銀河腐れ伝説   作:ウヅキ

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第28話 薔薇園

 

 

 虚空に浮かぶ重金属の塊。

 脆弱な人間が宇宙空間を生き抜くために生み出した鋼の船。

 全長650mからなる暴力の化身。銀河帝国が誇る、攻撃力と防御力双方に優れた艦隊戦の主役を任された軍艦。一般に標準型戦艦と呼ばれ、数々の派生種を生み出した傑作艦である。

 重厚な装甲と防護フィールドにより、生半可な攻撃では傷一つ付かない堅牢さのおかげで長く艦隊の旗艦を務める。

 そんな古強者も時代の波という不可逆の不条理には抗えないものなのかもしれない。

 凶々しい緑色の光を放つ球体を先端に備え、後部スラスターから青白い推進光の軌跡を描く全長17mの流線形の艦載機。

 巨獣のような戦艦にとっては鼠のような小さな存在が5機纏わり付いている。

 常識から考えれば船体側面の無数の副砲とミサイルを放てば簡単に打ち払える存在に、巨体は良いように翻弄されていた。

 機体前方の4本の制御機構が取り付けられた直系6mの緑色の球体。『フォース』と名付けられた兵器の中央から、数千倍に増幅した青と赤の高出力レーザーが放たれれば、強固な装甲とフィールドを簡単に貫き、船体側面から内部に爆発が起きる。

 艦の上部には2機並んだ機体のフォース下部から、今度は黄色のレーザーが装甲を舐めるように走り、次々と装甲を吹っ飛ばした。

 手負いの巨獣はなおも戦意が衰えない。狂ったように四方八方にレーザーをばらまき、忌々しい毒蛇を焼き殺そうと躍起になった。しかしそんな図体ばかり大きな獣を嘲笑うように、残る2機は艦の下部へと潜り込み、機首にはある種の美しさを備えた暴力的とも言えるエネルギーが収束する。

 限界まで蓄えられたエネルギーはやがて臨界をむかえ、同時に解き放たれる。

 放たれた青い光は下部から戦艦内部を貫いて、上部装甲をも溶解させて虚空へと消えていく。収束した青い波動粒子は元の宙間物質へと還り、再び人類に使われる時を静かに待ち続ける。

 致命的な損失を受けた戦艦は無数の爆発を起こし、やがて耐え切れなくなった船体は二つに折れて爆発四散した。

 標準戦艦の乗組員は定員750名とされても定員が満たされる事は少なく、自動化の進んだ現在なら150名でも戦闘行動は可能だった。

 その150名も逃げ出す暇も無く戦艦と最期を共にした。

 

 という事も無く、爆発した艦は無人の標的艦である。最初から近づく物体を撃墜するように命令されていた。ただしビームとミサイルは全て実戦用を使っている。演習でも撃墜される危険は十分にあった。

 残骸と化した戦艦を、遥か遠方から先程の5機と異なる6機目の機体が見届けた。フレームは汎用機と共通だったが機体上部に巨大な円盤型レドームを取り付けた情報収集用の強行偵察機。

 計6機の機体が母艦へと帰還する。先程の戦艦は細長いフォルムだったが比較して分厚く、艦首には巨大な砲門を備えてより重厚な印象を与える。全長は約800mとさらに巨大だ。

 生みの親から与えられた名はガルム級宇宙巡航艦。死者の国に繋がれた番犬の名である。戦艦より大きな巡航艦というのも妙な話だが、作った者が決めたのだから艦に拒否権は無かった。

 収容した6機の艦載機はすぐさま整備兵がデータを収集。損傷も念入りに調べられた。5機は汎用機R-9A、残る1機は偵察機R-9E。どちらも無傷の帰還だった。

 格納庫からの報告を受けた艦長グリルパルツァー少佐はブリッジ各員に帰還命令を出した。主と仰ぐ青年貴族に良い報告が出来るのを喜び、命令にも高揚感が乗っていた。

 

 

 帝国首都オーディンにあるフェリクス・フォン・フレーゲルは自宅兼研究所の居間にて、部下から7日前の演習の報告を受けていた。

 報告者は軍事責任者のグリルパルツァーではなく、管理する資源衛星全体の統括者に任じられたアントン・フェルナー中佐である。グリルパルツァーも同伴したかったが軍事責任者も同時に席を空けるのは万一に備えて避けられた。

