ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
花弁が、まだ舞っていた。
音弥が倒れてからしばらく経っている。なのに桜吹雪は止まらない。音弥の力が抜けきっていないのか。それとも、あの桜は音弥が変身を解除しても残るものなのか。
夜の境内に、淡いピンク色の花びらが降り注いでいる。
禽次郎は、音弥の傍らに膝をついていた。
シザースの装甲はとっくに解除されている。金色と銀色の粒子が夜風に溶けて消えた。元の体に戻った禽次郎が、倒れている音弥を見下ろしている。
ボルキャンサーが横で小さな目を瞬かせていた。
と、その時だった。
音弥の手から、光が零れ落ちた。
ライダーリングだ。歌舞鬼のリング。金色と銀色の輪が、音弥の指からするりと抜け出す。まるで役目を終えたみたいに、ふらりと空中を漂った。
禽次郎は手を伸ばした。
リングが、掌に落ちてくる。ひんやりと冷たい。金属の重みが、掌の中に沈む。歌舞鬼の力。八十二年分の怒りと願いが、この小さな輪の中に凝縮されている。
「…預かるよ」
禽次郎はリングを握った。
その瞬間だった。
音弥の体が、光を放った。
金色の光だ。ライダーリングが抜けたことで、変身の維持が完全に解除されたのだ。音弥の体を覆っていた若さの光が、剥がれ落ちていく。
光が消える。
そこにあったのは、少年じゃなかった。
小柄な老人だ。
白みがかった髪は、金色ではなく完全に白くなっている。皺の刻まれた顔。閉じた目。細い首。枯れた手足。深緑のマントが、小さな体にだぶついている。フリルシャツも、黒い半ズボンも膝下の白い靴下も、老いた体には大きすぎる。
八十二歳。
本来の音弥の姿だ。
禽次郎は息を呑んだ。
「…これが、あんたの本当の姿か」
呟いた。小さく。夜の静けさの中に溶ける声だ。
老人は動かなかった。眠っている。ただ呼吸している。細い胸が、ゆっくりと上下している。生きている。倒れて、眠っているだけだ。
花弁が、老人の体の上に降り積もっていく。
禽次郎は膝をついたまま、その光景を見ていた。
(八十二年)
思った。八十二年間、この人は生きてきた。音楽を作りピアノを弾き、それからMiucSに全てを奪われた。奪われた後、若返ってこの姿になって、また戦おうとした。一人で。誰も傷つけない方法を探すこともなく。
(…でも)
禽次郎は、老人の顔を見た。
(この人、悪い人じゃねえよな)
悪意はなかった。本気で音楽を取り戻したかっただけだ。自分と同じくらい苦しんでいる瑠衣を見て、助けたいと思った。それだけだ。その善意が、焦りになって圧になって、暴走した。
悪意じゃねえ。
善意が、行き場を失って刃になった。
禽次郎は腰を落とした。
膝をついたまま老人の顔を覗き込む。目線を合わせる。立っている老人を見下ろすんじゃねえ。同じ高さで、同じ目線でこの人と向き合う。
「鬼崎さん」
呼びかけた。静かに。小さな声で。
老人のまぶたが、微かに動いた。
ゆっくりと、目が開く。緑色の瞳だ。若い姿の時と同じ色。だが今は、濁っている。力が抜けている。それでもその緑色の奥に、消えていない光がある。
「…私は」
掠れた声だった。八十二歳の老人の声。
「負けたのですね」
禽次郎は頷いた。
「うん」
短く答えた。嘘はつかない。負けた。それだけだ。
老人の目が、空を見た。
花弁が、まだ舞っている。自分の力が残した桜吹雪を、老人は見上げている。緑色の瞳にピンク色の花びらが映っている。
「桜が…まだ」
「うん。止まってない」
「私の力は、もう抜けたはずなのに」
老人の声が、掠れている。
禽次郎は空を見た。確かに桜はまだ舞っている。音弥の力が抜けたなら、桜も止まるはずだ。なのに止まらない。
「もしかして」
禽次郎は呟いた。
「あんたの未練、みたいなもんじゃないすか」
老人が、禽次郎を見た。
「未練」
「うん。まだ歌を取り戻したいって気持ちが、桜になって残ってるんじゃないすかね」
老人は答えなかった。
ただ、花弁を見ていた。舞い続ける桜を。自分が残した桜吹雪を。まだ消えていない、自分の願いの形を。
