完成より約30年もの間イゼルローン回廊を、ひいては帝国の鉄壁の城門の役割を果たしてきた大要塞が陥落してから約半月が経った。この頃になると帝国民も少しは落ち着きを取り戻した。それでも回廊付近の星域の民は領主の所有物故に移動の自由も無く、いつ同盟の軍が押し寄せてくるか不安を感じながら日々を送るしかない。
軍の方は下はともかく上層部は何もしないわけにはいかなかった。差し当たって政治面のトップである軍務尚書と統帥本部総長は、イゼルローン要塞陥落の責任を取る形で辞表を提出した。両者の退役により帝国軍は、年始に退役したミュッケンベルガー元帥以来空席になった宇宙艦隊司令長官、俗にいう三長官全ての椅子が空いた事になる―――かに思われたが、後任に推されたラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が皇帝に直訴して、寛大な処置を望んだ。こうして軍務尚書と統帥本部総長は一年間の給料を返納する軽い処分で、元の地位に留まる事になる。
望めば三長官の好きな地位を望める立場にあったものの、ラインハルトは敢えて高い地位を手にしない。当人はその程度の役職など、いつでも得られる通過点ぐらいにしか思っていなかったからだ。それより彼が求めたのは要塞から敗走した兵の恩赦による信望。とりわけ自ら売り込みに来た、ある士官の身柄を引き込むために皇帝の寛大な赦しが必要だった。
ただし要塞陥落の直接の原因になった、要塞司令官シュトックハウゼン大将と駐留艦隊司令官ゼークト大将の不仲の責任は追及された。戦死したゼークト大将は軍籍の剥奪。捕虜になったシュトックハウゼン大将は入念な調査の末に、二階級降格の後に退役処分が言い渡された。最低限の責任を居ない者に押し付けた結果になる。
帝国歴487年6月初週。初夏の到来に上着を片づける者が多くいる中、ローエングラム元帥府は空調を全開にして冷気を作らねば、人の生み出す熱気で汗が滲む有様だった。
元帥府は毎日人でごった返している。イゼルローン要塞から敗走した兵達の多くが詰めかけて、恩赦を勝ち取ってくれたラインハルトに感謝を伝えに面会を希望していた。中にはそのまま登用してもらう打算から近づく士官も多い。将兵達が長い列を作って訪問するため、事務方は彼等の相手をするだけで業務がパンクしている。
新進気鋭の若い元帥の下に野心溢れる若い士官が集えば、全体から見れば大きな利となるが一々対応せねばならない受付の超過労働は悲惨に尽きる。それでも戦場で砲を撃つよりは生存率は高そうだが。
泣きたくなるような業務の中の受付は、本日五人目の面会を希望する客を元帥の執務室に通した。ただし、その客人が元帥府を訪れるのは初めてではない。そして珍しく軍人ではなく貴族だった。
貴族の客人がローエングラム元帥の執務室に入ると、部屋の主は既に腹心のキルヒアイス中将と共に来客用のソファに座り待ち構えていた。用意の良い事にテーブルには湯気の立つコーヒーポットが置かれていた。
客人のフェリクス・フォン・フレーゲルは軽い挨拶の後、元帥であるラインハルトを放って、隣のキルヒアイスに昇進の祝いを渡した。中身は上質のコーヒー豆とお菓子のシュネーバルだった。
「貸し出したR戦闘機は役に立ったようですね」
「おかげで戦死者もほぼ出さずにカストロプを鎮圧出来ました。フェリクスには感謝しています」
「無くてもキルヒアイスならどうにかしただろうがな」
ラインハルトの皮肉に二人は苦笑はすれど否定はしない。執務室に居る彼自身も含めた全員がキルヒアイスの将としての資質を知っている。故に初めての司令官だろうが不安は無かった。
しばし三名はコーヒーと土産の菓子を楽しみ、一息入れたところでフェリクスは本題に入る。
