ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
朝の寺は、少しずつ夏の匂いを濃くしていた。
軒先を抜ける風はまだ涼しいのに、陽の当たる石畳はもうぬるい。木々の葉は青く、遠くで鳴く蝉の声はまだ本調子じゃない。それでも、春の軽さはもう抜けていて、空気の重さだけが先に季節を連れてきている。
そんな朝でも、寺の中はいつも通り動いていた。
雪庭は帳面を見ていて、青木は静かな手つきで境内を整えている。芹亜も前よりずっと寺の空気に馴染んでいて、言われる前に動くことが増えた。陸王は相変わらず口は軽いくせに、こういう時はちゃんと手を動かす。
その中で、朱莉だけが少しだけ硬かった。
別に顔色が悪いわけじゃない。返事だっていつも通り短いし、動きも鈍くない。けど、分かる。肩のどこかに力が入ってる。何かを前にしてる時の顔だった。
「次に向かう場所は、これまでより厄介だ。準備はしておいてくれ」
雪庭が静かに言う。
「分かってる」
朱莉はすぐに返した。
その返事の速さが、逆に少しだけ引っかかった。陸王も同じことを思ったらしい。
「珍しく硬いな」
「別に」
朱莉はそう言って、それ以上は何も乗せない。
俺は縁側の柱にもたれたまま、少しだけ眉を寄せた。
「無理してんなら言えよ」
朱莉がこっちを見る。
「してない。やることがあるだけ」
いつもの調子だった。
だから、それ以上は言わなかった。言わなくても、今は無駄だって分かる。こいつがこういう顔をしてる時、無理に踏み込んでも大した返事は返ってこない。
昼前、朱莉は寺を出た。
何となく、その背中を見送る気になれなくて、俺もあとを追った。
少し歩いたところで、朱莉が振り返る。
「なんでついてくるの」
「別に。暇だっただけだ」
「嘘くさい」
「うるせえ」
そう返したら、朱莉は小さく鼻を鳴らしただけで、それ以上は追い返さなかった。
道は住宅街の方へ続いていた。寺の静けさから少し離れると、生活の音が増える。どこかの家の窓から食器の触れ合う音がして、自転車のブレーキが短く鳴る。風に混じる匂いも、木と土から洗濯物や昼飯の支度みたいなものへ変わっていく。
朱莉が向かった先は、古い木造の家だった。
庭先の植木鉢はきちんと並べられていて、玄関脇には使い込まれた箒が立てかけてある。新しくはない。けど、ちゃんと人の手が入ってる家だった。
引き戸が開く音がして、奥から老人が顔を出す。
「おや、朱莉。今日は早いな」
「手伝いに来ただけ」
朱莉は靴を脱ぎながら、こっちを少しだけ顎で示した。
「あと、一人ついてきた」
老人――正則さんは、俺を見て柔らかく笑った。
「そうか。なら、その子の分も茶を用意しないとな」
「気にしなくていい」
「そういうわけにもいかんよ」
穏やかな声だった。
けど、その穏やかさの奥に、妙な静けさがあった。疲れてるとも、弱ってるとも違う。何かをもう手元に置けないと分かってる人間の静けさだ。
家の中へ入ると、空気が少し変わった。
木の匂い。古い家具の匂い。日の当たる畳の、乾いたような温かい匂い。壁には古びた写真がいくつか飾られていて、棚の上には使い込まれたラジオがあった。部屋の隅には、手入れはされているのに今はあまり触られていないと分かる物がいくつかある。人が長く暮らしてきた家の空気だった。
朱莉は家へ上がるなり、もう慣れた手つきで動き始めた。
台所の布巾を絞り、片づけかけの器をまとめ、廊下へ出て洗濯物を取り込む。どれも迷いがない。ただ手伝いに来たって感じじゃない。ここで何をすればいいか、身体が覚えてる動きだった。
俺は最初、部屋の端でそれを見ていた。
けど、見てるうちに分かってきた。
こいつはただ顔を出しに来たんじゃない。支えに来てる。祖父の家だから、なんて簡単な話じゃなくて、自分がここで動くのが当たり前になってる。そういう距離だ。
正則さんが湯呑みを出しながら、笑う。
「ほんとに、よく動く子でな」
「放っておくと余計なことまでやるから」
朱莉はそう言うが、口調はきつくない。
俺はそのやり取りを見ながら、何となく喉の奥がむず痒くなった。
言葉にしなくても分かることがある。こいつにとって、ここは放っておけない場所なんだってことくらい。
「立ってるだけなら邪魔」
振り向きもせず、朱莉が言う。
「……何やればいい」
そう返したら、少しだけ間があった。
「じゃあ、それ運んで」
