学校という機関は一度入った以上はどういう形であれ出ていくのは必然である。
帝国歴482年。帝国幼年軍学校でも、五年間の教育を受けた学生たちが巣立ちの日を迎えた。多くの生徒は悲しみの涙より、卒業する喜びが大きい。五年間過ごした学舎への郷愁以上に、抑圧からの解放感の方が余程大きかった。なおそのまま士官学校に入校したり軍に仕官する者は、また規律に縛られた生活が待っている事をすっかり忘れている。
一時の夢を見ながら卒業生は卒業式に出席。校長室にワインとキャビアを隠し持っていた校長から、いの一番に卒業証書を与えられた首席のラインハルトは何の感慨も持たずに壇上を去る。多くの同期生達はそんな美貌の最優秀生を恨みがましく見送った。
席次十席までは順位と共に名を呼ばれて証書が渡された。このぐらいの順位となると大抵が腹立たしく、悔し気に証書を受け取る。彼等の心中はもっと励めば一つでも順位を上げられた。その一点に尽きる。幼年学校の席次は士官学校に進学する者の評価に多少響く。積み重ねは意外と馬鹿に出来ない。
そして席次を気にしない例外が名を呼ばれた。
「席次七席卒業生フェリクス・フォン・フレーゲル」
入学から席次五番から十番を行き来していたフェリクスは最終的に七席に落ち着いた。校長はラインハルトと違った意味で目立っていたフェリクスに、にこやかに証書を渡す。
さらに授与は続き、最後の席次十席にはキルヒアイスが滑り込んでいた。親友ラインハルトより才能は劣るが、弛まぬ努力を重ねたおかげでどうにか優等生の括りに入り、不名誉を避けられたのを本人が最も喜んでいた。
以降は一纏めにされて、卒業証書は後で担当の教官から渡される。有象無象扱いは悲哀に満ちているが校長もそこまで暇は無い。それでもどんな成績であっても幼年学校を卒業さえすれば、任官は准尉からスタートするのだから十分に情けはあった。
授与が終わり、担当教官からありがたい言葉を頂いて、あとは解散になる。幾つかの卒業生は仲の良い友人と打ち上げパーティーを開く予定を立てていた。
フェリクスはそうしたパーティーには参加しなかったが、校門の側で立っていたラインハルトとキルヒアイスを見つけて別れの挨拶をする。
「五年というのは意外と長かったですね」
「全くだ。それと、僕はこれから皇帝に会ってくる。首席には直接勲章が手渡される」
「逸ってはいけませんよ。キルヒアイスも危ういと思ったら遠慮無しに止めなさい」
「おい僕はそこまで無為無策じゃないぞ。まったく、キルヒアイスと同じことを言う」
腹を立てているようだが、幼年学校時に三桁の喧嘩を繰り返しているのを知っていれば、百に一つぐらいは有り得ると思ってしまうのは仕方がない。
「皇帝陛下の事は置いておいても、幼年学校を卒業してすぐ任官とは思い切った選択を。そういう向こう見ずな行為を諫めるのが貴方の仕事と思いなさい」
フェリクスはキルヒアイスに向けて忠告する。どうせラインハルトは聞きそうにないから、ストッパー役に託した方がまだ望みがある。
「フェリクスだって卒業してすぐに帝国大学に入学するんだから、ラインハルト様のことは言えないよ。しかも一般試験を受けて医学部だなんて」
親友兼主君とは別方向に非常識な友人の選択にキルヒアイスは苦笑いしかない。幼年軍学校を卒業して士官学校にも任官もしない者はそれなりにいる。大抵次は大学を目指すが、その前に何年か家庭教師を雇うか、専門の予備学校で勉強をしてから受験するのが一般的だった。しかしフェリクスは直に大学試験を受けて一発合格していた。それも帝国一の名門オーディン帝国大学の最難関と言われる医学部にだ。長い帝国大学の歴史でも同様のケースは数十年に一度しか無い。
ちなみに貴族が大学生になる場合は、きちんと貴族枠という一般学生と別枠が設けられている。貴族の学生は勉強は半分、残り半分の時間をサロンと夜会と人脈構築に割いていた。貴族には貴族の学ぶ事があった。そこに貴族枠の無い医学部の一般枠で門閥貴族が入ってくるのだから、当のオーディン大学の学長や教授達は驚いてひっくり返った。しかも12歳で論文を送り付けてくる天才児への扱いに紛糾したのは想像に難くない。それでも医師を志して入学する以上、他と差をつけるのは如何なものかという学長の意見で扱いは一般学生と同じになった。
