ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
廃ビルの二階に、夕日が射し込んでいた。
窓ガラスの半分が割れたコンクリートの箱。TERAの敷地から外れた場所にある廃棄された資材倉庫だ。人気がねえ。俺たち以外の気配がない。粉塵が夕日の赤に染まって、まるで空中に血が浮いているみたいに見えた。
竜儀が壁に背を預けて座り込んでいた。
ボロボロだ。ゴジュウティラノの変身を解いてから息が荒い。右肩の装甲が割れていた箇所は、素体に戻っても同じ場所に痣ができている。苔の上を転がった背中は擦りむけて、シャツから覗く肌が赤くなっている。だがこの男は文句一つ言わねえ。ただ黙って壁に寄りかかり、荒い呼吸を整えている。
凛空はその前に膝をついていた。
「動かないで」
凛空の声は穏やかだ。いつものふわふわした響き。だがその手は震えている。竜儀の背中に包帯を巻きながら、指先が微かに震えている。持っている救急キットはTERAの標準装備だ。俺が背負ってきた。あいつらは何も持たずに飛び出したからな。
「凛空さん、ご自身の怪我を先に」
「私は平気」
凛空は笑った。いつもの笑みだ。だがその笑みの温度が、いつもより低い。
「竜儀の方が深いでしょ。じっとしてて」
俺は入り口の柱に寄りかかって、二人の様子を眺めていた。
凛空の周囲には、植物霊が僅かに残っている。悟の封印を免れた数体だけだ。いつも凛空の周りに群がっていた霊たちの大部分は、あの黒と橙の札に回収された。今残っているのは小さな光二つと、地面から這い出した細い蔓一本だけだ。
(少ねえな)
凛空の周囲が寂しい。いつもは霊たちで溢れていた空間が、今は剥き出しのコンクリートと粉塵だけだ。凛空自身もそれを感じているはずだ。だが口には出さねえ。ただ笑って包帯を巻いている。
「竜儀、ここ痛い?」
凛空が竜儀の背中の傷に触れた。竜儀が微かに顔をしかめる。
「…少し」
「嘘。相当痛いでしょ。ここ腫れてる」
凛空の指が竜儀の背中をなぞる。包帯を巻く手つきは手慣れたもんだ。何度も仲間の怪我を手当てしてきた手だ。だがその指先が、やっぱり震えている。
「凛空さん」
竜儀が言った。
「手が震えています」
「気のせいよ」
凛空は笑った。ふわりと。話題を逸らす笑みだ。俺は何度も見てるあの笑みだ。都合の悪いことを指摘された時、この人は決まって笑う。
「あなたこそ、顔色が悪いわよ。休んで」
「休んでいます」
「嘘。包帯巻きながら休んでないでしょ」
「…それは凛空さんも同じです」
二人の会話が、静かな廃ビルに響く。
俺は柱に寄りかかったまま、黙って聞いていた。口を挟む余地がねえ。二人の間にある空気は、俺が踏み込んではいけない種類のものだからだ。
凛空が包帯を結んだ。竜儀の背中に白い布が巻かれる。だが結び目を止める指が、やっぱり震えている。結び目が少し緩い。
「凛空さん」
竜儀がもう一度言った。今度は包帯に巻かれた自分の手を持ち上げて、凛空の手を止めた。
「なに?」
凛空が首を傾げる。笑みは保っている。だがその目が、竜儀の手を見ている。止められた指が、ぴたりと動かなくなった。
「あなたはいつもそうだ」
竜儀の声が低い。ゴジュウティラノの時の咆哮とも、テガソードへの信仰を語る時の熱とも違う。もっと静かで、もっと重い声だ。
「自分より傷ついた相手を優先する。助けを求めようとしない。自分のことは後回しで、他人の手当てばかりしている」
「だってそれは」
凛空が言いかけて、止まった。笑みがわずかに揺れる。
「頼られる方が気楽なの」
その言葉が、廃ビルの空気に沈んだ。
