ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
金色の槌が振り下ろされた。
ゴジュウティラノの一撃だ。ティラノハンマー50が空気を割り、祈祷所の砂利を巻き上げる。石畳に直撃すれば砕けるのは間違いねえ。だが。
ガキン!
黒と橙の剣がそれを受け止めた。ガンガンセイバーのソードモード。悟が片手で受けている。片手だ。金色の槌を受け止めて、その腕は微塵も震えちゃいねえ。
「ぬ…!」
ゴジュウティラノが唸る。体重を乗せた押し込みだ。ティラノハンマー50がギリギリと唸る。噛み砕くような連続打撃の初撃だ。だがゴーストは動じない。
「信仰を語る前に、その霊を放せ!」
竜儀が吼えた。低い声だ。地響きみたいに境内を揺らす。金色の複眼が鋭く光る。テガソードへの熱が、そのまま戦意になって溢れている。
ゴーストは答えない。
セイバーを横に流し、槌を逸らす。そのまま右足を引いて間合いを取った。最小限の動き。無駄がない。
「力任せの解決ですか」
悟が呟いた。平坦な声のまま。抑揚がねえ。報告書を読み上げるみたいに。
「想定内ですね」
カチリ。
ガンガンセイバーのモードが切り替わる。ソードモードから何か別の形へ。いや、まだソードだ。だが刃の角度が変わる。重ねるみたいに構え直した。
ゴジュウティラノが踏み込んだ。
重い一撃だ。地面を踏み抜くみたいに、砂利を蹴って前へ出る。ティラノハンマー50を横薙ぎに振るう。噛み砕く軌道だ。
ブゥン。
槌が空を切った。
いや、違う。
槌は確かにゴーストの胸部を狙った。軌道も正確だった。だが当たらねえ。槌の先がゴーストの身体をすり抜けたんだ。
「! 何…!」
ゴジュウティラノの複眼が揺れた。信じられねえって顔だ。俺も信じられねえ。あの槌が実体をすり抜けるなんて。ゴーストの身体は確かにそこにある。だが槌が触れた瞬間、霧みたいに薄まって槌が抜けた後でまた戻ったんだ。
(霊体化…!)
そうか。こいつは仮面ライダーゴースト。死者の力を使う戦士。実体と霊体を切り替えられるんだ。物理攻撃が通じねえ。槌みたいな重量打撃には最悪の相手だ。
「力は届きません」
悟が言った。淡々と。
「あなたの攻撃は重い。だが重さは速度を殺す。私の霊体化は、その隙間を縫うだけです」
その通りだった。ゴジュウティラノの打撃は重い。だがその分遅い。振り下ろしから次の動作までの隙間が生まれる。その一瞬で悟は霊体化し、槌をすり抜ける。
すり抜けた直後、ゴーストが動く。
霊体から実体へ戻りながら、ガンガンセイバーを振り上げる。竜儀の無防備な脇腹へ刃を走らせた。
「ぐっ…!」
火花が散った。金色の装甲に亀裂が走る。浅いが確実に傷だ。
「まだ!」
竜儀は引かねえ。そのまま槌を逆手に持ち替え、振り返りざまに打ち込む。噛み砕く第二撃。だがゴーストはまた霊体化。槌がすり抜け、今度は逆側の肩へ刃が走る。
「くっ…!」
亀裂が増える。竜儀の身体が揺れた。金色の装甲片が飛び散る。
(まずい!)
俺は物陰で歯を噛んだ。竜儀の攻撃が通じねえ。一方的に削られている。霊体化が反則だ。物理攻撃を全部すり抜けられるなんて、いくら重い槌でも意味がねえ。
「想定内です」
悟が繰り返した。その声は平坦なまま。
「あなたの力は霊を守るためのもの。だが霊を守る力で霊を操る者を止めることはできません。あなたの槌は実体を砕く。私は実体を薄める。相性の問題です」
「相性だと…!」
竜儀が吼えた。金色の複眼が燃えている。
「ふざけるなよ…!」
テガソードを握り直す。右手の槌を左手に持ち替え、右手で剣を抜いた。二刀だ。ティラノハンマー50とテガソード。二つの武器で間合いを潰す気だ。
「ならば…!」
竜儀が踏み込む。槌で牽制し、剣で切り込む。左右から挟み込む攻撃だ。どちらかが当たる。すり抜けられても、もう片方が届く。そんな計算か。
だが。
悟は動じない。セイバーを中段に構えたまま、静かに言った。
「二刀ですか。読みを深めるだけです」
ゴジュウティラノの槌が振り下ろされる。同時にテガソードが横薙ぎに走る。二つの攻撃がゴーストを挟む。
瞬間。
ゴーストの身体が、完全に消えた。
いや消えたんじゃねえ。霊体化の最大出力だ。実体が霧みたいに薄まり、二つの攻撃が完全に空を切る。槌も剣も何も触れずに通り抜けた。
「消え…!」
竜儀の声が焦った。
その一瞬が狙いだった。ゴーストは霧の中から戻りながら、ガンガンセイバーを振り上げる。竜儀の懐に飛び込み、胸部へ一閃。
ズシャッ!