指されたのは、押し入れの脇へ積まれた箱だった。古い本や書類が入っているらしく、見た目より重い。
「最初からそう言えよ」
「聞かれなかったから」
そんなやり取りをしながら、俺もその家の中で動くことになった。
箱を運んで、脚立を支えて、棚の上のものを下ろして。手を動かしてると、余計なことを考えなくて済む。けど今日は、動いてる間も少しだけ頭の隅が騒がしかった。
昼を少し回った頃、ようやくひと息ついた。
台所の窓から風が入る。庭の葉が揺れる音がして、遠くで子どもの声がした。朱莉は流しの前で手を拭いていて、正則さんは座卓の向こうで湯呑みに手を添えている。
「昔は、もっと自然に歌ってたもんだがなぁ」
不意に、正則さんがそう言った。
俺は顔を上げる。朱莉の手も止まった。
「別に上手かったわけじゃないよ。ただ、歌ってると、家の中まで少し明るくなる気がしてな」
そう言って笑う。
その笑い方が、妙に引っかかった。
明るい話をしてるみたいなのに、どこか置いてきたものを見る目をしていたからだ。
「今はもう、そういうのも難しいけどねぇ」
軽く言う。けど、軽くはなかった。
朱莉は何も言わない。ただ少しだけ視線を落とした。
俺は湯呑みの縁を指先でなぞりながら、つい口を開いていた。
「まだ歌いてえのか」
正則さんは、すぐには答えなかった。
少しだけ窓の外を見る。庭の向こう、風に揺れる葉の方を。
「歌いたい、というより……忘れたくないんだろうな」
その声は静かだった。
「歌ってた頃の気持ちごと」
それを聞いた時、胸の奥で何かが引っかかった。
見た目も、喋り方も、全部違う。なのに、頭の隅に別の顔が浮かぶ。
禽次郎。
あいつは騒がしくて、軽くて、やたら前向きで、こういう静かな家にはたぶん全然似合わない。けど、似てる気がした。手放したふりをして、まだどこかで持ってる感じ。年を重ねても、諦めきれずに残ってるものがある顔。
全然違うはずなのに、少しだけ重なる。
「どうしたの」
朱莉が聞いてくる。
「……別に」
「またそれ」
「うるせえ」
そう返したら、朱莉は呆れたように小さく息を吐いた。
けれど、それ以上は聞いてこなかった。
そのあと、正則さんが奥の部屋へ立った。
茶のおかわりを取りに行っただけの短い間だったが、家の中が少しだけ静かになる。窓の外の葉擦れの音だけが、やけにはっきり聞こえた。
「何」
朱莉が流しにもたれたまま言う。
こっちが見ているのに気づいたんだろう。
「……お前、家族のこと大事にしてんだな」
口に出した途端、朱莉が少しだけ目を見開いた。
図星だったらしい。ほんの一瞬だけ、言葉を選ぶみたいな間が落ちる。
「当たり前でしょ」
それだけ返ってきた。
「……だよな」
俺もそれ以上は言わなかった。
言わなくても分かる。こういうのは、見れば分かる。守りたい相手がいる時の顔なんて、言葉にされなくても分かる。
俺だって、知ってる。
家族とか、仲間とか、失いたくない相手とか。そういうものがある時、人は勝手に動く。理由なんてあとからついてくるだけだ。
だから、朱莉がここへ来て当たり前みたいに動く理由も、何となく理解できた。
正則さんが戻ってきて、またいつもの空気が戻る。けれど、その少し短い静けさだけで、前より少しだけ朱莉のことが見えた気がした。
夕方前、俺たちは寺へ戻った。
空は少し白く霞んでいて、木々の影が長くなり始めている。寺の門をくぐった瞬間、空気が変わったのが分かった。
芹亜が立ち止まる。
「……来る」
小さな声だったけど、はっきりしていた。
雪庭の顔つきが変わる。
「やはり、次はあそこだ」
青木がゆっくり辺りを見回す。
「剣の気配が濃い。かなり嫌な相手ね」
陸王も軽く息を吐いた。
「いよいよ本番か」
朱莉は迷わなかった。
「行くよ」
その横顔を見た時、さっきまでいた家の空気が一瞬だけ重なった。
正則さんの静かな目。歌を忘れたくないと言った声。家族を大事にする朱莉の動き。全部が、今の朱莉の背中へ繋がっている気がした。
守りたいものがあるから、前へ出る。
それが分かるから、俺の中でも朱莉の見え方が少し変わっていた。
出発の前、ほんの短い間だけ風が吹いた。木々が鳴る。その音の奥に、細く鋭いものが混じる。剣だ。まだ見えないのに、抜き身の気配だけが先に届いてくる。
「……終わってねえやつってのは、案外すぐ分かる」
気づけば、そう零れていた。
「何か言った?」
朱莉が振り向く。
「別に」
俺は短く返す。
風がもう一度吹いた。
その音の奥で、鋭い剣気が静かに息をしていた。