「しかしなぜ医学なんだい?僕は工学部や生物学を専攻すると思っていた」
「人間が生きていく上で医者の世話になる事は多い。それは皇帝陛下も平民も変わらない。だから医者は色々と便利ですよ」
それに工学と物理学なら適当に論文を書いて放り投げておけば、好きなだけ博士号は得られる。世の大学生が聞いたらブチ切れる事間違いない言葉に、友人二人はそんなこと言えるのはお前だけだとツッコミを入れる。論文云々は置いても、医者の地位と役割が便利なのは否定しない。しかも貴族出身の医者となれば、コネさえあれば王宮にも簡単に出仕できる。ともすれば男子禁制の後宮でも許可が下りた。下手な爵位よりも影響力が大きく、実に都合の良い立場なのだ。だからこそ貴族を簡単に医者にしないように大学は医学部に貴族の推薦枠を設けなかった。実力不足のヤブ医者を大量量産して医療事故を引き起こすのは大学も望んでいない。
「もし前線勤務で負傷したら私のところに来なさい。医者として力になりますよ」
「好意は受け取っておくが簡単に怪我をするつもりはない」
どこまでも不遜な態度のラインハルトに苦笑を返す。そして二人は迎えの
友を見送ったフェリクスは五年間過ごした寄宿舎の自室に戻る。部屋はさして無かった私物も全て実家に送り、元ある家具だけで閑散としている。
同居人のユーゼフ・フォン・シェンクリンが五年間使った椅子にボケーっと座っていたのが滑稽に見えた。
「これから任官するのに気が抜け過ぎですよ、シェンクリン准尉」
「まだ正式に任官してないから早いって。でもとうとう卒業かぁ。出来れば士官学校に行って、もっと階級を上げてから任官したかった」
ユーゼフが嘆いても既に出てしまった結果は覆しようがない。彼の席次は中より上程度。一山いくらの成績の帝国騎士身分では士官学校への推薦は貰えなかった。よってそのまま任官して軍務に就かねばならない。入学当初は一個艦隊を率いる提督にまで登るつもりが、士官学校にも行けない一士官でのスタートでは道は険しく遠い。
「でもまあ二等兵から始める徴用兵よりはマシかな。何と言っても士官だし。働きによっては上官から士官学校への推薦も貰えるかもしれない!」
「ええ、その意気です。最初は躓いても道は長い。諦めずに励めば、どこかで道は開けるかもしれません」
嘘は言っていない。幼年学校で中の上なら決して無能ではない。何年か掛かるが真面目に勤務してこつこつ階級を上げて、上司に認められれば士官学校には行ける。とにかく諦めなければ夢への道は閉じない。
「よしっ!頑張るぞ!フェリクスも今までありがとう。君のおかげで勉強も随分助けられた」
「私も貴方の事は嫌いではなかった。縁があればいずれまた会いましょう」
二人は握手を交わし、それぞれの道を歩む。再び会えるかは運次第、それでもお互いまた会えれば良いと気持ちよく別れた。
後腐れなく幼年軍学校を去ったフェリクスは、馴染みになったフェルナーの運転する地上車に乗り、公爵邸に向かう。フェルナーとの付き合いも既に四年を数える。最初に名を聞いた時は彼は大尉だったが現在は昇進して少佐の階級章を付けていた。
公爵邸の玄関に入った時、フェリクスは隅に控えていた、すみれ色の瞳の小さなメイドに目を留める。
「カーテローゼですか?」
メイドの顔が花のように咲き誇り、フェリクスに駆け寄る。
「随分大きくなりましたね。直接会うのは四年ぶりぐらいか」
「はい!えっと、フェリクス様の幼年学校ご卒業、まことにめでたく思います。今日という日をお祝いしたく、卑賤の身ながらフレーゲル領より駆け付けました」
膝を着いて深々と頭を下げる。先程の口上といい、仕草が拙いのは覚えたてだからだ。そこを咎める気はない。カーテローゼはまだ七歳でしかなく、使用人教育も始まったばかり。だからフェリクスは疑問に思う。これまで年に一回は超光速通信を使って話をする機会はあったが、この子はまだフレーゲル領で育成中だ。誰か許可を出さなければオーディンには来られない。おそらく答えを知っているカーテローゼの隣に居たフレーゲル家の執事ホルツ・フォン・ティーに問う。
