「あら……私のメロメロは普通のポケモンが使うようなものじゃないのよ」
ラグの唇がにたりと歪んだ。
少女の瞳には、獲物を前にした狩人の冷たい輝きが宿っている。
彼女の周囲には、すでに倒されたはずのBURST戦士たちの残滓──木の陰にうずくまる者、気を失って倒れ伏す者が散らばっていた。
彼らはのれまで何人もかりでラグに挑み、必死にその回復力を削ろうとしたはずだろう、だがどれだけ深手を負わせても、ナマケロの免疫力は即座に傷を癒し、少女を戦闘不能に追いやることはできなかった。
まさに、メロメロの力がそれだけ強力であることの証明だった。
クランは歯を食いしばった……ここでラグを越えなければ、勝つどころかレースを完遂することすらままならない。
合流地点まではまだ距離があり、背後ではミラージュポケモンが暴れる音が遠く響いている、時間がない。
「メロメロって元々ポケモンに効くんだよな……じゃあ、何かしら対策があったりしないか?」
リョウガが低く尋ねると、クランが苦い顔で頷いた。
「もちろんある。皆が使ってくるわけじゃないが、忘れた頃に来るような厄介なものだからな……持っていて損はないと入れていたものがある」
クランは腰のポーチから、緑色の葉を束ねたものを素早く取り出した。
メンタルハーブ──精神を整え、毒や麻痺とは異なる特殊な状態異常を治療できる薬草だ、トレーナーとしての古い経験から、クランはなんとかこれを複数所持していた、メロメロ以外でも使い所は意外と多い。
だが今の問題は別にある。
クランもリョウガも今は互いに本調子ではないことだ。
新しく覚えたタネマシンガンの燃費が思った以上に悪くてタネばくだんを連発する余裕すらない。
つるのムチから生やして起爆させる普段の戦法も、実行しようと思えばエネルギーが底を尽きてしまう。
リョウガに至ってはさきほどの『電撃完波』で電力が大幅に消耗し、尻尾の発電器官がまだ発現していない。ドラゴンタイプの技を伸ばしていない様子からも、まだゼクロムの真の力はまだ引き出せていない。
その為現在、五体満足で戦えるのはシンくらいだ。
だが、コジョンドの格闘技を受けても即座に復帰できるラグの治癒力を考えると1人だけでは心許ない。時間がかかるにしても、今、必要なことは──
「恋心捕獲(メロメロキャプチャー)!!」
ラグの声が甘く響いた。
彼女の周囲にピンク色の波動が広がり、恋の香りをまとった不可視の矢が一斉に放たれる。
何が何でもこの技だけは絶対に当たってはならない……当たればどうなるか分からないのだから避けるに越したことはない。
「リョウガはともかく俺がどこまで避けきれるか……」
しかしクランが心配していたのは、いつまで避けきれるか。
この後の倒した後のレース分の体力まで消費するわけにはいかない。
「ねえ、私に勝つつもりで体力を残してていいの? だったらこっちは……こういうことだって出来るのよ?」
突然、ラグの方からリョウガたちの方へ迫ってきた。戦法を変えてきたということは、何か策がある。
クランのポケモンバトルで培った勘が鋭く警鐘を鳴らした。
メロメロに書ける方法は、技だけじゃない。今まで試したことはなかったが……BURSTハートが複数あれば、状況によってその場で使い分けることが出来る?
