ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
御簾の向こうで、家光が俺を見ている。
たぶん、見ている。顔は薄い布に隠れてはっきりしねえのに、視線だけは妙に真っ直ぐだった。畳の目を数えたくなるくらい、その場の空気が細く張っている。行灯の火が揺れるたび、金屏風の鶴が羽ばたきかけてやめるみたいに光った。
「吠。そなた、近う寄れ」
「もう寄っただろ」
反射で返した瞬間、横から芹亜の息を飲む音がした。春日局の扇が、ぴたりと止まる。
「上様、御言葉を少々……」
「まだ遠い」
「十分近えよ。俺は脱出係だぞ」
「脱出係なのに、どんどん奥へ呼ばれてるね」
陸王が笑いを噛み殺しながら言う。こいつ、絶対あとで覚えてろ。
「笑ってんじゃねえ」
「……任務と逆」
瑠衣がぽつりと言った。
「分かってるよ!」
声が跳ねた。
女中の影たちが、一斉にこっちを見る。何度目だよ、その動き。もう俺の声に反応する装置みたいになってんじゃねえか。
「吠さん、声が……」
「……分かってる」
芹亜に言われて、俺は喉の奥で言葉を押し潰した。畳の匂いが濃い。息を吸うだけで、作法まで肺に入ってくるみたいだった。
そんな中で、角乃がゆっくり扇を開いた。
見た目だけは完璧だ。袖の角度も、視線の落とし方も、座り方も、いちいち隙がない。さっきまで女中たちに褒められてたのも納得はできる。納得はできるが、腹は立つ。
「春日局様。念のため、確認してもよろしいかしら」
「何でございましょう」
「上様は、格式ある所作や品格ではなく、あの粗野な狼に御心を動かされた。そういう理解でよろしいの?」
「粗野な狼って言うな」
「訂正するわ。非常に粗野な狼」
「悪化してんだろ」
角乃の扇が、俺の方を示す。俺は噛みつかねえぞ、と思ったが、言うとまたややこしくなるから黙った。
春日局は御簾と角乃の間で視線を揺らした。扇を持つ手だけが、わずかに強くなる。
「一河様、私にも……正直なところ、測りかねております」
「大奥の審美眼、なかなかハイクラスに難解ね」
「角乃ちゃん、まだ引きずってるね」
陸王が小声で言う。
「引きずっていないわ。状況を精査しているだけ」
「……悔しい?」
瑠衣が言った。
短い。小さい。なのに座敷の真ん中に落ちた小石みたいに、全員の視線が少し跳ねた。
「市川さん」
角乃の声が一段低くなる。瑠衣は縫蘇霊獣の背を撫でて、何も言わない。目も合わせない。最近のこいつ、逃げ際まで上手くなってる。
「お前も刺されてんじゃねえか」
「今のは刺されたのではなく、観察されたのよ」
「同じじゃない?」
陸王が首を傾げる。
「違うわ」
角乃はそう言い切ったが、扇の位置がさっきより少し高かった。顔を隠しているつもりかもしれねえが、肩のあたりがほんの少し固い。
金屏風の光が、薄く揺れる。
この場所は、全部を整えようとしてくる。声も、座り方も、視線も、心の向きまで。なのに今、ほんの少しだけ整いきらないものが混ざっていた。角乃の引っかかり。春日局の止まった扇。瑠衣の短い言葉。家光の視線。
そして、なぜか俺。
「上様」
角乃が姿勢を整え直した。
おい。まさか。
「人の心とは、閉ざされた襖にも似ています。無理に開けるべきではない。けれど、向こう側から手が掛けられた時、こちらはその音を聞き逃してはならない」
声は綺麗だった。畳に落ちても音を立てない言葉。俺には絶対に無理なやつだ。
「ふむ。よき言葉だ」
御簾の向こうで、家光が頷いた。
角乃の扇が、ほんの少し上がる。
「そなたの所作は美しい」
さらに上がる。
「だが、吠の言葉は襖を蹴破るようで、なお面白い」
扇が止まった。
「蹴破ってねえ」
「……上様。襖は、普通、蹴破らないものです」
「だから面白い」
「完全に刺さってるね」
「刺さるな」
「……襖、かわいそう」
「俺が壊したみたいに言うな」
瑠衣が縫蘇霊獣を胸に抱き直す。縫蘇霊獣は小さく鼻を鳴らした。こいつまで俺を責めてねえだろうな。
春日局が咳払いをした。
「上様、吠様に御興味を持たれたことは、よろしゅうございます。されど、此度の願いは――」
「春日。そなたはすぐに願いへ戻す」
家光の声が、少し低くなった。
さっきまで俺を面白がっていた声とは違う。畳の奥へ沈むような声だった。行灯の火が細くなる。
「それが私の務めにございます」
「務めか」
春日局は背筋を崩さない。
「上様には、上様としての御役目がございます」
瑠衣の指が止まった。