しばらく、沈黙があった。
花弁が舞う音だけが、夜の境内に響いている。サラサラと花びらが石畳を擦る音。静かだ。だが重い。
「一つ、聞いてもいいすか」
禽次郎が口を開いた。
「あんた、中継施設を壊したら本当に音楽が戻ると思ってたんすか」
老人の目が、微かに揺れた。
「…戻るとは、思っていませんでした」
「じゃあ、なんで」
「奪われるのを止めたかった」
老人の声が、少しだけ強くなる。
「私の音楽はもう戻らない。ですが、他の誰かの音楽が奪われるのを止められるかもしれない。それだけの理由です」
「それだけの理由で、周りの人を傷つけるんすか」
禽次郎の声は静かだった。責める声じゃねえ。ただ、確認する声だ。
「中継施設を壊せば、そこに繋がってる人たちが傷つく。音楽を聞いてる人たちが。歌を聴いてる人たちが。あんたが取り戻したい音楽を、今まさに聞いてる人たちが」
老人は、目を閉じた。
「…そうですね」
小さな声だった。
「あなたの言う通りです。私は、見ていませんでした。奪う側ばかりを見て聞く側を見ていませんでした」
「うん」
禽次郎は頷いた。
「誰かを傷つけて取り戻した歌には、その傷まで残る」
老人のまぶたが、微かに震えた。
「傷まで」
「そう。歌って、取り戻したとしてもその歌を聞くたびに、傷つけた人のことを思い出すんじゃないすかね」
禽次郎の声が、少しだけ柔らかくなる。
「俺、歌は詳しくないっすけど。でも歌って、誰かのために歌うもんだと思うんですよ。少なくとも、俺はそうだった」
「誰かのために」
「うん」
禽次郎は、空を見た。花弁が舞っている。夜の月がその向こうにある。
「俺には、時音っていう友達がいるんですよ。そいつとよく歌ったんです。へたくそな歌。でも、あいつのために歌ってた。あいつの隣で歌ってる時だけは、変に気取らなくて済んだ。あの時間が俺の歌でした」
老人は、禽次郎を見た。
緑色の瞳が、少しだけ潤んでいる。
「だからさ、誰かを傷つけて取り戻した歌にはその傷まで残る。本当の歌を穢しちまう。あんたの歌も、あんたの音楽も傷で穢れちまう」
禽次郎の言葉は静かだった。
だが、胸に刺さる言葉だった。
老人は、答えなかった。
長い沈黙があった。花弁が舞っている。桜吹雪が、まだ止まらない。音弥の未練が形を保っている。
「それでも」
老人が口を開いた。
「それでも、私は歌を取り戻したい」
声は、弱々しかった。だが消えていなかった。
「MiucSに奪われた歌を、取り戻したい。傷をつけてでも私は」
「わかるよ」
禽次郎は、遮った。
「あんたの気持ち、わかる」
「…なぜ」
「俺にも、失いたくない歌があるから」
禽次郎は、リングを握ったまま老人を見た。
「時音と歌った、あのへたくそな歌。変身しても若返っても、あの歌だけは失いたくない。日常の中であいつと歌った何気ない記憶だけは、残したかった。だから歌うんです。今でも。へたくそでもいいから」
老人の目が、禽次郎を見ていた。
禽次郎の目も、老人を見ていた。
年齢の差は、八十二年と十八年。だがその差は今、意味を持たなかった。同じものを失いかけて、同じものを取り戻したいと願っている。それだけが、二人の間にある。
「あんたの願い、否定しねえよ」
禽次郎が言った。
「歌を取り戻したいって気持ちは、本物だ。それは否定しねえ」
老人のまぶたが、微かに動いた。
「でも、誰かを傷つけるのはダメだ。それは譲れねえ」
禽次郎は、手を差し出した。
掌を上にして。老人の前に。リングを握っていない方の手だ。
「誰も犠牲にしない方法、一緒に探そう」
老人は、その手を見た。
皺の刻まれた顔に、驚きの色が浮かぶ。差し出された手を見てそれから禽次郎の顔を見て、また手を見る。
「私と、あなたが」
「うん」
「敵だったのに」
「戦いは終わったから」
禽次郎は、にこりと笑った。
へらりとした笑みじゃねえ。もっと静かな、正直な笑みだ。
「今は、ただの音楽を失った者同士っしょ」
老人は、しばらく、その手を見ていた。
