人増えており、姉上の側でどこかぎこちない笑顔を浮かべている少女が目に映る。
彼女の名前はアリーゼ・フォン・マッケンゼン。
父上の親友であった方が戦死して身寄りのいない一人娘であったアリーゼは、半年前に我が家の養女となった。
事情を聞いた母が父上と相談した上で引き取ることを決めたそうだ。
僅か5歳で天外孤独の身の上になってしまったアリーゼは、以前はよく笑う天真爛漫を絵に描いたような子供だったと言うけど我が家に来てから1度も心からの笑顔見たことがない…。まさしくこの時代は、こんな光景が宇宙の至る所でも見られる光景で反対側でも宇宙でも同じことだ。全く関係がない子供がこんな悲しい思いをする必要はどこにあるのだろうか。
いつの時代だって戦争で1番被害を被るのは、なんの罪もない子供だ。人類は永遠と戦争を初めては止めるを繰り返している。これは人類の歴史が証明している。争うことを批判するつもりはない。争いや競争によって人類の文明はより進化してきた。だが、戦争は許容できない。
新たな秩序や覇権を握るために戦争が起きる。そして戦争を終えるときには、人の命ほど大事なものはない。この繰り返しが延々と続いて来た。まさにヤンの言う通りで、21世紀の日本で生まれ育った前世よりも歴史を経た現世はその悲惨さと愚劣さが一層増して感じられてならない。
考えが定まらず、悩み続けるが、この決意だけは絶対に変わらない。
俺が生きているうちに、必ず150年続いた戦争を終わらせる。
鈍い痛みを感じて手のひらを見ると自分でも気づかないうちに、拳を血が滲む程強く握り締めていることに気づいた。慌てて机からハンカチを取り出して、傷口を抑える。ふとそういえばこんなことが、前にもあったなと美しい刺繍が施されたハンカチを見つめて過去に思いを馳せた。
帝国暦472年
「どうぞ。」部屋で読書をしていた俺はノックに対して返事をした。ドアを開けたのは執事のマティアス・フォン・クイリッツだった。父上より年長で既に40歳を過ぎているがだが若々しく、力持ちだ。とても優しくて、俺や姉さんにも献身的に仕えてくれている。そして何より、軍事教育の先生だ。戦史にはじまり、戦略・戦術・補給や軍人としての心構え、果は地球時代の兵法から白兵戦など軍人となる上で知らなくてはならないことを教え、それ以外にも同盟の言語や経済や文化と言った様々な視点で俺に徹底的に教えを授けてくれている。今までに父上と共に何度も戦場を渡って来たそうだ。退役してからは父親の後を継いで我が家の執事になっいる人物だ。
厳しくもあるが、大好きな師匠。そんな彼はいつもよりも顔がうれしそうだった。しかし、俺の顔を見るなり表情が変わる。
「若。私の出した課題は終わられたのですか?」そう俺に聞いて来た。
「大丈夫だよ。ちゃんと全部終わらせて本を読んでたんだよ。」
「本当ですかな?…若は読書を始めると、他のことが手につかなくなりますからなぁ。」
「本当だって。何なら見せようか?せっかくマティアスが教えてくれるのにサボったりしないよ。」
彼にそう言うと、完全に納得はしないまでもゆっくりとうなずいてくれた。
そして、再び笑顔になってこう言った。
「若。旦那様がまもなく軍事宇宙港に到着されるとの連絡がありました。」父上が帰ってくる!
