ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
翌朝、角乃は封蝋を見ていた。
寺の一室に白い布を敷き、その上に手紙と封筒を置く。拡大鏡、手帳、昨日の反応を記録した紙片。並べたものは多くない。けれど、見るべきものは十分にあった。
黒い封蝋には、花を囲む波の紋章が刻まれている。盾の形をした輪郭、その内側に細い蔦のような線が絡み、中央には小さな花。周囲には、波とも鎖とも見える曲線が何重にも重なっていた。
悪趣味な意匠だ。
花嫁と満ち潮。祭壇。逃げた花嫁。昨日の手紙に並んだ言葉と、あまりにも噛み合いすぎている。
「花を囲む波。花嫁と満ち潮。悪趣味なほど分かりやすいわね」
角乃が呟くと、横から吠が覗き込んだ。
「分かりやすいなら、もう相手分かったのか」
「分かりやすい手掛かりほど、相手が見せたいものでもある。飛びつくのは三流よ」
畳の上で胡坐をかいていた遊真が、すぐに食いつく。
「じゃあ一流は?」
「見せたいものを見たうえで、隠したいものを見る」
「うわ、言い方が探偵っぽい」
「探偵なのよ」
角乃は封蝋の縁を拡大鏡で追った。溶けた蝋の流れ方が一定ではない。古い家に伝わる本物の印璽を使ったなら、押し跡はもっと深く、輪郭も落ち着く。これは古いものを真似ている。正確には、古い権威を演じ直している。
「さすがハイクラス名探偵」
陸王が縁側から声をかけた。
「当然よ」
角乃は答えながら、手帳に線を一本引いた。
雪庭は部屋の隅に座っていた。必要以上に口を挟まない。昨日と同じだった。瑠衣の過去を語りすぎないこと。それは隠蔽ではなく、瑠衣のものを勝手に奪わないための沈黙だと角乃はもう理解している。
瑠衣は雪庭の少し後ろにいた。いつもなら茶や布巾に手を動かしている時間だが、今は静かに座っている。視線は封蝋に向けられていた。紋章の中央の花を見るたび、指先がほんの少しだけ止まる。
角乃はそれも記録した。
「この紋章は欧州系の旧家を思わせる。けれど、正式な貴族名簿に載るような家ではないかもしれない」
雪庭が、わずかに目を伏せる。
「その紋章は、島で使われていた家のものに近い」
「近い、なのね」
「同じとは言わない。あれから名も形も変えているはずだ」
「没落した家が、過去の権威だけを残して戻ってきた。そう考えるのが自然ね」
没落、という言葉には瑠衣は反応しなかった。
反応したのは、やはり花だった。封蝋の中心に刻まれた小さな花。花嫁という役割を飾るための記号。瑠衣の指が、膝の上で握られる。
角乃は拡大鏡を置き、手紙へ目を移した。
「相手は一度も、市川瑠衣という名前を使っていない」
遊真が首を傾げる。
「それって、そんなに大事なのか?」
「大事よ。名前で呼ぶことは、その人が今ここにいることを認めることだから」
遊真は瑠衣を見た。瑠衣は視線を上げない。
「じゃあ、あいつらは……」
「認めたくないのよ。市川瑠衣さんが、花嫁でも偽物でもなく、今ここで生きている一人だということを」
吠が低く息を吐いた。
「気に入らねえな」
「同感ね」
角乃は短く返した。
雪庭が静かに口を開く。
「その名は、私が与えた」
部屋の空気が少しだけ変わった。
「それ以上は今は語らない。だが、瑠衣は瑠衣だ」
瑠衣が雪庭を見た。
長い視線ではない。声もない。けれど、その目にだけ、かすかな温度があった。親子という言葉を使うには、まだ角乃は踏み込みすぎだと思った。ただ、そこに保護者と被保護者以上のものがあることは分かる。雪庭が与えた名前は、単なる識別のための記号ではない。彼女が今ここにいるための柱だ。
だから相手はそこを折りに来ている。
やり口としては下品だが、的確だった。だからこそ、腹が立つ。
調査が一区切りついたころ、寺の空気がまた変わった。
最初に気づいたのは朱莉だった。廊下へ出た彼女が、足元を見て眉を寄せる。
「誰か、水こぼした?」
角乃はすぐに立ち上がった。
廊下の板の上に、濡れた足跡が一つだけ残っていた。小さな裸足の跡。子供のものにも見える。だが、周囲に水滴はない。廊下の埃も流れていない。足跡の形だけが、そこに濡れた現象として置かれている。