「ブラウンシュヴァイク一門の領地で連続して暴動が起きています。貴方達の暗躍ですか?」
「一体何の話をしているか分からんな――――――と言いたいところだが卿と腹の探り合いをする必要は無い。その通りだ」
ラインハルトは悪びれる事無く事実を認める。詰問したフェリクスは怒りを見せず、ただ納得する。
フェリクスの言うとおり、現在ブラウンシュヴァイク公爵の一門は領地の突然の暴動に対して、鎮圧に躍起になっている。フレーゲル領でも幾つかの地区で税の軽減を叫ぶ民衆が騒ぎを起こしていた。ブラウンシュヴァイク公爵は苛烈な統治はしなかったが、適度に領民を抑圧する一般貴族だった。一門も多くは当主に倣って似たような統治を行っていたため、民は相応に不満を溜めている。だから時折民が一揆を起こす事はあったが、連鎖的に暴動になったのは今回が初めてだった。おかげで兄を含めて一門の貴族は珍しく領地に戻って領民相手に働く羽目になっている。
一連の動きは偶然とは思えず、火付け役が派手に放火した結果なのは明らかだった。ブラウンシュヴァイク公爵は最初はライバルのリッテンハイム家を疑ったが、どうも手法が普段と違うため下手人候補から外した。
「叔父曰く、貴族にしてはやり方が粗暴で品が無いそうです」
堪らずラインハルトは声を上げて笑い、キルヒアイスも耐え切れずに噴き出した。
フェリクスは二人の態度から、仕掛けたのはラインハルトで間違いないが、策を練ったのは別人と見抜いた。この二人が考えた策なら、扱き下ろされれば少しは腹を立てる。そうはならず、むしろいい気味とばかりに笑う点で、策士は思ったより好かれていないのが分かる。おそらくミッターマイヤーとロイエンタールとも違う。
一通り笑ったラインハルトは電話で誰かを呼び出した。すぐに執務室の扉が開き、妙に辛気臭い若白髪の目立つ軍人が入ってきた。
齢30代の士官は鷹揚の無い極めて硬質な声音で、参謀を任されたオーベルシュタイン大佐と名乗る。
「オーベルシュタイン大佐、卿の品の無い策はブラウンシュヴァイク公爵を困らせているようだ」
「お褒め頂き恐縮です。そちらがフレーゲル博士ですか。お噂は耳にしております」
「そうだ。キルヒアイスより付き合いは短いが、私が胸襟を開き気を許せる相手だ」
気持ちラインハルトは非難めいた感情を乗せて、フェリクスをオーベルシュタインに紹介する。一瞬、オーベルシュタインの両眼に人工的な発光が見られた。フェリクスはすぐに両眼が機械式の義眼と見抜いた。彼は義眼の調子が悪い事を謝罪して、明日には新品が届くと弁明した。
「もし良ければ私の研究所で開発した新型のサイバネティクスを試してみますか?」
「いえ結構です」
「そんな遠慮せずに。眼球にブラスター機能も搭載して、護身用だけでなく暗殺にも適していますよ。研究員の悪ノリの産物ですが性能は保証します」
「…結構です」
オーベルシュタインは血色の悪い顔色を変える事無くフェリクスの勧めを二度丁重に断った。
一連の喜劇を楽しんだラインハルトは彼を退室させずに、そのまま残した。決して先日、オーベルシュタインにキルヒアイス以外に友人が居ない認定を受けた事への嫌がらせではない。あくまで政治的に意義のある話に参加させたかった。
笑い話は一旦脇に置き、今度はそれなりに真面目な話に戻る。議題は同盟軍に奪われたイゼルローン要塞について。
「奪われた物は仕方がない。それでこれからどうなると思う?」
「確実に同盟が帝国領に攻め込みますね。これまで帝国軍に散々に攻め込まれて、大勢死んだ同盟民の怨みを込めて大軍勢で。時期は準備を考慮して9月前後、どれだけ遅くても年内ぐらいかな」
三人は驚くに値しない。同盟と帝国を結ぶ細いトンネルの要衝を抑えた以上、同盟が主導権を握った。その勢いを駆り、過去何度も負け続けた雪辱を晴らしたい気持ちは軍人なら誰でも察せられる。