あれは父上が出征してから半年ほどだったであろうか。中将に昇進してからはそれまでの組織運営と軍政の成果が高く評価され、イゼルローン要塞に主席査閲官として向かっていた。手紙はももらっていたけど、再会できる日を心待ちにしていたのだった。今考えれば考えなしにもほどがあると呆れてしまうが、当時の俺はマティアスの話を聞いてからの行動は早かった。
「教えてくれてありがとうマティアス!」俺はそう言うと即座に、部屋を飛び出し全力疾走した。
「お待ち下さい!若!1人で行ってはなりません!奥様もアーデルハイト様も外出先から屋敷に向かっており、1時間ほどでお着きになります!皆様をお待ち下さい!」必死に俺を呼び止めるマティアスの声が聞こえる。
「ごめんマティアス!でもすぐにでも父上に会いたいんだ!母上や姉上と一緒に後から来て!」
大きな声で呼び止めるマティアスを置き去りにして、屋敷を飛び出して走って軍事宇宙港に向かっていった。
我ながら子供じみたことをしてしまっていると言う自覚はあるけれど、それでも父上に会いたい。当時はその思いが強かった。歴史の本を読んだり、様々なことを学んだり前世のように様々なことを考えるようにはなったけれど、やっぱりまだまだ俺は子供だったな。そんなことを考えていたなと、当時思い出して俺は考えて苦笑いをするのだった。
〜回想〜
父上に早く会いたい、その一心で全力で走る屋敷から少し走り同じ様な下級貴族や豊かな平民たちが暮らす通りに着いた。疲れた…やはり車で来るべきだっただろうか…よくよく考えれば徒歩では軍事宇宙港までは1時間以上はかかりそうだ。
屋敷を出た時はそこまで考えるに至らなかった。それでも逸る足を止める事はなかった。
信号が赤になったので横断歩道の信号が変わるのを待つ。
すると俺と一緒に信号が変わるのを待っている買い物の帰りだと思う親子3人連れが目についた。
美しく落ち着きのある金髪の女性が自分と同じ金髪で俺より年下だと思える男の子と女の子の兄妹を連れている親子だ。ふと前世の家族を思い出した。買い物だけとは言え、お母さん1人でこんな小さい子の面倒見てると思うと、俺の前世の両親はすげえなぁ。全員男の3兄弟、それも双子と年子を育て上げたんだからなぁ。
しばらくすると、信号が青になった。本来はすぐに走り出すべきだったが、前世の家族のことを考えていたので信号が青になってもしばらく立ち止まったままだった。すぐに俺は走り出した。
先程の親子が目に入る。止まるように声をかける母親を置き去りにして、兄妹2人は買い物カゴを笑顔で一緒に持って横断歩道の半ばほどまで到達していた。仲が良いなぁ。ふとそんなふうに思った。
宇宙の何処の家庭でも見ることができる様なありふれた光景だが自然と笑みを浮かべてしまうような光景だった。
その時だった。
俺の先を歩いていた兄妹に向かって車が猛スピードで突っ込んで来たのは。
クラクションを大きく鳴らし、止まる気配は無い。
2人は突っ込んでくる車への恐怖と驚きで動けずにいた。2人の顔には、恐怖の表情が見て取れる。
姉弟の内の姉の方は泣きそうになっている弟を小さな体で抱きしめて、懸命に守ろうとしている。
脳裏に父の言葉がよぎった。
『誇り高き騎士であれ』
その時の俺は考えるよりも早く体が動き出した。無我夢中に走っているうちに、子供の元に走って向かう母親を追い抜かしていた。俺はさらに今まで走ったことがないスピードで走り出す。
間に合え!!
何とか2人のもとにたどり着く。車はすぐ目の前まで来ている。全力疾走が功を奏したのか2人を両腕で抱き上げて1メートルほど先に全力でジャンプした!
2人には何とか届いた!
車の耳を劈く様なエンジンと車が作り出す風を至近距離で感じる。
着地に失敗して体勢を崩したがそれでも2人の頭を胸に抱きかかえるようにしてなんとか守り、仰向けになるような形で、道路に倒れた。突っ込んできた車が俺たち3人が倒れている場所スレスレを猛スピードで走り去っていった。
くっそ…頭と体が痛てえっ…。こんなに痛てえのは卒業旅行3日目の二日酔い並みだ…。あん時は酒だったけど、今度は車かよ…。手で顔を触ると頬を切った様で血がついた。腕の肘部分も僅かに切っているようだったがアドレナリンが原因なのか痛みは感じなかった。
……そうだ!あの姉弟は!無事だよな!?
起き上がって2人を見てみると、姉の方は驚きと安堵で涙を流しながらも、弟を抱きしめていた。弟の方は大粒の涙を流して母を呼んでいた。
2人とも俺と同じように擦り傷は負っているがそれ以上の怪我はなさそうだ。
よかった!!…本当によかった!!