気楽。俺はその言葉を反芻した。頼られる方が気楽。誰かに頼られる立場にいる方が、誰かに頼るより楽だ。自分の痛みを見せなくていいから。自分の弱さを明かさなくていいから。誰かの手当てをしている間は、自分の傷を忘れていられるから。
(そうかよ)
俺は奥歯を噛んだ。あいつも同じだ。俺も同じだ。誰にも頼らねえ。誰にも縋らねえ。自分の痛みは自分で抱える。その方が楽だから。いや、楽じゃねえ。楽なふりをしているだけだ。
「頼られる方が気楽、ですか」
竜儀は繰り返した。その声には否定も肯定もねえ。ただ凛空の言葉を受け止めている。
「ええ。だって誰かの世話を焼いてる時は、自分のこと考えなくて済むでしょ?」
凛空は笑った。ふわりと。だがその笑みの端が、微かに歪んでいる。自覚しているんだ。自分が何を言っているか。どうしようもなく自分の逃避を露呈していることを。
「凛空さん」
竜儀が凛空の手を握った。包帯越しの手だ。竜儀の手は熱い。体温が包帯を通して伝わるくらい熱い。
「誰にも頼らないことと、一人で抱えることは違います」
凛空の手が止まった。
竜儀は続ける。
「私はテガソード様に仕えています。すべてを委ねています。ですが、委ねることと放棄することは違います。信じて従うことと、考えなくて済むこととは違います」
凛空の笑みが揺れた。止まりかけている。仮面が剥がれかけている。
「同じですよ、凛空さん。誰かの手当てをすることは、自分の傷を見ないことで済む言い訳です。頼られる方が気楽なのは、自分が頼られる側にいれば、自分を預ける側にならなくて済むからです」
凛空の手が震えた。包帯の端が指先から滑り落ちる。
廃ビルに沈黙が落ちた。夕日がコンクリートの床を赤く染めている。粉塵が光の中でゆっくりと舞っている。残された植物霊の小さな光が、凛空の肩の近くで微かに明滅していた。
「…竜儀」
凛空が呟いた。笑みが消えかけている。消えかけているが、完全には消えない。必死に保っている。仮面を手放すのが怖いんだ。素の顔を見せるのが怖いんだ。
「私のことも、他人に預けてください」
竜儀は言った。静かに。だが揺るがねえ声で。
「あなたがいつも他人を預かる立場にいるのは知っています。ですが、あなた自身を預ける立場になることは、弱さじゃありません」
凛空の手が止まったまま動かない。指先が空中で固まっている。祈祷所で霊に手を伸ばした時と同じだ。届く寸前で止まっている。触れたいのに触れられない。
「私はテガソード様に全てを委ねています。ですが、テガソード様だけでは足りない時もあります。そんな時は、仲間に頼ります。それを弱さだと思ったことはありません」
竜儀の手が凛空の手を包んだ。
「だから、私にも預けてください。あなたの痛みも、迷いも、一人になるのが怖しいことも」
凛空の笑みが、ついに止まった。
止まった笑みの下から覗いた表情は、俺が初めて見るものだった。泣き笑いでもない。怒りでもない。ただ、何かが壊れかけている顔だ。仮面のひび割れから、生の感情が漏れ出している顔だ。
「…怖いなんて」
凛空が呟いた。声が掠れている。
「言ってないわ。私は怖いなんて」
「言っていません」
竜儀は静かに言った。
「ですが、凛空さんは一人になることを選んでいない。ただ、誰にも預けられないだけです。それを自覚してください」
凛空の指が、竜儀の手を握り返した。強く。包帯越しに。指が白くなるくらい強く。
俺は柱から目を逸らした。
見ちゃいけねえ。これは二人の間のもんだ。俺が覗き見ていいもんじゃねえ。
だが耳には入ってくる。凛空の掠れた声が。
「…ごめんなさい」
小さく。本当に小さく。
「ごめんなさい、竜儀。私は…」
「謝る必要はありません。ただ、預けてください。それだけです」
凛空の手が竜儀の手から離れた。だがその離れ方は、振り払う離れ方じゃなかった。名残惜しそうに、ゆっくりと離れた。温もりを確かめるみたいに、指先が最後まで触れていた。
