「壊せる者は、壊さない」   作:東洋コッペ

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第30話「託す」

戦いの余熱が、まだ空気に焼き付いていた。

 

地面は抉れ、建物は崩れ、空間そのものが歪んだまま戻っていない。

 

さっきまで、確かに“あれ”がいた場所。

 

両面宿儺。

 

その残滓だけが、未だに空気を支配している。

 

だが——

 

それ以上に濃いのは、疲労だった。

 

遊真はその場に立ったまま、動けずにいた。

 

呼吸は浅い。

 

肺がうまく空気を取り込まない。

 

呪力は、ほぼ空。

 

内側に残っているのは、わずかな残滓。

 

魔王の気配だけ。

 

それが、まだ消えきっていない。

 

(……まだいるな)

 

底で、蠢いている。

 

静かに。

 

だが確実に。

 

少しでも気を抜けば、また浮上してくる。

 

無理をすれば。

 

次は——

 

戻れない。

 

そこまで、直感で分かる。

 

「……ここまでか」

 

声に出したつもりはなかった。

 

だが、かすれて漏れた。

 

足に力が入らない。

 

立っているだけで精一杯だった。

 

「先輩!」

 

その声で、わずかに意識が戻る。

 

振り向く。

 

虎杖悠仁 が駆け寄ってくる。

 

息を切らしながら。

 

それでも、足は止めていない。

 

「大丈夫ですか!」

 

「……見て分かるだろ」

 

軽く返したつもりだった。

 

だが、声は思った以上に弱かった。

 

足元が揺れる。

 

一歩でも気を抜けば、崩れる。

 

それでも、立つ。

 

立っている。

 

その意味だけを、どうにか保っている。

 

短い沈黙。

 

遊真は、ゆっくりと口を開く。

 

「……任せる」

 

それだけだった。

 

余計な言葉はいらない。

 

虎杖の目が変わる。

 

一瞬だけ揺れて——

 

すぐに、固まる。

 

「……はい」

 

迷いはない。

 

その返事に、嘘はない。

 

「いい顔してる」

 

思わず、そう言っていた。

 

虎杖は驚いたように目を開く。

 

だが、すぐに前を向く。

 

逃げない。

 

もう逃げない。

 

そういう顔だった。

 

(……十分だな)

 

そこまで来ているなら、問題ない。

 

その時。

 

別の気配が近づく。

 

振り向く。

 

伏黒恵。

 

消耗している。

 

服は破れ、血が滲んでいる。

 

それでも、目は死んでいない。

 

まだ戦える。

 

「虎杖」

 

短く言う。

 

「別ルートで動く」

 

状況の判断が速い。

 

「呪詛師を潰す」

 

虎杖が頷く。

 

「……わかった」

 

それだけで通じる。

 

伏黒はそのまま、振り返らずに消える。

 

背中に迷いはない。

 

遊真はそれを見届けて、ゆっくりと背を向ける。

 

ここから先は。

 

戦えない。

 

もう、踏み込めない。

 

踏み込めば——

 

壊れる。

 

それが分かる。

 

(……任せるしかねぇな)

 

それが、現実だった。

 

 

足が、重い。

 

戦場から離れているはずなのに、空気の圧は変わらない。

 

むしろ。

 

静かになった分だけ。

 

現実が、重くのしかかる。

 

遊真は壁に手をつきながら、歩く。

 

一歩。

 

また一歩。

 

それだけで、体力が削れる。

 

視界が揺れる。

 

焦点が合わない。

 

(……くそ)

 

呪力がない。

 

身体も限界。

 

なのに。

 

内側だけが、異様に“濃い”。

 

魔王の残滓。

 

それだけが、やけに鮮明に存在している。

 

「……さすがに、限界か」

 

笑う余裕もない。

 

ただの事実だった。

 

向かう先は一つ。

 

家入硝子。

 

医療班。

 

そこまで行ければ、どうにかなる。

 

——そう思っていた。

 

扉に手をかける。

 

重い。

 

押す。

 

開く。

 

中に入った瞬間。

 

匂いが来る。

 

血。

 

薬品。

 

消毒。

 

全部が混ざった、重い空気。

 

負傷者が並んでいる。

 

呻き声は少ない。

 

それが逆に、異常だった。

 

静かすぎる。

 

張り詰めすぎている。

 

その中心に。

 

家入がいた。

 

「……遅かったね」

 

いつもの調子。

 

だが、声が乾いている。

 

遊真はそのまま、その場に崩れるように座り込む。

 

「かなり無茶したでしょ」

 

「……まあな」

 

短く返す。

 

それ以上喋る余裕がない。

 

家入が近づく。

 

状態を見る。

 

触れる。

 

止まる。

 

「……よく生きてるね」

 

「運だ」

 

本当に、それだけだった。

 

少しの沈黙。

 

その中で。

 

家入が、ふと口を開く。

 

「知ってる?」

 

何気ない口調。

 

だが。

 

内容は、違う。

 

「五条、封印されたよ」

 

世界が、止まる。

 

音が消える。

 

思考が、空白になる。

 

「……は?」

 

声が、掠れる。

 

理解が、追いつかない。

 

「マジで言ってる?」

 

「冗談言う余裕あるように見える?」

 

淡々。

 

だからこそ、現実だった。

 

五条悟 がいない。

 