「はっ、僭越ながら私が連れて参りました。坊ちゃまの使用人が主を祝うのは道理でございます」
「確かにそうですね。貴方は相変わらず気が利く」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
ホルツは優美に一礼する。貴族なら子供の使用人一人程度居ようと居まいと背景に紛れて気にも留めない。兄も厄介事と思いつつ、いちいち気にはしないように振る舞うだろう。
「さて、坊ちゃま。公爵閣下がお待ちでございます。お早く」
執事の言う通り、屋敷の主を放っておいて使用人と立ち話はまずい。助言を受け入れて足早に屋敷のサロンに赴く。
カーテローゼは数年ぶりに恩人に直接会えた事で有頂天に達し、ホルツから叱責を受けたが暫く頬が緩みっぱなしだった。
叔父ブラウンシュヴァイク公爵はそれまで座っていた椅子から立ち上がり、甥を出迎えて労った。
「五年間よく貴族の務めを果たした。席次七席とは儂も鼻が高いぞ。今宵は祝杯に410年の赤ワインを空けよう」
「ありがとうございます。叔父上や兄の面子を潰さず安堵しました」
「わはは!今年は慶事が続き、帝国の未来は一層明るい」
公爵は上機嫌にフェリクスをテーブルに就かせて茶を相伴させる。慶事というのは、今年生まれたばかりのルートヴィヒ皇太子の嫡男エルウィンの事を指している。皇帝フリードリヒ四世に初めて男孫が生まれたのだから、帝国各地で祝いの祭りが開かれて平民には祝金が下賜された。貴族も表向き誰もが祝福の言葉と貢物を贈り、帝国の不滅を信じ切っていた。
もっとも、父親になったルートヴィヒ皇太子は周囲程浮かれてはおらず、息子の警護を密にして暗殺に備えていた。ルートヴィヒの兄弟姉妹は十三人いるが、そのうち成人前に九人が事故と病気で死に、成人後も二人が亡くなっている。今も兄弟で生きているのは姉二人だけ。皇族は生まれた時から暗殺の危機に晒される。生き残り成長するだけでも困難を極めた。おまけにエルウィンの母はお産の後に亡くなっている。帝国騎士階級の侍女だったために有力貴族の後ろ盾を得られず、薄汚い暗殺者の長い手にかかったのだろう。息子を護れるのはもはや自分だけ。一人の父として何においても護らねばならぬと決意を改めていた。
夜には祝宴が催された。兄フレーゲル男爵、公爵一家、公爵一門の貴族の多くを招待した盛大な夜会は公爵の財力と権威をこの上なく示している。来客全てがフェリクスの卒業を祝っているわけではない。祝う口実でルートヴィヒ皇太子の腹心である公爵に近づき、少しでも甘い汁を吸いたい俗物ばかりが群がっている。ただ、当人も若くして類稀な技術者とあって、末は学芸尚書、宮廷医長、帝国軍科学技術総監のいずれかは確実という触れ込みだった。ほぼ全ての貴族が年齢のつり合う娘や妹を連れて挨拶と共に、是非とも婚約者にと売り込みをかけていた。
フェリクス自身は異性にさして関心を持たないので、当たり障りのない誉め言葉と共に親代わりの叔父の心一つと丸投げした。前世を含めれば70を過ぎた老人の域に達した精神では、肉体が同年代の少女など娘を通り越して孫扱いだった。さらにまだ結婚していない20歳の兄も婚約のターゲットにされていたが、そちらはさすがと言うべきか場慣れして対応している。
挨拶の客を捌いても捌いても次から次へと押しかけてくるので、疲れ果てる前になってようやく一息吐けた。一休みするために隅の椅子に座り、使用人から受け取った
「そんなところに居たのねフェリクス
「休憩ぐらいしないと長続きしませんよ。これだから夜会は苦手です」
四歳年下の従姉妹のエリザベートがクスクス笑いながら同じテーブルに就く。従姉妹も公爵令嬢として数多くの貴族の相手をしているのにケロッとしている。一貴族と公爵令嬢の違いと言うには差が大きい。両者の気構えの問題だろうか。
「
「特に哀愁は感じていませんよ。出会いがあれば別れもある。それに友人や後輩には連絡先を教えてありますから、会おうと思えば会えます」
