帝国歴483年5月は久しぶりの明るいニュースが帝国を彩った。昨年は皇太子ルードヴィヒの事故死により、帝国全土が喪に伏してついぞ良いニュースが無かった。それから約半年して叛徒が辺境のイゼルローン要塞に侵攻した。帝国軍は直ちに思い上がった逃亡奴隷の末裔を叩きのめすための援軍を派遣した。過去にイゼルローン要塞は4度も叛徒を撃退しており、後世『イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍をもって舗装されたり』とまで言われるほど難攻不落の要塞として帝国の安寧を守ってきた。
そして5回目の今回、『第五次イゼルローン要塞攻防戦』はまたしても帝国軍の勝利に終わった。軍人たちはそれぞれ功績を立て、昇進や勲章を授与される者が武勇伝を語る姿がオーディンの酒場のあちこちで見られた。
戦勝軍人で溢れ返る夕刻の酒場を避けて、
「あら金髪さんと赤毛さんのお友だちね。お名前はフレーゲルさんで良かったかしら」
「はい、今日は二人が戻ってきていると聞いて、お邪魔させていただきます。これはお土産です」
青年フェリクス・フォン・フレーゲルは下宿先のクーリヒ夫人に紙袋の方を渡す。中身はマカロンだ。
顔立ちこそ目を引くような美形ではないが、知的で温和な眼差しに男女問わず好感を持つ者は多い。貴族の教育から、さりげない気遣いを欠かさないため、大抵の者は彼を邪険に扱わない。
「まあまあ!いつも気を遣わなくても良いのよ。そういえば大学生と聞いているけど、今は休みなのかしら?」
「ええ、今月卒業したので来月から正式に医者として働きます」
ポカンとする夫人をよそにフェリクスは二階に上がり、一室をノックする。開け放たれたドアから見慣れた赤毛の偉丈夫が顔を出す。
「やあフェリクス。時間通りだね」
「無事の帰還は喜ばしいですねキルヒアイス。ラインハルトは?」
キルヒアイスは問いに対して身を半分ずらして部屋の奥を見せる。奥には金髪の美丈夫が姿勢を正しく椅子に座って本を読んでいる。
「ラインハルト様、フェリクスが来ましたよ」
「ああ知っている。もう少しでキリが付くから待ってくれ」
言葉通り一分ほど待つと、ラインハルトは本に栞を挟んで閉じた。そして待たせた事を謝罪して部屋の真ん中のテーブルに就いた。
「イゼルローン要塞防衛ご苦労様です。それと昇進したと聞いたので、これは祝いの品です」
土産に持ってきた木箱をラインハルトに渡す。蓋を開けて中身を見た二人は素直に喜びの声を漏らす。中身は410年の白ワイン、上物のワインは物欲に乏しいラインハルトの数少ない好物だった。
「気を遣ってすまん」
「お構いなく。叔父のワインセラーから持ってきたものですから。百本以上あるので一本ぐらい減っても気付きはしませんよ」
ふてぶてしいフェリクスの姿に二人は噴き出した。悪い甥も居たものだ。しかしせっかく土産に持ってきてくれたのだから、ありがたくいただいた。
しばらくしてフーバー、クーリヒ夫人姉妹が料理を持ってきてくれた。フリカッセ、焼いたソーセージ、チーズの乗ったポテト、と付け合わせの温野菜をたっぷり三人前。出来立てでいかにも食欲をそそる。実際、両夫人の料理は一級品で、ラインハルトをして人生で三番目に美味いフリカッセらしい。二番目は『ボンメルン』というレストランの、一番はフェリクスとて聞かずとも分かる。
夫人姉妹は土産のワインに気付いても何も言わない。普段は未成年だから夕食に酒は付けないが、せっかくの友人との食事まで口煩くしない気遣いがあった。
キルヒアイスがワインの瓶のコルクを抜き、それぞれのグラスにワインを注ぐ。
「ラインハルトとキルヒアイスの帰還と昇進を祝って」
「「フェリクスの大学卒業を祝い」」
「「「
乾杯をしてからペースはそれぞれ違う。ラインハルトは一口ずつゆっくり転がすように味わい、フェリクスは酒に関心を持たず、ただ液体として喉を潤した。三人の中で最も酒に強いキルヒアイスはグビグビ飲み干して、お代わりを手酌で注いでいた。
「それでイゼルローン要塞はどうでしたか?」
「酷いの一言だ。俺達は途中から要塞内に居たが、ヴァルテンベルク駐留艦隊が叛乱軍と乱戦になり、焦ったアホのクライスト要塞司令が