その事実が、ゆっくりと沈んでくる。

 

重く。

 

深く。

 

逃げ場なく。

 

「……やばいな」

 

それしか出てこない。

 

それ以上の言葉が、ない。

 

家入は続ける。

 

「しかも回収されてない」

 

視線を逸らさずに言う。

 

「封印したまま、持ってかれた」

 

つまり。

 

奪われた。

 

最悪の形で。

 

「……終わってんな」

 

呟く。

 

本気で。

 

そう思った。

 

その瞬間。

 

視界が歪む。

 

身体が、限界を迎える。

 

「おい」

 

家入の声が遠い。

 

「ちょっと——」

 

そこで、意識が落ちた。

 

 

目を開ける。

 

静かだった。

 

あまりにも、静かすぎる。

 

戦闘音がない。

 

叫びもない。

 

ただ。

 

何もない。

 

「……起きた?」

 

横から声。

 

家入。

 

「……どれくらい寝てた」

 

「結構」

 

曖昧。

 

だが、それで十分だった。

 

身体を起こす。

 

動く。

 

回復している。

 

だが。

 

嫌な予感だけが、残っている。

 

消えない。

 

「……どうなった」

 

短く聞く。

 

家入は少しだけ間を置く。

 

そして。

 

「終わったよ」

 

それだけ。

 

それで、全部分かる。

 

「……そうか」

 

深く聞かない。

 

聞くまでもない。

 

だが、家入は続ける。

 

「夏油傑 が持っていった」

 

静かに。

 

「五条を封印した獄門疆ごと」

 

確定する。

 

最悪が。

 

「……クソだな」

 

吐き捨てる。

 

家入はさらに言う。

 

「あと、真人も」

 

一瞬、空気が変わる。

 

「あれも取り込まれた」

 

真人。

 

あれすら。

 

飲み込む。

 

意味は一つ。

 

敵が、完成に近づいている。

 

沈黙。

 

重い。

 

逃げ場がない。

 

その時。

 

足音。

 

扉が開く。

 

立っていたのは。

 

虎杖。

 

その後ろに、伏黒。

 

二人とも。

 

ボロボロだった。

 

それでも。

 

生きている。

 

それだけが、救いだった。

 

「先輩……」

 

虎杖の声が震えている。

 

遊真は何も言わない。

 

ただ、見る。

 

待つ。

 

虎杖が一歩前に出る。

 

そして。

 

頭を下げる。

 

「……すみません」

 

声が、震えている。

 

「任されたのに」

 

歯を食いしばっている。

 

「止められませんでした」

 

部屋が静まる。

 

誰も何も言わない。

 

遊真は、しばらく黙る。

 

ただ。

 

見ている。

 

その姿を。

 

その重さを。

 

そのまま。

 

受け止める。

 

そして。

 

小さく息を吐く。

 

「……顔上げろ」

 

静かに言う。

 

虎杖が、ゆっくりと顔を上げる。

 

その目は。

 

折れていない。

 

まだ、燃えている。

 

遊真は少しだけ笑う。

 

「生きてるだけで十分だ」

 

それだけだった。

 

責めない。

 

否定しない。

 

ただ、認める。

 

「……でも——」

 

虎杖が言おうとする。

 

それを遮る。

 

「次だ」

 

短く。

 

それだけで、空気が変わる。

 

終わっていない。

 

まだ続く。

 

「ここからどうするか、それだけ考えろ」

 

静かに言う。

 

虎杖が、頷く。

 

伏黒も、無言で立っている。

 

その空気を見て。

 

遊真は、目を閉じる。

 

ほんの少しだけ。

 

休む。

 

だが。

 

分かっている。

 

もう。

 

戻れない。

 

何もかもが、変わった。

 

五条はいない。

 

敵は進んだ。

 

自分も、変わった。

 

「……最悪だな」

 

呟く。

 

だが。

 

それでも。

 

終わりじゃない。

 

終われない。

 

「……やるしかねぇ」

 

小さく。

 

確かに。

 

そう言った。




【渋谷事変・現状整理】

今回の渋谷事変は、原作と同様の流れを辿りながらも、いくつか明確な差異が生じている。

まず、変わらない事実。

七海建人 は死亡。

そして、釘崎野薔薇 は重傷を負い、瀕死の状態となっている。

この二つは、今回の渋谷事変における大きな転換点であり、虎杖悠仁の精神にも大きな影響を与えている。

一方で、本作独自の変化も存在する。

禪院直毘人 は死亡には至らず、瀕死の状態で戦線を離脱。

また、禪院真希 は漏瑚との接触タイミングがズレた影響により、焼き討ちを受けていない。

そのため、戦闘能力を維持したまま行動が可能な状態にある。

さらに、伏黒恵 は極限状況に追い込まれていないため、マコラの召喚には至っていない。

この点も、戦局における大きな差異となっている。

これらの変化の要因は一つ。

九条遊真の存在による“戦場のバランス変化”である。

各戦線が早期に立て直されたことで、本来発生するはずだった致命的な連鎖が回避されている。

しかし、その代償として。

“別の危険”が確実に生まれている。

五条悟は封印され、

夏油傑 は獄門疆を持ち去り、

真人 は取り込まれた。

戦いは終わった。

だが、状況は悪化している。

それが、今回の渋谷事変の結末である。
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