銀河腐れ伝説   作:ウヅキ

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第30話 ガラスの刃

 

 

 クロプシュトック侯爵という老人がいる。かの家の始祖はルドルフ大帝が帝位に就く前からの協力者であった。ゆえに皇帝の信は篤く、歴史の舞台では度々重要な役割を担い、富と権力、それに名声も抱えた帝国有数の名家であった。

 そんな名家もたった一つの選択の誤りが傾きの原因になるのだから政治とは恐ろしい。発端は現皇帝フリードリヒ4世が至高の冠を戴く前だった。

 当時のクロプシュトック家はフリードリヒ4世ではなく、その弟のクレメンツを支援して皇帝の座に押し上げようと躍起になっていた。しかし結果は振るわず、知っての通りフリードリヒ4世が皇帝になったわけだ。

 それだけなら暫くほとぼりを冷まして、それとなく新皇帝に近づけばよい。それが叶わなかったのは放蕩三昧を繰り返すフリードリヒ4世が皇帝の器ではないと、必要以上に軽蔑して嘲笑った行為への、皇帝の側近達からの報復だった。弟クレメンツと兄リヒャルトの支援者は悉く敗残者として、30年に渡って冷遇を受ける立場に甘んじた。

 宮廷からの追放、社交界での嘲りの視線、他家との縁談の拒否。半ば自業自得の面が強くとも、栄誉ある名家は失態を認めたくなかった。

 

 既に権勢を失って忘れ去られた名家が最近になって、宮廷での活動を再開している姿を見かけるようになった。皇帝へのご機嫌取り、宮中の高官に多額の賄賂を渡して顔を繋ぎ、多くの門閥貴族には秘蔵の美術品を贈った。

 精力的な活動と頭を低く下げる卑屈な姿勢が高位の者ほど効き、めでたく社交界の復帰へと繋がった。老いたクロプシュトック侯爵の晴れ舞台はブラウンシュヴァイク公爵邸。公爵の娘エリザベートの14歳の誕生日祝いのパーティー。それも当日は祖父の皇帝フリードリヒ4世が臨席する予定だ。祝いの席で30年前の不敬の赦しを皇帝に願い出る。ブラウンシュヴァイク公爵が演出する最高のパフォーマンスといえる。

 だが彼等は老人の30年の熟成を経て凝り固まった憎悪と敵意を見誤っていた。甘い認識の対価がいかに高く付くか、たった一人の老人を除いてまだ知る由も無い。

 

 

 帝国暦486年3月21日。ブラウンシュヴァイク公爵の邸宅は、朝からパーティーの準備で息も吐けない忙しさの中にある。

 自家の一人娘エリザベートの誕生日パーティーという重要な理由もあるが、最大の理由は祖父である皇帝フリードリヒ4世もお祝いに駆け付ける予定だからだ。もしもそのような席で不備があれば、ブラウンシュヴァイク公爵は帝国貴族全ての笑い者になってしまう。主人の顔を潰したとあっては、家臣一同使用人に至るまで毒を飲まされかねない。ゆえに邸宅は戦場の如き喧騒に満ちていた。

 喧噪の中心にいたのが公爵一族の若手フレーゲル男爵である。彼が陣頭指揮をとって、パーティー会場の設営に気炎を上げていた。弟のフェリクスも彼の補佐役で、招待客の名簿と睨めっこをして席の序列を細かく指示していた。

 貴族というものは家同士の格や序列に極めて敏感である。歴史、血統、現在の宮廷での職、軍人としての階級。挙げればキリが無いほどの要素を点数に変えて、合計値で格差を作り出す。平民にとっては下級の男爵すら雲の上の存在でも、貴族の中では完全な下っ端だった。

 それでもフレーゲル男爵が他の貴族に大きな顔をしているのは、叔父が公爵だからだ。しかも男児のいない公爵が公然と息子のように扱うため、次期公爵として伯爵すら遠慮が出る。誠に貴族の世界は複雑怪奇である。

 

 

 首都オーディンに夕刻が迫る。公爵邸は既に塀の前の街道まで招待客の地上車(ランド・カー)でごった返している。警備の兵が引っ切り無しに誘導と交通整理をする中、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将と幼馴染のジークフリード・キルヒアイス中佐は、虚構に彩られた貴族社会の玄関に入った。

 祝宴会場の広間に続く贅を凝らした調度品の飾られた廊下で足を止める。二人は見知った男を見つけて、整った顔に笑みを浮かべた。向こうもそれに気付いた。

 

「ようこそミューゼル大将、キルヒアイス中佐。わざわざご足労頂き感謝します」

 

