違和感は、最初からあった。
「合同訓練?」
秤が面倒そうに口を開くと、五条は軽く頷いた。
「そう。一年と顔合わせも兼ねてね。まあ、ちょっと特殊なのもいるから気をつけて」
軽い口調。
だが、“特殊”という言い方だけが、妙に引っかかる。
それだけで済ませるには、少し含みがある。
遊真は深くは聞かない。どうせ見れば分かる。そう判断しただけだった。
⸻
訓練場へ向かう。
空気はいつもと同じはずなのに、わずかに違うものが混じっている。
馴染んでいない気配。
濃く、重く、押し切れていない何か。
視線を向けると、すでに一年の姿があった。
真希、パンダ、棘。見覚えのある三人。
そして、少し離れた位置に、もう一人。
落ち着かない視線。揺れる重心。
地に足がついていない立ち方。
第一印象は、弱い。
だが、その認識は一瞬で崩れる。
呪力が溢れている。抑えきれていない。
身体の外に、そのまま漏れ出している。
量が異常だった。
ただ立っているだけで、周囲の空気が沈む。
密度が違う。質も違う。
「……」
遊真の視線が止まる。
普通じゃない。
「あの……よろしく、お願いします。乙骨憂太です」
震えた声で名乗る。
視線も定まらない。だが、その奥にあるものは別だ。
底が見えない。
制御されていないだけの、純粋な“量”。
それが、そのまま外に漏れている。
⸻
五条が手を叩く。
「じゃあ軽くやろうか。怪我しない程度にね」
軽い言い方だったが、その言葉だけが場に残る。
この相手に加減が成立するのか、という疑問が消えないまま距離が詰まる。
⸻
最初に動いたのは真希だった。
地面を踏み切り、沈み込みから一気に加速する。低い重心のまま一直線に間合いへ入り、そのまま次の打撃へ繋げる構えまで完成している。
だが、間合いに入る直前で空気が変わった。
押し返されるような圧が前に出る。
乙骨の肩が震え、視線が揺れ、呼吸が崩れる。
「来ないで……!」
その言葉と同時に、内側に収まっていた呪力が一気に外へ溢れた。
圧が広がり、空気が沈み、地面の砂がわずかに浮く。
「リカちゃん……!」
呼びかけに応じるように、背後の空間が歪む。
⸻
“それ”が現れる。
人の形をなぞりながら、密度だけが異様に濃い呪力の塊。
出現した瞬間、周囲の空気が一段深く沈み、呼吸が重くなる。
⸻
リカが腕を振る。
予備動作はほとんどない。振り抜く直前に空間が押し広げられ、そのまま衝撃が走る。
真希は踏み込みを切り替え、身体を横に流すことで直撃を外す。
だが圧を完全には逃がしきれず、衝撃が側面をかすめ、そのまま身体が弾かれて地面を滑る。
⸻
パンダが割って入る。
正面から踏み込み、腕を交差させて受けるが、衝撃はそのまま押し込まれる形で乗る。
踏み込んだ足が沈み、地面が割れる。
押し返すことはできず、受け止めるだけで精一杯になる。
「……っ、重い!」
力の向きが一方的に上から乗る。
支えること自体が限界に近い。
⸻
狗巻が一歩前に出る。
喉を押さえ、息を整えた上で声を放つ。
「止まれ!」
呪言が空気ごとリカの動きを縛る。
一瞬だけ、動きが止まる。
だが拘束が軋む。
内側から押し広げるようにして呪言を引き剥がし、再び動き出す。
完全には止められていない。
ただ一瞬、遅らせただけだ。
⸻
遊真が踏み込む。
状況を見て判断を切り替える。
攻めではなく、止める側に回る。
一直線に距離を詰め、間合いに入る直前でリカの気配がこちらに向く。
視線が合う。
次の瞬間、腕が振られる。
来ると理解した時には、すでに間合いの内側に入っている。
回避の選択肢が成立しない距離。
衝撃が胸に入る。
身体が浮き、空中で姿勢が崩れる。
そのまま地面に叩きつけられる。
⸻
肺から空気が抜ける。
呼吸が止まり、視界が白く染まる。
音が一瞬遅れて戻ってくる。
それでも、遊真は身体を起こす。
肺に残った空気を吐き出し、呼吸を整えながら視線を上げる。
ダメージはある。だが動ける範囲に収まっている。
問題はそこじゃない。
⸻
もう一度踏み込む。
今度は合わせる。
呼吸、気配、圧の流れ。そのすべてを観て、噛み合わせる。
踏み込みのタイミングを半歩ずらし、衝突の瞬間をずらす。
そのまま内側へ入り込み、拳を叩き込む。
確かな手応えがある。
衝撃は通っている。
だが。
止まらない。
流れが途切れない。
押し返すどころか、圧の中に飲み込まれる感覚が残る。
⸻
「やめて……!」
乙骨の声が震える。
「リカちゃん、やめて……!」
制御しようとしている。
だが、力の方がそれを上回っている。
リカが再び動く。
今度は連続。
一撃目を外す。身体を捻り、軌道を逸らす。
だが、その回避に合わせて次の動きが重なる。
二撃目。
逃げきれない。
衝撃が正面から入る。
身体が沈み、足が地面に食い込む。
姿勢を保てない。
その状態で、はっきりと理解する。
勝てない。
技術ではない。
読みでもない。
純粋な出力と密度の差。
積み上げでは届かない領域。
「はい、そこまで」
五条の声が割り込む。
空気が一瞬で切り替わる。
張り詰めていた圧が抜ける。
リカの気配が消え、重さが消える。
呼吸が戻る。
空間が、元に戻る。
乙骨がその場に崩れ落ちる。
「ご、ごめんなさい……!」
声が震えている。
視線も定まらない。
完全に制御できていない。
だが。
あの力は本物だ。
少し離れた場所で、秤が息を吐く。
「……なんだよあれ」
綺羅羅が静かに言葉を重ねる。
「別枠だね。あれは」
真希が立ち上がり、砂を払う。
「化け物か」
短い一言。だが評価は揃っている。
遊真はゆっくりと身体を起こす。
痛みは残っているが、動きに支障はない。
視線を乙骨へ向ける。
怯えている。
だが、その奥にある力は揺らいでいない。
圧倒的な量。
制御されていないまま存在している純粋な暴力。
自分とは違う種類の強さ。
積み上げた結果ではなく、最初からそこにあるもの。
「……いいな」
小さく呟く。
羨望でも、恐れでもない。
ただ純粋な評価。
秤が振り向く。
「は?」
遊真は視線を逸らさずに続ける。
「上がいる」
それだけだった。
初めて、自分より上の存在を明確に認識する。
距離がある。差がある。
だが。
測れる。
届かないとは思わない。
その瞬間から。
遊真は、その距離を詰めるための思考に入っていた。