ナンバーワン戦隊ゴジュウジャーVSゴーストコンサート : missing Songs ユニバースライダー大戦 作:ボルメテウスさん
御簾の向こうで、家光が俺の名前を呼んだ。
「吠。そなたは誰にも仕えぬと言った」
畳の上で、俺の膝が少しだけ固まる。
金屏風に描かれた鶴は、羽を広げたまま動かない。行灯の火だけが細く揺れて、御簾の影を水面みたいに震わせていた。大奥の空気は相変わらず息苦しい。声を出す前から、喉の奥に作法を詰められてるみたいだ。
「言ったけどよ。そこ、そんなに引っかかる所か?」
「上様の御前にて、その物言いは――」
春日局が扇を持ち上げかける。
「よい。今はそのまま聞きたい」
家光の声が、それを止めた。
春日局の扇は開かなかった。閉じたまま、膝の上へ戻る。ほんの少しだけ、指の力が残っていた。
「誰にも仕えぬ者は、何のために戦う」
「何のためって……」
言葉が詰まる。
こういう質問が一番困る。敵が来たなら殴る。誰かが倒れそうなら手を伸ばす。出口が必要なら壁をぶち抜く。身体は勝手に動くのに、畳の上で理由を聞かれると途端に足場がなくなる。
「吠君、珍しく考えてるね」
「茶化すな」
陸王がにこにこしている。こいつはこういう時、本当に楽しそうな顔をする。
「この場合は証言として重要よ。なるべく主観そのままで答えなさい」
角乃が扇を閉じたまま言う。
「注文が探偵くせえ」
「探偵だもの」
「……いつも通りでいい」
瑠衣の声が、横から落ちた。
俺はそっちを見る。
瑠衣は縫蘇霊獣を抱えたまま、目を逸らさなかった。相変わらず声は小さい。けど、言葉だけは真っ直ぐ来る。
「……いつも通りって何だよ」
「……雑」
「励ましてんのか、それ」
「たぶん、かなり励ましてるよ」
陸王が言う。
「嘘つけ」
それでも、肩の余計な力が少し抜けた。
雑でいいなら、まあ、俺にもできる。
俺は御簾の向こうへ顔を向けた。家光の顔は見えない。けど、視線だけはこっちにある。上様だの将軍だの、そういう名前の前に、今はただ質問してくる相手がいる。
「誰かに言われたから戦ってるわけじゃねえよ」
「ならば、何ゆえ」
「目の前で誰かが倒れそうなら、手ぇ伸ばすだろ」
「それが、そなたの務めか」
「務めとか言われると違う」
膝の上の拳を握って、すぐ開く。
畳の目がやけに整っている。どこまでも同じ幅で並んでいて、踏み外したらすぐ分かる。俺はそういう場所にいると、足の裏がむずつく。
「守りてぇ奴がいる時に動くだけだ。別に誰かに決められたからじゃねえ」
「しかし、人は役目を持ちます。役目なくして立つことは――」
春日局が口を挟む。
「役目が悪いとは言ってねえよ」
春日局の言葉が止まった。
俺は言いながら、自分でも少し驚いていた。こんな場所で、こんな格好で、何を真面目に喋ってんだろうな。けど、ここで雑に流したら、瑠衣がさっき言った「名前」も、芹亜が聞こうとしている声も、全部また役目の箱に戻される気がした。
「ただ、役目って言葉で全部決められんのは嫌だって話だ」
「そなたは、己で選ぶのか」
「選ぶっつーか、選ばなきゃ気持ち悪いだろ。自分の足なんだから」
家光は黙った。
御簾の影がわずかに揺れる。風はない。動いたのは、向こうに座る誰かの息かもしれなかった。
「なるほどね」
角乃が静かに言う。
「何がだよ」
「上様があなたに反応した理由。粗野さそのものではないわ」
「粗野を前提にすんな」
「前提よ」
「おい」
角乃は涼しい顔で続ける。
「あなたは上様を、上様として丁重に扱わなかった。もちろん、本来なら大問題よ」
「本来なら、で済ませてよい話ではございませぬ」
春日局の声は低い。そりゃそうだ。
「ええ。けれど、その無礼が、今回は御簾に隙間を作った」
御簾に隙間。
俺は思わず御簾を見る。細い布の向こうで、家光の輪郭はまだぼやけている。けれど、さっきより少し近く感じた。
「上様としてではなく、ひとりの方として言葉を向けた……ということでしょうか」
芹亜が言う。
「そういうことね」
「そんなつもりねえよ」
「……だから、届いた」
瑠衣が短く言った。
言い返そうとして、やめた。
瑠衣は縫蘇霊獣の背を撫でていた。昨日、自分の名前を書いた指で。役目じゃなく、名前を持った手で。そう思ったら、雑だと言われたことに文句を言う気が少しだけ失せた。
「無自覚なところが吠君らしいね」
「褒めてねえだろ」
「無自覚か。なおよい」
御簾の向こうから家光が言う。
「なおよくねえ」
また女中たちがこっちを見るかと思ったが、今回は見なかった。いや、見たかもしれねえ。もう分からん。
瑠衣が少しだけ身じろぎした。
「……上様」
家光の影がそちらへ向く。
「何だ」
瑠衣はすぐには言わなかった。唇が少し開いて、閉じる。芹亜が隣で何も言わずに待っている。急かさない。代わりに、瑠衣の縫蘇霊獣が小さく鼻を鳴らした。
「……名前で、聞いていい?」
座敷が静まった。
