銀河帝国首星オーディンより幾光年。人類唯一の国家を称する銀河帝国から逃亡した共和主義者たちによって生まれた国家、自由惑星同盟がある。バーラト星系の第四惑星ハイネセンを首星として10億人を抱える、帝国に対して祖国と自由を守るための戦いを百年以上にわたって繰り広げる自由主義者の総本山である。
そのハイネセンの北半球にある首都ハイネセンポリス中心部からやや離れた場所に、軍の中枢たる同盟軍統合作戦本部ビルが置かれている。
地上55階、地下80階のビルはほぼ軍人と軍属で埋め尽くされている。一部は出入りする民間企業の従業員、政治家に官僚も訪れる事はあるが、基本的に軍関係者以外は立ち入りを禁じられている。
そんな軍人の群れの中を、一人の冴えない20代半ばの青年がトボトボと歩いている。外見は黒髪黒瞳のアジア系、特段美形とも醜悪でもない、目立たない容姿。軍服を着ていても軍人には見えない、血生臭い戦いには無縁のうだつの上がらない塾講師として一生を終える。そんなどこにでもいる一般人のような軍人。
ただし制服には中佐の階級章が輝き、すれ違う将校の大半が先んじて敬礼を行う。軍隊は階級の低い者が先に敬礼をする。つまり冴えない男は軍の中では上位の階級に属しているのだ。
彼の名はヤン・ウェンリー。階級は中佐。【エル・ファシルの英雄】あるいは【無駄飯食らいのヤン】との異名を持つ、評価の分かれる男である。
ヤンの胸中は疲れと厭世感に埋め尽くされている。所属先の第8艦隊から所用で来てみれば、すれ違う兵士や士官から無遠慮な羨望ないし、空虚な世辞に隠れた嫉妬の視線を向けられる。所詮少佐止まりの男が中佐の階級章を付けているのがそんなに可笑しなものなのか。階級社会というものは窮屈で仕方がない。
おおよそ軍人になったのが間違いとしか思えないが、給料を得るには向いていない仕事だろうと粛々と勤めるしかない。可能ならば年金を貰える年まで勤め上げた後は、歴史学者となって毎日書籍に囲まれたい。そして自由に歴史書の執筆をして老人の域になれば、穏やかな日差しに包まれたままあの世に旅立ちたいと思っている。
もっとも、軍人になった以上は明日死体すら残らず、宇宙に微粒子を撒くような最期とて覚悟しなければならない。なるべくそんな最期は迎えたくないが所詮は運である。つまり勤続5年を超えても生き永らえている自分は、未だ幸運の女神に見放されていない。そう思わないと毎日やってられない。
悶々とした思考のままオフィスを闊歩するヤンは、珍しく辛気臭い顔を改めて笑顔を見せる。
「ロベールじゃないか。久しぶり」
「おおこれはヤン・ウェンリー中佐ではありませんか」
互いに敬礼を交わしても、気安さは微塵も損なわれていない。ヤンにロベールと呼ばれた同年代の金髪の青年。ジャン・ロベール・ラップ大尉はヤンの士官学校の同期であり、数少ない親友でもある。
久しぶりの友人との再会。二人はビル内の士官用食堂で乾杯した。現在は勤務時間の為酒は飲めず、ヤンは紅茶、ロベールはコーヒー。酒を飲めないのが惜しまれた。
食堂は昼を過ぎたため人はまばら。さらに二人は周囲の目を避けて隅っこに陣取った。軍隊はたとえ同期の親友とて階級が違えば、上下に厳しい態度を求められる。だからコソコソと隠れるように友好を温める必要があった。
「いやぁお前さんが中佐とはね。同期の期待の星はやっぱり違うな」
「9割は運さ。それに同期の一番星はワイドボーン中佐だよ」
ロベールは同期の優等生の面を思い出して、口端を少しだけ吊り上げる。二人の同期の首席だったマルコム・ワイドボーンは士官学校の時から『10年に1人の秀才』と評価されていた。ただ、他者を見下すような言動が目立ち、同僚や部下からの信望は薄かった。
