今後も精力的に執筆を続けて行こうと思います
ウォルフガング・ミッターマイヤーという男は、取り立てて容姿が優れた男ではないが優秀な軍人である。平民階級ながら27歳で少将の立場にある事がその証拠である。貴族や上官に媚びを売って出世した事は一度も無い。むしろそんな器用な真似が出来るような性格ではない堅物である。
ミッターマイヤーに貴族のことは分からない。しかし人一倍職務と軍規には忠実であった。忠実であったがために、不条理で謂れの無い恨みを買い投獄されている。
それでも彼は恐怖も無ければ諦観も無い。親友が自分の命を助けるために奔走している。ならば身動きが取れぬ以上、慌てふためかずどっしりと構えて待つより他ない。
軍刑務所で出された飯を手枷付きで食らい、眠り、用を足す。目隠しをされて連れ出されたあとに放り込まれた薄暗い地下牢で鼠と友になった。
しばし放置されて喉の渇きを感じる頃、複数の足音が聞こえる。
ゾロゾロと4~5人の貴族らしい風体の若い男達と、半裸に覆面をした屈強な男が一人。腰には鞭を携えている。
ミッターマイヤーはこれから何があるか朧げに気付き、鉄格子越しに睨みつける。
貴族には平民の反抗的な態度が気に食わず、半裸の男に命じて鞭を打たせた。鞭男は拷問を生業とする係であり、ミッターマイヤーを痛めつけるために雇われていた。彼の鞭捌きは素晴らしく、鉄格子の隙間からでも標的を正確に打ち据えられた。鞭からは電撃が発せられて、肉に当たるたび紫電が迸り、ミッターマイヤーの体は跳ね飛び硬直する。貴族達は酒を飲み交わしながら、楽しいショーを笑って観ていた。
何度も鞭が当たり、服が弾けて引き締まった筋肉が露出する。それでも彼は苦痛に喘がず歯を食いしばって耐えた。こんな下衆共をこれ以上喜ばしてなるものかという意地がそうさせた。
次第に刺激が足りなくなった貴族の一人が拷問係を叱責して、彼から鞭を奪い取った。代わりに自分が手本を見せてやると言って、鞭をしならせたが素人が上手くいくはずもなく、明後日の方向に飛ぶか鉄格子に跳ね返った鞭が自分に当たって汚い悲鳴を上げて転げ回る始末。
仲間の失態を笑った貴族は、ならば自分から牢に入って倒れたミッターマイヤーに鞭を振りかぶった。
彼はその隙を見逃さなかった。鞭が届く前に前転して距離を詰め、貴族の足に強固な金属製の手枷を叩きつけた。体重と遠心力の乗った鈍器は容易く柔な脛の骨を砕いて、生まれてから骨折などした事の無い貴族は絶叫した。
さらに彼は落ちた電気鞭を拾い上げて、手近な貴族を牢側から打ち据える。もう一人も激痛に泣き喚いて仲間に助けを求める。拷問役がそっくり逆転した。
「どうした貴族共!人をいたぶるのは得意でも痛みに耐える覚悟は無いのか!」
「調子に乗るなよ下賤な平民め!」
残る貴族の一人がブラスターを構えて威嚇する。しかし銃口は小刻みに震えて定まっていない。相手が持つ電気鞭がいつ自分に向かってくるか分からぬ恐怖で照準がブレている。それ以前に安全装置が掛かったままで、光線を放つ事すら出来ないのに気付いていない。所詮危険が及ばない場所から一方的に暴力を振るって悦に入っていた卑劣漢。平等に命の危険のある戦場に立った経験が無ければ、臆して冷静に照準を定める事など無理だ。ミッターマイヤーはそれを分かっているから、火器の正面に立っても平然としていた。
拷問係の男は成り行きを見守りつつ、一人だけ鞭が届かない安全圏にさりげなく退避していた。彼はあくまで囚人を痛めつけるために雇われたにすぎず、貴族の盾になるのは雇用契約に含まれていない。
地下牢での緊迫した空気は、ブラスターを持たない残る貴族の大げさな拍手をもって打ち破られる。
「面白い見世物だったぞ平民。いや、ミッターマイヤー少将。さすが平民から提督にまでなっただけの事はある」
褒め称えたのはフレーゲル男爵だった。しかし褒められたミッターマイヤーは微塵も喜ばない。むしろ嫌悪感と共に吐き捨てる。
「無抵抗な女子供を凌辱して殺す貴族に褒められても嬉しくないな!」
「貴族とはそういうものだ。慈しみ、庇護するだけが貴族ではない。平民から恐れられる支配者こそ正しき貴族よ。忠には見返りを与えても、罪には相応の報いがある」
「一体何の罪がある!?クロプシュトックは既に死んでいる。後は何も知らずに生きている領民ではないか!」
