「壊せる者は、壊さない」   作:東洋コッペ

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第6話「人」

違和感は、任務が終わったあとも消えなかった。

 

廃ビルの外に出て、夜の空気を吸い込んだ瞬間、本来ならそこで区切りがつくはずだった。重く淀んでいた空気は外に出れば薄れ、緊張は自然と抜ける。任務は終わったと、身体が判断する。

 

そういうものだと理解している。

 

だが。

 

何かが、引っかかっている。

 

喉の奥に小さな棘が刺さったまま、飲み込めずに残っているような感覚。消えそうで消えない、わずかな違和。

 

足が止まる。

 

呼吸が浅くなる。

 

ゆっくりと振り返る。

 

暗いビルの入口。何も見えない。光も、動きもない。ただの廃墟。

 

それでも。

 

確かに“何かが残っている”。

 

さっきまでの呪霊とは違う気配。

 

もっと濃い。

 

もっと歪んでいる。

 

「どうした?」

 

隣で秤が眉をひそめる。

 

「残ってる」

 

短く答える。

 

「何が」

 

「気配」

 

それ以上の説明はしない。言葉にする必要がない種類のものだと分かっている。

 

綺羅羅がわずかに視線を動かし、周囲を確認する。入口、窓、屋上、気配の流れを丁寧に拾うが、やがて小さく首を横に振った。

 

「……感じないけど」

 

「ある」

 

断言する。

 

勘ではない。

 

曖昧でもない。

 

確信に近い。

 

沈黙が落ちる。

 

夜の音だけがやけに大きく聞こえる。

 

「戻る」

 

そう言って、一歩踏み出す。

 

「は?」

 

秤が声を上げる。

 

「おい、もう終わってるって。報告も——」

 

「先に帰ってていい」

 

言葉を被せる。

 

「確認するだけ」

 

「いや、それ——」

 

「問題ない」

 

短く切る。

 

迷いはない。

 

止まる理由もない。

 

それが伝わったのか、秤は一度だけ舌打ちして肩をすくめる。

 

「……分かったよ。好きにしろ」

 

綺羅羅も小さく息を吐く。

 

「死なないでよ」

 

「死なない」

 

即答だった。

 

二人の足音がゆっくりと遠ざかっていく。完全に気配が消えるのを待つ。

 

静寂。

 

それから、再び中へ足を踏み入れる。

 

さっきと同じ廊下に足を踏み入れる。

 

同じ空間、同じ配置、崩れた壁も積もった埃も変わらないはずなのに、踏み込んだ瞬間に“違う”と分かる。空気がわずかに歪んでいる。温度も匂いも変わらないはずなのに、そこに本来混ざらない何かが溶け込んでいる感覚がある。

 

薄暗い廊下に足音が響く。その反響がやけに大きく、距離感を狂わせるように耳に残る。

 

そして、その奥に。

 

確かに、“いる”。

 

視界には何も映らない。それでも、そこに存在していると断言できるだけの“重さ”がある。

 

「……いるな」

 

小さく呟きながら視線を奥へ向ける。見えないままでも構わない。位置は掴めている。

 

「出てこい」

 

静かに言葉を落とす。それは挑発でも命令でもなく、ただ事実を提示するような声音だった。

 

数秒の沈黙が流れる。空気が張り詰め、わずかな音すら飲み込まれる。

 

やがて。

 

「……はは」

 

笑い声が、暗がりの中から滲み出る。

 

低く、粘つくような声。空気に絡みつくように広がり、遅れて耳に届く。

 

影が揺れる。

 

壁の奥、光の届かない場所から、ゆっくりと一人の男が姿を現す。

 

服装は普通だった。体格も特徴がなく、どこにでもいる人間にしか見えない。だが、その見た目と中身がまったく一致していないことは、一目で分かる。

 

まとっている呪力が、明らかに異質だった。

 

濁り、歪み、ねじれている。整っていないのではなく、“歪んだまま完成している”ような不快さ。まるで感情そのものが腐り、固まって形を持ったかのような質感だった。

 

「バレたか」

 

男が軽く笑う。気の抜けた声だが、その奥には確かな悪意が滲んでいる。

 

「ガキのくせにやるな」

 

「呪詛師か」

 

短く確認する。

 

男は肩をすくめるようにして笑う。

 

「正解。まぁ見りゃ分かるか」

 

そのまま壁にもたれかかる。力の抜けた姿勢。しかし、どこにも隙はない。緩んでいるのではなく、“いつでも動ける状態で緩めている”だけだと分かる。

 

「雑魚ども、いい感じに散らしてくれたな」

 

楽しそうに言葉を続ける。

 