俺は全身の力が抜けて道路に座り込んでしまった。すぐに母親が駆け寄って来た。
我が子2人の安全を確め、力強く抱きしめた。
彼女も大粒の涙を流している。すると我に帰った様に俺の姿を見て呼吸を整えてから話し始めた。
「お怪我はありませんか!?子供たちを助けていただいて…本当にありがとうございました…!」そう言うと、女性は深々と頭を下げた。安心したのだろうか最初は取り乱した様な話し方ではあったが、少しずつ落ち着いてきた様だ。
「大丈夫です。多少擦り傷は負いましたが…私は大丈夫です。間に合って本当によかった…」俺は母親を安心させるために笑顔でそう言った。服についた汚れを払い再びゆっくりと立ち上がる。
「私のことよりも、その子たちはどうですか?」
「お陰様でこの子達に大きな怪我はありません。本当にありがとうございました。」再び深々と俺に対して深く頭を下げた。女の子も母親と同じ様に慌てた様子で頭を下げた。
「頭を上げてください。あなた方が悪いのではなく、突っ込んできたあの車が悪いのです。ですからどうか頭を上げてください。」俺は深々と頭を下げている母親にそういった。
すると女性と女の子はゆっくりと頭を上げる。俺は言った。
「お子さんたちが無事で何よりです。本当によかった。」俺は笑顔でそう言った。
兄妹の内、弟の方は泣き疲れてしまった様で母親の腕に抱かれながら眠ってしまった。
気まずいな…そんなふうに考えて1つの考え方を思いつく。これしかないな…
俺はこれ以上、この2人が俺に対して頭を下げる姿を見たくない。
「では私は先を急ぎますので、これで。」そう言って立ち去ろうとした時だった。
「お待ちになって下さい!」女の子が大きな声をだし、立ち去ろうとする俺の服の袖を掴んだ。
俺は振り返って、女の子の顔を見つめた。
「本当にありがとうございました。お名前を教えていただけませんか?」深い青色の潤んだ瞳で俺にそう聞いてきた。
…綺麗な瞳だ。思わず見惚れてしまった。なんて綺麗な女の子なんだろうか。助ける時は、そんな事は考えなかったのに。後14、5年もすれば、美しい女性になるだろう。自分でも顔が赤くなるのを自覚して、慌てて俺は言った。
「名乗る程の者ではありません。」彼女の目を見れない。彼女に視線を合わせることなく、俺はぶっきらぼうにそう言った。…前世の年齢を換算すれば40代になるか、ならないか位なのに俺は何を慌てているんだ…いくら可愛い子だからって小学生くらいの子に見惚れるなんて…ミッターマイヤーを笑えないぞ…
そんなことを考えていると、女の子はポケットからきれいな刺繍が施されたハンカチを取り出して、俺の頬をハンカチで拭いてくれた。
「いけません!血がついてしまいますよ!」俺は驚いて、慌ててそう言った。
「お気になさらないで下さい。」女の子は真剣な口調で言った。丁寧な手つきで,優しくハンカチで頬の傷口を拭ってくれた。
「助けていただいたのに、何もせずに返してしまっては申し訳が立ちません。」穏やかな口調だが断固たる口調でそう言った。
「ですけど…このハンカチは高価なものでは?…そのような大事なものを、私の血で汚してしまっては…」
「このハンカチはお母様と一緒に作ったものです。それほど高価なものではありません。」
「ですが…」困った様子の俺の表情を見て、ハンカチを俺の手に握り締めさせた。俺が驚いた表情をしていると。少しおかしそうに優しい笑顔で女の子は言った。
「どうしても気になるなら差し上げますわ。」彼女はそう言って話を続ける。
「貴方は私たち姉弟を助けてくれました。このままでは命の恩人に対して失礼だと思いますので後日、正式にお礼に伺わせていただきます。それに、この様なものであればいくらでも差し上げます。」
女の子は俺にそう言った。そして女の子は母親の方を見る。すると、母親は優しくうなずき返してこう言った。
「夫と共にお迎えします。どうかいらしては下さいませんか?」そう言って頭を深々と再び下げた。
「いいえ、その必要はありません…両親からは困った人がいれば助ける様にと教わっています。それに気づいたら体が勝手に動いていただけですから。」困ったようにそう俺は言った。