春日局が扇を持ち上げる。
「市川様、上様に向かって――」
「よい」
家光が止めた。
春日局の扇は、また開かない。膝の上に戻る音だけがした。
瑠衣は小さく頷く。
「……徳川家光として」
御簾の影が揺れた。
行灯の火が少し伸びる。金屏風の鶴の首が、光の中でわずかに傾いたように見えた。
「……何を、見てる?」
たったそれだけ。
けど、今までのどの作法よりも深く、座敷の奥へ届いた気がした。
「お前、ほんと核心に直で行くな」
「……遠回り、苦手」
「それは探偵としては少し困るけれど、今回は有効ね」
角乃が扇を完全に閉じる。観察する目に戻っている。さっきまで吠だの粗野だの言っていたやつが、こういう時はちゃんと見るから厄介だ。
「徳川家光として、か」
家光が呟く。
しばらく沈黙があった。
御簾の向こうで、彼がどんな顔をしているのかは分からない。ただ、声が次に出てくるまで、誰も動かなかった。女中の影さえ、呼吸を止めたように見えた。
「余は、春日が余を案じていることを知っている」
春日局が深く頭を下げる。
「大奥も、世の務めも、不要とは言わぬ。余が背を向ければ、困る者がいることも分かっている」
春日局の手が扇を握る。指先に白く力が入った。
「だが、余の前に置かれるものは、いつも先に役目だ」
瑠衣の手が止まる。
「余が何を見ているか。何を嫌い、何を面白いと思うか。その前に、上様としてどうあるべきかが置かれる」
畳の目が、さっきよりも窮屈に見えた。
真っ直ぐで、乱れず、どこまでも続く。その上を歩けと言われ続けたら、足の形が畳に合うように変わっちまうかもしれない。俺なら途中で蹴る。蹴って怒られる。たぶん、それでいい。
でも、蹴ることすら許されねえ奴もいる。
「吠の言葉は、礼を欠く」
「悪かったな」
「そこは黙るところよ」
角乃が小声で刺す。
「だが、余の前に役目を置かなかった」
俺は黙った。
置かなかったんじゃない。置き方が分からなかっただけだ。けど、家光はそれを別のものとして受け取っている。
「それが、面白かった」
春日局は何も言わない。
扇の影が膝の上に落ちている。少し前なら、すぐに言葉を挟んでいたはずだ。今は、その扇が閉じたまま置かれている。
芹亜が一歩、前へ出た。
「上様」
「何だ」
「私は歌います。けれど、今はまだ歌いません」
春日局がわずかに顔を上げる。
「相葉様?」
芹亜は、春日局に一度頭を下げた。それから家光へ向き直る。
「歌は、相手の心に届かなければ、ただの音になってしまいます」
彼女の視線が瑠衣へ向く。
瑠衣は小さく頷いた。朝、寺で出していた細い声を思い出す。息を吸って、少し置いて、ゆっくり出す。あの時、芹亜は声を押し出させなかった。相手の息が動くのを待っていた。
「だから、歌う前に聞かせてください。家光様が、何を見て、何を聞きたくないと思っているのか」
「余ではなく、家光と呼ぶか」
「よろしければ」
少し間があった。
「よい」
春日局がまた顔を上げた。
今度は止めなかった。扇も開かなかった。
「上様、しかし――」
言いかけて、止まる。
御簾の向こうの家光を見て、春日局は扇を膝の上へ置いた。ぱちん、と小さな音がする。さっきまで場を正すために鳴っていた音とは違う。区切りをつける音だった。
「……お聞かせくださいませ」
「春日」
「はい」
「今は、余ではなく、家光として話す」
春日局は深く頭を下げた。
「承知いたしました」
瑠衣が小さく息を吐く。縫蘇霊獣の耳が揺れる。芹亜が姿勢を整え、角乃は扇を持った手を膝の上に置いた。
ようやく話が進む。
俺はそう思った。
「吠」
「今度は何だよ」
「吠様」
春日局の声が飛ぶ。
俺は顎を引いた。
「……何ですか」
「そなたも聞け」
「俺もかよ」
「そなたの言葉が、余をここへ引き出した」
「引き出すつもりなんかねえって」
「無自覚な起点ほど、観察価値があるわ」
角乃が言う。
「俺を研究対象にすんな」
「現象の狼だしね」
陸王が乗る。
「その呼び名を定着させんな」
「……少し、似合う」
瑠衣が小さく言った。
「似合わねえ!」
女中たちが一斉に見る。
芹亜がすっと口元に指を立てる。
「吠さん」
「……似合いません」
「言い直せるようになったな」
家光が言う。
「そこ褒めんな」
御簾の向こうで、家光が小さく笑った。
その笑いは、さっきより少しだけ軽かった。行灯の火が揺れて、金屏風の鶴が畳に落とす影も柔らかくなる。春日局は困ったように目を伏せたが、もう止めなかった。
芹亜が前へ向き直る。
「では、家光様。お話を、聞かせてください」
御簾の向こうで、家光が頷く気配がした。
「聞け。余ではなく、家光の言葉を」
座敷の奥に、静かな入口が開いた気がした。
戦うでもなく、扉を壊すでもなく、誰かの声を待つための入口。俺には似合わねえ場所だ。けど、ここから出るには、たぶんその入口を通るしかない。
俺は畳を見下ろし、小さく呟いた。
「……俺、まだ帰れねえのか」