「卿の招きなら構わんさ。なあキルヒアイス」

 

「その通りです。本来招待資格の無い私をわざわざ招いてくださった気遣い痛み入ります」

 

 キルヒアイスは深々と頭を下げる。本来今日のパーティーは貴族ないし准将以上の軍高官と、その夫人にしか参加資格が無い。キルヒアイスは中佐なので招待を受けないが、フェリクスが気を利かせて友人として特別に招待してあった。平民の特別扱いには兄が少し眉を顰めたが、一人ぐらいならと大目に見てくれた。おかげで友人は除け者にされずに一緒に居られる。

 

「ところで皇帝陛下は誰か伴って出席するか知っているか?」

 

「ベーネミュンデ侯爵夫人が同伴すると聞いています」

 

 ラインハルトとキルヒアイスは盛大に安堵した。姉のアンネローゼだけに会うなら喜ばしいが、そこに憎い皇帝がそばに居ては、怒りを抑え続けられる自信が無かった。代わりに過去に命を狙ってきたベーネミュンデ侯爵夫人の顔を見る羽目になるのは嫌だが、我慢出来ないほどではない。

 それから三人は軽く話した後に、フェリクスが別の招待客の対応したため、二人は一足早く瘴気漂う貴族の棲み処たる祝宴会場へと踏み込んでいく。

 

 友人達を見送った後、フェリクスは新たな客の老貴族の顔に視線を固定する。力の無い濁った眼をした杖をついた白髪の老人。面識は無くても前もって顔写真で確認を取ってある。

 

「お待ちしていましたクロプシュトック侯爵閣下。今宵はよくブラウンシュヴァイク公爵家にお越しくださいました。叔父上もさぞお喜びでしょう」

 

「はは、このような老いぼれも温かく出迎えてもらえて、感謝の極みですじゃ。貴殿はブラウンシュヴァイク公爵閣下の甥ですかな。閣下は善き甥に恵まれた」

 

「過分なお言葉に恐縮致します。ですが不出来な甥として周囲に迷惑をかけ通しです」

 

「いやいや、誠に公爵閣下が羨ましい」

 

 貴族の畏まった挨拶はそこで終わり、クロプシュトック侯爵は祝いの席を目指した。

 ここでフェリクスがもう少し注意深く観察して、老貴族の手が強く杖を握り締めて爪が食い込むのに気付き、杖を持っても足取りが軽い事、昨年の戦で唯一の跡取りを失っていた情報を繋ぎ合わせていたら、あるいはこの後の事件を未然に防げた可能性はあった。

 

 切れ目の無い招待客の対応に疲れが見え始めた最中、ゾロゾロと取り巻きを引き連れた一団がやって来る。貴族集団の中心に見慣れた一家を確認した。リッテンハイム侯爵家の三名だった。

 フェリクスは間を置かずに侯爵家の三人を歓待する。リッテンハイム家はブラウンシュヴァイク家とライバル関係にあるものの、相手の家の全てを敵視しているわけではない。現に妻同士が姉妹だから、その娘達も従姉妹の関係にある。幼い頃より互いの家を行き来していれば、本当の姉妹とまではいかずとも良好な関係は築けた。実際に張り合っているのは寄子貴族や当主ばかりだった。

 フェリクスもそれほど敵視されておらず、むしろ令嬢のサビーネには幼少期から何かと懐かれる事が多かった。

 今も当主ウィルヘルムより、娘のエスコートを任された。途端に取り巻きの若手貴族は怒気を放っているが、気付かないふりをしてサビーネの手を取って広間へと連れていく。

 

「エリザベート従姉さんは私のプレゼントを気に入ってくれるかな」

 

「貴女が選んだ物ならきっと喜んでくれます」

 

 決して世辞や取り繕いではない。従姉妹はサビーネの事を可愛がっているから、彼女からのお祝いの品なら喜んで受け取るだろう。

 人混みをかき分けるように、広間の中央付近で談笑していた叔父一家の傍にサビーネを連れて来た。

 

「おおリッテンハイムのご令嬢。今夜はエリザベートのためによく来てくれた」

 

「ご無沙汰していますオットー伯父さま、アマーリエ伯母さま。エリザベート従姉さんもお誕生日おめでとう。私からのプレゼントを持ってきたの」

 

「ありがとうサビーネ。―――わあ、いい扇子ね。大事に使うわ」

 