瑠衣が近づき、足跡の前で止まる。
「……違う」
彼女の声は小さかったが、確信があった。
瑠衣の傍にいた縫蘇霊獣が、濡れた足跡へ鼻先を近づけ、すぐに後ずさった。毛並みを逆立てるように身を縮め、瑠衣の足元へ戻ってくる。
「縫蘇霊獣、ビビってる……?」
遊真が膝をついて覗き込む。
「水ではないわ。足跡だけが濡れているのに、周囲の埃が流れていない」
「どういうことだよ」
吠が足跡を睨む。
「ここに水が来たのではなく、足跡という現象だけが置かれている。記憶に近いわね」
「島の記憶、かな」
陸王の声が、いつもより少し低かった。
「おそらく。手紙と封蝋を媒介に、寺へ過去の場面を重ねている」
角乃は足跡の向きを見た。
本堂の奥へ続いている。
ひとつ、ふたつ。廊下の角にもう一つ。濡れた足跡は途切れながらも、どこかへ向かっていた。遠くで潮騒が聞こえる。もちろん、この寺の近くに海はない。鳥の声と木々の葉擦れの間に、ありえない波の音が混じっている。
封筒が置かれていた部屋へ戻ると、紙の端が湿ったように波打っていた。
角乃は触れない。見るだけで十分だった。
敵はもう脅しだけで満足していない。寺を、自分たちの儀式の場へ近づけようとしている。
廊下の向こうで、遊真が立ち止まっていた。
縫蘇霊獣が瑠衣の後ろに隠れるのを見て、彼の表情が変わる。分かりやすい子だ。怖がるもの、弱ったもの、無理をするものを見つけると、放っておけない。その気質は美点だが、事件の中では危うさにもなる。
「円堂君」
角乃は声をかけた。
「勝手に動かないこと。今の足跡は、あなたが触っていい手品の仕掛けじゃないわ」
「分かってるよ」
遊真はそう答えた。
答え方が少し早い。角乃はそこで目を細めたが、朱莉が別の足跡を見つけて声を上げたため、そちらへ視線を移した。
その数分後、遊真の姿は消えていた。
角乃は、彼の湯呑みの横に手つかずの茶菓子が残っているのを見て、ため息をついた。畳の上には、小さな靴跡がある。さっきまでなかったものだ。廊下の濡れた足跡の横に、さらに小さな点のような跡が続いている。
「円堂君がいないわ」
「またか、あのガキ!」
吠が即座に立ち上がる。
「叱るのは後。今は救出が先よ」
「どこへ行ったと思う?」
陸王が聞く。
「本堂裏。濡れた足跡を追ったはず」
「何で分かる」
吠の問いに、角乃は廊下の小さな跡を指した。
「彼は待つのが苦手。でも、完全に無責任でもない。自分が役に立てると思った場所へ行くタイプよ」
「厄介な褒め方だな」
「褒めている部分もあるわ」
角乃が歩き出すと、瑠衣も立ち上がった。雪庭が一瞬だけ彼女の前に手を出す。止めるためではなく、確認するためだった。
瑠衣は首を振る。
「……行く」
雪庭は何も言わず、手を下ろした。
本堂裏へ回ると、潮騒がはっきり聞こえた。
そこには黒い霧が薄く漂っていた。地面は濡れていないはずなのに、足元だけがぬめるように暗い。霧の奥で、小さな遊真が柱にしがみついている。スモールリングで小さくなったまま、黒い潮のような流れに足を取られていた。
「うわっ、やばっ……!」
遊真の腕が伸びる。
『エクステンド!』
伸びた腕が柱に巻きつく。だが黒い潮は、物理的な水の流れではない。足元から引くように、遊真の身体をどこかへ持っていこうとしている。小さい身体では踏ん張れない。
その先に、少女の影が見えた。
白い衣。顔は見えない。霧の中で、何かを指さしている。怒っているようにも、怯えているようにも見えた。遊真はその影を見ながら、必死に声を上げる。
「おい……君、昨日の使者の後ろにいた……?」
少女は答えない。
ただ、指を伸ばす。
黒い潮が強まった。
縫蘇霊獣が飛び出しかけ、しかし霧の手前で足を止める。怯えている。それでも瑠衣が一歩前に出ると、縫蘇霊獣は小さく震えながら隣に並んだ。
角乃は音を聞いた。
潮騒。寄せる音と引く音。だが、遊真の身体が引かれている方向は、波の音が近づく方と一致していない。逆だ。これは潮ではなく、記憶の流れだ。祭壇へ戻れという命令を、波の音で偽装している。
「円堂君、足元を見るのではなく、音の逆へ!」
「音の逆!?」
「潮騒に合わせて引かれている。波の音が来る方へ逃げると、祭壇へ近づくわ!」
