帝国暦485年5月の某日。銀河帝国の首都星オーディンは戦勝に沸き返り、宇宙艦隊司令官ミュッケンベルガー元帥に率いられた300万人の帰還兵は拍手と歓声をもって出迎えられた。彼等将兵は生きて帰れた事を喜び、次の戦に備えて休暇を満喫する権利を与えられた。
たとえそれが形だけの勝利といえど、上がそう主張すれば下々の民草は信じて疑わない。渋い顔をするのは軍上層部か、戦力補填のために追加予算を確保する財務官僚だった。
帝国の誇るイゼルローン要塞の回廊の先、自由惑星同盟を詐称する叛乱軍の勢力下にある、ヴァンフリート星系へと進出した帝国軍艦艇3万2千隻あまりは3月21日に戦端を開いた。
そして一進一退の攻防の末に、ヴァンフリート星系4=2という衛星にある同盟軍基地を破壊。基地司令官の中将を捕縛した事を理由に勝利とした。
百万を超える将兵の屍を晒して、星系の小さな衛星の基地一つを破壊しただけで帝国は、叛乱軍に痛打を与えて勝利の凱旋。
同時に惑星同盟も帝国軍の侵略を撃退したのを理由に、戦略的勝利を謳った。こちらも百万の兵を失った。
戦場となったヴァンフリート星域は両軍の艦艇の残骸と肉塊の漂う墓場と化し、後世の歴史家はこの戦で散った兵の命数に見合う対価を得られたのか疑問の声を上げる。
戦の意義はどうあれ、命がけで戦った兵士にとっては生きて帰れた事が何よりの報酬だろう。
ラインハルト・フォン・ミューゼル准将も副官のジークフリード・キルヒアイス大尉と共に五体満足で帰還を果たした。その上、件の勝利の理由となった敵将を捕虜にした功績から、近々昇進をするという話もある。
弱冠18歳の帝国騎士が少将になる。身分制度が絶対の帝国で異例のスピード出世を果たした青年は、門閥貴族が殺意を抱くほど忌々しい存在になっている。たとえ姉が皇帝のお気に入りの寵姫で、その姉あっての地位とあっても不快感は拭えなかった。
門閥貴族にとって吐き気を催す汚物扱いを受けるラインハルトだったが、その門閥貴族の中にも帰還を喜んでくれる者が一人ぐらい居る。幼年学校の同期生だったフェリクスだ。彼はわざわざ帰還と昇進を祝う祝賀会を、オーディンのフレーゲル男爵家で開催して、知り合いの貴族も招待もした。
当主の兄ヴィクトルは祝賀会に渋面を作ったが、弟の頼みとあらば苦渋の想いで許可を与えた。門閥貴族の中ではラインハルトの評価はすこぶる悪く、ブラウンシュヴァイク一門としては祝いたくなかったが、一応戦で帝国に貢献した勇士なので仕方なくという形だった。そのため男爵個人は他の貴族を招待しなかったし、叔父の公爵も静観した。ただし、それとなく周囲に甥がパーティーをする噂を流して、参加したい者はすればよいと不干渉の立場を取った。なんだかんだで甥には甘い人である。
5月22日の昼、フレーゲル男爵家の庭園で立食形式の戦勝祝賀会が開かれた。ラインハルト個人を祝うのではなく、帝国軍の勝利を祝う名目のパーティーにしたのは、フェリクスなりに兄の体面を気遣った結果である。
会場の庭園には数々の贅を凝らした料理と良酒が並び、着飾った紳士淑女が百人程度参加している。男爵家の次男の主催する祝宴なので、参加した者の多くは下級貴族である。一部、幼年軍学校でフェリクスの同室だったユーゼフ・フォン・シェンクリン少尉や、グリルパルツァー少佐のような独身の軍人も参加を許されているのが特色だろう。招かれた貴族の多くが令嬢や親族の女性を連れて来ている。
貴族にとってパーティーは大事な社交場だ。年頃の娘を持つ親には、大事な子供の結婚相手を探すイベントも兼ねている。特に主催者がまだ18歳のフェリクスなら、関係者も必然的に若く有能な者が多いのを見越して、結婚相手を求める下級貴族が思った以上に参加している。