吼えるミッターマイヤーをフレーゲルは嘲笑う。そして幼子に教えるような優しい声で嘯いた。
曰く、皇帝を害する大逆罪は一族郎党まで罪に問われる。ましてブラウンシュヴァイク一門の名誉と友人まで犠牲になった。つり合いを取るには、クロプシュトックの民草数万程度の命は必要と。
「ならば金品を強奪する醜悪な行為まで必要というのか!俺が射殺した屑は老婆を殺して、喉を引き裂いて指輪を奪い取った!」
「勝利の記念品というものさ。財貨の値はさして重要ではないがな。……ふむ、指輪が気に入らんのなら、次は耳や鼻を持ち帰るか」
激昂したミッターマイヤーは鞭を振りかぶってフレーゲルに叩きつけるも、彼は横に居た取り巻きのコルプト子爵を前に投げ出して身代わりにした。子爵は電撃で気絶する。仲間すら冷酷に使い捨てた貴族に、さしものミッターマイヤーも呆気に取られた。そして仲間の手から滑り落ちたブラスターを手に取って、安全装置を外した。手に震えは無く、銃口は正確に眉間を捉えている。
「死ぬ前にもう一つ覚えておくといい。貴族とはたとえ身内だろうと必要なら蹴落として上に行くものだ」
もはや理解不能な怪物相手に、進退窮まったミッターマイヤーは最期に愛する妻の顔を思い浮かべるしかなかった。
しかし最期の瞬間は訪れなかった。地下への階段を降りる複数の足音が引き金を引く指を留まらせた。
新たに地下牢を訪れたのは四人。それぞれ異なる髪色の若い男達。
先頭は白衣姿の茶髪の青年、フェリクス。続いて黒髪に右目が黒で左目が青のオッドアイの美丈夫、ロイエンタール。さらに赤毛の長身、キルヒアイス。最後にロイエンタールを超える美貌の金髪の青年、ラインハルト。
床に転がった貴族の子弟に、牢を挟んで対峙したミッターマイヤーとフレーゲル。最初に声を掛けたのは大体状況を掴んだロイエンタール少将だった。
「最後の一人を仕留める邪魔をしたか我が友よ」
「いや、かなり危ない所だったよロイエンタール。礼を言う」
戦友達が変わらぬ友好を確かめ合っている間、ラインハルトとキルヒアイスはブラスターを手に、油断なくフレーゲル男爵を睨みつける。構えないのは男爵の弟でもある友人への配慮だった。
フレーゲルは三人を見ていない。ただ一人、血を分けた弟だけを視界に捉えている。瞳には猜疑と愛情、あるいは迷いが微かにある。
「兄上、叔父上はここまでとおっしゃいました。これ以上は行き過ぎると」
「そうか、残念だが叔父上の意向なら仕方あるまい。伝令ご苦労だったな。ついでに転がっている連中を手当てしておいてくれ。迎えぐらいは呼んでおく」
既に興味を失ったフレーゲルはブラスターを持つ軍人など意に介さず背を向けて、一人で地上への階段を登って行く。
一先ず場は収まったものの、フェリクスにはまだ仕事が残っている。
最初に明らかに重傷を負ったミッターマイヤーを、持ってきたシートに寝かせて診断を始める。彼は平気だと強がったがフェリクスが鞭の裂傷に消毒液を振りかけると苦悶に喘ぐ。立ち回っている間は痛みを忘れていたが気を抜いたら一気に痛みが襲ってきた。それから治療用のナノマシンを注入して傷を塞ぎ、裸の彼に用意してあったシャツを渡した。
鞭で打たれた二人は電気で痺れただけで治療は不要と判断したが、もう一人の足の骨折は麻酔を打って折れた箇所を固定する処置はしておいた。これ以上は馬鹿に付ける薬が無かった。
拷問部屋から帰還した二日後、フェリクスの家にミッターマイヤーが治療の礼に良い茶葉と菓子類を携えて訪れた。
貴族への謝礼は美術品が定番でも、おそらくキルヒアイス辺りがフェリクス個人の好みを教えたのだろう。
彼は10日間の療養を言い渡されて、暫く大人しくしておけという軍務尚書からの処分だった。
要するに今回の一件は馬鹿貴族の乱痴気騒ぎごと何も無かった事になり、射殺された貴族は名誉の戦死扱いになった。ブラウンシュヴァイク公爵は一族の感情を理由に食って掛かったが、ルドルフ大帝が定めた神聖な軍規と下っ端個人の復讐心とを秤にかけた末に引き下がった。実際は一族のために尽力したアリバイ作りの形だけの抗議でしかない。それもフェリクスがそれとなく諭した結果だった。
「下の者に配慮するのは当主の器量ですが、行き過ぎて顔色を窺うのは間違いです。叔父上は当主として厳格と威を以って一族を統率してください」