凛空は立ち上がった。ふらりと。足元の植物霊が慌てて光を強くする。主の崩れた仮面に戸惑っているみたいだ。
「ありがとう、竜儀」
凛空が言った。笑みは戻っていない。だがその顔は、仮面が剥がれた素の顔よりは少し柔らかい。ひび割れから光が漏れているみたいな顔だ。
「預ける、か。練習が必要ねえ」
「いつでも練習相手になります」
竜儀は壁に寄りかかったまま答えた。疲れている。だがその声は温かい。
俺は柱に背を預けたまま、天井を見上げた。
夕日がコンクリートの天井を赤く染めている。粉塵が光の中で舞っている。
(預ける、か)
俺には預ける相手がいるのか。誰かの温もりを握り返せる相手がいるのか。
(いねえよ)
思った。即答した。だがその即答が、今日は嘘くさく感じられた。
凛空は竜儀の手を握り返した。あんな風に、誰かの手を握り返したことがあるのか。俺は。
(ねえよ)
もう一度思った。だがその言葉の隣に、もう一つの言葉が浮かんだ。
(まだ、か)
まだ、か。
誰が言ったんだ。俺が言ったんだ。俺の心の奥が勝手に吐いたんだ。
(うるせえ)
俺はその言葉を蹴り飛ばした。今は関係ねえ。今は凛空と竜儀が無事かどうかが大事だ。俺のことなんてどうでもいい。
だが、どうでもいいと思えなくなっている自分がいることも、認めざるを得なかった。
廃ビルの窓から、最後の夕日が沈んでいく。赤が藍に変わる。凛空の足元の植物霊が、小さな光を灯したまま凛空の肩に寄り添った。
離れなかった。
封印を免れた僅かな霊たちは、凛空のそばに残った。凛空が凛空である限り、この子たちは離れない。
それを見て、俺は少しだけ安堵した。なぜかは自分でもわからねえ。ただ、凛空が一人じゃないということが、少しだけ嬉しかった。
(野良犬の俺が言うことじゃねえけどな)
廃ビルの二階に、薄暗い灯りが灯った。
竜儀が懐中電灯を探し出して、天井の配管に括り付けたのだ。白い光がコンクリートの床を照らす。粉塵が光の中でゆらゆらと泳いでいる。
俺は部屋の隅に座り込んでいた。背中を壁に預けて、足を投げ出す。野良犬の定位置だ。ええ、わかってますよ。隅っこがお似合いですよ。
机の上には二つのものが置かれている。
一つは悟の封印札だ。祈祷所から回収した一枚。凛空が拾ったんだ。悟が去った後、地面に落ちていた一枚を。札の表面には黒と橙の文字がびっしりと刻まれている。見ているだけで頭が痛くなるような、冷たい文字だ。
もう一つはサウザーライドウォッチだ。以前入手したものだ。金色と銀色の円形アイテム。表面に刻まれた紋章が懐中電灯の光を反射して、ぎらりと光る。こいつをテガソードの変換機能でライダーリングにすれば、竜儀はゴジュウティラノを経由せず直接仮面ライダーサウザーへ変身できるはずだ。だがそれは後だ。今はまだ、その時じゃねえ。
植物霊が札へ近づいた。
凛空の足元に残っている小さな光の一つが、好奇心みたいに札の方へふよふよと漂っていく。だが触れる直前、バチッと黒と橙の光が弾いた。霊が小さく震えて凛空の肩の後ろに隠れる。
「だめだよ」
凛空が言った。笑みは戻っている。だがその笑みは、いつものふわふわした温度じゃねえ。ひび割れた器を無理やり合わせているような笑みだ。
「その札に近づいじゃだめ。弾かれるわよ」
霊は凛空の肩の後ろで小さく明滅している。叱られた子供みたいに縮こまっている。だがすぐにまた札の方を気にし始めた。気になるんだろう。仲間があの札に封じられたから。
「…この子たちは、わかってるのね」
凛空が札を見つめたまま呟いた。
「仲間がどうなったか。どこへ連れて行かれたか。この子たちは感じてる」