金色の装甲が割れた。亀裂が縦に走り、竜儀の身体が後方へ弾き飛ばされる。
「ぐあ…!」
どっと地面を転がった。ティラノハンマー50とテガソードが手から離れる。金色の装甲がボロボロだ。複眼の光が微かに明滅している。
「竜儀さん!」
背後から凛空の声がした。普段の穏やかな調子じゃねえ。張り詰めた声だ。
だが凛空は動かなかった。
動けないんだ。封じられた霊を置いて逃げるわけにはいかない。悟の札が霊たちを縫い止めている。凛空が離れれば、その瞬間に札の力が霊を処理する。それがわかっているから凛空はその場を動けない。笑顔のまま硬直している。手を合わせてもいない。ただ拳を握りしめて、その場に立っている。
(凛空さん…!)
あの人の笑顔を初めて見た時、何か掴みどころがねえって思った。飄々としてて、何考えてるかわかんねえ。だが今はわかる。笑顔の奥で、確かに何かが軋んでいる。守りたい霊たちを前にして、動けねえ自分を噛みしめている。
「想定内の進行です」
悟は淡々と続けた。ゴジュウティラノを一瞥し、凛空へ視線を移す。まるで戦況を確認するみたいに。
「守りたいものがある限り、あなたは動けません。こちらは動けます。だから勝敗は既に見えています」
冷たいな。こいつ、どこまでも冷たい。だが残酷じゃねえ。残酷じゃねえんだ。ただ合理的なだけだ。均衡を守るために霊を封じる。霊を封じるために戦う。戦うために合理的に動く。悪意がない。だからこそ厄介だ。悪意があれば壊せる。だが悪意がねえ相手は、壊す理由を見つけるのが難しくなる。
ゴーストがセイバーを構え直した。橙色の複眼が静かに凛空を見ている。
「霊の引き渡しを要求します。もう一度言います。抵抗は無意味です」
「…やだ」
凛空が答えた。声は小さい。だが芯があった。
「この子たちは、私の仲間だから」
「仲間」
悟が繰り返した。平坦な声で。
「仲間という感情が霊を歪める要因になることを、あなたは知っていますか」
凛空の笑顔がわずかに歪んだ。ほんの一瞬だ。だが俺には見えた。動揺だ。図星を突かれたみたいな動揺。仲間という言葉に、凛空は何かを思い出している。そんな顔だ。
「仲間という感情が霊を引き寄せ、霊を縛り、霊の自然な流れを止める。あなたの周りの霊が植物へ変わるのは、あなたが仲間と呼ぶからです。それは自然な形ではありません」
「…知ってる」
凛空は言った。短く。明瞭に。
「知ってるけど、それでも、この子たちは私の仲間なの」
悟は答えなかった。
ただ静かに、セイバーを構え直した。これ以上問答しても意味がないと判断したんだろう。理屈で動く人間と、感情で動く人間。その溝は埋まらねえ。だから実力で決める。それだけだ。
(くそ…!)
俺は物陰で奥歯を噛んだ。出るべきか。出て戦うべきか。俺は野良犬だ。人の仲間に入る資格なんてねえ。だが目の前で仲間が潰されかけてるのに黙って見てるのは、性に合わねえ。
その時だ。
祈りの札が、微かに揺れた。
封じられた霊の光じゃねえ。悟の札でもねえ。別の揺れだ。空気の揺れ。俺の肌が粟立つ。何かが動いている。
凛空が動じた。
凛空の手が、わずかに前に伸びた。封じられた霊へ向かって。指先が震えている。でも届かない。札がそれを拒むみたいに。
その時、凛空の笑顔が完全に止まった。
笑顔のままで動かない。まるで仮面が落ちねえように。笑顔が止まったまま、その目だけが動いている。不安の目だ。寂しさの目だ。
(一人が…怖いのか?)