「お前らが処理してくれるの、待ってたんだよ」

 

理解する。最初から隠れていたのだ。呪霊を盾にして様子を見て、最後に出てくる。

 

効率を優先した、人間の戦い方。

 

「……そう」

 

短く返す。興味はない。ただ、そこに敵がいるという事実だけが重要だった。

 

男が視線を上げる。こちらを測るような目。

 

「で?」

 

わずかに首を傾ける。

 

「どうする?」

 

試すような声音。

 

「逃げるなら今だぞ?」

 

「逃げない」

 

即答だった。思考を挟む余地すらない。

 

「へぇ」

 

口角が上がる。

 

「いいね、その目」

 

次の瞬間、空気が変わる。

 

男の気配が一気に収束し、同時に距離が消える。

 

速い。

 

呪霊とは違う、人間特有の“技術で詰める速さ”。無駄が一切ない踏み込みと同時に打撃が伸びる。一直線、最短距離、急所を正確に捉えた軌道。

 

(速いな)

 

だが、見える。

 

身体をわずかに傾ける。それだけで拳は空を切る。最小の動きで軌道を外し、そのまま踏み込む。

 

間合いに入る。

 

「は?」

 

男の目がわずかに見開かれる。予想外の反応に、一瞬だけ判断が遅れる。

 

「遅い」

 

短く言い切り、拳を叩き込む。

 

鈍い音が響く。芯を捉えた感触が腕に伝わる。

 

だが。

 

「……っ、クソが!」

 

男は即座に後方へ跳び、距離を取る。反応は速い。崩れない。

 

同時に呪力を練り上げる。

 

「爆ぜろ」

 

次の瞬間、近距離で呪力が爆発する。

 

床が抉れ、破片が弾け、空気そのものが震える。

 

だが。

 

そこにはいない。

 

すでに横へ抜けている。

 

(雑だな)

 

威力は高い。だが、当たらなければ意味がない。

 

踏み込む。距離を詰める。

 

男が構える。迎撃の構え。拳、蹴り、連撃が途切れずに繋がる。

 

速い。

 

だが。

 

(読みやすい)

 

一つ一つの精度は悪くない。だが、繋ぎに“間”がある。流れが途切れる瞬間が必ずある。

 

その“間”に入る。

 

「っ!?」

 

懐に潜る。

 

距離ゼロ。

 

回避も、防御も間に合わない位置。

 

「終わり」

 

呪力を乗せる。

 

斬る。

 

一閃。

 

音が遅れてついてくる。

 

男の動きが止まる。

 

時間がわずかに遅れたような感覚。

 

そして。

 

崩れる。

 

身体が力を失い、床に落ちる音だけが静かに響いた。

 

Lv.27

 

 

視界に浮かぶ数字が、大きく跳ね上がる。

 

さっきまでとは明らかに違う増え方だった。単に数値が上がったというより、“重さ”がある上昇。経験値としての密度が違うのだと、感覚で理解できる。

 

小さく息を吐く。

 

だが、驚きはない。

 

それよりも先に浮かんだのは、別の感覚だった。

 

(……効率がいい)

 

その一言に尽きる。

 

呪霊を相手にした時よりも、明らかに伸び方が違う。同じ時間、同じ動きでも、得られるものの質が段違いに高い。

 

視線をゆっくりと落とす。

 

倒れている男。つい数秒前まで確かに生きていた人間。

 

だが、その事実に対して、何も引っかかるものはない。

 

恐怖もない。

 

後悔もない。

 

罪悪感もない。

 

ただ、結果だけが残っている。

 

倒した。

 

そして、強くなった。

 

それだけだと、自然に割り切れている。

 

ポケットからスマホを取り出す。

 

無駄な動きはない。必要な操作だけを淡々と行い、発信する。

 

「九条。任務地点に呪詛師一名。排除済み。位置送る。回収頼む」

 

声は静かで、揺れもない。報告として必要な情報だけを正確に伝える。

 

通話を切る。

 

音が消える。

 

再び、静寂が戻る。

 

やるべきことは終わっている。

 

それでも。

 

(……まだ足りない)

 

その感覚だけが、消えない。

 

むしろ、さっきよりも強くなっている。

 

戦うほどに、倒すほどに、その“足りなさ”は輪郭を持つ。

 

もっと上がある。

 

もっと強くなれる。

 

だから、止まる理由がない。

 

ビルを出る。

 

夜の空気が、わずかに冷たい。

 

だが、その温度すら意識には残らない。

 

視線は前に向いている。

 

次を探す。

 

それだけを考えている。

 

どこかで、何かが待っている。

 

そんな確信だけが、静かに、確実に残っていた。

 

 

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