「壊せる者は、壊さない」   作:東洋コッペ

27 / 35
第27話「ズレ」

高専の朝は、いつも通りに始まっていた。

 

澄んだ空気。まだ人の少ない校内。遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。

 

グラウンドでは 虎杖悠仁 が走り込みをしていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

息は荒い。それでも足は止まらない。

 

一定のリズムで地面を蹴り続ける。フォームは崩れていない。意識して整えているのが分かる。

 

その少し離れた場所で、伏黒恵 がそれを見ていた。

 

腕を組み、視線だけで追う。

 

「無理するな」

 

短く言う。

 

「してないって」

 

悠仁は笑う。

 

「ちょっとでも追いつきたいだけ」

 

その言葉に嘘はない。

 

伏黒は何も言わない。

 

気持ちは分かる。

 

だが同時に理解している。

 

その差が、努力だけで埋まる種類のものではないことも。

 

視線を少しだけ逸らす。

 

考えるのをやめるように。

 

校舎の廊下では、釘崎野薔薇 がスマホを見ながら歩いていた。

 

画面をスクロールしながら、前も見ている。器用に避けながら進む。

 

「ねえ」

 

前を歩く悠仁に声をかける。

 

「九条先輩、今日見た?」

 

悠仁が振り向く。

 

「いや」

 

首を傾げる。

 

「朝から見てない」

 

釘崎が少しだけ考える。

 

「珍しくない?」

 

「任務じゃね?」

 

悠仁は軽く言う。

 

だが、どこか納得しきれていない表情。

 

伏黒が横から答える。

 

「任務だろ」

 

短い。

 

いつも通りの返答。

 

だが、その声にわずかな引っかかりがあった。

 

説明としては正しい。

 

それでも、何かが違う気がする。

 

その違和感の正体までは、まだ誰も掴めていなかった。

 

その頃、遊真は一人で訓練場に立っていた。

 

誰もいない。

 

音もない。

 

ただ、風だけが静かに通り抜ける。

 

動いていない。

 

構えもない。

 

だが、完全に止まっているわけではない。

 

内側だけが、ざわついている。

 

(……まだいるな)

 

小さく息を吐く。

 

目を閉じる。

 

意識を内へ向ける。

 

あの時の感覚。

 

真人と対峙した時。

 

領域に引きずり込まれた、あの瞬間。

 

確かに“何か”が目を開けた。

 

それが、消えていない。

 

むしろ——

 

薄く、広がっている。

 

手を握る。

 

ゆっくりと呪力を流す。

 

いつも通りの動作。

 

何も変えていない。

 

だが。

 

(……重い)

 

違う。

 

質が違う。

 

自分の呪力のはずなのに、沈む。

 

深く。

 

底が見えない。

 

流せば流すほど、どこかへ吸い込まれる感覚がある。

 

制御はできている。

 

暴走もしていない。

 

それでも。

 

“混ざっている”。

 

それだけは、はっきりと分かる。

 

「……なんだよこれ」

 

小さく呟く。

 

その瞬間だった。

 

内側で、何かが“揺れた”。

 

返事のように。

 

呼応するように。

 

思考が一瞬だけ止まる。

 

音はない。

 

だが確実に、“存在”がある。

 

それ以上、踏み込むのをやめた。

 

深く触れると、戻れなくなる。

 

直感がそう告げていた。

 

「おはよ」

 

軽い声が背後から落ちる。

 

振り向く。

 

そこに立っていたのは、五条悟 だった。

 

いつも通りの立ち姿。

 

気の抜けたような雰囲気。

 

だが。

 

目だけが違う。

 

見ている。

 

表面ではなく、もっと奥を。

 

「珍しいね、一人で」

 

自然に距離を詰めながら言う。

 

「たまたまだ」

 

短く返す。

 

それ以上の説明はしない。

 

必要もない。

 

五条はそれを理解している。

 

数歩の距離。

 

近すぎず、遠すぎず。

 

いつもの間合い。

 

「……何かあった?」

 

軽く聞く。

 

だが、外していない。

 

核心に触れている。

 

遊真は一瞬だけ黙る。

 

言うか、言わないか。

 

判断は一瞬だった。

 

「……特にない」

 

そう答える。

 

五条は何も言わない。

 

ただ、見ている。

 

数秒。

 

沈黙。

 

やがて、ふっと笑う。

 

「そっか」

 

それ以上は追わない。

 

だが。

 

理解している。

 

全部。

 

言わないだけで。

 

「ねえ」

 

五条が空を見上げながら言う。

 

「最近さ、ちょっとズレてきてない?」

 

「何が」

 

「全部」

 

即答だった。

 

風が吹く。

 

空気が揺れる。

 

その言葉だけが残る。

 

「悪い意味じゃないよ」

 

五条は続ける。

 

「むしろいい方向」

 

少しだけ笑う。

 

「強くなるって、そういうことだし」

 

一拍置く。

 

「でもさ」

 

視線を戻す。

 

「人間って変わるときって、“混ざる”んだよね」

 

その言葉が、静かに刺さる。

 

遊真は何も言わない。

 

否定も、肯定もしない。

 

ただ理解している。

 

混ざっている。

 

確実に。

 

自分の中に、“自分じゃない何か”が。

 

それはまだ小さい。

 

だが、確実に存在している。

 

遠くで声がする。

 

悠仁が何か言っている。

 

釘崎がツッコミを入れる。

 

伏黒が止めに入る。

 

いつもの光景。

 

変わらない日常。

 

「いいねぇ」

 

五条が小さく言う。

 

「ああいうの」

 

「……何が」

 

「ちゃんと人間してる感じ」

 

軽く笑う。

 

少しだけ間が空く。

 

「君も、ああなれるといいね」

 

軽い言葉。

 

だが、逃げ場はない。

 

核心だった。

 

遊真は何も返さない。

 

ただ、その方向を見る。

 

遠い。

 

物理的な距離ではない。

 

感覚的な距離。

 

ほんの少しだけ。

 

だが確実に。

 

「……まあいいや」

 

五条が手を振る。

 

「授業行こっか」

 

その背中を見ながら、遊真はゆっくりと歩き出す。

 

日常は続いている。

 

何も変わっていないように見える。

 

だが。

 

確実に、何かが変わっている。

 

内側で。

 

静かに。

 

確実に。

 

そしてそれは、まだ誰にも止められない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。