出世こそしていても、大艦隊を率いるには少々度量が足りない。ヤンはむしろ視野が広く人望に厚いロベールの方が司令官に向いていると内心思っている。そんな未来の司令官が未だに大尉に甘んじているのは、過去に病気療養で勤務から外れたのが原因だった。
「どっちにせよ、俺よりは優秀だよ。で、優秀なお前さんの知恵を借りたいんだよ」
「僕に分かる事なら構わないよ」
二つ返事で引き受けてくれた友人に屈託のない笑みを見せる。こういう愛嬌がロベールの人望の源泉なのだろう。
「最近、パトロール艦が突然襲撃を受けるトラブルが頻発しているんだ。最初の一隻が沈められてから二週間で巡航艦5隻、駆逐艦は17隻もだぜ。ただ、やられた艦の受け持つ航路が回廊の出入り口から離れているから、単に帝国軍の仕業か判断が付かない。宇宙海賊にやられるほど同盟軍人は軟弱じゃないしな」
ロベールは懐から出した宇宙図のファイアザード星域とシヴァ星域を指で指し示す。二つの星域は共にイゼルローン、フェザーン回廊からやや離れており、首星ハイネセンからも12日かかる。
辺境に近いがさりとて、イゼルローン回廊の同盟側の勢力圏に位置するダゴンやヴァンフリート星域のような対帝国の最前線からも離れている。
「たしかに妙な場所で襲われている。パトロール宙域の民間船への被害は?」
「それがさっぱりさ。同盟もフェザーン船籍も一切襲われていない。軍艦だけを狙っている。海賊なら普通逆だろ」
ロベールは首を振ってお手上げのジェスチャーを示す。彼の言う通り積荷目当ての宇宙海賊なら、真っ先に民間の貨物船を襲う。軍艦を襲ったところで大した稼ぎにはならないし、反撃されて沈められる。リスクとリターンがまるで釣り合わない。
「相手の特徴とか何も分からないのかい?艦を沈められても残骸のコンピューターから交戦データを拾い上げれば少しぐらいは分かるはず」
「そう思って血眼になって現場から残骸を探して科学班に解析してもらったが、ご丁寧に残骸にも水爆や電磁パルスをぶち込んで証拠隠滅を謀ったらしい。電子データおよび生存者も絶望的。相当な恥ずかしがり屋か偏執狂の仕業さ」
軽口を叩くが徹底して証拠と生存者を出さない襲撃者に怒りを抱く。
ヤンは感情的にならず、現在分かっている事だけを脳内で整理してみる。
20隻を超える軍艦が哨戒担当の宙域で襲撃を受けた。民間船の被害は無く最初から軍艦を標的にしている。現場は戦場になる回廊の出入り口から離れているがハイネセンのような首都星に比べて監視の目は緩い。パトロール艦は基本的に少数が担当宙域を哨戒しているから、数で押されたら沈めるのはそう難しくない。もちろんちょっと武装した程度の海賊に負けるほど軍艦は脆くない。
「そういえば二つの星域で被害が出たがそれは同日に起きたのかな」
「いや、最初の一週間はヴァンフリート。その次がダゴンだ」
「短期間に狩場を変えて縄張りは作らないか。となると手口が同じなら単独か、一つの小規模集団が移動したのか。……フェザーンからの情報は?」
「今のところ何も。フェザーン経由で帝国軍が通過した記録は無い。軍艦の入港と商取引記録もだ。そっちは気長に調べないと分からんな」
帝国自治領のフェザーンには同盟も政府関係者を常駐している。彼らが帝国の情報を集めてくれれば、今回の件の手掛かりになるかもしれないが今は無理だ。
ただ、フェザーン経由で帝国軍が攻めてきたのは、民間船に化けて軍艦が通るのも現実的でないし理由が無い。諜報ならそもそも武力行使は必要無いしバレた時点で失敗だ。
直接武力を使うのは商人のフェザーンの流儀と異なる。仮に暴力を使ってもそれは商売上の示威行為に留めるから、やはり違うと思う。
「断定はまだ出来ないけど、消去法で一番濃厚な線は帝国かな。ただし帝国軍の公的活動じゃない。少数の極秘行動…多分新型兵器の実戦テストだ」
「判断した理由は?」