 従姉妹に喜んでもらえたサビーネは屈託の無い笑みを見せる。こうした少女同士の良好な関係を見ていると、権力のために争う行為自体がいかに害悪か嘆きたくなる。至尊の王冠を得られれば帝国の全てを手に入れられるとはいうが、平穏な世界からはますます遠ざかっていく。身内同士で血で血を洗う抗争をせねばならぬとは、あまりに愚かと言いたくもなる。

 しばしの談笑の後、リッテンハイム侯爵もエリザベートに誕生祝の挨拶に来た。ただし娘に比べて場に緊張感がある。ブラウンシュヴァイク公爵と静かな言葉の応酬が原因だった。帝国の二大巨頭が向き合えば祝いの席すら銃弾飛び交う戦場になる。

 思うにこうなると分かっていたから、リッテンハイム侯爵は先にサビーネを挨拶に行かせたのだろう。

 

 益体の無いいがみ合いは侍従の公爵への耳打ちであっけなく終わる。今夜の主賓たる皇帝が腹痛を催して、急に欠席してしまったからだ。

 あからさまに落胆したブラウンシュヴァイクは、招待客に皇帝の欠席を伝えた。多くの客は形式的に残念がっても、元々人望の無い皇帝が居なくても、本来の趣旨のエリザベートの誕生祝さえしておけば構わないと思っていた。

 クロプシュトック侯爵もせっかく皇帝に謝罪する機会を失ってさぞ気落ちした事だろう。公爵は多少慰めてやろうと中央の賓席からやや離れた侯爵の席に目を向けても、そこにいるはずの老貴族は影も形も無い。あるのは新品の杖が椅子に立てかけてあるのみ。用足しにでも行ったのだろう。杖も忘れて年寄りはこれだからと、失礼な事を考えて杖をトイレに届けさせるため侍従に命じた。

 侍従が丁寧な手つきで杖を運び、やがて光とともに地獄が顕現する。

 

 

 最初に視界に入ってきたのは、ぼやけた天井とサビーネの煤で汚れた泣き顔だった。少女の口がしきりに動いているが声は聞き取れない。

 フェリクスの思考が徐々にクリアになっていく。途切れた記憶、仰向けに転がっている体勢、近くに居たサビーネが泣いているのに声が聞こえない。多くの情報から恐らく爆発物によるテロ被害と結論付けた。

 怪我人も多く出ただろう。ならば医者である己がこんなところで寝ているわけにはいくまい。体を起こそうと力を入れても一向に体を起こせない。動かせるのは辛うじて首から上と左腕。

 左腕で体の状態を確認すると、胸に何か突き刺さっている。

 

(これは本格的に不味い)

 

 多分心臓に破片か何かが刺さっている。体がまともに動かないのは心臓が破損して血液が行き渡っていない証拠だ。処置をしないと、もってあと数分の命。自分の事ながらどこか他人事のように冷静に捉えているのは科学者の性か。

 幸い諦観するのはまだ早い。こんな事もあろうかと備えは常にしてある。辛うじて動く腕で上着の内ポケットから金属製のケースを取り出した。蓋を開けようとして、手から力が抜けてケースが滑り落ちる。

 サビーネがそれを拾い上げて蓋を開けるが何をしていいか分からない。さすがにフェリクスは焦った。もう視界がぼやけ始める。

 だが救いの主はまだ見捨ててはいなかった。半ば見えなくなった視界に金髪の天使が入り込んだ。

 フェリクスはなけなしの力を振り絞って、サビーネの手のケースを指差し、さらに自分の胸に突き刺さった破片を抜けと手で指示した。

 天使のように見えたラインハルトは、以前自分の遺伝子治療に用いた器具と同型の、圧力式ナノマシン注射器をフェリクスの胸に押し当て、同時にキルヒアイスは心臓を破壊したガラスの刃を引き抜いた。

 噴水のように噴き出た温かい真紅の血はすぐさま止んだ。開いた傷口がボコボコと泡立ち、血煙を上げる。体が数度跳ね上がっては痙攣を繰り返した。

 痙攣が徐々に治まり、フェリクスは大きく息を吐いて頭を数度振ってから、友人達に短い感謝の言葉を贈った。

 

「いやあ、もうダメかと思いました。お二人が居て良かった」

 

「フェリクス!フェリクス!私の事が分かる!?サビーネよ!」

 

「分かっていますよ。ああ、血塗れですね。お怪我は、どこか痛い所は?」

 

「貴方の後ろに居たから無いわよ!ううっ……」

 

