ローエングラム伯爵ラインハルトはアスターテ星域での戦いの功績によって、皇帝フリードリヒ4世の手で元帥に任じられた。かつ帝国宇宙艦隊副司令長官に就任した事で全18艦隊のうち、半数の9艦隊を指揮下に置いた。
帝国歴487年3月19日、
20歳の帝国軍元帥の誕生には様々な意見と思惑が飛び交った。ある婦人は極上の白磁で作った美貌の青年の容姿に感嘆の吐息を漏らし、ある高級軍人は栄誉ある宇宙艦隊が若輩の玩具になる事を嘆くか鼻白む。別の貴族はついこの間伯爵位を賜ったばかりなのに、次は侯爵でも望むのかと嫉妬に塗れた中傷を隠しもしない。特に皇帝フリードリヒ4世の寵姫グリューネワルト伯爵夫人の弟という立場は、成り上がった青年への格好の攻撃箇所となる。いつの世も傑出した若手は憎まれるものである。
それでも打ち立てた功績を否定する事は誰にも出来ない。倍の敵を撃破するだけでなく、味方の損害の十倍を敵に与えるなど、常人が成し得る戦果ではない。ゆえに門閥貴族の軍人は容易に認められずとも、軍の大部分を構成する平民軍人は新たな元帥の手腕を称賛する。
あるいは身に秘めた野望のために、利用しようと近づく怪しげな者がこれから増える事だろう。副官ジークフリード・キルヒアイス大佐にも、そのような得体の知れない者が近づいた事実がある。
元帥杖を持つ者は多くの特権を持つ。年間250万帝国マルクの終身年金、皇帝を害する大逆罪以外の罪は刑罰に問えない、元帥府を開設する事が許され、艦隊司令官の去就を自由に決められた。
4月1日付けでラインハルトは元帥府を開設して、宇宙艦隊の半数を指揮下に置く。人事も前々から有力な軍人と縁を結び、あるいは目を付けてある名簿から優先的に登用した。人事は基本的に下級貴族ないし平民出身の若手を優先して、艦隊司令官にも抜擢してある。かつて忠誠を対価に願いを聞き届けたロイエンタールやミッターマイヤーをはじめ、新進気鋭の若く上昇志向の強い士官をこぞって前線指揮官に任じた。元帥府の主が最も若いからこそ、このような先例に因らぬ大胆な人事が可能だった。
有能な士官を多く抱え、軍事の人材は充足している。軍事面の策略は自分と親友のキルヒアイス二人居れば十分。
しかし政略面はまったくの手つかずである事がラインハルトは不満だった。これまで自分達を苦しめてきたのは敵である同盟軍ではなく、全て帝国貴族や宮廷の陰謀と策略だった。それらは自力、あるいはもう一人の友人の善意でどうにか切り抜けられたが、そろそろ厚意に甘えるのも心苦しくなってきた。せめて一人ぐらい後ろ暗い謀略を任せられる専門が欲しいと感じている。
あるいは懇意にしているマリーンドルフ伯爵の令嬢なら、己の知恵袋になってくれるかもしれない。だが今は登用の話を切り出しにくい。彼女の父親のマリーンドルフ伯爵が反逆者マクシミリアン・カストロプに軟禁されている。大事な肉親が人質になっている状況で、失意の相手に頼みを切り出すほどラインハルトは厚顔ではなかった。
ならばと一刻も早いカストロプ討伐を、実質的な宰相の国務尚書リヒテンラーデに上申しても、既に二度討伐軍を退けたマクシミリアンに及び腰になっている。今は硬軟合わせた調略をしかけていると言われて提案は却下された。
こういう時の文官は腰が重くて扱いにくい。あるいは別の思惑があるのかもしれないが、宮廷の内情に疎いラインハルトは真相に辿り着けない。
ある程度望んで得た地位に座ったところで全てが思い通りになる事は無い。若き元帥の不満は大きかった。