「公式の軍事行動ならコソコソせずにもっと大勢でエル・ファシルのように堂々と来る。それにフェザーンからの情報も無い。少数なのは関与する規模が大きくなるほど目撃情報や内部からの情報漏洩が増えて発覚しやすくなるから。単なる現場の暴走からの襲撃には、使用した物資と人員を誤魔化すには20隻分は多すぎる」
「つまり帝国軍は少数でこっそりうちに来て、パトロール艦相手に新兵器の実戦テストをやっている。そして沈めた艦も念入りに破壊して証拠を消し去った。標的が軍艦ばかりなのも実戦想定のテストなら……筋は通っているな」
「テスト場が回廊から離れているのは、隠密行動と考えたらそれほど重要視されない星域の選択も妥当だよ。ただ気になるのが」
ヤンは一度口を噤んで続けるか迷ったが、結局確証は無い事を前置きに話を続ける。
「この帝国軍は同盟軍の航路とパトロール宙域のデータを最初から持っている。でないと効率的に軍艦を襲って、超光速通信をする間もなく証拠隠滅を図って逃げられない」
「おいおいそれは」
「内通者か、亡命者。捕虜を雇った可能性もある。それも航路に詳しい立場の人間。内通者なら襲撃のあった星域のそれなりに高い階級の士官の交友関係とか口座を見張れば犯人を特定しやすい。亡命者と捕虜はどうしようもないね。精々、今の航路の哨戒ルートを変更するか、数を増やして襲撃に備えるしかない」
「しかも相手は頻繁に狩場を変えるから、田舎の星域ほど警戒するのは負担がでかい」
ロベールは今の同盟に余っている艦艇と人手は無いのを思い出して、好き勝手に暴れる帝国軍に怨嗟の呪詛を吐く。
ヤンの方は人材不足は軍だけが抱える問題ではないと思っている。
食堂の窓から街並みを見下ろせば、交通管制システムの障害が発生して手動で交通整理をする若い警官が四苦八苦している。今日の朝は列車が故障して運航ダイヤが一時間乱れた。
軍が優先的に人を吸い上げた結果、産業の空洞化が著しい。働き盛りの30代~40代の多くが軍人になり戦場で散っていく。民間に残されるのは未熟な新入りと体力が衰える50代以上のロートルばかり。度重なる戦争によって人材は民官ともに、とっくに枯渇している。
おまけにここ数年妙な連中が増えた。公園の芝生を子供たちから奪い取った、赤い縁取りの白いローブを着た一団が一心不乱に祈りを捧げている。傍から見れば異様な連中でも当人たちは至極真面目に儀式を行っているらしい。
「地球教だったね」
「あーあの暇人どもか。軍の兵士の中にもああいう連中が多くなったよ。同盟は信仰の自由があるから帝国から逃げて来たんだと」
帝国内の地球教は五年前に禁教処分を受けて、教徒は地球に追放かフェザーン経由で同盟に亡命してきた。そして地道な布教活動により、徐々に信者を増やしている。軍も信仰を禁じる法は無いため、入隊してもそのまま教えは継続している。
「地球ねえ。今更戦争で焼き払われた古臭い星を拝んだって良い事無いだろうに」
「社会不安が蔓延るとああいう胡散臭い宗教が流行るんだ。人はいつまで経っても神や宗教を捨てられない」
ヤンは首都星すら宗教団体が幅を利かせる状況に、同盟の先行きの暗さを感じずにはいられない。
それでも彼等は軍人として職務を全うせねばならなかった。ロベールはさっそくヤンの分析を元に対抗策を意見具申した。上層部は戦力の捻出に頭を痛めつつも、迅速にパトロールを強化して新たな襲撃に備えた。
パトロール艦の増強を境に襲撃はパッタリと止み、同盟軍の被害は無くなった。戦力が纏まり、手を出しにくくなったというのが上層部の見解だった。
よって上申の功績を理由にロベールは昇進して少佐になり、知恵を貸してくれたヤンに恩返しとばかりに浴びるほど酒を飲ませた。
尤も襲撃が行われないのは、新型駆逐艦のテストを担当した指揮官のグリルパルツァー少佐が十分と判断して早々に引き上げたのが真相である。そして彼に助言したのがオブザーバーとして同行した同盟人アーサー・リンチであった。