縫蘇霊獣の背を撫でていた手が、そこで動かなくなる。芹亜が横目でそれに気づく。
「……また、役目」
座敷に沈黙が置かれた。
「市川様?」
春日局が瑠衣を見る。
瑠衣は一度だけ瞬きをした。声は小さいままだったが、御簾の向こうまで届いた。
「……先に、置かれてる」
それだけ言って、瑠衣は口を閉じた。
でも、芹亜はその続きを拾った。歌の前の息みたいに、静かに一歩前へ出る。
「春日局様。上様の御心を動かすというのは、役目へ押し出すことなのでしょうか」
春日局はすぐには答えなかった。
扇の骨が、細く鳴る。
俺には難しいことは分からねえ。大奥の作法も、上様の役目も、春日局の願いも、全部ややこしい。けど、誰かが誰かを先に形へ押し込もうとしてる空気は、嫌でも分かる。
銭山もそうだった。
守ると言って、箱に入れようとした。
昨日の瑠衣もそうだった。名前じゃなく、役目で呼ばれていた。
畳の上に置かれた膝が、じっとしていられなくなる。俺は口を開いた。
「よく分かんねえけどよ」
全員が俺を見た。
何だよ。見んな。いや、もう遅い。
「本人が黙ってんのに、周りだけで決めても仕方ねえだろ」
春日局の眉がわずかに動く。
「上様のためを思えばこそ――」
「だったら本人に聞けよ」
座敷が、すっと静かになった。
言葉を出してから、自分でも少し驚いた。何かうまいことを言おうとしたわけじゃない。ただ、口から出た。喉につかえてた骨みたいな言葉が、そのまま畳に転がった。
「俺は、勝手に決められんのは嫌いだ」
御簾の奥で、家光が少し身を乗り出した気配がする。
「なぜ嫌う」
「知らねえよ。嫌なもんは嫌だ」
「そのように言い切るか」
「言い切るだろ。自分のことだぞ」
家光は黙った。
春日局も黙った。
行灯の火が揺れる。金屏風の鶴の影が、畳の上に伸びている。飛べない鳥みたいな影だと思った。
角乃が扇の陰から俺を見る。
「……粗野だけれど、核心ね」
「褒める時くらい粗野を外せ」
「……核心の狼」
「変な称号つけんな」
瑠衣の言葉に、陸王が口元を押さえた。俺はもう深く突っ込むのをやめた。ここで声を張ったらまた女中に見られる。
芹亜が前へ進んだ。
春日局が少しだけ視線で止めようとしたが、芹亜は深く頭を下げた。頭を下げすぎず、軽すぎず。さっきまでの練習がちゃんと生きている。俺と違って。
「上様」
「何を」
「私は、春日局様の願いを叶えるために参りました。でも、今は先にお聞きしたいです」
御簾の奥が静まる。
「上様ご自身は、何をご覧になっているのですか」
家光は答えない。
芹亜は顔を上げないまま続けた。
「大奥でも、役目でも、周りの願いでもなく。今、御簾の向こうから、何を見ておられるのですか」
瑠衣がそっと続ける。
「……見られるの、苦しい時もある」
春日局の視線が瑠衣に移る。
「……でも、見られないまま決められるのも、苦しい」
短い沈黙が落ちる。
瑠衣の声は、本当に小さい。それでも、ここでは俺の大声よりずっと強かった。畳の上を滑って、御簾の奥まで届いて、春日局の扇の先を止める。
「お前、たまにすげえこと言うよな」
俺が言うと、瑠衣がこっちを見た。
「……たまに?」
「いや、結構」
「そこは訂正しなくていいのよ」
角乃が小声で言う。
芹亜の肩が、ほんの少しだけ緩んだ。瑠衣はまた目を伏せたが、縫蘇霊獣の耳がぴくりと動いた。
御簾の奥から、家光の声がした。
「吠」
「また俺かよ」
「上様」
春日局が口を挟みかける。
「よい。聞きたい」
家光の声は静かだった。さっきまでの面白がる響きは薄くなっている。
「そなたなら、周りが望む役目と己の望みが違う時、どうする」
俺は口を開けたまま止まった。
そんなこと聞かれても困る。俺は頭で考えるのは得意じゃねえ。作法も分かんねえ。大奥の空気も分かんねえ。上様の気持ちなんか、もっと分かんねえ。
「知らねえ」
「即答しない」
角乃がすぐに言う。
「知らねえもんは知らねえだろ」
でも、そこで言葉は終わらなかった。
畳の目を見ていた。一本一本が真っ直ぐで、きっちり並んでいる。踏み外すなと言われているみたいだった。俺には向いていない。けど、その真っ直ぐさに足を縛られたら、たぶん走れない。
「でも、誰かに全部決められるくらいなら、自分で間違える」
座敷の音が少し遠のいた。
「間違えたら、また考えりゃいい。殴られたら痛えし、転んだら起きる。けど、最初から自分の足を縛られたら、転ぶこともできねえ」
言ってから、少しだけ息が詰まった。