思った瞬間、凛空の視線が物陰の俺に一瞬だけ向いた。
気づいてたのか。
俺の存在を。最初から。あの人はいつでも見ている。全てを見ている。そして何も言わずに、笑顔を止めてその場に立っている。
ゴーストが一歩、凛空へ近づいた。
戦いは、まだ終わらねえ。
悟の左手が動いた。
祈祷所の空気を切り裂くみたいに、黒と橙の札が放たれた。一枚じゃねえ。三枚だ。弧を描いて飛び、悟の背後で空中に留まる。
(何だ?)
俺は物陰から目を凝らした。札が回転する。橙の文字が光を帯びて、空中に何かを描き出していく。輪郭だ。人型の輪郭が、光の中から浮かび上がってくる。
現れたのは、武士だった。
半透明の身体。江戸時代の武装を思わせる姿。腰に二本の刀を差している。陣羽織みたいなものを羽織り、その顔には静かな闘志が張り付いていた。特徴ある髭。鋭い目付き。まるで歴史の教科書から抜け出してきたみたいな姿だ。
(宮本武蔵…?)
俺は目を疑った。いや、目を疑ってる場合じゃねえ。あれは式神だ。悟が召喚したんだ。歴史上の人物を式神として使役する。それがこいつの能力か。
武蔵の式神が動いた。
二刀を抜く動作が、水みたいに滑らかだ。長刀と短刀。半透明の刃が祈祷所の薄暗がりの中で鈍く光る。
「竜儀! 背後だ!」
俺は叫んだ。物陰から飛び出しそうになる身体を抑えながら声を張り上げる。
ゴジュウティラノが反応した。金色の複眼が背後を捉える。だが遅い。武蔵の式神は既に動いていた。
右側から長刀の横薙ぎ。左側から短刀の突き。二方向からの挟撃だ。ゴジュウティラノの反応速度じゃ両方を弾くのは無理だ。
ガキン! メキッ!
長刀をティラノハンマー50で弾いた。だが短刀が脇腹に突き刺さる。金色の装甲が凹み、亀裂が走った。
「ぐっ…!」
竜儀が呻く。前からはゴーストが迫っている。ガンガンセイバーが右斜めから切り込む。竜儀は槌でそれを受け止めたが、武蔵の式神が背後から再度斬り込む。三方向からの攻撃だ。
(まずい、囲まれてる)
竜儀は前衛だ。真正面から悟を止める役割だ。だが武蔵の式神が加わった今、一対二の構図になってる。しかも背後には凛空がいる。下がれば凛空が露出する。前に進めば背後を突かれる。竜儀は完全に釘付けだ。
その時だ。
地面から何かが伸びた。
緑の蔓だ。凛空の植物霊だ。封じられた霊の一部が、悟の札の力に抗するように蔓を伸ばした。蔓が武蔵の式神の長刀に絡みつく。
「!」
式神の動きが止まった。刀に巻き付いた蔓が、刃を固定する。式神は短刀で蔓を切ろうとするが、切られても切られても新たな蔓が伸びてくる。凛空の霊たちが竜儀を守ろうとしているんだ。
「この子たち…!」
凛空が呟いた。笑みが浮かんでいる。だがその笑みは、張り付いたみたいに固い。安堵じゃない。必死に仮面を維持している顔だ。
ゴーストは冷静だった。
ガンガンセイバーを竜儀に向けたまま、一言。
「望むなら、従属から解放します」
悟の声だ。平坦なまま。だがその言葉は、凛空に向けられていた。
「あなたの霊たちはあなたに縛られている。その縛りを解けば、霊は自然な流れへ戻る。あなたも、この子たちも、楽になります」
「解放、ね」
凛空が呟いた。笑みを保ったまま。だがその目が動いている。封じられた霊たちを見ている。止まった蔓へ手を伸ばしかけて、止まる。また伸ばしかけて、止まる。
「本人の声を聞いたつもりなのかしら」