「そんなの分かるかよ!」
「今分かったでしょう!」
遊真は歯を食いしばり、伸ばした腕を別の柱へ向けた。反対側へ。波の音が遠のく方へ。エクステンドで柱を掴み直すと、身体がわずかに浮いた。
吠が霧の縁まで踏み込み、腕を伸ばす。
「掴まれ!」
「届かないって!」
「伸びるんだろうが!」
「そうだった!」
遊真は伸ばした腕を吠へ向けた。吠がその手首を掴み、一気に引き上げる。黒い潮が最後に足を絡め取ろうとしたが、瑠衣の縫蘇霊獣がそこへ飛びかかった。小さな牙で霧を噛むように割り、遊真の足元を解放する。
遊真は地面へ転がり、元の大きさへ戻った。
息を切らしながら、真っ先に縫蘇霊獣を見る。
「助かった……ありがとな」
縫蘇霊獣は瑠衣の後ろへ隠れた。だが、さっきより震えは少ない。瑠衣がその背をそっと撫でる。
「だから勝手に動くなっつってんだろ!」
吠の怒鳴り声が落ちた。
遊真は肩をすくめる。
「ご、ごめん! でも、見えたんだよ!」
「何が?」
角乃が問う。
「女の子のゴースト。怒ってるっていうより……何か、伝えたがってた」
瑠衣の手が止まった。
縫蘇霊獣の背を撫でていた指が、少しだけ強くなる。雪庭も目を伏せた。角乃は二人の反応を見る。生贄のゴースト。昨夜の影。黒い霧。寺へ重ねられている島の記憶。線はまだ完全には繋がらない。けれど、輪郭は見え始めている。
遊真は額の汗を拭い、悔しそうに唇を噛んだ。
「オレ、また勝手に動いた。ごめん」
「反省は受け取るわ」
角乃は短く言った。
「けれど、見たものまで無駄にはしない。少女の影が何を指していたか、後で正確に話して」
「分かった」
今度は、素直だった。
本堂へ戻る途中で、霧はさらに濃くなった。
封筒の封蝋が熱を持ち、黒く脈打つ。廊下には濡れた足跡が増えていた。一つ、二つ、五つ。どれも小さく、裸足で、同じ方向へ向かっている。境内へ。石畳の向こうへ。そこには、存在しないはずの祭壇の影が重なり始めていた。
縫蘇霊獣たちが瑠衣の周りへ集まる。
どの個体も怯えていた。毛を逆立てるもの、瑠衣の袖を噛んで離れないもの、床の上で丸くなるもの。瑠衣はその中心に膝をつき、一体ずつ手を添えた。
「……大丈夫」
声は小さい。
「……ここにいる」
その言葉を聞いた瞬間、角乃は瑠衣を見た。
縫蘇霊獣に言っている。けれど、自分にも言い聞かせているようだった。ここにいる。祭壇ではない。島ではない。名前を奪われる場所ではない。市川瑠衣として、寺にいる。
黒い潮霧が境内へ流れ込んだ。
石畳の上に波の影が走り、本堂の柱に塩を含んだような白い筋が浮かぶ。鳥の声は消えた。代わりに、遠くて近い潮騒が耳を満たす。霧の奥で、複数の少女の影が揺れていた。泣いているのか、呼んでいるのか、怒っているのか。声はまだ言葉にならない。
「これは、いよいよ穏やかじゃないね」
陸王が剣呑な声で言う。
「いやさか……祈りを穢す気配です」
竜儀が本堂を背に立つ。
「どうやら、掃除で済む話ではなさそうだ」
禽次郎が冗談めかして言ったが、笑みは薄かった。
霧の奥から、昨日の使者の声が響く。
「満ち潮は近い。花嫁を返せ」
遊真が前へ出ようとした。
だが、今度は止まった。拳を握り、奥歯を噛み、それでも角乃を見る。
「……今は、待つんだよな」
「いいえ」
角乃は封筒を手に取った。
「今は、解いて進む時よ」
遊真の目が変わった。
「じゃあ、オレも行く」
「勝手に先へ行かない。私の指示を聞くこと」
「分かった。今度はちゃんと聞く」
角乃は頷き、瑠衣へ向き直る。
瑠衣は縫蘇霊獣を抱えたまま、霧の奥を見ていた。顔色はよくない。それでも、逃げてはいない。縫蘇霊獣を守る手を離していない。
「市川瑠衣さん」
角乃は、意識してその名を呼んだ。
瑠衣がこちらを見る。
「相手はあなたを過去へ引き戻そうとしている。でも、ここは寺で、あなたは今ここにいる」
瑠衣は、小さく頷いた。
黒い潮霧の奥に、古い貴族家の紋章が浮かぶ。封蝋と同じ、花を囲む波。そこから少女たちの影が広がり、そのさらに奥に、祭壇の輪郭が揺れていた。
角乃は手帳を閉じる。
「封蝋の家名、潮騒の罠、生贄のゴースト。ようやく事件の形が見えてきたわ」