帝国歴477年、フェリクス・フォン・フレーゲルは十歳になり、帝国軍の幼年学校へと入学した。
新入生らはとにかく目立つ。正門から廊下まで至る所に居る、やたらと浮ついた少年達はほぼ全て今年の新入生と言って過言ではない。そんな未来の将校等の会話を現役の軍人が耳にすれば、あまりの呑気さに頭痛か、かつての己の恥部を思い出して溜息を吐くに違いない。
やれ、自分はどこの家の出自だから仲良くして損はない。早く卒業して叛徒と戦い武勲を上げて、いずれは元帥になってやる。どうせ士官学校までは自動的に入れるのだから程々に頑張ればいい。
例外はごく一部に過ぎず、フェリクスはいっそ帝国大学の飛び級試験を受けて、さっさと大学に行くべきだったかと、これから卒業までの五年間を否定的に考えた。
そんな中、周囲にざわめきが起きる。有象無象をかき分けるように、金髪と赤髪の新入生らしき二人組が通り過ぎた。
「見慣れない二人だったな。どこの家の者だろう」
「もしかしてアレが皇帝陛下の新しい寵姫の弟か」
一人の憶測が周囲に瞬く間に伝播して、貴族の子息の多くは嘲笑や妬みの視線を向ける。
フェリクスは多くの新入生たちとは異なり、先程の二人には特に関心も感情も抱かなかった。
代わりに入学前に叔父のオットーから、皇帝陛下が新しい女を後宮に召し上げた事、その女性がまだ15歳ながら絶世の美女だった事。寵愛を受けてすぐにグリューネワルト伯爵夫人の家格と爵位を与えられた事を聞いていた。
現皇帝のフリードリヒ四世は好色なので、新しい妾を持つことはよくあることだ。その親族が幼年学校に入学する事も珍しい事ではない。
それっきりフェリクスは寵姫の弟に関心を向けず、噂好きの貴族社会に辟易した。
入学式での校長のありがたい長話を聞き終えた新入生は、寄宿舎の割り当てられた部屋に戻る。
今日からはここで24時間拘束を受ける生活に入る。今まで好き放題に生きていた貴族の子息に、狭苦しい囚人のような生活は不満しかなかったが厳つい教官に逆らえるはずもなく、渋々受け入れている。
フェリクスは生活していた無駄に広い自室と打って変わった、小さな二人部屋に不満は無い。あとは向かい合う暗褐色の髪の同居人と反りが合うかどうかが心配だった。
「自己紹介がまだでしたね、私はフェリクス・フォン・フレーゲルです。これから五年間よろしくお願いします」
「僕はユーゼフ・フォン・シェンクリン。同い年だから敬語とかいいよ。僕の事はユーゼフと呼んで」
「喋り方は常にこうですから気にしないでください。私の呼び名はお好きに」
二人は握手を交わす。初見の態度は良好だった。
ユーゼフは領地を持たない貴族の最下級である帝国騎士の長男として生まれた。父親が軍人なので、自らも自然と軍人の道を歩むと決めたと語った。
フェリクスも返礼として生家は男爵家だと伝えた。するとユーゼフは頭を掻いて、恐る恐る様付けで呼んだ方がいいか聞く。
「同級生に気を遣わずともいいんですよ。それに私は次男ですから家は継ぎません。いずれ大学を出て研究者として生きるつもりです」
「へえ、フェリクスはもう将来の事を決めているんだ。僕も負けてられないな。いつか艦隊司令になって、一万隻の軍艦を率いてやる」
目に一杯の夢と希望を宿したユーゼフは、夜まで将来の事を話し続けた。
新入生は早朝から、スピーカーから大音量で流れる『起床』の命令に叩き起こされて、眠たげな瞼を開いてノロノロと起き出す。
幼年学校の生徒は起きてすぐに自らのベッドを整えて洗面に向かう。身支度が終われば息つく暇も無く校庭に整列させられて、軍旗の掲揚とトレーニングが待っていた。
一時間の基礎トレーニングが終われば、生まれてこの方まともに運動をしていない貴族の子息は倒れ込んで不平不満を訴えたが、誰もその怨嗟に耳を貸さない。
それが終わればようやく朝食にありつける。空腹を訴える新入生は、しかし与えられる食事の貧相さに眉を顰めて料理人に抗議するも、やはり無視された。二年生以上は既に学校の食事を受け入れており、我がままを言う新入生に冷笑を送るのみ。
フェリクスとユーゼフもコックから受け取ったプレートを持ち、適当に空いたテーブルに就いて食事を始めた。
「―――ソーセージは良いけど、パンが美味しくない」
固い黒パンをモチャモチャ食べるユーゼフはあからさまに不満を持つ。
対してフェリクスは味など気にせず、茹でたジャガイモを機械的に減らしていく。彼にとって食事とは肉体を維持するための燃料でしかない。貴族に生まれた以上はある程度外の目を気にして質も要求するが、本来は美食に耽る趣味は持ち合わせていない。下手をすれば食事どころか栄養アンプルを注射するか、点滴で済ませても良いと思っている。