「友達か、いいなぁ。私も学校に通ってみたい」
エリザベートが遠い目をしてフェリクスを羨んだ。彼女は学校に通った事が無く、家庭教師に勉強を教わっている。身分が高すぎて貴族の子女が通う女学校に通うにも差し障りがあったからだ。男爵や子爵の令嬢が行事見習いとして公爵家に来て、エリザベートに侍っていても使用人でしかなく、家と血の身分の差で友人にはなれそうもない。対等に付き合える者はごく少数、おそらく従兄弟のフレーゲル兄弟と従姉妹のサビーネぐらいしか居なかった。
「もし学校に行けるなら、何をしたいですか?」
「TVのドラマで見たように学校が終わったら友達と街に出かけて、流行りのアイスクリームとかケーキを食べて、お買い物をしたいな」
10歳やそこらの少女が持つ願いにしては、随分と小さくささやかでも叶える事が出来ないのだから、皇帝の孫というのは窮屈極まりない。
何とかならないかと知恵を巡らせていると、公爵家に仕える軍人のアンスバッハが上質な木箱を持って側に寄る。
「ご歓談中申し訳ありません。実はフェリクス様に卒業祝いの贈り物をと、さる貴族の使いがこちらをお持ちになられました」
「匿名……ではないですね。貴方のような軍人なら危険物を無警戒に渡す事は無い。使いは名前を出せないが顔を知っている間柄ですか」
「ご賢察恐れ入ります。実は公爵閣下に知られずに渡してほしいと頼まれました。センサーは危険物を示していません」
実直なアンスバッハが危険は無いと判断したのだから信用して、木箱を受け取り開けてみた。
「万年筆とハンカチ、それと手紙ですね」
万年筆は派手さは無いが上品な造りで、一流の職人の手によるものと分かる。ハンカチも高級な絹製の良品だ。封蝋の無い手紙に目を通すと、貴族流の形式的な挨拶と共に卒業を祝い、新たな環境で勉学に励むように記されている。そして不思議な事に、一通の手紙に二人の人物が文章を認めてある。一人はおそらく男の筆跡。もう一人は明らかに幼く、時々単語に斜線を引いて訂正していたり、文字の大小が違って歪だ。エリザベートも手紙を覗き込み、何かに気付いて納得した顔になる。
「
「何となく想像は付きますよ。エリザベートもですか」
従姉妹は頷いた。同時に答えを言う取り決めをした。
「「サビーネ」」
答えは同じだった。フェリクスはアンスバッハの名を明かせない贈り主という情報と、子供の筆跡からの推測。叔父とリッテンハイム侯爵は共に次期皇帝の第一の側近の地位を争うライバル。そのライバルの甥に軽々しく贈り物をしては周囲が騒ぐ。よって名を伏せた。エリザベートは単純に、拙い方の筆跡に見覚えがあったから気付いた。
フェリクスは周囲からサビーネのお気に入りと見られている。彼女の誕生日パーティーの招待状も送られて出席した事もあった。そのお気に入りに卒業祝いを贈るのは納得がいく。
「これは大学が始まるまでにお礼を言いに行かねばなりませんね。エリザベートも行きますか?」
「行くー」
「そうそう、帰りにちょっと寄り道しましょうか。例えばアイスクリームやケーキのお店はどうでしょう」
「わーい!ありがとうフェリクス
「アンスバッハも護衛に付き合ってもらえますか」
「はっ!ご同行いたします」
従姉妹の楽しそうな顔を見て、ちょっと元気が戻ったフェリクスは夜会の主役に戻った。子供の笑顔は疲れに効く。
数日後、手土産を持ったフェリクスとエリザベートはリッテンハイム侯爵の屋敷を訪れた。名目はエリザベートの叔母クリスティーネと従姉妹のサビーネに会いに行くため。フェリクスはその御伴になる。二人は歓迎を受けて、侯爵一家と和やかな時を過ごした。
帰りには約束通り、オーディンで人気のケーキ屋でアフタヌーンティーを楽しんだ。もちろん二人は目立たないように服を変えて裕福な平民の兄妹を装った。
私服で別の客を装って護衛をしていたアンスバッハは、明らかに軍人然とした中年男がケーキ屋で一人ガツガツケーキを頬張るシュールさで滅茶苦茶目立っていた。だからこそ護衛対象が目立たず、職務を果たせたと言える。