事態に新たな動きが見えたのは5月1日。再三の討伐申請にやっと国務尚書が首を縦に振り、カストロプ討伐の命令をローエングラム元帥府に下した。待ちわびた命令と共に、執務室で受け取った書面を最後まで読み切ったラインハルトは、しかし急速に機嫌が急降下して眉間に亀裂を生む。ここで感情に任せて怒鳴り散らさないだけの忍耐力はまだ残っていた。
同室で書類の決裁に追われていたキルヒアイス少将は何となく内容に予想が付きつつ、主君から受け取った討伐命令書を熟読して額に手を当てる。また貴族の陰謀にしてやられた。
国務尚書からの命令からきっかり一時間後。まるで計ったように客人達が元帥府を訪ねた。窓口のリュッケ中尉は相手の素性を確認して、すぐさま元帥へ連絡を入れて案内役を付けた。通常元帥ともなると面会の予約が必要だったが、今回はむしろ元帥の方から客が来るからすぐに通すよう一時間前に命令を受けていた。客人の三人は待たされる事無く執務室まで案内してもらった。
三人の客人の名はフェリクス、ハインリッヒ、ヒルデガルドである。
銀河帝国軍少将ジークフリード・キルヒアイスは間借りした軍艦の指揮シートに身を委ねて、星明りの暗黒をじっと見据える。普段はこの場所は敬愛すべき主が譲らず守り続けているが、今は自分がその役目を担っている。同じ場所から風景を見ていると、主であり無二の親友が何を考えているのか、少し分かった気がする。無論同じ事が出来るなどと増長する気は無い。まして今回は色々と込み入った事情があって、己の功績よりも優先すべき事項が多い。差し当って最優先は、主君より預かった3000隻の艦隊を可能な限り失う事無く帝都に帰還する事だろうか。
戦に赴く以上は損害無しというわけにはいかないが、ともかく戦死者は一人でも減らしたい。味方は言わずとも、そして敵もだ。
キルヒアイスが物思いに耽っている間に、艦橋に誰か来たようだ。顎ひげを蓄えた軍服姿の30代の大男が一直線にキルヒアイスに近づく。
今回のカストロプ討伐軍の幕僚の一人、ベルゲングリューン大佐。キルヒアイスを補佐する軍人である。彼の生真面目そうな顔立ちに鋭利な視線は、お世辞にも上官に好意的とは言い難い。当のキルヒアイスは仕方ないと割り切っている。
「カストロプ領まであと3日。何か困った事はありますか、ベルゲングリューン大佐」
「困っていない事の方が少ないですよ、キルヒアイス閣下」
たった一言で、ヘイムダル級戦艦2番艦【メロマカロナ】の艦橋の室温が2℃ほど下がった気がした。
近くの艦長席にいたロイシュナー少佐は、気持ちは分かるがもう少し言葉を選ぶように、同世代の上官に苦言を呈したかった。
「閣下、小官は昨年のティアマト星域の会戦、そして今年のアスターテ星域での戦いでミューゼル、いえローエングラム元帥の指揮の下、戦いました。あの方の才器であれば、今回の討伐もハイキングのように容易いと思っています」
「そこは私も同意見です。ローエングラム元帥は帝国一の指揮官。カストロプ程度は片手間で処理するでしょう」
二人のラインハルトの評価に異議を唱える者は艦橋に一人もいない。それほど彼の力量は常人の埒外にある。問題はその天才指揮官が遥か彼方で書類と戦っている事だろう。ベルゲングリューンの不満と危惧はそこにある。
名将の幼馴染というだけで少将にまで昇進しただけの、指揮経験の無いキルヒアイスが率いる艦隊に勝機があるのか。多くの将兵らが同じ疑問を持っている。
不利な要素は他にも数多くある。自軍の兵力3000隻に対して、カストロプ軍は1万隻。相手が素人ならともかく、敵は既に二度正規軍を撃退している。三倍以上の敵に勝機を見出すのは容易ではない。
加えて今回の軍は荷物を背負ったまま戦う事になる。領地解放を掲げるキュンメル男爵とかいう少年貴族の事だ。おまけに父親が捕らえられているマリーンドルフ伯爵家の令嬢まで同乗している。女子供を連れて行く戦など真面目に受け取れない。