トレーナーが最大6つ装備するモンスターボールのように……そこまで考えてようやく答えが出た。
「避けろリョウガ!! メロメロボディだ!! あの特性はお前でも防ぎきれない!」
クランの叫びと同時にラグの姿が一瞬で変化した……別のBURSTハートからエネコロロにBURSTし、ふわふわとした毛並みの可愛らしい姿で手を伸ばしてくる。
特性『メロメロボディ』──攻撃された際に特殊なフェロモンを発して、攻撃を使わずとも相手をメロメロ状態に変える恐るべき力、それもBURST戦士であれば、自ら触れるだけでその効果を発揮できる。
ゼクロムの『テラボルテージ』が特性を無効にする力があったとしても、完全に抑えきれない特性も多く存在している、メロメロボディもその一つだ。
リョウガはクランの助言で間一髪掠るように身を翻した……触れたかどうかは少し微妙な距離だった。
クランは即座にメンタルハーブの一つをリョウガに押しつけた。
ほぼ当たり所が少ない、すぐに処置しておけば問題ない……はずだった。
だが、妙な寒気がクランの背筋を這い上がる。不意打ち的な攻撃を止められたはずなのにラグは動揺もしていない。
むしろ、余裕の笑みを浮かべたままこちらを睨んでいる。
シンの方も、すでにエネコロロの姿になったラグを周囲ごと警戒し、構えを低くしていた。
「触れられたからには覚悟したほうがいい……来る!」
シンが低く呟いたその瞬間、草陰から人影が飛び出してきた、ミルトだ。
あれからどんなことがあったのか分からないが後ろからはぐれてきたのか……どちらにしても今は都合が良かった。
「リョウガ……ここはミルトに戦わせよう。メロメロは同性には通用しないからな」
クランが素早く判断を下してリョウガ達を連れて逃げる為の作戦を考える。
ナマコブシのBURSTでもエネコロロやナマケロ相手になら十分に渡り合えるはずだ。
だが── ミルトの駆け出す勢いが、明らかに異常だった。何かおかしい。
「避けるぞ!!」
「やはりか……」
クランは咄嗟につるのムチを伸ばしてシンを大袈裟に引き寄せて回避する、まるで本能のように身体が勝手に動き出した。
リョウガも反応したがのだが力で押し負けるはずのない彼が、ミルトにそのまま押し倒された。
「これ私のっ!! 『これ』私のおおおっ!!」
ミルトの目が……尋常ではない熱を帯びていた。
息が荒く、頰は紅潮し、まるで恋に狂ったようにリョウガの胸倉を掴んで離さない。
明らかに異常な様子だ……クランは息を呑んだ。ここまでのことを考えると、心当たりしかない。
ミルトの瞳には理性の欠片すら残っていない。
ただ、狂おしいほどの「独占欲」だけがリョウガに向けられていた。
逆だ、これまでのポケモンに発動するメロメロからしてラグに魅了されるものと思っていた。
しかし考え方を変えてみる、リョウガへのメロメロは確かに発動したがメンタルハーブは効いてない、何故ならこの場合……リョウガがラグにメロメロになるのではなく、リョウガを中心に交友関係のある女性をメロメロにする力!
そうなれば……レース中のことも思い出してみて、何故シンがここまで苦戦していたのか。
ミルトにシンクロするように岩石が空高く舞い上がり……ルリマルが出てくる、おそらくシンは彼女と相手して……面倒になって岩の下敷きにして閉じ込めたのだろう。
「シンっっっっ様あああああ!!!」
これは……思ってた以上に厄介なことになりそうだ。
──
リョウガ達が森林地帯でラグとの激しい戦闘を繰り広げている頃……。
フロードは空を飛び完全融合したレシラムの圧倒的な推力によって空から一気に山岳地帯のグループを追い抜き、いち早く合流地点へと到達していた。
背中に担がれていたハリルと共に地に降り立つと、そこには鬱蒼とした森や沼地、険しい山岳とは全く異質な光景が広がっていた。
バラバラに分かれた複数のグループの全てが最終的に通るその場所は石造りの巨大な遺跡であった。
自然環境を模した人工的なポケモンの楽園になぜこのような歴史を感じさせる建造物があるのか……雰囲気作りにしては一年や二年ではない年季が感じられる。
「この先はBURSTしていると逆に負荷がかかる、特別な道を通って後から外に出るんだ」
フロードは事も無げにレシラムのBURSTを解除し、生身の姿へと戻る。
そして遺跡の壁面に近寄ると、慣れた手つきで一部の石板を押し込んで隠し階段を出現させた、暗く細い階段を、二人は足音を響かせながら静かに降りていく。
「こんなものまで……この先に何が?」
「奴の心臓ともいえるものだ」
深く……さらに深く下へと進んでいく度に、言われた通りにBURSTをしていないハリルは自身の身体に確かな違和感を覚えた。
薄暗い地下であるにも関わらず空気が重くなるどころか、身体がどんどん澄み切っていくような感覚があるのだ。
自然の神秘が細胞の一つ一つ、全身の隅々に行き渡るような……言葉で表すなら、まさに『息を吹き返す』という表現が相応しい。この近くに、何やら強大で奇妙な力が満ちている。
「ここだ」
遂に階段の最下層に辿り着くと、遺跡の更に下には想像を絶する巨大な空洞が広がっていた。
そしてその中心部には、赤黒く不気味に鼓動する巨大な珠のようなものが鎮座している。
おそらくアレこそがノウムから数々の生命を奪いながらBURSTハートを作り出す存在であり、死を司る伝説のポケモン……イベルタル』が眠る『破壊の繭』だろう。
驚くべきはそれだけではない、繭の周囲では、見覚えのある制服を着た者たちが慌ただしく動いていた。自分より立場が下なグレートガベルの下っ端達が、大量の機材を持ち込み、繭の周りで大規模な発掘作業を行っているのだ、発掘し先では大量の骨が取り出されている、あれもイベルタルの犠牲者だろうか?