 泣き崩れるサビーネをあやしたいが今の自分は血塗れなので控えた。代わりに彼女が持っていた注射器のケースをそっと手に取り立ち上がる。

 周囲を見渡せば、広間は予想通り瓦礫と血塗れで転がる貴族ばかり。煙は既に所々砕けた窓から抜け出ていた。

 パーティー会場に居たのはざっと百人を超える。つまりそれぐらいの怪我人ないし死体を生産しただろう。

 自分は医者だ。そして治療器具も手の中にある。ならやるべき事は一つしかない。

 

「お二人は怪我人を空いたスペースに運んで!手足が千切れたり腹から内臓が飛び出た重傷者を最優先!可能なら布で縛って止血を!」

 

「えっ!?あ、ああ分かった。いくぞキルヒアイス!」

 

 命令に弾かれたようにラインハルトは動き、すかさず赤毛の相棒が続いた。

 

「そこにいるのはシューマッハか!数人連れて屋敷にある医療品を全部持ってこい!!急げ、命は一秒ごとに失う!他はテーブルのシーツでも服でも何でもいいから怪我人の傷口を縛って血を止めろ!」

 

「はっ!!」

 

 怒声に近い命令に、場の混乱は幾らか収まった。軍人の多くが体に染みついた習慣から、上位者の命令を効率的に遂行しようと動く。

 代わりに貴族といえば、たとえ無傷でも慌てふためき、何をしていいか分からず呆然と立ち尽くす。少々の傷でも大げさに喚いて助けを強要。または自分たちに死の恐怖を味合わせた元凶への殺意を声高に叫ぶ。誠にもって見苦しく、現状を理解していない。

 それだけならまだ煩い置物程度に捨て置けた。

 

「貴様!そんな死にぞこないより子爵の私を治せ!今すぐ腕の痛みを取り除け!」

 

 置物以上に治療の邪魔をする塵に殺意が湧いた。自力で歩ける元気な輩と、まともに動けない重傷者の治療。どちらを優先するかまるで理解していない。人手が足りないから侯爵令嬢のサビーネまで、患者に突き刺さった破片の除去や包帯を巻く治療に使っているというのに。

 怪我人を運んでいたラインハルトが怒気を漲らせてブラスターに手を掛けるのを、キルヒアイスは必死で宥めている。

 いい加減捨て置けなくなったフェリクスは、屑の眼前に医療用ナイフを突き付ける。

 

「では今から脳を切開して、感覚神経を切除します。それで痛みは無くなります。ただし麻酔はありませんが」

 

 額の皮一枚をナイフで切ってみせた。すると喚いた貴族は恐怖のあまり失禁してその場で気を失った。広間は元から血と臓物の臭いに満ちていたため、尿の臭いは気にならなかった。

 

 凄惨な現場での必死の治療から15分後には、大量に駆け付けた医者や看護婦が治療を引き継いだ。

 次にやって来たのは今まで外に避難していたフレーゲル男爵だった。

 ラインハルトは今更やって来て大きな顔をしている門閥貴族に軽蔑の視線を向ける。弁護するなら彼は遊んでいたわけではない。貴族の招待客を避難させて、場の混乱の対応に追われて四苦八苦していた。

 

「おお無事だったかフェリクス。サビーネ様もお召し物が汚れて」

 

「危うく死ぬところでしたが、友人に助けられました」

 

 弟の視線の先のラインハルト達を一瞥して、心底嫌そうに近づく。さらにそれ以上に不愉快な想いを隠さず、声を張り上げる。

 

「ミューゼル大将!弟の命を救った事、このフレーゲル男爵が感謝する!ありがたく受け取れ」

 

 感謝の言葉にしては随分と尊大だったが、本心から感謝している事は弟の恩人に伝わった。

 時に身内を蹴落として毒を盛る門閥貴族でも弟には甘い奴、と思ったがその弟も似た所があるのに気付いて、似た兄弟だとラインハルトは思った。

 

 帝国暦486年3月にブラウンシュヴァイク公爵邸で起きた爆発事件は死者20名、負傷者100名を超える惨事と記録された。

 首都オーディンの新 無 憂 宮(ノイエ・サンスーシー)では文字通りの激震が走った。100万人の将兵が死んだところで眉一つ動かさない貴族ですら、100年は語り継がれる凶事である。

 ともすれば臨席した皇帝からブラウンシュヴァイク公爵、リッテンハイム侯爵の家族諸共が犠牲になりかけた。ゆえに帝国最大の罪である『大逆罪』が適用され、捜査は迅速に行われた。

 帝国の治安を維持する内務省の官憲は、爆発から日を跨ぐまでの短い時間で犯人を割り出した。

 招待客の一人クロプシュトック侯爵その人である。老貴族が持ち込んだ杖に高性能爆弾が仕込まれていた。

 

 

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