 彼は2年ぶりの長期休暇を満喫している。これまで資源衛星の運営を一手に引き受けて働き詰めだったが、最近ようやく部下の教育もひと段落して、大部分の決裁を任せられるようになった。今回のオーディン来訪は休暇とフェリクスへの報告も兼ねている。

 

「先行量産型のR-9Aは今回の演習結果を反映して、量産体制に移行すると技術部が張り切っています」

 

「ようやくか。ここまで長かった」

 

 テーブルを共にするフェルナーは知る由も無いが、始まりのRたるR-9Aはクサレカイハツ集団のTEAM R-TYPEですら畏敬の念を持つ機体と特別視されていた。かつて別の名で呼ばれ違う人生を歩んでいたフェリクスも例外は無い。まだ学生だった頃には公式開示された設計図を毎日研究して、何も見ずとも完璧に模写出来るまで記憶したものだ。

 第一次バイドミッションにおいて、主力となって人類側に勝利をもたらした異層次元戦闘機。以降の強力な後継機は数多く生まれても、開発した全てのR戦闘機の始祖として遺伝子が継承されている。まさしく、かの機体無くば地球人類が滅んでいたと言っても過言ではない。

 皮肉な事にバイド中枢を破壊した1機が帰還した事で、後に『堕ちた英雄』が地球圏に災厄を撒き散らす事になるが、それもまた貴重なデータとして後世の財産になるのだから、決して無駄ではなかった。

 

 フェリクスは感無量といった笑みを浮かべ、お茶を飲みほす。間を置かず給仕をしていたカーテローゼがお代わりを淹れる。砂糖は主の好みのスプーン5杯分。現在彼女は侍従教育を終えて、フェリクス専属の使用人として邸宅の雑務を一手に引き受けている。

 メイド服を着る少女を見るアントン。決して劣情を抱いているわけではない。彼にとっても母親を目の前で亡くしたカーテローゼとの出会いは印象深い。あの時の幼児が今はもう12歳の少女に成長していた。今飲んでいる紅茶のような髪色、瞳は青みがかった紫のスミレ色。母親に似た整った顔立ち。あと10年もすれば多くの男が放っておかない美女に成長するのが容易く予見出来た。年齢差を考えれば、まるで娘の成長を見ているようで嬉しくもあり、己が年を重ねた疎ましさを感じた。娘の前に結婚も考える年なのが影響している。

 

「ガルム級巡航艦も調子が良いみたいです。オーディンまで乗せてもらいましたが快適な旅でした」

 

「あとは同盟領内で実戦を重ねて、次は戦艦か宇宙母艦か。Rの派生型のフォースの設計もあるから、また徹夜が続く」

 

 口では億劫そうな事を言っても、目だけはギラついた狂気の炎が燃え上がっているのを見逃さない。この青年は昔からこうだった。目標があれば何を犠牲にしても一切の躊躇無く全力で駆けていく。自分自身すら贄にしようがお構いなし。そこに危うさと同時に惹き込まれる魅力があった。誠仕え甲斐のある主である。

 

「フェルナー中佐はこれまでよく働いてくれました。叔父上を通して軍の人事部に昇進を強く推しておきましょう。年内には大佐ですよ」

 

「光栄です。今一層の忠勤をお約束致します」

 

 おまけに気前が良い。働きには多くの見返りを与えてくれて、守秘義務を守り業務に支障が無ければ商人からのお小遣いも多少は認めてくれる度量もある。

 代わりに情報漏洩には極めて厳しく、自分にも秘密に諜報部隊を作っている節が見られた。外部に情報を漏らした形跡のある技術者や工廠の作業員が、こちらが動く前に何人か事故死している。事故の経緯にやや不自然な点が見られて、断定は出来ないが別口で処理されたのだろう。

 部下でも完全に信頼するのを避けるのは貴族らしい。もし自分が金に転んで兵器の転売でもしようものなら、躊躇せず処刑する冷徹さも持ち合わせている。適度に緊張感のある仕事は嫌いではない。