多くの生徒に不満のある朝食が終われば、早速学生の本分たる授業が始まった。
午前の授業が終われば昼食になる。やはりこの昼食も見栄えは貧相、味は察して知るべし。
それでも空腹は耐え難く、新入生たちはコックを親の仇のように睨みつけながら食事を受け取っていく。
フェリクスも食事を受け取って混んでいる食堂の中の空いている席を探して、金髪と長身の赤髪の一年生の座っていたテーブルに座る。
向かい合う金髪はフェリクスを一瞥して小さく舌打ちする。
「相席は好みませんか?」
「―――そうは言ってない」
金髪はあからさまに不満そうにしているが、フェリクスが気にも留めずに淡々と食事をしているのを見て、自分も食事を再開する。
「君も同じクラスだね。ぼくはジークフリード・キルヒアイス、こっちは――――」
「いい、僕から言う。ラインハルト・フォン・ミューゼルだ」
「フェリクス・フォン・フレーゲルです。今後ともよろしくキルヒアイス、ミューゼル」
それっきり会話は止まったが、赤髪のキルヒアイスが場を和ませようと話を振る。
「えっとここの料理は口に合う?」
「栄養になれば十分です。ですが他の人達はお気に召さないようですね」
「ふん、ここの食事は犬の餌よりマシなだけだからな」
「ああ、アンネローゼ姉さんのフリカッセは凄く美味しかったね」
キルヒアイスがアンネローゼという名を口にした瞬間、ミューゼルは歯を軋ませて何かに耐えるようにフォークを握りしめる。
そして三人の会話を聞いていた者は周囲にも居た。
「おい、そこの金髪の新入生。何が犬の餌だって?我々がそんな餌を毎日食べているというのか」
隣のテーブルに居た上級生の一人がミューゼルを睨む。
「その犬の餌とやらを食い終わったら噴水前に来い。少し教育してやる」
周囲はざわつき、何人かは面白がっている。諍いの当事者になったミューゼルは鼻を鳴らすだけで怯えは見えない。
「いつものことだ。あの手の連中はどこにでもいる」
「そうだねラインハルト」
「ですがアレは取り巻きが何人かいると思います。数で負けている以上は、そのフォークぐらいは持って行った方が良いですよ。初手に腹でも刺せば戦意を挫けます」
フェリクスの助言にミューゼルとキルヒアイスは目を丸くした。二人はフェリクスをそこらの有象無象と思っていたが、思った以上に過激な手合いだった。
三人はそのまま食事を続けて、先に食べ終えたフェリクスが席を立ち、『ご武運を』と二人に言い残した。
昼休みが終わり、午後の授業にはミューゼルとキルヒアイスが何食わぬ顔で出ていた。代わりに絡んで来た上級生とその取り巻きが医務室に運ばれていたと、翌日に噂が流れたが三人とも完全に他人事と流していた。
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環境が変われば諸問題は起きるものの、学生生活はスケジュール通り進んでいく。腕の上げ下げや歩き方一つ取っても全てが規律に支配される環境に、甘やかされて育った貴族の子息は早々に音を上げる。
さらに一年生は上級生の身の回りの雑用をしなければならない。これが生まれてから使用人に世話をされる立場だった者は精神的に堪えた。まして上級生が自分よりも家の爵位が下、下手をすれば平民ともなると、階級社会に慣れた貴族のプライドはズタズダになり実家に逃げ出す者もいる。
フェリクスも生まれてからずっと傅かれる立場にあったが不満に思わず、担当する上級生の靴やペンを磨いたり、制服の用意を欠かさず行う。生家は男爵家だったが公爵の甥が黙々と雑用をこなす姿に周囲は驚き、教師陣も弁えた態度に評価は高かった。
無論、授業も多少退屈そうにしながらも真面目に受けている。幼年学校は軍人養成機関なので、通常の学業以外にも基礎的な医学、機械工学、軍事演習、戦略、戦術、白兵戦、射撃など多岐にわたる軍事知識を身に着ける。
特殊な分野を学ぶのが軍学校でも、試験からは逃れられない。入学して半年が経った頃には中間試験が行われ、学舎には悲喜こもごもな結果が生まれた。
廊下に試験結果が張り出される。一年生の首席はラインハルト・フォン・ミューゼル、次席はイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン。
フェリクスは座学は美術を除いて満点だったが、白兵戦やブラスター(ビームガン)の射撃は平均より上程度だったため、席次は六番だった。
キルヒアイスはさらに下の十番だったが、白兵戦や射撃のような実技ではトップを獲得している。