俺は壁に背中を預けたまま、その光景を眺めていた。凛空の声は静かだ。笑みの下に、押し殺した何かが潛んでいる。俺にはわかる。同じことをしているからだ。押し殺して、笑みで覆って、平気なふりをしている。俺も凛空も、やっていることは同じだ。ただ俺は笑わねえ。代わりに「うるせえ」で蓋をする。凛空は笑みで蓋をする。使う素材が違うだけで、やってることは同じだ。
竜儀が口を開いた。
壁に寄りかかったまま、天井を見上げている。包帯が巻かれた背中が、壁に擦れないように少し前かがみだ。疲れている。だがその目は静かだった。何かを思い出している目だ。
「凛空さん。一つ話します」
「なに?」
「私がテガソード様に出会う前のことです」
凛空が竜儀の方を見た。俺も少し視線を動かした。竜儀の過去。こいつがテガソードに仕えるようになった経緯。俺は詳しく聞いたことがねえ。こいつはテガソードへの信仰しか語らねえからな。過去は自分からは言わねえ男だ。
「暴神家は代々、テガソード様に仕える家系です」
竜儀が言った。低い声だ。朗々とした信仰の声じゃねえ。もっと静かで、もっと重い声だ。
「ですが、仕え方には決まりがあります。家長が決めた役割を全うする。家のために戦い、家のために祈り、家のために命を捧げる。それが暴神家の信仰の形でした」
「…家が決めた信仰?」
凛空が首を傾げた。笑みの中に少しの疑問が滲む。
「信仰は個人のものじゃないの?」
「暴神家では違いました。家の信仰が個人の信仰。家長が定めた奉仕の形に従うことが、テガソード様への忠誠とされていました。私は子どもの頃からそれに従っていました。異端は許されません」
竜儀の目が微かに暗くなった。懐かしい話じゃねえ。暗い話だ。家に縛られ、家の決めた道を歩かされた男の話だ。
「ですがテガソード様に出会った時、気づいたのです」
竜儀は続けた。声が少し明るくなる。ほんの少しだ。だがその変化が、こいつにとってどれだけ大きなものか、俺にはわかった。
「テガソード様は家の信仰など求めていなかった。テガソード様が求めていたのは、私自身の意志でした。家が決めた信仰じゃない。私が自分で選んだ信仰。自分で考え、自分で決め、自分で従う。それをテガソード様は待っていました」
「だから暴神家を出たの?」
「はい。異端と呼ばれて追い出されました。家の決めた道に従わなかったからです」
竜儀は淡々と言った。だがその声の端に、ほんの一瞬だけ痛みが混じった。家族に捨てられた痛みだ。俺はそれを聞き逃さなかった。俺自身が経験したことがない痛みだからこそ、他人の痛みとして認識できる。
「信じたから俺は自分の道を選べた」
竜儀が言った。静かに。だが揺るがねえ声で。
「テガソード様を信じたからこそ、暴神家の決めた人生から離れられた。家が用意した道じゃなく、自分の足で歩く道を選べた。信仰は僕を縛ったんじゃない。解放したのです」
凛空は黙って聞いていた。
笑みを保ったまま。だがその目が、竜儀の顔を見つめている。笑みの下で何かを考えている目だ。肯定でも否定でもない。もっと複雑な何かを煮詰めている目だ。
やがて凛空が口を開いた。
「そうね。信仰があなたを解放した。それはわかるわ」
穏やかな声だ。だが次の瞬間、その声に刃が混じった。
「でも、不都合な答えまでテガソード様へ預けていないかしら」
竜儀の目が動いた。
微かに。だが確かに。凛空の言葉が竜儀の何かを揺さぶった。
「不都合な、答え…?」
「判断の責任をテガソード様へ預けていないかしら、って言ってるの」
凛空は笑った。ふわりと。だがその笑みは鋭い。いつものぼかした笑みじゃない。もっと切れ味のある笑みだ。