 

「しばらくは休暇を満喫してください。終わったらまた忙しくなりますよ。うちの私設軍へ納入する簡易量産型の駆逐艦の建造が待っています」

 

 フェルナーは敬礼をもって返答とした。

 帰り際、彼はカーテローゼから土産に手製のケーキとクッキーを渡された。少女なりのもう一人の恩人への気遣いのつもりだった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 7月の初週。フェリクスは前世と合わせて80年を超える生の中でも、おそらく最大の自問自答をしている。

 

『なぜこの空間に?』

 

 銀河帝国内の最も高貴な薔薇園で、二人の老人と茶を喫する状況に追い込まれた事への、現人類最高の学者の純粋な疑問だった。

 

 

 時はしばし遡る。その日の朝、フェリクスは宮中に出仕していた。宮廷医ではなく、叔母アマーリエとその娘エリザベートのお供として。

 婦人二人は同じ血縁のクリスティーネとサビーネ、さらにエルウィンと共に、皇帝へ面会する予定だった。久しぶりに女衆と男孫だけの血縁同士の私的な時間。特別にエルウィンの守役のベーネミュンデ侯爵夫人は同席を許されているが、娘婿のブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵は今回お断りされている。

 当然フェリクスも別室で待機ないし、論文でも書きながら時間を潰す予定だった。

 それが昼食を済ませた頃、唐突に侍従に呼ばれて連れて行かれる羽目になった。しかも向かう先は宮廷医として馴染みのある寵姫の住む西苑でも、公的な行事の場の東苑でもない。皇帝一家の居住する南苑が目的地と気付いて訝しんだ。

 叔母か従姉妹に何かあったか悪い予想をして、侍従に尋ねても謝意を受けるだけで答えてくれなかった。

 

 そのまま南苑の中でも、さらにごく一部の者しか入る事を許されない厳重に警備された一画。皇帝自らが世話をする薔薇園まで通された事で混乱は最高潮に達する。さらに目の前には薔薇の世話をする草臥れた老人もとい、銀河帝国の最高権力者。皇帝フリードリヒ4世その人が居る。

 最大限の理性を発揮させたフェリクスは、老人の前で片膝を着いて頭を下げる。

 

「呼び立てた事は許せ。そちとは前々から一度話をしてみたいと思っていた」

 

 疲れを伴う枯れた老人特有の声は夜会で何度か聞いたことがあるような記憶はあったが、個人に向けて投げかけられた事は無かったため、同一か判断が付かなかった。さりとて無視も出来ず、ただ叔父や兄から受けた教育のままに機械的に声を搾り出す。

 

「お召しに承り、フェリクス・フォン・フレーゲル、御前に参りました」

 

「うむ、昼食は済ませたと聞いた。茶か酒でも飲みながら話をしよう。そちも余とでは落ち着かぬ故、グリンメルスハウゼンを伴させる」

 

 薔薇の剪定を中断した皇帝はそばに用意したテーブルの席に就く。既にもう一人さらに年上の老貴族が待っていた。

 先ほど皇帝はグリンメルスハウゼンと言った。最近聞きなれた名前に、すぐに正体に行き着く。

 リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵。帝国軍大将にして軍務省高等参事官および宮廷顧問官に就く御年76歳の老貴族。

 フリードリヒ4世が皇帝になる前の皇子の時代から仕え、皇帝になった後も忠を尽くし続けた勤労の士である。ただしヴァンフリート星域の戦いで、配下として苦労させられたラインハルトに言わせれば『酸素の無駄』呼ばわりされる耄碌した老人だった。

 事実、フェリクスが同席した時に、僅かに眉を上げて一瞥して『陛下の隠し子ですかな?』などと不敬に処されるような発言をしている。それっきり居眠りを始めてしまい、何のために同席しているのか理解不能だった。