凛空が言った。穏やかな声だ。だがその奥に何かが滲んでいる。竜儀の言っていた「信じることと考えることをやめるのは違う」と同じ vein の言葉だ。この子たちが本当に望んでいることを聞いたことがあるのか。そう問うている。
「本人の声、ですか」
悟が繰り返した。式神の刀を蔓が絡め取っている。竜儀がその隙にティラノハンマー50を振り上げるが、ゴーストが霊体化してすり抜ける。竜儀の攻撃はまた空を切った。
「霊に声はありません」悟は続けた。「意思の有無に関わらず、流れに沿って還すのが正しい対処です」
「そう。あなたはそう思ってるのね」
凛空は笑った。ふわりと。いつもの笑みだ。だがその手が、止まった蔓に触れた。
指先が震えている。
俺には見えた。凛空が蔓に触れた瞬間、植物霊の光がわずかに明るくなった。凛空の力が霊たちに伝わっている。だが同時に、悟の札の力も強まっている。橙の文字が明滅し、封印が強固になる。
(引っぱり合ってる)
凛空の意志と悟の術が、霊たちの間で綱引きをしてる。だがその綱の真ん中にいる霊たちは、どっちに引かれていいかわかってねえんだ。
そしてその時だ。
俺は見た。凛空の植物霊の一部が、妙な動きをした。
地面から伸びた蔓が、凛空の方へではなく悟の方へ向かって伸びている。いや伸びようとしている。凛空の指示に反して。
「え…?」
凛空の笑みが揺れた。
「解放」という言葉に反応したんだ。悟の言葉に。従属から解放される。その言葉の響きに、一部の霊が反応したんだ。凛空に縛られているのが辛いわけじゃねえ。だが「解放」という言葉が、霊たちの何かを揺さぶったんだ。
凛空の手が蔓から離れた。指先が空中で止まっている。笑みが消えかけた。いや消えてねえ。必死に保っている。だがその目が揺れている。
「この子…」
凛空が呟いた。小さく。
蔓が悟の足元へ伸びていく。凛空の命令から離れた蔓。自分の意志で動いているみたいに。悟はそれを見下ろした。平坦な表情のまま。だがその橙色の複眼が、微かに揺れた気がした。
「想定内の反応です」
悟が言った。
「霊は本来、縛られることを望みません。解放を示されれば応える。それが自然な反応です」
「自然な反応」
凛空が繰り返した。声が平坦だ。笑みが張り付いたまま動かない。
「そうね。自然ね」
その言葉の響きが、妙に冷たかった。
竜儀が背後の異変に気づいた。金色の複眼が凛空の方へ一瞬だけ向く。凛空の蔓が悟の方へ伸びているのを見た。
「凛空さん…!」
竜儀の声が揺れた。攻撃に集中できねえ。背後の異変が気になって、槌の振りが鈍る。ゴーストがその隙を突く。ガンガンセイバーが竜儀の肩を掠め、金色の装甲片が飛ぶ。
「前を見ろ!」
俺は叫んだ。竜儀がハッとして前に向き直る。だが一瞬の隙はできちまった。
植物霊の一部が、凛空の命令から離れ、悟の側へ近づいていく。ゆっくりと。ためらいながら。でも確かに。
凛空はそれを見ていた。
笑みを保ったまま。手を伸ばしかけて、止めて。また伸ばしかけて、止めて。
その姿が、俺には何かに見えた。
手放したくないものを手放されそうになっている人の姿に。
札が空に浮かんだ。
輪を作っている。黒と橙の札がまるで生き物みたいに凛空の植物霊の周りを回り、一体ずつ包み込んでいく。蔓が光に飲まれ地面に伸びていた緑がじわじわと薄れていく。抵抗しようとする霊もいた。だが札の力の方が強い。橙の文字が明滅するたびに緑が小さくなり、やがて土の上には黒と橙の札だけが残された。
境内の緑が消えた。
苔も草も残ってねえ。あるのは石畳とその上に散らばる札と、札の下に微かに光る霊たちの気配だけだ。
(くそ…!)