主催者のフェリクスが祝宴の挨拶をする。そこで今日の主役として、ラインハルト、キルヒアイス、ユーゼフを紹介した。三人はヴァンフリート星系の戦いを生き抜いた同期生の軍人として拍手で労われた。ちなみにラインハルトとキルヒアイスはユーゼフの事は全く記憶に無かった。首席と10席コンビにとって中の上の一同期生など一顧だにしない相手だから仕方がない。
ともかくパーティーは滞りなく始まった。多彩で華やかな料理、上質のワイン、奏でられる音楽、そして可憐な令嬢。夜会に比べれば少々気安さがあるのは、慣れないラインハルト達若手軍人への配慮だった。
主催のフェリクスは執事のホルツにパーティーの状況を確認した後、招待した客人への挨拶回りを幾つか済ませ、主役のラインハルト達に戦を勝ち抜いた事への賛辞を贈る。
「ラインハルトは功績から少将への昇進が決まっていると聞きましたよ」
「今回はたまたまだ。老人のお守りのついでで敵将が目の前に転がって来たにすぎん」
不本意極まりなしといった表情が出て、卓越した美貌が歪む。老人とは今回の戦での直接の上官に当たるグリンメルスハウゼン中将のこと。御年76歳になり、皇帝フリードリヒ4世の近習を少年期から勤めていた子爵だ。陰では皇帝の飲み友達だから碌な功績も無しに中将まで上がれた、取り柄の無い居眠り老人などと言われている。
同期のユーゼフはそもそも敵の司令官を捕まえた事自体が強運と実力の賜物と思い、ラインハルトに憧憬を抱く。これが妬心の強い門閥貴族の士官なら罵詈雑言を並べる所でも、三年経っても一少尉でしかない己と少将まで駆け上った同期を比べる事すらおこがましい。それでも今日はお零れに与り、貴族令嬢とお近づきになれるだけ役得と思っている。
「私は同盟の陸戦兵が強敵だったから、フェリクスが開発した新型スーツが無ければ危なかったです」
「あれは私というより、幼年学校の科学技術研究会の手柄ですね」
同期生の中で白兵戦トップだったキルヒアイスに勝る兵がいるとは。敵もなかなか侮りがたい。
「そこの赤毛は白兵戦も達者か」
大股でフェリクス達に近づく熊もとい、巨漢の軍人オフレッサー上級大将に、周囲の空気の緊張感が増した。
彼は敬礼する四人を一瞥して、最初にユーゼフを除外。続いてラインハルトは軽い値踏みの後に鼻を鳴らす。キルヒアイスはつま先から額までじっくり見定めた後に、手を差し伸べる。
握手を求められたと思ったキルヒアイスは手を出したが、オフレッサーは彼の手ではなく軍服の襟を掴む。キルヒアイスはとっさに下半身に力を込めて重心を下げながら、相手の空いた腕を掴んで態勢を維持した。
暫く二人は向かい合ったまま、やがてオフレッサーから手を放して哄笑が庭園全体に響き渡る。
「不躾な真似をして済まなかったなキルヒアイス大尉。卿は生っちょろい若造とは違うようだ」
「はっ、お褒めに与り光栄です閣下」
「卿が望めば10年後に装甲擲弾兵総監の椅子をくれてやってもいいぞ。その気があるならおれを訪ねてこい」
それだけ言い残すと帝国最強の男は妻子の所に戻っていく。
「はー凄い迫力だった。脚の震えがまだ止まらない」
ユーゼフは上擦った声のまま笑う。常人ならオフレッサーに凄まれるだけで魂まで縮み上がるので、彼が特別臆病とは言えない。むしろいきなり掴まれて冷静に対処したキルヒアイスが常人離れしていると言うべきだ。
「ふん、まるで石器時代の蛮族だな。だがキルヒアイスを最大限評価した目と腕は評価してやる」
いつも通りラインハルトは辛辣な物言いだったが、親友が認められた事は結構嬉しかったらしい。
空気が変わり、ユーゼフはトイレに行き、金赤コンビは腹が減ったから食事がしたいと言って、手近な料理を山盛り食べ始める。
これではもう一つの目的が果たせないので、強引にでも食事を切り上げさせて、不満タラタラの二人を挨拶回りに付き合わせた。
「せっかく食べ切れずに捨てられる料理を俺達が少しでも減らしてやってるんだぞ」