 少なくとも予備知識が無ければ本当に呆け老人と思っただろう。しかしフェリクスは過去に叔父からこの老人の事を少し聞いている。

 曰く、好まれもしないが嫌われもしない凡庸で取り柄の無い無害な老人。皇帝陛下の信の厚い馴染みゆえにお情けで地位にいる。

 おおよそ称賛される言葉ではない。さりとて罵倒には足りない。どこまでも目立たず、軽んじられても無視はされない。叔父も年上故に配慮はしても有用には扱っていない。

 ただしここは魑魅魍魎が渦巻く宮廷である。フェリクス自身は放り込まれたら1年持たずに逃げる魔窟と断じ、医療以外の活動を極力しないように立ち回っている。そんな伏魔殿に居座って皇帝の近習を40年以上勤め上げた老人が無能とは思えない。

 さしずめ『宮廷で老いぼれを見たら生き残りと思え』と結論付けた。そんな老人が居眠りしてそばに居るだけで、得体のしれない怪物が息を潜めているような危険を感じてしまう。ついでにフェリクスが実験中に使っている危険を示すセンサーが注意を促している。炉心融解やバイドの過剰増殖ほどではないが、実験中に失敗する時の前触れのような予感がするのだ。こういう経験から来る警報に逆らってはいけない。

 

 給仕から砂糖20杯分の茶を貰い、カップから溢れた茶のようなゲル状のナニカを啜って舌の感覚を確かめておく。ついでに20杯の砂糖で老人二人の反応も確かめておいた。給仕はドン引きしていたが皇帝はただただ笑ってワインを口にする。グリンメルスハウゼンは寝ているように無反応だった。

 

「そちは甘い物が好きなようだな。酒は好まぬか」

 

「あまり好きとは言いませぬ。甘味は常に脳が欲しがっておりまして、ある意味中毒者でございます」

 

 嘘は言っていない。普段から脳をフル回転させているせいで頻繁に糖分不足を感じている。反対に酒は脳を鈍らせるから必要な時以外は口にしない。

 皇帝は「余も同じだ。ただし酒だが」とだけ笑って赤いワインを飲み干した。

 

「そちの話は色々聞いている。アマーリエやエリザベート、サビーネも、あとは寵姫もか、シュザンナがよく話していたぞ」

 

 一番聞きたくない名前が出て、背中にびっしりと嫌な汗が噴き出している。さりげなく皇帝の瞳を一瞬見た時、そこには酔っぱらい老人の目は無かった。『全部分かっているぞ』。そういう目をしていた。

 

(ああ終わった)

 

 せっかく邪魔な劣悪遺伝子排除法を葬って、これから外銀河に向けた旅の準備を始めようとした矢先に盛大に躓いた。

 おまけに下手な謀なんてして叔父と兄を巻き込んだ事を後悔した。この場で首を刎ねられるのは受け入れても、せめて身内や部下は助けてやりたいが、帝国の罪科は一族連座が基本だ。どうしたものかと砂糖を啜る。

 

「そちには礼を言うぞ。最近のシュザンナは幸福そのものだ」

 

「陛下はその……私をお咎めにならぬのですか?」

 

「なんの罪がある?よもや寵姫の柔肌を見た事か。そちは医者であろう。医者としてシュザンナの病巣を取り除いた。それが全てよ」

 

 これは光明が見えてきた。帝国の絶対権力者が知らないフリをしてくれる。助かる可能性があると分かった途端、急に気が楽になった。

 

「アンネローゼもそちが弟の病を治したのを感謝している。ラインハルトと言ったか。友なのだろう」

 

「はい、陛下。幼年軍学校から交友があり、今も関係は続いております」

 

 皇帝は一度頷いて、居眠りをしていたグリンメルスハウゼン子爵にラインハルトの事を尋ねる。傍から聞くと何のことの無い会話にしか聞こえないが、50年続く主従には違うのだろう。

 

「そのラインハルトにはいずれ爵位を授けようと思う。そちも友に釣り合うように伯爵位が欲しいか?」

 

「いりませぬ」

 

 思わず即答してしまった。これには皇帝も微かに驚いた。爵位と言えば貴族だけでなく帝国臣民なら誰もが欲しがる財産と既得権益の代名詞。最下級の男爵すら一つの星をまるごと所有して、領民の生殺与奪権を握る絶対者として君臨出来る。