「ですが、それでは…」彼女の母親がそう言った。
「今回のことで、あなた方が私に対して謝罪する必要はありません。悪いのはあの車ですから。」俺がそう言っても、2人はどこか納得のしない表情だった。
一瞬考えた後、話を続けた。
「わかりました。でしたら、こちらのハンカチをいただきます。」彼女から手渡されたハンカチを2人に見せるようにしてそう言った。
「それに今回の事は私が勝手にやったことですから。お2人が気になさる必要はありません。それに、この怪我は転んだとでも家族には伝えます。ですからお気になさらず。そこまでお心を煩わせたようなら、かえって私が申し訳なく思ってしまいます。」
俺は少し戯けた口調でありながも酷く申し訳なさそうにそう言って笑ってみせた。
すると女の子はおかしそうに綺麗な笑顔で自分の口元を抑えながら笑ってくれた。
これなら大丈夫だろう2人ともさっきの表情とは違って穏やかに笑ってくれている。
少し大げさなほどの礼儀作法でお辞儀をして頭を下げた。そして頭を再び上げる。
「それではごきげんよう!アウフ・ヴィダーゼーン!」3人に手を振ってそう言った。
女の子は小さな手でバイバイと手を振り返してくれた。すごく優しい笑顔だ。
その様子を見て、俺はうなずくと走り出した。
…全く何かっこつけてんだか俺は…これはあれだな。事あるごとにに思い出して、ベッドで悶えるやつだな。とほほ…
そんなことを考えながら俺は軍事宇宙港に向かった。
〜回想終了〜
今思い出しても恥ずかしい…。なんなんだよ本当に…。頭を抑えながら、当時のことを思い出す。頬と肘に傷を作りながらで会いに行ったら父上は心配しながら俺のことを怒ってくれたな。その後すぐに近くにある軍病院に向かったよな…その時負った今でも薄く残る肘の傷痕を撫でながらそんなことを考えた。
あの子はどうしているんだろうなぁ…俺が14歳であの子が7〜9歳位だろうか。
元気にしてるといいんだけどな。別に初恋ってわけじゃない(…本当だよ)が、なぜだかあの家族には幸せになってほしい…心からそう思う。
さて気を取り直して今日の分の勉強でも始めるか。
そういえば今日は姉上と父上は2人で演劇を鑑賞すると言っていたな。アリーゼが風邪を引いているから母上と俺は家に残るが元気になれば皆んなで観に行きたいな。
姉上と父上もアリーゼが風邪を引いているから取りやめようとしていたがアリーゼは気にせずに行ってほしいと言っていたが姉上の影響を受けてかアリーゼは芸術に強い興味を持っているみたいだから必ず連れて行ってあげたいな。
ひとしきりそんなことを考えてから机に広げた本を片付けて、勉強道具取り出そうとした時だった。扉の前に凄まじい速さで部屋に向かってくる足音に気づいた。
どうしたんだ。誰であろうとも我が家の者は廊下を普段なら絶対に走ったりしない何か急ぎの様だろうか。椅子から立ち上がり扉の前に立ち、来訪者が来ると同時に扉を開けた。
「どうしたんです…何かありましたか?」
扉を開けると立って居たのはマティアスの奥さんであるポムズ夫人だった。
想像ができないほど動揺した表情をしている。言葉を選ぶようにして慎重に話し初めた。それはどこかひどく言いづらそうで、今にも泣き出しそうな声だった。
「若様…旦那様とアーデルハイト様が…それに我が夫が何者かによって……命を奪われたと…連絡がありました…」
そう夫人は言い終えると気を失って倒れた。なんとか夫人を咄嗟に支えると申し訳ないが彼女を床に寝かせてから母上の元に走って向かった。
母と妹がいる部屋に向かいながら自分の心臓が痛いほど脈打ち、頭に鈍い痛みが轟いてきた。いつも走っていてもこの程度では息が上がらないのに自分でも分かるくらいに呼吸が乱れて息をするのも苦しかった。視界が霞んで前が良く見えなかった。
母上はアリーゼの部屋で彼女の看病をしていた。俺が慌てた様子でいるので心配そうな表情で近づいて来た。
俺は母上にどう伝えればいいんだろうか…なかなか話を切り出すことができなかった…。