「余ったらうちの使用人の夕食になるので心配はいりません。むしろ自分達の取り分になるから、平民はなるべく客には食べてほしくないと思っていますよ」
既に閣下と呼ばれる立場になった友人の貧乏性には呆れてしまう。見かねたキルヒアイスが後でお土産に料理を持たせて欲しいと、こっそり耳打ちした。これでは友人というより母と我儘な子供である。
食事はさておき、フェリクスが前に立って二人の友人を貴族に紹介する。やはりというべきか寵姫の弟の肩書は凄まじく、加えて傑出した容姿も相まって令嬢は例外無くラインハルトに魅了されてしまった。当人は形式張った挨拶をして、少し相手を褒めただけでしかないので、なぜ赤面するのか不思議がる。
挨拶する令嬢が頻繁に婚約者の有無を確認し、あるいは今後軍内で優位な立場の為にはどこか有力な貴族の後ろ盾が必要になるなど、明らかにラインハルトを夫に迎え入れようと躍起になっている様に、当人は却って拒否感を示し始めてしまう。
後に下宿先に帰るなり彼は「貴族の令嬢は脳みその代わりに砂糖でも詰めているのか」などと、知性の無さをこき下ろしている。元々貴族に敵愾心を持っているラインハルトが一層貴族を蔑視するようになったのは、この一件も無関係ではない。
良かれと思って祝賀会を開いたのは失敗だったかと思い始めた頃、フェリクスはある貴族に一抹の希望を託したくなった。
「お楽しみいただけますかマリーンドルフ伯爵。それにフロイラインマリーンドルフ」
この庭園で最も地位の高い貴族の父娘に恭しく声を掛けた。ラインハルトとキルヒアイスは自制心をフル稼働して動揺を抑えた。二人は伯爵の隣に居たのは線の細い子息と思い込んでいたからだ。男装して髪も令嬢に似つかわしくない長さだったので、二人の目が腐っていたわけではない。
「娘は今はオーディンの大学生でして―――」
「大学では政治学を学んでいます。あとは趣味で軍学を」
マリーンドルフ伯爵はこの世の終わりのような顔をする。これでまた娘の変人ぶりが方々に知れ渡り、縁談の数が一桁減って17歳にして喪女一直線。今夜もヤケ酒を呷る事になる。
しかしラインハルトだけはむしろヒルデガルドに興味を持ち、真っ先に彼女に声を掛ける。
それから二人は今回のヴァンフリート星系出征への政治的意義や、今後の軍事的行動の予測などを詳細に意見交換し始めて、父親とキルヒアイスを絶句させた。この状況は拙いと感じたフェリクスは近くで給仕をしていたカーテローゼを呼び止める。
「ミューゼル准将とフロイラインマリーンドルフを客室にご案内してあげなさい」
「畏まりました」
こうして男女は周りから隔離されて存分に仲を深める事だろう。残された男三人は何か言うべきか迷った末に、最初にフェリクスが意味深に呟く。
「Every Jack has his Jill」
「どういう意味です?」
「どんな変わり者にも相応しい相手が世界に一人ぐらいいる、という古い言葉です」
伯爵はやっと娘が年頃らしくなってくれるかもしれない期待から男泣きをはじめ、キルヒアイスも親友に春が訪れたのを概ね喜んだ。
それから若い二人はパーティーが終わるまで客室から出る事は無かった。噂好きの貴族はすぐさまマリーンドルフ伯爵の一人娘とグリューネワルト伯爵夫人の弟がただならぬ関係にあると感づいた。
ラインハルトを伴侶に望んだ他家の令嬢は憤慨したが、相手は自分達より格上の伯爵令嬢と知って諦めるしかなかった。
さらに数日後、久しぶりに会えた姉との席で、他の貴族夫人からヒルデガルドとの熱愛が話に登り、ラインハルトは困惑した。幾ら恋愛感情は無いと言い張っても単なる恥じらいとしか受け取ってもらえず、彼はしばらく不機嫌なまま日々を過ごす事になった。それでもちゃっかり令嬢と連絡先を交換したり、定期的に手紙でのやりとりを続ける辺り、全く意識していないという事は無いと思われる。