俺は物陰で拳を握った。一方的だ。凛空の霊がどんどん封じられていく。なのに俺は動けねえ。変身できるリングも持ってねえ。ここで飛び出しても素手じゃ何もできねえ。野良犬の腕っぷしじゃ霊は殴れねえんだ。
ゴーストは動じない。
セイバーを中段に構えたまま、じっと凛空を見ている。橙色の複眼が静かに光る。その視線には悪意がねえ。ただ事実を確認するみたいな、淡々とした眼差しだ。
「質問を変えます」
悟が言った。平坦な声。だけどその言葉は凛空の胸に刺さる角度をしていた。
「あなたはなぜ霊を留めるのですか」
「任務よ」
凛空は即答した。笑みを保ったまま。だがその笑みがいつもより薄い。紙みたいに薄い。
「TERAの任務で霊を使役してるだけ。それ以上でも以下でもないわ」
「そうですか」
悟は頷いた。頷きながら札を一枚、凛空の足元へ落とす。札が石畳に触れた瞬間、地面から伸びていた最後の蔓が封じられる。
「では、この霊は任務に必要ですか」
悟の指が一本の霊を指した。小さな光だ。凛空の足元にへばりつくみたいに残っていた霊。他の霊よりも小さくて、弱くて、だけど凛空から離れねえ。
凛空の笑みが止まった。
「…それは」
「任務に不要な霊です」悟は続ける。「戦闘能力も索敵能力も低い。あなたの使役リストの末端。任務で使うには力不足。それでもあなたは手放さない」
沈黙。
凛空は答えなかった。答えられなかったんだ。その小さな霊は、凛空の足元にずっと寄り添っている。他の霊みたいに蔓を伸ばすわけでもねえ。ただ、そこにいる。寄り添うみたいに。
「霊を留める理由は任務だけですか」
悟の声が、境内に静かに響いた。
「あなたが一人にならないためでは?」
凛空の笑みが完全に止まった。
紙が破れるみたいに笑みが剥がれたわけじゃねえ。もっと静かに、ゆっくりと止まった。唇の端がわずかに下がる。そのまま動かなくなる。目の光も止まる。まるで時が止まったみたいに。
そして凛空の右手が、宙に止まった。
小さな霊へ伸ばしかけた手だ。指先が空中で固まっている。届く寸前で止まっている。触れたいのに触れられない。触れたら何かが壊れるみたいに。
(凛空さん…)
俺は息を呑んだ。いつも笑ってるあの人が、今だけ笑ってねえ。笑顔の仮面が取れてその下から出てきた素の顔。不安の顔だ。寂しさの顔だ。誰かに寄り添いたいのに、寄り添い方がわからねえ人の顔だ。
「違う」
凛空が言った。声が震えている。笑みは戻らねえ。指も動かねえ。
「違うわ。私は…」
「凛空さん」
竜儀の声が割って入った。
金色の装甲がボロボロの状態で、それでも大柄な体躯を揺らしながら立ち上がる。右肩の装甲が割れ、胸部の亀裂から金色の光が漏れている。痛みで顔を歪めながら、それでも前に出た。
「答えなくていい」
竜儀は言った。低い声だ。テガソード様への信仰を語る時の声じゃねえ。もっと人間らしい、仲間を守る声だ。
「答える必要はない。今は、下がることを優先してください」
「竜儀…」
凛空の声が揺れた。竜儀の背中を見ている。ボロボロの装甲を見ている。その姿に何を思ったのか、笑みが完全には戻らねえ。代わりに別の表情が浮かんだ。唇を噛むような、痛みを耐えるような表情だ。
悟は二人を見ていた。
セイバーを構えたまま、じっと。だが動かなかった。深追いする気はねえみたいだ。ゴーストの橙色の複眼が、封じられた霊の光へ一瞬向く。
「深追いはしません」
悟が言った。
「本命は霊の回収です。戦闘はその手段に過ぎない。あなた方を撃破する必要はありません」
冷たい言葉だ。だが残酷じゃねえ。これが悟のやり方だ。均衡を守るために必要なことだけをやる。必要のないことはやらない。効率の塊みたいな男だ。
「霊は回収させていただきます。残りの霊も、後日改めて対処します」
悟の指が動いた。札が一斉に浮き上がる。黒と橙の札が封じた霊を包んだまま、悟の背後へ吸い込まれていく。まるで磁石に引き寄せられるみたいに。
「待って…!」
凛空が手を伸ばした。だが札は止まらない。凛空の指先が空を切る。