ラインハルトが辛辣に吐き捨てる。この青年はとにかく他人の評価が辛辣だ。その分、己にも厳格さを求めて公正である。だからこそ他人からの評価が両極端になり、敵も多ければ信奉者も多い。
だからキルヒアイスが宥め役やストッパーの機能を果たして、もう少し尺度を下げて常人の目で見た、今回の戦の概要を語る。
帝国歴483年5月6日、敵軍は艦艇約5万隻を率いてイゼルローン要塞に侵攻した。帝国軍も要塞駐留艦隊1万2000隻が出撃する。序盤は両軍とも撃ち合いに終始した後、過去の四度の戦訓の通り
要塞主砲により、今度の戦も叛乱軍の敗退が決まったと思われた瞬間、叛乱軍は帝国軍艦隊の内側に入り、乱戦に引きずり込んだ。こうなっては味方を巻き込む
後は要塞からの支援を失った数に劣る帝国軍艦隊は数の暴利で圧し潰され、叛乱軍は要塞にミサイルと爆薬を満載した無人艦艇を体当たりさせた。これには流体金属層と分厚い複合装甲の要塞外壁もただでは済まず、難攻不落の要塞も少なくない被害を被った。
被害に焦った要塞司令官クライスト大将は
さすがに味方殺しまでは予測出来なかった叛乱軍は士気が崩壊して、這う這うの体で撤退していった。これが巷が沸き立つ『名誉ある勝利』のあらましだった。
如何に要塞から敵軍を撃退したとはいえ、同士撃ちは軍の最大の禁忌。栄転という形を取ったが駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将と要塞司令官クライスト大将の左遷が決まった。しかし末端の兵は正式に評価を受けて昇進する者もいる。駆逐艦艦長のラインハルトは巡航艦を撃破した功績で中佐から大佐に、副官のキルヒアイスも中尉から大尉へと昇進している。
「何とも締まらない真相です。もしイゼルローン要塞が陥落するなら、きっと叛徒との戦ではなく帝国兵同士の内紛でしょう」
「有り得る話だ。難攻不落の要塞という安心感が兵の不和と慢心を呼ぶ。優れたハードウェアに頼り過ぎて、危機感の欠如した人間の指揮では兵は無駄死にばかりだ」
「技術者の私はその意見に必ずしも同意はしませんよ。それで昇進したミューゼル大佐とキルヒアイス大尉の次の赴任先は?」
「休暇が終われば巡航艦を一隻任されて、イゼルローン要塞の駐留艦隊だ。もちろんキルヒアイスは副長になる」
階級社会の帝国でも弱冠16歳の少年が巡航艦の艦長就任は事例が少ない。並の平民階級のキルヒアイスがお零れもあるが大尉になるのもだ。二人の昇進は周囲から必ずしも正当とは思われていない。大多数はラインハルトの姉グリューネワルト伯爵夫人の威光によるものと思われている。事実、幼年軍学校卒業生は准尉からスタートするがラインハルトだけは皇帝の意向により少尉から始まっている。そこからたった一年で四度も昇進をしていては、他の門閥貴族同様に寵姫の姉の力と思われても仕方がない。
「ところで例のベーネミュンデ侯爵夫人の件はどうなりました?」
「やっと医師免許を取得したので、叔父の人脈を使って接触するつもりです」
キルヒアイスは視線で遅いと非難を向けるが、後宮の寵姫に若い男が近づくのは、とてつもなく難しいのを分かっていないと反論されて謝罪した。事実、弟のラインハルトでさえアンネローゼには年に数度しか会えない。キルヒアイスは後宮入りして以降、一度だけだった。それほど寵姫に皇帝や使用人以外の外部の男性が私的に近づくのは敬遠される。
それ以前に侯爵夫人は現在育児に追われて謀略を練る余裕が無い。兄のフレーゲル男爵の計略通り、娘二人から突き上げを食らった皇帝フリードリヒ四世から、孫のエルウィンの乳母役を任された。惚れた男からの頼みとあっては、嫉妬に駆られて寵姫の弟を亡き者にしようとする鬼女とて、しおらしい淑女に戻る。
それだけでなく、ある種の代償行為が侯爵夫人の精神を平穏にしていた。叔父ブラウンシュヴァイク公爵に言わせれば、ベーネミュンデ侯爵夫人に権力欲や野心は微塵も無い。ただ、皇帝フリードリヒ四世を心から愛しており、好きな男から愛される事だけが彼女の望みである。それ以外の荘園、財貨、爵位ですら等しく塵芥にすぎない。あくまで皇帝から下賜されたモノだから大切に管理している。