「テガソード様のためなら何でもやる。それは信仰かもしれない。でも『何でもやる』って決めているのは誰? テガソード様が『何でもやれ』って言ったの? それともあなたが『何でもやる』って自分で決めて、それをテガソード様の意志ってことにしていない?」
竜儀が口を開いた。反論しようとした。だが、言葉が出てこなかったみたいだ。口が開いたまま、一秒、二秒。やがて口を閉じた。
(図星かよ)
俺は壁に背を預けたまま思った。凛空の指摘は鋭い。竜儀はテガソードに信仰を捧げている。だがその信仰の中に、自分の判断の責任までテガソードへ押し付けていないか。『テガソード様のためなら』という言葉で、自分の選択の責任を神へ預けていないか。凛空はそこを突いた。
「…それは」
竜儀が呟いた。声が小さい。いつもの重厚な声じゃない。
「それは、或許…」
「或許、じゃないわ」
凛空は言った。笑みを保ったまま。だがその目が竜儀を真っ直ぐに見ている。
「あなたはテガソード様に救われた。それは本当でしょう。でも救われた後も、判断をテガソード様の意志ってことにして、自分で答えを出すことから逃げていない? 『テガソード様のためなら』って言えば、自分で選んだ結果の責任を負わなくて済むから」
竜儀が沈黙した。
沈黙が廃ビルの空気を重くする。懐中電灯の白い光が、二人の間の粉塵を照らしている。
俺は黙って聞いていた。口を挟まなかった。これが二人の間のもんだからだ。だが内心では、凛空の言葉に頷いていた。
(お前もだろ、凛空)
俺は思った。竜儀にだけ言えることじゃねえ。凛空自身も同じことをしている。霊の意思を理由に、自分の選択から逃げている。『この子たちが望んでいるから』と言えば、自分が霊を傍に置きたいという自分の欲望を、霊の意思ってことにして逃げられる。
俺は言おうか迷った。言うべきか。言わざるべきか。野良犬が口を挟むことじゃねえかもしれない。だが、放っておくと二人が平行線のまま終わる気がした。
「凛空」
俺は口を開いた。声が思ったより低かった。
凛空が俺を見た。笑みを保ったまま。だがその目が微かに動く。俺が口を挟むと思っていなかったみたいだ。
「お前もだよ」
短く言った。それで十分だった。
凛空の笑みが止まった。一瞬だけ。 prayer 的所の時と同じだ。笑みが止まって、仮面のひびが見える。
「なに?」
「お前も同じだ。竜儀に『不都合な答えをテガソードに預けてる』って言ったけど、お前だって霊の意思を理由に自分の選択から逃げてる。この子たちが望んでいるから、この子たちの声を聞いたから。そう言えば、お前が霊を傍に置きたいって自分の望みを、霊の意思ってことにして逃げられるだろ」
凛空の目が揺れた。
笑みの下で、何かが揺れた。否定しようとして、言葉が出てこないみたいだ。竜儀の時と同じだ。図星を突かれた人間の反応だ。
「…それは」
凛空が呟いた。声が小さい。
「私は…この子たちのために…」
「この子たちのため、か」
俺は壁に背を預けたまま続けた。
「じゃあ聞くぞ。この子たちが『離れたい』って言ったら、お前は離すのか?」
凛空の足元の植物霊が微かに明滅した。凛空の顔が強張った。答えが出てこない。祈りの所で一部の霊が悟の方へ伸びた時、凛空は止まった指を見せていた。あの時、凛空は答えを出せなかった。
「答えられねえだろ」
俺は言った。
「お前はこの子たちの意思を尊重するって言ってるけど、この子たちがお前の望む通りに動かない時、お前はどうする。離すのか、それとも『やっぱり私のそばにいて』って言うのか。それを自分で決めてないから、霊の意思って言葉で逃げてるんだろ」
凛空の手が膝の上で握りしめられた。指が白くなる。笑みが消えかけている。消えかけているが、完全には消えない。必死に保っている。だがその必死さが、逆に本音を露呈している。
(言い過ぎたか?)