何でこんなことを喋ってんだ、俺は。大奥の畳の上で、御簾の向こうの将軍相手に。こんな格好で。こんな窮屈な帯を締めて。
瑠衣が顔を上げていた。
芹亜も息を止めていた。
角乃は扇の陰で、目だけを細めている。さっきまでの困惑じゃない。何かを見つけた時の顔だ。
「自分で、間違える」
家光が繰り返した。
「そうだよ。悪いか」
「悪くない」
その声は、少しだけ柔らかかった。
春日局が口を開く。
「されど、上様には上様の務めがございます」
「ええ。それは事実でしょうね」
角乃が入った。
春日局が彼女を見る。さっきまで少し引っかかっていた角乃の声が、今はすっと畳に乗った。
「けれど、務めを背負わせることと、心を置き去りにすることは別よ」
「一河様」
「ハイクラスな整理をするなら、今回の条件は『御心を動かすこと』。『役目へ押し込むこと』ではないはず」
春日局は黙った。
「角乃ちゃん、取り戻してきたね」
「私は最初からハイクラスよ」
「さっきまで結構引っかかってただろ」
「余計な観察はしなくていいわ」
扇の向こうで、角乃の目が俺を射た。少しだけいつもの調子が戻ってきている。まあ、その方がこいつらしい。
芹亜が春日局へ向き直る。
「春日局様。上様の御心は、もう動いています」
「ですが、私の望む形ではございませぬ」
「……形、先に決めない」
瑠衣が言った。
春日局の目が、瑠衣へ向く。
「……動いたなら、見ればいい」
角乃が小さく頷いた。
「市川さんの言う通りね。心が動いたなら、まずその方向を観察するべきよ」
「俺を見るな」
「あなたを見ているのではなく、現象を見ているの」
「同じだろ」
「現象の狼」
陸王がぼそっと言う。
「増やすな」
御簾の向こうで、家光が言った。
「現象の狼」
「上様まで乗るな!」
女中たちが一斉に見る。
芹亜がまた口元に指を立てる。
「声……」
「……乗らないでください」
「ふむ。努力している」
「そこ褒めんな」
家光が小さく笑った。
今度の笑いは、さっきの「面白い」とは少し違った。御簾の奥で、固まっていたものがひとつほどけるような音だった。春日局は何も言わない。ただ、扇を持つ手の力が少しだけ抜ける。
「春日」
「はい、上様」
「余は、そなたが余のために心を砕いていることを知っている」
春日局が深く頭を下げた。
「だが、その心配の先に、余がいるのか。役目だけがあるのか。時折、分からなくなる」
畳の上に、言葉が静かに落ちた。
春日局は動かなかった。行灯の光だけが、彼女の扇の縁を照らしている。
「上様……」
芹亜が小さく呼ぶ。
「吠の言葉は粗い。礼もない」
「悪かったな」
「否定しなさい、少しは」
角乃が小声で突っ込む。
「だが、余ではなく、ただそこにいる者として言葉を向けた」
座敷が静まる。
俺は何も言えなかった。別にそんな立派なつもりはなかった。ただ、見ていて腹が立つことを口にしただけだ。けど、御簾の向こうの声は、それを拾っていた。
「……名前みたい」
瑠衣が呟いた。
全員が彼女を見る。
「……役目じゃなくて、名前」
家光は少し黙った。
「ならば、余の名で聞くか」
芹亜が静かに顔を上げる。
「はい。上様がよろしければ」
「少し、話そう」
春日局が扇を閉じた。
ぱちん、と小さな音が座敷に響いた。怒った音じゃない。何かを止めるためでもない。続きを聞くための音に聞こえた。
やっと話が進みそうだ。
そう思った瞬間、家光がこちらを向いた。
「だが、その前に」
「何だよ」
「吠。そなたのことも、もう少し聞きたい」
「何でだよ!」
女中たちが一斉に見る。
芹亜が俺を見る。
「吠さん」
「……何でですか」
「その言い直しも面白い」
「面白がんな」
「吠君、大奥に順応してきたね」
陸王が笑う。
「してねえ」
「……少し」
瑠衣が言った。
「してねえ!」
また女中たちが見る。
角乃が扇を閉じたまま、澄ました顔で言う。
「していないわね。まだまだ粗野よ」
「お前は黙ってろ」
「荒声は、お控えくださいませ」
春日局まで入ってくる。
「……はい」
俺は畳に向かって答えた。
家光がまた小さく笑った。春日局は困ったように目を伏せるが、今度は止めなかった。
芹亜が一歩前に出る。
「では、上様。お話を、聞かせてください」
御簾の向こうで、家光がゆっくり頷いた。
行灯の火が少しだけ揺れる。金屏風の鶴の影が、畳の上で羽を広げたように見えた。
俺は膝の上で拳を握り、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
「……やっぱ、さっさと帰りてえ」