「この子たちを…!」
「返しません」
悟は淡々と言った。背後で霊を収めながら、もう凛空を見ていねえ。興味を失ったみたいに。いや違う。これ以上問答しても意味がないと判断したんだ。理屈と感情の溝は埋まらない。だから、必要最小限の行動だけを取る。
「貴女の霊は、貴女から離しておくべきです。貴女のためにも、霊のためにも」
凛空の腕が、力なく下がった。
それを見て、竜儀が動いた。
ゴジュウティラノの装甲が光り出す。金色の粒子が身体を包み、変身が解除されていく。竜儀の素顔が現れる。汗と血に塗れた顔だ。肩で息をしながら、それでも凛空の方を振り返った。
「凛空さん、行きますよ」
「でも…!」
「今は退くべきです」
竜儀は有無を言わさねえ声で言った。低い、だが揺るがねえ声。凛空は答えなかった。唇を噛んだまま、動かなかった。
竜儀が地面に手を触れた。
「テガソード様…、力を」
掌から光が溢れる。地面が盛り上がった。いや盛り上がったのは土じゃねえ。植物の根だ。竜儀の掌から伸びた根が凛空の足元へと這い寄り、その身体を支えるように持ち上げる。
「え…?」
凛空が声を上げた。根が凛空を包み、ふわりと浮かせる。まるでかごみたいに。竜儀が力を使ったんだ。テガソードを通じて。植物の根で凛空を運ぶつもりだ。
「竜儀、これは…」
「急ぎます」
竜儀は言った。自分の身体はふらふらだ。根を操りながら、自分も歩き出す。撤退だ。悟から離れる。悟は追わなかった。
「凛空さん、掴まってください」
竜儀が手を伸ばす。凛空は一瞬迷って、その手を握った。笑顔は戻っていない。だけど手は離さなかった。手を握ったその瞬間、凛空の表情がわずかに緩んだ。泣き笑いみたいな、歪んだ表情だ。
(良かった…)
俺はほっとした。同時に、胸の奥が痛んだ。
一人になるのが怖い。そんな言葉、凛空は口にしなかった。口にできるわけがねえ。いつも笑ってる人が、そんなこと言えるわけがねえ。でも俺にはわかった。あの止まった指が、宙に残った指が何よりも雄弁に語っていた。
凛空は、手放すのが怖いんだ。
手放したら、一人になるから。
(俺と一緒だ)
そう思った。俺も同じだ。家族も友達もいねえ。誰かに縋ることもできねえ。だから独りで生きてる。でも、独りが平気なわけじゃねえ。誰かに縋りたいのに縋れねえ。その痛みを、凛空の止まった指は語っていた。
竜儀の根が凛空を運んでいく。境内の出口へ向かって。俺は物陰から出た。二人の後を追うためだ。
「待て」
悟が言った。
俺は足を止めた。振り返る。ゴーストの橙色の複眼が俺を見ている。変わらない平坦な視線だ。
「あなたは関係ありません。行きなさい」
「あ?」
俺は眉をひそめた。関係ねえって何だよ。関係ないから何なんだ。
「俺が関係あるかどうかは俺が決める」
「そうですか」
悟は興味を失ったみたいに目を逸らした。札を片付けながら、背を向ける。
「邪魔をしないなら構いません。私は均衡を守るだけです」
その背中を見て、俺は思った。
こいつは悪人じゃねえ。本気で均衡を守ろうとしている。だがその均衡には、凛空の笑顔も霊の声も、俺の痛みも入っていねえ。理屈だけの均衡だ。数字と流れだけの均衡だ。そこが気に入らねえ。
「なあ」
俺は言った。悟が振り返らないまま、耳だけ傾けている。
「お前の言う均衡って、誰のための均衡だ」
悟は答えなかった。
ただ札を収め終えると、静かに境内を去っていった。黒と橙の狩衣の裾が夕暮れの中に消えていく。追う気はねえ。今は凛空だ。竜儀だ。
俺は走った。
二人を追いかける。冷たい風が祈祷所の残り香を吹き飛ばしていく。背後で願い札が一枚、ぱたりと地面に落ちた。誰かの願いが書かれた札だ。それが風に流され、夕暮れの赤の中に消えていく。
(願いなんてもん、持ったところでロクなことにならねえ)
その言葉が、今日はいつもより重く響いた。
凛空の止まった指。竜儀のボロボロの背中。俺は追いかけながら、自分の心の中の何かが少しだけ軋むのを感じていた。