とどめとばかりにベルゲングリューンは食堂で小耳にはさんだ噂で、帝国軍人としての矜持を酷く傷つけられた。
元から今回の軍は大して期待などされていない。本命は次の討伐軍のブラウンシュヴァイク公爵私設軍2万隻である、と。
憤怒の形相で今にもキルヒアイス少将に掴み掛りそうな幕僚に、ロイシュナー艦長は出征前に主フェリクス・フォン・フレーゲルに言われた事を思い出す。
「今回は戦うには制約が多すぎる。危険と判断したら貴方の一存で撤退しても構いません。キルヒアイスには後で私が謝罪するから、とにかく軍歴の長い貴方の経験で判断してください。まあ、十に一つの杞憂でしょうが」
主の話では、リヒテンラーデ国務尚書とブラウンシュヴァイク公爵が政治取引を行い、次の討伐軍でカストロプを滅ぼし、溜め込んだ不正財貨を全て帝国の国庫に納める代わりに、所有している領地の半分の所有権を公爵家が得る事で話が纏まっている。そのためには正規軍が頼りにならない事を証明するために三度負ける事が必要とも。最悪の場合、討伐の旗印のキュンメル男爵まで戦死したとなれば、責任者のローエングラム伯爵の軍事的評価は地の底を突き破る。
さすがにフェリクスも親交のあるキュンメル男爵をむざむざ死なせるわけにはいかなかったから、少年男爵にヘイムダル級戦艦を1隻貸し出す事を陰謀を企てた兄に認めさせた。フレーゲル男爵も討伐軍が敗走すれば目的は達せられる。是が非でもキュンメル男爵に死んでもらう必要は無いから、弟の要望を受け入れた。フレーゲルもヘイムダル級戦艦の圧倒的な戦闘力を肌で知ってはいるが、それでも500隻を沈めるのがやっと。三倍の戦力差を覆すには至らないと安心している。
(宮廷の力学が戦場にも及んでいる証左だな)
去年まで正規軍に居て、第4次ティアマト会戦を期にフェリクスの私設軍に移籍したロイシュナーは、貴族同士の駆け引きで簡単に軍人が弄ばれる帝国の世知辛さに泣きたくなる。
同時に不利を背負わされた指揮官のキルヒアイス少将が、これまで一度も絶望した顔を見せていないのを知っている。だからか、この戦を悲観的に考えられない。九割程度勝てると思っている主に感化されただけかもしれないが。
しかしベルゲングリューンはそんなわけにはいかない。
「はっきり申し上げて、実戦経験こそ豊富でも指揮官経験の無い閣下に命を預けるのは兵も不安に思っています。閣下は勝つ気がありましょうか!」
「率直な意見をありがとう大佐。だから私も言わせてもらおう。私個人を信じなくてもいいが私を司令官に任命したローエングラム元帥の目と判断を信じなさい!」
どこまでも真っすぐに主君を信じるキルヒアイスに気圧されたベルゲングリューンは、無意識に姿勢を正して敬礼をしていた。
周囲で様子を窺っていた艦橋の軍人たちは口笛を吹きたくなる衝動を懸命に抑えた。あの『赤毛ののっぽ』は元帥のオマケじゃない。反感を抱く士官を戦術的な講釈など垂れずとも、一端の将器を持つ提督だと一瞬で納得させた。
「私はライ…ローエングラム元帥に任された職務を命がけで果たします。だから大佐、貴方も己の職務に命をかけろ」
「は、はっ!数々の無礼をお許しくださいキルヒアイス閣下!」
たった2,3の感情的なやりとりだけで、キルヒアイスに満足したベルゲングリューンは足取りも軽く艦橋を出て行った。先程まで寒さを感じた空気が今度は5℃は上がった気がする。
「若いっていいなあ。いや、俺もまだ若いか」
既に30歳を超えているロイシュナー少佐が艦橋内で最も年上だったため、彼の独白に同意する士官は居なかった。
今回はちょっと短めでした
次話でカストロプ編は決着します