 爵位の無い者は喉から手が出るどころか、身内を毒殺してでも手に入れたがる権力を即時に不要と断じだ男は、宮廷闘争劇を長年見せられたフリードリヒの人生で初めてだった。ゆえに理由を問うた。

 

「ラインハルト・フォン・ミューゼルは私の対等な友人です。仮に彼が爵位を得ても私は臣下にならず、逆でも臣下に致しません。地位一つで揺らぐようなら最初から友とは思いませぬ」

 

 皇帝はあまりにも飾らぬフェリクスに目を細めた。グリンメルスハウゼンも口端が緩み、微笑んでいる。

 より本音を言えば爵位など面倒なだけだ。今ですら公爵の甥としてかなりの権力があり、下級貴族の財産など話にならないぐらい莫大な技術特許料が懐に入る。それだけも生きるには苦労はしない。

 下手に伯爵位など貰ったら男爵の兄との関係に致命的な罅が入ってしまうし、財に群がる白蟻共が今以上に干渉して邪魔をする。今の立ち位置が一番責任も無く旨味のある立場なのだから、爵位など却って邪魔である。

 

「ならば何を求める?これまでの忠勤に応えて望むものをやろう」

 

「………これより陛下に不敬な発言を致します。どうかお許しいただきたい」

 

 護衛の兵と近習に緊張が走る。兵はいつでも痴れ者を取り押さえられるように腰を下げる。

 しかし皇帝はただ一言許すと告げた。

 

「私が真に欲するモノを陛下はお持ちになられません。故に私は陛下に何も望みませぬ」

 

 フェリクスにとって嘘偽りなく本心を語るのは、当人の意思を無視して勝手に子供を作った行為を見逃してくれた、皇帝への自分なりの忠のつもりだった。

 

「ほう?全宇宙の支配者たる皇帝の余すら持ち得ぬか」

 

「私が求めるのは未知の世界。この銀河を離れて別の銀河へと旅立ち、未知なる宇宙、未知なる惑星、未知なる生命を発見して研究したい。私は貴族ではなくただ学徒として、命ある限りこの宇宙にある2兆個の銀河を見続ける。それが私の夢、望みでござます」

 

 死刑宣告は下りなかった。あるのはただ沈黙。老人達は夢を語るフェリクスを至極羨ましそうに微笑むのみ。

 しばしの沈黙の後、グリンメルスハウゼンは若者は夢があって良いと、皇帝の想いを代弁した。

 

「そちの夢は余も持っておらぬ。真実を語る者を罰する事は出来ぬわ。ただ、楽しませてくれた若者には何かくれてやりたいの」

 

 思案する皇帝。フェリクスは周囲を見渡して、芳醇な薔薇の香りと口内の砂糖の甘味に一つ閃く。

 

「では陛下の薔薇を頂けませぬか。剪定した花で構いません」

 

「余の薔薇をか」

 

「薔薇のジャムを作ってみようかと」

 

 皇帝は楽しそうに、侍従に薔薇を集めさせた。そしてジャムが出来たら余にも献上せよと命じた。

 

 フェリクスを退席させた後、老人達は先程の若者を肴にワインを楽しむ。

 ただただ純粋に夢を追いかける若者の透き通る輝きは、老人には決して掴めない至高の宝石を思わせる。

 あるいは皇帝はラインハルト・フォン・ミューゼルと共に自分に挑戦する事を期待したかもしれない。

 真っすぐな憎しみをもって、この毒に満ちて腐りかけた大樹を切り倒してくれる美しい金糸の青年とは違った。しかし、幼き日に聞かせてもらった冒険譚の主人公への憧憬にも似た想いがこみ上げる。貴族にも帝国にも囚われず、勇気と希望をもって新たな世界へと漕ぎ出していく青年が眩しかった。

 

「ミューゼル少将といい、若さとはなんと美しく素晴らしい。そう思いませぬか陛下」

 

「我々にもあのような時代があったのだな」

 

「あの者には何もせずともよろしいでしょう。老人が手を出してはせっかくの宝石に却って汚れが付いてしまいます」

 

「うむ、オットーの甥は遠くから眺めるだけで良い」

 

 時代に取り残された老人達は、ただ朗らかに笑うのみだ。

 

 

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