配下や部外者からの諫言なら反発しても、息子同然の甥からやんわりと言われれば、身内に甘い公爵は少しは聞き入れてくれる。
それでも死んだ士官の兄であるコルプト子爵などは、今も復讐心を滾らせて虎視眈々と仇を討つ機会を狙っている。ただし公爵は黙認はするがあくまで個人でやれと、不干渉の姿勢を取っている。
公爵家なら軍は謀略に便宜を図っても、子爵程度ではあしらわれておしまい。当面の危機は去ったと思われる。
そういうわけでミッターマイヤー少将は比較的自由に出歩けて、フェリクスの家まで挨拶に来られた。
ついでに傷の治癒の経過を診ておいた。既に完治しており、破傷風の危険も無かった。
ミッターマイヤーは今回の一件に対して深々と感謝を述べつつ、兄との関係に亀裂が生じたのを危惧している。
「兄は気にしていませんよ。私の独断ではなく叔父上の政治的判断ですから。貴方も今後将官として軍に残るなら、貴族の面子や意向も頭の隅でいいから覚えておきなさい。でないとまた同じ騒動を引き起こしますよ」
今度は軽々しく助けないぞ。言外の忠告にミッターマイヤーは不承不承な様子で頷く。不必要な衝突は避けられるなら避けた方が賢明である。
実際、軍務尚書や元帥のような軍の頂点は貴族で固められている。彼等の思考は軍人に寄っていても、根底には貴族の価値観が根付いている。そう何度も公正な裁可は期待しない方がいい。
ミッターマイヤー少将は何かと助言してくれる弟と、冷酷で残忍な兄とが同じ両親から生まれた事が不思議でかなわない。良い貴族を想像するなら間違いなく弟の方だ。
「先生のような貴族ばかりなら、クロプシュトックの領民は蹂躙されずに済みました」
「私は貴族として落第で少数派です。基準にしてはいけません。むしろ兄の方が帝国の貴族らしい貴族ですよ」
貴族は決して聖人君子ではない。ゴールデンバウム王朝を建てたルドルフ大帝からして、苛烈で不寛容な君主だった。さらに必要とあらば統治に暴力を用いる事を躊躇わなかった。頂点の統治者がそうした性格を有するから、配下の貴族も倣い伝統化する。
世代を重ねて些か形骸化して多くの貴族は本質を失っている面もあるが、暴力を肯定して冷徹に民を支配するのが貴族の在り方として正しい。
ミッターマイヤーはフェリクスの持論を聞いて考え込む。討伐軍の時に狼藉を働いた貴族や、味方すら切り捨てたフレーゲル男爵に同じことを言われても感情的に否定したが、自らを治療して親身になってくれる相手には正論の矛先も鈍る。それでも言わずにはいられない事もある。
「では先生は無辜の民が犠牲になるのが正しかったと仰いますか」
「やり過ぎているとは思います。ガス抜きめいた娯楽に意味は無く、女子供よりは反抗的な者を少数選んで処刑して、警告に留めるのが占領統治には効率的です。何事も最小限で合理的な暴力の行使が望ましい。その点、死んだ一門の士官は余計な仕事を増やす無能だった」
つまるところ軍人も貴族も仕事で暴力を用いる職種と言える。ミッターマイヤーは決して正義感だけの青年ではない。有能な軍人らしく効率的に敵を殺す能力に長けた提督である。彼が効率的に仕事をする有能な人間に対して、略奪に走った貴族は非効率的な仕事をする無能。両者の違いはその程度。善悪や道徳心は考慮されない。何しろどちらも殺人という本来、罪科に問われる行為を執る者には無用な要素である。
貴族は如何に効率的に領民を統治するか。いかに効率的に敵を殺す事を求められる軍人の貴方になら、こう言えば理解しやすいだろう。医師の青年は誠意はあっても冷淡な貴族の瞳で射貫き、投げかける。
ミッターマイヤーはフェリクスが自分が思い描いていた慈悲深い貴族と違うのに気付いた。しかし特に落胆はしなかった。彼なりの道理から決して卑劣ではないし、醜悪でも唾棄する男ではないのは十分に理解している。
長々と話をしたがこれ以上は迷惑になると判断した客は席を立つ。
「お世話になりました」
患者は敬礼して感謝を示し、医者はもう来るなと冷たくあしらった。拒絶ではなく、医者の世話になるような怪我はなるべくするなという、遠回しの気遣いに思えた。
その後、ミッターマイヤーは公的に起訴猶予となり、職務に復帰した。この時の恩により彼は戦友のロイエンタールと共に、近い将来ラインハルト・フォン・ミューゼルに馳せ参じ、軍勢を支える主将を担う。