試験結果に不満を持つ者の中には、首席のミューゼルに嫉妬ないし憎悪を向けて暴力で排除を考えるが、ミューゼルとキルヒアイスは全てをそれ以上の暴力で退け続けた。
さすがに怪我人が続出しては学校側も座視しなかったものの、喧嘩の理由が首席を妬んでの諍いとなると、多少やり過ぎの面もあるが二人に重罰を科すわけにはいかなかった。
なによりも皇帝の寵姫の弟とその取り巻きでは、おいそれと処分を下せない。専制君主国家の銀河帝国において、皇帝陛下の威光は全てにおいて優先する事項だった。
同級生の金赤コンビが不毛な抗争に明け暮れているのを尻目に、フェリクスは安住の地を手に入れた。
そこは彼の叔父のブラウンシュヴァイク公爵が幼年学校に寄贈という形で建てた研究室だった。
建物の中には十台程度のコンピューターが並び、電子顕微鏡や精密機械の全自動製造機などもある。奥には明らかに幼年学校にそぐわない、物々しい隔壁と軍用の中和フィールド発生器まで備わっている。
おまけに地下には旧式の駆逐艦に積んであった核融合炉も埋設してある。おかげで軍艦の主砲だろうが問題無く扱える。まるで軍の研究施設をそっくり移設したような研究室だった。
これらは全て甥のフェリクスが叔父に十歳の誕生日プレゼントとして欲した物だ。
学者を志望する利発な甥のお願いとあらば公爵も否とは言えなかった。幼年学校側もあくまで父兄側の寄付という形だったので断れず、しかも持ち主のフェリクスの卒業後は、設備はそのまま学校側が自由に使っても構わないと誓約書を提出しているため、生徒主導の科学技術研究会として許可を出した。
一番効き目があったのが教師陣や校長の昇進と次の赴任先への、公爵からの口利きだったのは大人の事情と言う奴だろう。
こうして時間的制約がありつつも、自由に研究が出来るようになったフェリクスは、自由時間の殆どをこの部屋で過ごすようになった。
さらに生徒の数名がフェリクスの並外れた頭脳に惚れ込み、研究会に所属したいと申し出たので、学者志望でやる気がある者は快く招いた。
今もフェリクスはコンピューターを操作して何かの精密部品の設計図を引きながら、随所に数字と注釈を書き込んでいる。他は一生懸命論文を読みふけっているが理解がまだ追いついていない。
「フェリクスさん、この波動粒子は本当に宙間物質の中に存在するんですか?」
論文を読んでいた三年生の一人が懐疑的に質問する。彼も会長のフェリクスを疑う事はしないが、なにぶん未知の粒子を扱う論文となると疑いが抜けない。
「ありますよ。それを実際に収集して利用する方法も論文に書いてあるでしょう。今、粒子収集機を設計していますから、理論だけでも完全に読み込んでください」
自信満々に答えるフェリクスに腑に落ちないものを感じつつも、これ以上の不審は顔に出さずに再び論文の理解に専念する。
「ただし、収集機が出来ても粒子を制御するプログラムがまだ無いので、本当に集めるだけですよ。ゆくゆくは蓄積した波動粒子に指向性を持たせて、兵器として扱えるようにするのが当面の目標ですね」
柔らかい物腰に隠れていても、今の状況に一番満足していないのがフェリクス本人だった。彼は技術者であってもプログラマーではない。にも拘わらず、門外漢のソフトウェアまで自前で用意しなければならない。一人で何種類もの作業を抱えるのは非効率極まりなかった。
各分野のスペシャリストが居たらと嘆くが、彼自身は未だ幼年学校の一年生でしかない。いかに貴族と言えど子供の身では、人を探す事も雇う事だって無理だ。
そう思えば前世で所属していたTEAM R-TYPEは選りすぐりの技術者を集め、最新の研究設備と潤沢な予算の中で自由な研究と開発が許された。無論、国連軍と政府のオーダーという制約こそあったが、要求性能と納期さえ守っていれば殆ど好きに対バイド用の新兵器を開発し続けられる環境だった。
同僚達とは同じ組織に居ながらも、開発するR戦闘機の方向性の違いから怒鳴り合う事など日常茶飯事。毎日怒声と罵倒をし合い、時に掴み合い、殴り合いまでする、お世辞にも和気あいあいの良好な人間関係とはいかなかった。
外部の人間からは『マッドサイエンティスト集団』『外道の巣窟』『狂人機関』『クサレカイハツチーム』などと散々にこき下ろされたが、しかしそれでも人類最高の頭脳集団として、研究者の誇りを賭けて切磋琢磨する、人生で最も輝かしい時を過ごせたと思う。
今の世も特権階級として他人よりも恵まれている自覚はあれど、人、環境、理論すら一から構築せねばならない迂遠さには苛立ちすら覚える。
「世の中ままなりませんね」
時間はたっぷりあるものの、生涯追い求める『夢』の実現にはまだまだ長そうである。