ゆえに皇帝から頼まれて、なおかつこれまで何度も死産と流産を繰り返して、抱く事の出来なかった我が子の代わりを抱ける事に満足感を得ている。本人も代償行為と分かっている。それでも愛した男の孫のエルウィンを決して粗雑に扱わなかった。
おかげでラインハルトへの八つ当たり的な謀略は控えられて、二人は軍務に集中出来た。無論夫人がいつ心変わりをするか予測が付かないので気は抜けない。
「これからは医者として働くというが、どこかの病院に勤務か開業医になるのか?」
「分類でいえば開業医ですが、おそらく技術研究が主になります。それと卒業祝いに叔父から公爵家が所有している資源衛星を一つ頂いたので、そこを拠点に生産工場を立ち上げます」
二人はフェリクスが粒子砲や戦闘艇の開発をしていたのを思い出した。それに最近は軍でも彼の開発したナノマシン型の緊急治療剤が評判になっているのを知っている。通常の数十倍の早さで負傷が完治するおかげで治療剤は非常に重宝した。
おかげでナノマシンの技術特許の収益は莫大。潤沢な資金で既に衛星地表には資源採掘施設が幾つか建設中、生産工場兼宇宙港も衛星の軌道上に作る予定だ。労働者が快適に生活出来るように生活環境も最初から整えた設計にしてある。参考にしたのは先の話に出ていたイゼルローン要塞だ。あの要塞は500万の軍民両方の人間を養えるようにインフラが整っている。食糧工場、生鮮食品を生産する水耕プラント、電力を生み出す核融合炉、浄水施設、原材料を加工する生産プラント、兵器工廠、研究施設、宇宙港、商業施設、病院、歓楽街、労働者家族用の学校。とにかく人が生きていく上で必要なインフラを整える必要があった。要塞と違って宇宙海賊を追い払える程度の自衛力があれば事足りる。もちろん
問題は人だった。入れ物と道具は金を出せば作れる。人も貴族が命じれば領地から引っ張ってこられる。ただし何の教育も受けていない素人の農民ばかりだ。一から教育して労働者として育てなければ使い物にならない。
まずは兄と叔父に許可を取り、フレーゲル男爵領とブラウンシュヴァイク公爵領で希望者を募った。字の読み書きと計算が出来る事。何かしら技能や前歴の経験があれば優遇、家族が居れば住居も用意する。幸い提示した報酬と待遇に惹かれて、徴兵を受けた元兵士と工場勤務の経験者が多く釣れた。彼等は先任労働者になり、次回以降の人員募集で無学者を募集する時は教育者として重宝する。
さらに付き合いのあるマリーンドルフ伯爵やキュンメル男爵にも声をかけて、彼等の領地にも移住者を募った。こちらもそれなりに人が集まり、最低限採掘施設と生産工場を稼働させられる人員は確保した。
あとは集めた1万人を超える労働者及びその家族の統率を誰にさせるかだった。その問題に手を挙げてくれたのが公爵家の私設軍に居たアントン・フェルナーだった。最初に会った時は大尉だったが、五年後の今は中佐に昇進していた。彼は元々事務屋の後方畑なので、人員や物資管理はお手の物。組織運営能力が高いため、管理と運営を任せる事にした。フェルナーには特に情報漏洩の防止に力を入れる教育と環境構築を命じた。彼は軍人なので軍事機密への理解があり、軍の体制を参考にしてフェリクスの要望に応えた。
まだまだ仕事と課題は山積みだったがどうにかスタートは切れた。いずれは教育の成果が出て十全に機能するようになるのを気長に待つ。
「おかげでやっと艦艇や艦載機が作れますよ。初めは駆逐艦から始めて、ゆくゆくは戦艦や宇宙空母も。お二人が大将に昇進した時は、お祝いに私の作った戦艦を進呈しますね」
帝国軍では大将個人に旗艦が与えられる。むろん所有権は国家に帰するが、返還には大将個人の同意を得るか、退役または降格や戦死でもなければ取り上げる事は叶わない。ラインハルトやキルヒアイスもいずれは大将になり、自らの艦を持つ事になるだろう。もっとも、個人艦を断って使い慣れた艦を使い続けたり、戦場で沈めてしまう大将もそれなりにいる。強制ではないから二人とも話半分に受け取った。
美味い酒と美味い食事に、ラインハルトは少し酔いが回ってきた。すると美丈夫はいつもより饒舌になる。
「帝国の上も無能だが叛徒も無能ばかりだ!五度も同じ要塞を攻めればいい加減落とせるぞ。それを毎度飽きもせずに無駄に死んでいく。俺なら四個艦隊もあれば一度で落とせる!」