「貴方は敵が来る前に攻め込むつもりは無いのでしょう?もしあれば、のんびりとコーヒーは飲んでいない。攻め込ませて迎撃。そんな所ですか」
「大雑把に言えばその通りだ。加えてより効果的な戦略をもって敵を壊滅させる」
「閣下、それ以上は―――」
オーベルシュタインが苦言を呈するも、ラインハルトはむしろ戦略を練った張本人が説明してやれと命じられて、明らかに不満を抱えたまま概要を語る。
参謀大佐の戦略を大雑把にまとめると、イゼルローン回廊の入り口付近の有人惑星から食糧の強制徴発を行い、占領する同盟軍が領民に食料を配給するように誘導して補給に負担を掛ける。敵にある程度占領地を広げさせて兵糧不足に陥ったところで、同盟の補給線を寸断して物資不足の敵を全力で磨り潰す。端的に言えば『陣深くまで敵を引き入れて消耗を待つ焦土作戦』である。
歴史的に時折見られる使い古された戦略でも、裏を返せば効果的だから何度も使われる手法と言える。特に侵攻する同盟は、帝国の圧政と搾取から人民を解放する理想を掲げて戦っていた。彼等は餓えて苦しむ哀れな帝国民に慈悲の手を差し伸べ、自らパンを与えるだろう。それは大変な負担となるが止める事は出来ない。たとえ空腹に喘ぎ、自らの食料を相手に差し出す事になっても、自らの大義と理想を捨て去っては自己を保てない。
オーベルシュタインの説明を聞き終えたフェリクスは、友人のラインハルトの瞳をじっと見つめる。
ラインハルトは友人の瞳の奥の感情を図りかねた。民衆を餓えさせる非道への批判や失望を予想していた。半身たるキルヒアイスですら態度に出さなくても心の底では納得していない戦略を、人命を尊重する医者の友人は必ず非難する。そう思っていたが、友人は予想と異なる意見を口にする。
「軍事的には消耗を抑えられる有効な手法ですね。ただ、短期的にはともかく長期的に考えると支払う対価に見合うかどうか」
「卿の言う対価とは?」
「貴方の名声と求心力。特に兵からの信望を失うのは、貴方の支持基盤を失うのと同義ですよ」
ラインハルトは半信半疑といった顔をする。他の二人もあまり納得していない。
曰く、軍の命令で民から食料を取り上げれば死ぬ事は無くても必ず餓える苦しみを味わう。その怨みは後で食料の補填をして腹が満たされても、死ぬまで忘れる事は無い。武力を見せつけて食料を奪う軍は、圧政を行う貴族と同列に見られる。
加えて食糧徴収の実行者は同じ平民の兵士。軍命は絶対とはいえ自分の出身星に赴き、自分が生まれ育った町から食料を奪う事になれば命令した者、すなわち怨みは総責任者のラインハルトに向かう。
一度生まれた不満は燻り続け、ふとしたきっかけがあれば火種となって大火事になる可能性もある。長期的に見ると焦土作戦は潜在的な不満分子の生成の土壌になってしまう。これは軍人に留まらず、いずれ権力の頂点に立とうとするラインハルトにとって大きな汚点になりかねない。目的のためには手段を選ばない権力者は多くとも、不必要に民衆から怨みを持たれる行為は賢明とは言えない。
兄や叔父はこうしたリスクを分かった上で、領民の食料配分をコントロールして食料供給を握る権利を見せつけ、自らの力を誇示して生かさず殺さずの統治を行っている。それもあくまで数世代にわたって権力基盤が盤石な為政者だから、一つの選択として成り立っているに過ぎない。
「リスクを理解した上で民から食料を奪うなら、軍権の無い私はこれ以上何も言いません。ただ、知らずにやって後悔しても知りませんよ。それこそ民にとって命を繋ぐ食料は、価値で言えば貴方の姉君とそう変わらない。不当に奪われれば…おっと失礼を」
ラインハルトは姉を引き合いに出したフェリクスを睨む。それだけで済ませて怒鳴らないのはまだ理性が働いている証拠だ。