俺は少し後悔した。だが止まらなかった。ここまで来たら言うしかねえ。
「お前も竜儀も同じだ。自分で答えを出すのが怖い。だから神とか霊とか、自分じゃねえ存在のせいにして逃げてる。違うか?」
廃ビルに沈黙が落ちた。
懐中電灯の光が揺れる。粉塵が舞う。植物霊の小さな光が、凛空の肩の後ろで微かに震えている。
やがて、竜儀が動いた。
壁に寄りかかったまま、天井を見上げていた顔を前に戻す。凛空を見た。
「凛空さん」
低い声だ。
「私は…不都合な答えを預けていたかもしれません」
凛空が竜儀を見た。笑みが止まったまま。
「テガソード様のため、と言えば自分の判断の責任を負わなくて済む。そう考えていた部分があったかもしれません。家を出た時は自分の意志で選んだはずでしたが、その後もずっと『テガソード様のため』という言葉で、自分で答えを出すことから逃げていたのかもしれません」
竜儀の声は静かだった。だがその静けさの中に、何かが変わった気がした。自分の信仰の形を見つめ直している声だ。
「ですが、気づかせてもらいました。凛空さんに。そして吠に」
竜儀は俺の方を見た。金色の目が、静かに光っている。
「自分で選ぶ。それは怖いことです。答えが間違っていた時、言い訳ができないから。ですが、言い訳がないからこそ、自分の足で歩いていられる」
凛空の手が、膝の上で緩んだ。握りしめていた指が、ゆっくりと開く。
「…お互い様ね」
凛空が言った。笑みが戻りかけた。だがいつもの完璧な笑みじゃない。ひび割れたままの、不完全な笑みだ。
「私は霊の意思を理由に、自分の選択から逃げていた。竜儀はテガソード様の意志を理由に、判断の責任から逃げていた。お互い、神様と霊の影に隠れてたわけだ」
「そうですね」
竜儀が微かに笑った。初めて見た。竜儀が笑うところを、俺は初めて見た。苦笑みたいな、でも少しだけ暖かい笑みだ。
「お互い、預ける先を間違えていたのかもしれません」
「かもね」
凛空は呟いた。そして視線を机の上に落とした。封印札とサウザーライドウォッチが並んでいる。黒と橙の札。金色と銀色のウォッチ。二つの異なる力。
「…悟のこと、調べなきゃ」
凛空が言った。声が切り替わった。個人 MODE から戦術 MODE へ。だがその切り替えが、少し滑らかじゃねえ。まだ心の中で何かを煮詰めているみたいだ。
「あの封印術。式神の使い方。あの男が何者なのか。全部調べないと。次に来る時、同じ手は通用しないわ」
「はい」
竜儀が頷いた。
「そしてこのサウザーライドウォッチ。テガソードの変換機能でライダーリングにすれば、ゴジュウティラノを経由せず直接変身できます。あの封印術に対抗する手段が必要です」
竜儀がサウザーライドウォッチを手に取った。金色と銀色の表面が、懐中電灯の光を反射して光る。
「サウザンドジャッカー。この武器なら、式神の封印術を吸収・解析できるかもしれない」
「できるかしら」
「わかりません。だが試す価値はあります」
二人が机の方へ向き直った。凛空の足元の植物霊が、小さな光を灯したまま主の肩に寄り添っている。離れない。封印を免れた僅かな霊たちは、凛空のそばに残ると決めている。
凛空はそれを見て、少しだけ笑った。
ひび割れたままの笑みだ。だがそのひび割れから、少しだけ温かい光が漏れている。完全じゃない笑み。仮面が外れかけた笑み。だが、だからこそ本物の笑みに見えた。
俺は壁に背中を預けたまま、二人の背中を見ていた。
(預ける先を間違えていた、か)
神じゃなく、霊じゃなく。預けるなら、生きてる人間に預えるべきだった。竜儀はそれに気づいた。凛空も気づきかけている。
俺は?
俺は預けたことがあるのか。誰かに何かを預けたことがあるのか。
(ねえよ)
即答した。だがその即答の隣に、もう一つの言葉が浮かんだ。
(まだかよ、その言葉)
うるせえ。今は関係ねえ。
俺は目を閉じた。廃ビルの静かな空気の中で、二人が話し合う声が聞こえる。封印札の分析。サウザーライドウォッチの変換。悟の過去の調査。次の作戦の計画。
二人が互いの依存を認めた。そして次へ進むために、力を合わせ始めた。
(へえ)
俺は目を閉じたまま思った。
(悪くねえ、かもな)
言えるわけねえだろ。口が裂けても言えねえ。
だが心の中だけでなら、認めてもいいだろう。
少しだけ、だぞ。ほんの少しだけだ。