花弁が舞っている。桜吹雪が、夜の境内を埋めている。音弥の未練が形を保っている。
やがて、老人の手が動いた。
枯れた手が、ゆっくりと上がる。震えている。八十二年分の疲労が、その手に重く乗っている。
それでも、手は上がった。
禽次郎の手に、触れる。
冷たい手だった。皺の刻まれた、小さな手。だが確かな重みがあった。
老人が、禽次郎の手を握った。
「…ありがとう」
掠れた声だった。
「私の願いを、否定しなかった」
「否定できねえよ」
禽次郎は、握り返した。
「俺も同じだから」
老人の目から、一筋の涙が零れた。
桜吹雪が、その瞬間、少しだけ強くなった。花弁が二人の周りを渦を巻いて舞い上がる。まるで、未練が形を変えていくみたいに。
そして、桜が止まった。
花弁が、静かに降り積もる。石畳の上に。二人の肩の上に。倒れたカニの甲羅の上に。全ての花びらが地面に落ちて、夜の境内に静寂が戻った。
音弥の未練は、消えたんじゃねえ。
形を変えたんだ。
一人で抱えていた願いが、二人で探す約束に変わった。それだけのことだ。だが、その違いは大きい。
禽次郎は、老人の手を握ったまま立ち上がった。
「さ、本堂に戻りましょう。カニさんも」
ボルキャンサーが、小さな目を瞬かせた。
ずんぐりとした体を起こして二人の後をついてくる。オレンジ色の体が、月明かりの中でゆっくりと動いている。
老人は、禽次郎の肩を借りてゆっくりと歩き出した。
八十二歳の体には戦いの疲労が重すぎる。一歩一歩が、やっとだ。だがその足取りは、倒れる前よりも確かだった。誰かに支えられて歩く足は、一人で走る足よりずっと確かだ。
「猛原さん」
老人が、歩きながら言った。
「なにすか」
「あなたの歌、聞かせてください」
禽次郎は、少しだけ笑った。
「へたくそですよ」
「構いません」
老人も、少しだけ笑った。皺の刻まれた顔に小さな笑みが浮かぶ。八十二年分の疲労の中に、ほんの少しだけ暖かい光が灯った。
「へたくそな歌ほど、心に残るものですから」
夜の境内に、二人の足音が響く。
その後ろから、ずんぐりとしたカニの足音が続く。
花弁が、静かに降り積もっている。
月明かりが、三人の影を長く伸ばしていた。
(終わり、じゃねえ)
禽次郎は思った。
(ここからだ)
歌を取り戻す旅は、まだ終わっていない。瑠衣も音弥も、自分も。みんなまだ歌を取り戻す途中だ。
だが、一人じゃない。
それだけが、今は違う。
* * *
寺の本堂に、朝の光が渗んでいた。
俺は本堂の隅に座り込んでいた。背中を柱に預けて、膝を立てる。野良犬の定位置。ええわかってますよ。隅っこがお似合いですよ。
目の前で、禽次郎が老人に茶を渡していた。
音弥だ。八十二歳の音弥。元の姿に戻った音弥。マントは脱いで、寺の古い浴衣を着ている。白みがかった髪が、朝の光の中で銀色に光っている。
「熱いから気をつけてくださいね」
禽次郎が言った。明るい声だ。いつものへらへらした明るさじゃねえ。もっと静かな、正直な明るさだ。
「ありがとう」
音弥が茶を受け取った。両手で。ゆっくりと。その所作は、若い姿の時と同じだった。八十二年分の習慣が、老人の体に染みついている。
瑠衣が、本堂の入り口に立っていた。
縫蘇霊獣を抱いている。小さな生き物が、瑠衣の腕の中で丸くなっている。瑠衣は音弥を見ていた。複雑な目だ。昼間のことを覚えている。押しつけられた善意のことを。
音弥が、瑠衣に気づいた。
「市川さん」
音弥が言った。声は掠れている。だが、穏やかだ。
「昨日は、すみませんでした」
瑠衣は、答えなかった。
だが、俯かなかった。音弥をまっすぐ見ていた。
「歌わなければならない、と押しつけました。あなたの歌を私の焦りで縛りました」
音弥は、茶椀を置いた。
「謝ります」
瑠衣の目が、微かに揺れた。
「…別に」
短い返事だ。それだけ。だがそれだけで十分だった。瑠衣は、本堂の中に入ってきた。縫蘇霊獣を抱いたまま、音弥の傍らに座った。少し離れた位置に。だが、同じ本堂の中に。
禽次郎が、その様子を見てにこりと笑った。