階段からフロードが降りてくる姿を視認すると、下っ端全員が一斉に手を留め、深く頭を下げる。
ハリル自身もここにいる全員より立場は上だが、その目線は皆自分より前に立つフロードに合わせて向けられている。
その統率された動きを見れば、彼がグレートガベルの真のボスであることは疑いようもなかった。
しかし、七戦騎であるハリルでさえ……もしかすればキャロラやヒルグレイツも。
他の幹部や下っ端達がこのような極秘作戦を指示されているところを見たことがなく、この地下の光景も初めて目にするものだった。
「ノウムからイベルタルの事を知ったからには、全てを受け入れる権利があるだろう……アルカデスを継ぐ者のことまで」
沈黙を破り、フロードが静かに語りかける。
「現在のアルカデスはリーフカンパニーのノウムでは……?」
ハリルの問いに対し、フロードは冷酷な笑みを浮かべた。
「それは違う。今も尚イベルタルと共に眠る彼が証明しているだろう」
フロードが破壊の繭のすぐ近くを指差す。
そこには一人の人間の姿をした精巧な石像があった。そして、その石像を風化から守るように一本の枯れ木が寄り添うように生えている。
奇妙なことに、完全に枯れ果てているはずのその木からは、信じられないほどの生気が溢れ出していた、ハリルが感じた『息を吹き返す』ような感覚の源はこれだろう。
その根は深く地脈に張り巡らされ、島全体に膨大な自然の力を与え続けているように見える。
「あれがガリュウ。お前もよく知るリョウガの父にして、今も尚アルカデスであることを証明するものだ。そしてあの木は……聞いているだろう、命を司るポケモンもまた眠っている」
ガリュウがイベルタルの死の力を覆すために探し求めた存在……命を司る慈悲深い伝説のポケモン、その名も『ゼルネアス』
無限の生命エネルギーを持ち、ほぼ不老不死といわれるその存在は、己のエネルギーを他者に分け与えることで活力を与えるという。
しかしその一方で過度な恵みの力は人々の身体や生態系に悪影響をもたらしてしまう為、その力とゼルネアスとの距離感が何よりも大事であると、古い神話にも語り継がれていた。
「ガリュウはゼルネアスを連れてイベルタルと挑もうとしたが、アルカデスの力を使い果たし決着は果たせずあの姿になった……。アルカデスは、石像となった先代に触れることで継承される」
どうやらガリュウもこれまでのアルカデスと同じく完全に力を使いこなすことが出来ず、ゼルネアスがそばにいながら生命力を使い果たして石像になってしまったらしい。
そして……これまでの情報とその事実を知っていながら、フロードが石像に触れようとした形跡はなかった、使いこなせないと彼の二の舞になるリスクがあるとは言え、これさえあればいつでも最強のBURST戦士になれるというのに。
彼は初めてこの光景を見た時、アルカデスという称号を引き継ぐことよりも、ここで発見された『力』を利用する方が遥かに有益だと判断したという。
「まだ競技中だ、今はまだ結論のみ答えよう……リーフカンパニーや私が人工的なBURSTハートを開発できるようになったのは、ゼルネアスとイベルタルの両方の力ありきのものだ」
生と死、相反する二つの伝説の力。
フロードの眼差しは、赤黒い繭と生命力に満ちた枯れ木を冷徹に見据えていた。
しかしそれはハリルの中で一つの可能性に至る……何故グレートガベルが作り出したBURSTハートのみは破壊できて、ポケモンを解放できるのか。
オリジナルが生命を奪うイベルタルの力ということは、まさか……。
「……一つだけ聞いてもいいか、まさかイベルタルの力で生まれたBURSTハートは」
「実に察しがいいな、お前の想定している通り……」
「オリジナルのBURSTハートに封印されている……いや、縮小して固形化したポケモン達は命を失っている」
──
そして視点をリョウガ達の方へと戻すと、シンがルリマルに、リョウガがミルトに抑えられて手も足も出ない状況になってクランがほぼ1人でなんとかしなくてはならない。
ラグのメロメロボディと普通のメロメロ、2つの特殊な魅了をクランに対策できる方法は少ない。
ノーマルタイプの強みは性能が低くてもタイプ相性で長短が少ないので万能性があること、相性は大体突けないがほぼ突かれない。