「要塞の兵が叛徒は選挙があるから攻めてくると話していましたが、その選挙が戦にそれほど関わってくるのでしょうか」
フェリクスはそういえば幼年学校では、政治学や叛徒の政治形態には触れられていなかったのを思い出した。民主主義は大学で政治学を専攻するか、士官学校で自発的に研究するしかない。だから専制君主制しか存在しない帝国の人々は共和制や民主主義への理解に乏しい。
「叛徒―――今は自由惑星同盟と呼称しますが、彼等の為政者は任期制で一定期間務めると退任します。そして国民の投票によって再び代表者を選ぶ。これが選挙です」
「それが戦とどう関係がある?戦果を挙げた軍人に投票の資格があるのか?」
「単に人気が欲しいからでしょう。同盟は帝国―――というよりゴールデンバウム王朝を否定する事で生まれた集団です。帝国相手の戦で手柄を立てれば、戦を主導した現在の為政者の人気が上がる。人気があれば次の選挙でも国民に投票してもらえて、為政者を続けられる。彼等にとって戦は政治家を続けるための人気取りの芸なんですよ」
「バカな!そんな事のために連中は何度もイゼルローン要塞に死にに来るのか!叛乱軍はなぜそのような茶番に付き合う!?」
「帝国と同じですよ。権限のある皇帝や軍務尚書から戦えと言われれば、軍人は命令に従わねばならない。嫌なら軍人を辞めるか、命令を下せる最上位の椅子に自ら座るしかない」
ついでに言えば同盟の軍人も戦果を挙げて階級が上がれば、退役しても年金を貰える良い暮らしが出来て、天下り先も用意してもらえる。あるいは政治家への道が開ける。祖国への愛国心や家族を殺された復讐心から戦う者もいるだろうが、結構な数の同盟軍人は給料を貰う手段と割り切って戦っている。フェリクスから無情な現実を突きつけられて二人は押し黙る。
「私見ですが過去には和平の道もあったと思います。しかし銀河帝国は内情はともかく公式には自分達以外に人類国家は存在しないと主張し、自由惑星同盟は帝国の圧政から人類を救うという建前で政治的な意思統一を図っている。そうして100年以上も殺し合っていれば『平和に手を取り合いましょう』などと今更容易には言えない」
「では貴方ならどうすれば叛乱軍と和平が成立すると思いますか」
「素人考えなら、戦っている期間が100年以上なら、同じだけ戦っていない期間を設けてはどうでしょう。戦った当事者が全員死に絶えれば、自然と双方の頭が冷えて話し合う余地ぐらいは生まれる。話し合った結果、やっぱり殺すと結論が出る可能性もありますが」
正直言えば話が通じる同種の生命体なだけ、生存競争に引きずり込まれたバイドとの戦いに比べて相当余裕があると思っている。余裕があるから、遊びのような戦争をグダグダ続けていられるのだろう。出来の悪いフィクションなら軍需産業が利益のため、悪の金持ちが人類を支配したいから裏で戦いを長引かせて利益を得ている。そういう都合の良い黒幕を用意して、そいつらを倒して三流のハッピーエンドに無理やり持っていく。現実はそれほど都合よく面倒事が片付かないのが困ったところだ。
「ラインハルト、あなたが本当に今の皇帝陛下を倒して頂点に立つというなら、帝国だけでなく同盟とどう付き合うか考えておいた方が良いですよ。戦争は始めるのは簡単でも終わらせるのは相当難しいものです」
フェリクスの戦争と平和へのアプローチを聞かされたラインハルトは無言で考え込んでしまった。彼にとって戦は成り上がる手段だったが、同時に楽しみにもなっている。己の才を存分に振るう時間は満ち足り、充実している実感がある。同盟と戦えば己は満たされるが、同時に彼等との和平は遠ざかっていく。いずれ憎悪する皇帝に取って代わり自分が権力を握れば、同盟との付き合いも改めなければならない。その未来図が全く思いつかなかった。
思った以上に難しい宿題を出されてしまったが、提出期限はまだ先なので一旦棚上げして酒を飲む。酒を飲んでいれば、その間は面倒な事を考えずに済む。この時、憎むべきもう一人の男、己の父親が酒に溺れてしまった理由が少し分かって、ラインハルトは不快感が顔に出た。
一緒に飲んでいた友人二人は理解度の差はあれど、あえて気付かないふりをしてワイン瓶を空にした。