ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
縁側に、茶の湯気が漂っていた。
昼だ。陽が高い。寺の庭に鳥が来ている。メジロだ。枝から枝へ飛び移って、チチチと短い声で鳴いている。のどかだ。この寺、こういう時だけはのどかだ。ろくでもないことばかり起きるくせに、昼の縁側だけは平穏だ。ずりぃ。
俺は縁側の端に腰を下ろしていた。足を投げ出して、背中を柱に預ける。野良犬の定位置。はいはい、わかってますよ。端っこがお似合いですよ。
その隣で、禽次郎が茶を飲んでいた。
足をブラブラさせて、縁側に座っている。高校生だ。姿形は高校生だ。だが隣にいる奴がもっと問題だ。
鬼崎音弥。
こいつも縁側に座っていた。小柄な体。白みのある金髪。頭頂の跳ねた一房。鮮やかな緑の瞳。深緑の金縁マントに白いフリルシャツ。昼の光の中で、まるで撮影中の映画のワンシーンみたいな格好だ。
茶を飲む所作がおかしい。
おかしいって言っちゃ悪いが、若い姿に似合わねえ。両手で茶椀を持つ。ゆっくりと口に運ぶ。飲み干した後、茶椀を置く動作が一拍遅い。その一拍の中に、何十年分の習慣が詰まっている。十八歳の体で八十二年分の所作をしている。見てて落ち着かねえ。
「でさ、禽次郎くんはいつからその姿なんです?」
音弥が聞いた。穏やかな声だ。茶椀の縁を指で撫でながら。
「んー、結構最近っすよ。ゴジュウイーグルの力で若返ったっていうか。正確には若返ったんじゃなくて、変身したまま固定されてる感じっすかね」
禽次郎が答えた。にこやかに。だが言葉の選び方が慎重だ。「若返った」じゃなくて「固定されてる」。こいつは自分の状態を正確に把握している。変身したまま固定されている。十八歳の姿に。だが中身は元の年齢のままだ。
「私はもっと昔ですね。もう何十年も前になります」
音弥が言った。茶椀を置いた。縁側の木の上に、コトリと小さな音が響く。
「音楽を奪われて、それでも音楽を取り戻したくて。ある力に触れたのです。その結果がこの姿です」
「音楽を奪われた?」
禽次郎が首を傾げた。明るい表情の下で、目が動いている。
「MiucS(ミュークス)というものに」
音弥が言った。その名前を口にした瞬間、空気が変わった。微かに。だが確かに。音弥の声の端に、刃が混じった。
「MiucS。音楽を糧に活動する組織だと聞いていました。ですが、彼らは音楽を糧にするのではなく、音楽を奪うのです。作曲家としての私の時間、技術、魂。全部、奪われた」
音弥の手が、茶椀の上で止まった。指先が微かに震えている。怒りだ。八十二年の時間の中で積もり積もった怒りが、薄い爪の下から滲んでいる。
「私は作曲家でした。ピアノを弾き、曲を書き、音で世界と繋がっていました。それをMiucSに奪われた。音を失った時、私は何も残らなかった。名前も、存在も、全部消えた」
静かな声だ。だが静かすぎて怖い。大声で怒鳴る奴より、こういう静かな怒りの方が質が重い。
「だから若返った。音を取り戻すために。この姿でなら、もう一度弾けるかもしれない。もう一度作曲できるかもしれない。そう思ったのです」
音弥が庭を見た。メジロが枝から飛んだ。羽音が静かな庭に残る。
「ですが、奪ったものはそう簡単には返ってこない」
禽次郎が茶椀を置いた。
「鬼崎さん。あんたの音楽、奪われたんすよね」
「ええ」
「それ、どんな音楽だったんすか?」
禽次郎が聞いた。明るい声のままで。だが俺にはわかる。こいつは明るい声で重いことを聞く。それがこいつのやり方だ。
「どんなって」
「どんな曲を書いてたのか。どんな音が好きだったのか。教えてくれません?」
音弥が禽次郎を見た。緑色の瞳が少し揺れた。
「…ピアノ協奏曲を書いていました。静かな曲です。朝の光みたいな曲だと、言われたことがあります」
「朝の光みたいな曲。いいすね」
禽次郎が笑った。へらりと。いつもの笑みだ。
「俺もさ、歌ってそんな感じだったんですよ。友達と一緒に歌ってたんですけど。別に上手くなくて。へたくそでもよかったんですよ」
禽次郎が庭を見た。メジロが戻ってきた。また枝にとっている。
「時音って友達がいて。そいつと一緒によく歌ってたんです。大きな声で。歌なんて呼べるようなもんじゃなかったけど、それでも楽しかった。あいつの隣で歌ってる時だけは、変に気取らなくて済んだっていうか」