(俺の手元にはタマネの持っていたラムパルドのBURSTハート……いわタイプならダメージを抑えられるが、あのメロメロを無効化するには……)
二人を救出する力も余裕もない……しかもこの勢いでは順位はどんどん下がっていくだろう。
「リョウガ無理はするなよ!」
「俺の辞書に無理って言葉はない……けどミルトなんとかする方法がない!? ミルトを倒すとちょっとやりすぎちゃうんだ!」
「勝つことは確定しているのかなんてやつだ……メロメロを使われているとは思えない女心だな……うん?」
クランは閃く、ここで体力は使いたくないが今ここに有り余っているくらいエネルギーがあふれているのがミルトだ。
リョウガやシンが頑張るよりはよっぽどラグを倒せそうな気がしてくるので頑張ってミルトに掴まれて絶体絶命の危機……。
「いいかリョウガ、俺の言うとおりに言うんだ……そうすれは多分勝てる」
「え? うん……うん? 本当にそれでいいの?」
クランはミルトに圧力で押しつぶされないようにしながら耳打ちする、恋心を操って暴走させるだけで洗脳ではないのなら多少はコントロールが効く。
リョウガはこういったことがよくわからないタイプなので易易と引き受けてくれた。
「ミルト!! あそこにいるラグを倒してくれたら良いことしてやる!」
「えっいいこと!!!」
「ってシンもルリマルに言ってたぞ」
「えっ」
突然巻き込まれるシン、しかしそれを聞いて目の色が変わる。
もちろんこの程度のことをラグが想定していないはずもなく……ラグはエネコロロの姿で笛のようなものを取り出して吹く、何か妙な効果を感じてクランは咄嗟に耳を塞ぐと……次々とポケモン達が現れる、大柄で強そうなオスのポケモン達だ。
「ちゃんと、用心棒くらい用意してるのよ、なるべく強くてお金のかからないポケモン達が……」
「まずいミルト、俺がこいつを……」
「リョウガ……リョウガ見てて!! 私こんなにBURSTハート持ってるから変身できるの!!」
ミルトが嬉しそうに見せつけたのは指いっぱいのBURSTハート、両手に……指に何個も詰め込まれていっぱい。
山岳地帯から始めたグループのメンバー達から奪い取ったBURSTハートだ、それが全部ミルトの手の中にある。
これにはラグも一瞬言葉が詰まる。
「何……!? あのおぞましいくらいのハートの数、あいつどれだけ変身でき」
言葉の途中にも関わらず一瞬動いただけでラグの背後に周り、ポケモン達が倒れている。
……本のページを開いたかのようにあっけなさすぎる出来事。
更に……ラグの背後からパンチが飛んでくるのだがミルトの右腕には凄まじいほどのエネルギーが!!
「激流放射幻惑連撃鉤爪翼風吹雪絶叫岩盤落下大地昇拳電撃切裂──ーッ!!」
※アクアエミッションダズリングマシーンクローウィンドツンドラストリームロックドロップグランドアッパーライトニングスラッシュ
「あびゃびゃびゃ!!!!」
ありとあらゆるポケモンの必殺技が全身に流れてアッパーになり、ラグの身体が酷くはないのだが凄い回転をしながら頭から落下、複数の技をまとめて一つにしたのもあってただでは済まないだろう。
ラグが失神で済めばいいくらいの状態になったことで、ポケモンやミルト達のメロメロも解除されていく。
「あれ? 私、森に迷ってから記憶がうげええええええ!!!?」
「ミルト!?」
ミルトは正気に戻ったが副作用が一気に襲いかかって口から大量に吐血してそのままぶっ倒れてしまう。
ミルトのBURSTはナマコブシに限らずどのポケモンでも内面を変質させてしまう……? 今は気になるが合流地点に向かわないとまずい。
「あれだけの技を一気に使ったんだ無理もない……だが時間がそろそろまずい、合流地点に急ぐぞ!!」
リョウガがミルトを担ぎ、何も状況を理解できてないルリマルを置き去りにしそうな勢いで合流地点まで走り去る……取り残されたラグは命からがら這いつくばって逃げようとするが……。
「う……うぐぅ……治療費が高くつくじゃない……覚えてなさい、このツケは地の底追いかけてでも返させてやるんだから……え? 何こいつ……ぎゃああああああああ!!!」
ラグはミルトが吐いた血と共に紛れていた緑色の小さな物体に飲み込まれ……茂みのなかに消えていった。
その姿を……ラズが偶然見ていた。
「あ……あれってまさか……」