このぐらいのリスクは知っていると思ったが、友人の面を見ると気付いていなかったようだ。友人が何かと相談する
貴族なら大抵知っている統治ノウハウも、軍人でしかない新人伯爵が知っているはずがなかった。
「なら貴様はどうしろと言うんだ。敵は最低10万隻を超える大軍勢、我々が応戦すれば勝ちは揺るがずとも将兵の犠牲は無視出来んぞ」
それを言われるとフェリクスも閉口するしかない。何しろ相手は百戦錬磨の常勝軍人。戦争議論で自分が勝てるはずがない。最悪次元消去兵器やらR戦闘機を全投入して、空間汚染を覚悟で同盟軍を皆殺しにする反則ぐらいしか思いつかない。
結局仕方なく焦土作戦を採用しなければならない土壌が形成されつつある中、今度は何か思い至ったキルヒアイスがフェリクスに問う。
「また戦場に立つ覚悟はありますか?」
四人の会議はコーヒーを三杯飲み終わる頃には纏まった。フェリクスは纏まった内容に納得して、協力を約束して帰った。
キルヒアイスは関係者への連絡のために退席して、執務室に残ったのはラインハルトとオーベルシュタインの二人。
「卿は奴をどう見る?」
「有用ですが立ち位置を考慮すると危険な御仁です。それに策略に組み込むのが難しい」
「その評価は正しい。私も長い付き合いだが奴の心情と能力は読みにくい。ただ、境界線は心得ているから敵対はしないと思う」
オーベルシュタインの義眼の視線が冷気を纏いラインハルトを射抜く。上官の即決即断な性格に合わない、歯切れの悪い言を責めているようにも見える。
不確定要素を計算に加えて策略を練るのは確実性に欠ける。陰謀はなるべく合理的要素だけで完結させるべきと陰謀家は考えていた。
つまるところ敵か味方か判断しにくい輩を軽々しく引き込んで自陣営の方針を共有する上官を、オーベルシュタインは非難しているのだ。
「理不尽な理由で女子供を犠牲にしなければ奴は怒らんよ。俺が皇帝を打倒して帝位を簒奪しようが興味を持たん」
「フレーゲル博士の生まれは門閥貴族。ですが閣下の野望を知った上で友人であり続けている。何故でしょうか」
「奴の夢は外銀河に旅立つ事だ。つまり中の権力闘争や同盟との戦も関心が無い。いやむしろルドルフの秩序と法による停滞と腐敗を不快にすら思っている。その点は我々に近い」
フェリクスの本質は貴族でも政治家でもない。権力に興味の無い学者、あるいは未知を求める冒険者。自分達のような野望のために権力を欲し、上を目指す者ではない。研究の邪魔さえせず、非道な行為さえしなければ友人のままいられる。
ラインハルトの友人の行動原理を聞き終えたオーベルシュタインは、場合によっては敵対する可能性もある扱いにくい貴族の結論を変えない。利用価値があっても排除する選択は常に考えておく必要がある。
とはいえ早急な排除は望ましくない。プライベートの付き合いが長い権力志向の薄い外部の相談役の存在は、キルヒアイス中将への牽制に使える。幼馴染の有能な副官への、偏重的な寵愛を多少なりとも減らせる貴重な存在はあった方が良い。
敵味方の区別を容易に出来ず、さりとて無能でもなく、No1とNo2と懇意にする政治色の薄い相談相手。利用価値はあっても極めて扱いに困る人物を今後どうすべきか。オーベルシュタインは義眼に妖しい光を宿して、無言のまま幾つもの策謀を巡らせる。
暫く経った某日、オーベルシュタイン宛に荷物が届いた。身に覚えのない荷物だったが送り主の名を見て、とりあえず中身を確認した。
中身はラインハルトがフェリクスに送るように頼んだ最新式の義眼だった。
「卿はよく働いてくれる。義眼は私からの労いの品だ」
上官からの気配りの品を突っ返すわけにもいかず、彼は仕方なく義眼を使うようになった。
フェリクスの言う通り性能は非常に良かったため、オーベルシュタインは文句を言わずに義眼を使い続けた。