禽次郎の声が、少しだけ柔らかくなった。いつもの明るさの中に、一つ下の音が混じる。真面目な音だ。
「へらへらしてるってよく言われるんですけど、時音の前では別にへらへらしなくてよかった。ただ歌って、ただ笑って。それだけだったんです。あの時間は、へたくそでもよかった」
(時音)
俺はその名前を心の中で転がした。禽次郎の口から出る名前だ。こいつが本気で語る時に出てくる名前。
「今も覚えてるんですよ。あいつと歌った曲。曲って言えるようなもんじゃないけど。メロディも歌詞も適当で、どうしようもない歌だったけど」
禽次郎が膝を抱えた。
「あの歌を、失いたくないんです」
声が小さくなった。笑みは保たれている。だが目が笑っていない。
「変身しても、若返っても、あの歌だけは失いたくない。日常の中で、あいつと歌った何気ない記憶だけは残したかった。だから歌うんです。今でも。へたくそでもいいから」
音弥が禽次郎を見ていた。
緑色の瞳が、静かに揺れている。怒りが引いた。代わりに、共感みたいな光が浮かんでいる。
「…わかります」
音弥が言った。声が柔らかい。さっきまでの刃が消えた。
「私も同じです。奪われた曲の中に、どうしても忘れられないものがある。朝の光みたいだと言われたあの協奏曲を、もう一度弾きたい。それだけのために、この姿を維持している」
「維持、すか」
「ええ。八十二年分の時間を、十八歳の体に詰め込んでいる。無理があります。ですが、音を取り戻すまでは、やめるわけにはいかない」
音弥が茶椀を手に取った。もう一度、茶を口にする。ゆっくりと。
「だからこそ、思うのです」
音弥が茶椀を置いた。
「奪われたままではいけない。取り戻さなければならない。歌も、曲も、音も。奪われたままでは、奪った者が勝つ」
その言葉が、縁側の空気に重く沈んだ。
鳥が鳴いている。チチチと短い声で。平和な音だ。だが縁側の上の空気は、平和じゃねえ。
「…ところで」
音弥が庭から視線を戻した。
「市川瑠衣さん。あの子は歌えるのですか?」
禽次郎の手が止まった。
「歌えるかどうかじゃなくて、歌いたいかどうかっすね」
「歌いたいのでしょう? あの子は」
「たぶん。でも」
「でも?」
禽次郎が言葉を濁した。珍しい。こいつが言葉を濁らすのは珍しい。
俺は縁側の端から二人の会話を聞いていた。口を挟まなかった。野良犬は吠える時と吠えない時を知っている。今は吠える時じゃねえ。
* * *
本堂に移った。
昼の光が畳の上に四角い影を落としている。縫蘇霊獣が本堂の隅で丸くなっていた。小さな体が規則的に膨らんでいる。寝ている。
瑠衣がいた。
本堂の中央に立っている。禽次郎が隣にいる。俺は柱の陰だ。定位置だ。うるせえ。
音弥が瑠衣の前に立っていた。
小柄な体が、瑠衣と向かい合っている。マントの裾が畳に触れている。緑色の瞳が瑠衣を見ている。穏やかな目だ。悪意はねえ。この男に悪意はねえ。
「瑠衣さん」
音弥が言った。優しい声だ。
「お話を聞きました。あなたは歌を失ったのですね」
瑠衣が頷いた。短く、一回だけ。
「私も同じです。音楽を奪われた。だからわかります。音を失った時の空虚さが」
音弥が一歩近づいた。
「ですが、取り戻せるはずです。声も、歌も。失ったものは必ず戻る」
優しい言葉だ。暖かい言葉だ。だが俺は見た。瑠衣の手が、微かに動いた。右手が喉の方へ伸びかけた。そして止まった。膝の横に戻る。
「発声から始めましょう。簡単なことです。息を吐いて、声を出す。それだけです」
音弥が言った。穏やかに。だがその穏やかさの中に、焦りがある。俺にはわかる。この男は焦っている。自分が音楽を奪われた経験から、瑠衣にも早く取り戻してほしいと思っている。善意だ。純粋な善意だ。
だが善意は、時として圧になる。
「さあ、深呼吸をしてください」
音弥が手を差し出した。白い手だ。フリルの袖口から伸びる細い指。
瑠衣が呼吸した。
吸って、吐いて。朝と同じだ。肩が上がり、下がる。腹式呼吸。
「その調子です。次は声を出してください。あー、でいいです」
瑠衣が口を開いた。
朝と同じだった。
口が開いた瞬間、喉が微かに動いた。声にならない空気が漏れかけた。だが、それが形になる直前、瑠衣が息を止めた。ぐっと唇を閉じる。
「…大丈夫ですよ。ゆっくりでいいのです」
音弥が言った。優しく。だが一歩近づいた。
「もう一度。深呼吸をして、声を出すだけです。失敗しても構いません」
瑠衣が再度呼吸した。
吸って、吐いて。
口を開いた。
出なかった。
「…もう一度」
音弥が言った。声は穏やかだ。だがトーンが変わった。「もう一度」。その言葉の中に、矢印がある。「歌わなければ」という矢印。「奪われたままではいけない」という矢印。
瑠衣の右手が、喉に触れた。
指先だけ。軽く。朝と同じ仕草だ。
「歌わなければ、奪われたままだ」
音弥が言った。
静かな声だ。だが重い。八十二年分の重みが乗っている。
「私はそう信じてここまで来た。音を取り戻すために、この姿を維持している。瑠衣さんも同じはずです。歌いたいのでしょう? ならば歌わなければ」
瑠衣の目が伏せられた。
長い睫毛が頬に影を落とす。
喉に触れた指先が震えている。
(来た)
俺は思った。(圧になってる)
善意が圧になっている。音弥は瑠衣を救いたい。自分と同じように音を失った少女に手を差し伸べたい。それは本心だ。偽物じゃねえ。
だが「歌わなければ」という言葉は、瑠衣にとって鎖になる。「歌わなければ」と言われた時、歌えない自分はどうなる。「奪われたままだ」と言われた時、奪われたままの自分は何になる。
禽次郎が動いた。
「鬼崎さん」
声は明るかった。いつもの明るさだ。
「一つ聞いていいっすか」
音弥が瑠衣から視線を外した。禽次郎を見る。
「何ですか」
「無理に出させた声って、本人の歌なんすか?」
明るい声だった。だがその中に刃があった。
音弥の手が止まった。
「…どういう意味ですか」
「あのさ、鬼崎さんは早く取り戻したいんだと思うんですよ。それはわかるし、気持ちもわかるんですけど」
禽次郎が続けた。笑みを保ったまま。
「でも今、瑠衣さんが声を出そうとしてるのって、瑠衣さんが歌いたいからなんすか? それとも鬼崎さんに言われたからなんすか?」
本堂が静まり返った。
縫蘇霊獣が隅で寝返りを打った音だけが響く。
音弥の表情が変わった。穏やかな笑みが残っている。だが目が揺れている。
「私はただ」
「わかってますよ。悪気ないってのはわかってます」
禽次郎が遮った。
「でもあんた今、自分と同じだからって焦ってんだと思います。自分が音を取り戻したかったみたいに、瑠衣さんにも早く取り戻してほしいって」
禽次郎の声が少し低くなった。
「でも人間さ、押されて出した声って、自分の歌じゃないと思うんですよ」
音弥の手が下がった。
差し出していた手を、ゆっくりと引いた。
「…そう、かもしれません」
音弥が呟いた。
「私は焦っていたのかもしれません」
「焦りはわかるっすよ。俺も焦るタイプなんで」
禽次郎が笑った。
「でもここで無理に出しても、多分意味ないっす」
ふいに瑠衣が動いた。
何も言わずに。
喉に触れていた手を下ろして、伏せていた目を開いて、踵を返した。
本堂の出口へ向かって歩き出す。小さな背中が揺れている。
「瑠衣さん」
音弥が呼んだ。
だが瑠衣は止まらなかった。
出口の桟を跨いで、本堂から出ていく。足音が縁側に移って、遠ざかっていった。
本堂に沈黙が落ちた。
縫蘇霊獣が隅で丸くなっている。規則的に膨らむ小さな体だけが動いている。
音弥が立ち尽くしていた。
差し出した手が、まだ空中に残っている。ゆっくりと下ろした。
「…私の善意が、圧になっていましたか」
音弥が言った。静かな声だ。だがその静けさの中に、後悔みたいなものが滲んでいる。
禽次郎は答えなかった。
すぐには。
三秒ほど置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「悪気ないのはわかってるんですけどね」
声は明るかった。
だが目は笑っていなかった。
禽次郎は音弥を見ていた。
静かに。
真っ直ぐに。
俺は柱の陰からその光景を見ていた。
音弥は悪い奴じゃねえ。
本気で瑠衣を助けたかったんだ。
だが本気だからこそ、焦ったんだ。
自分と同じだからこそ、放っておけなかったんだ。
(善意も厄介だな)
俺は柱に背中を預けたまま思った。
悪意なら切ればいい。
だが善意は切れねえ。
切ろうとすれば相手を傷つける。
(どうすんだよ、これ)
答えは出ねえ。
ただ本堂の静けさだけが残った。
禽次郎はまだ音弥を見ていた。
笑みはない。
真剣な目で、静かに見つめていた。