フェリクスが帝国軍幼年学校に入学してそろそろ一年が経つ。学年末試験も終わり、学生には新学期まで一ヵ月の休暇が与えられた。
学生の多くは帰省するが一部の生徒は学校に残って、自主的な学習を継続する。理由は様々で、単に実家に帰るのが面倒、家族と折り合いが悪い、成績が悪く叱られるのが嫌、等々それぞれ理由があった。
フェリクスと同室のヨーゼフは帰省組だ。ヨーゼフの実家はオーディンにあるが首都からは遠く、わざわざ帰っても何も無いド田舎にあるらしい。それでも両親や兄弟に会えるのは嬉しいと、上機嫌に話してくれた。
彼は故郷への定期便に間に合うよう、早朝に学校を離れていた。
フェリクスも荷物を持って正門へと向かう。実家から迎えを寄越してあると連絡があった。
道路脇に停まっている公爵家の紋章の描かれた黒塗りの地上車を見つける。傍に直立不動で立っていた若い銀髪の軍人が敬礼するので、一年かけて慣れた敬礼で返した。階級章は大尉だった。
「お迎えに上がりましたフェリクス様」
「貴方は叔父上の屋敷で見かけましたね、えっと大尉」
「はっ!アントン・フェルナーであります!以後お見知りおきを」
幼年軍学校の一年生に、現役軍人の将校がまるで上官と相対するように振る舞うのはおかしなものだが、軍の階級と貴族の階級とはまた別に考える必要がある。まして、このフェルナー大尉はフォンが付いていない平民だ。
挨拶を済ませたフェリクスは車の後部座席に乗り、フェルナーも運転席に座り車を発進する。
「幼年学校の一年間は如何でしたか?」
「自由な時間がもう少しあれば研究を進められました」
「軍学校とはそういうものです。私も最初の一年は規則規則で辛く、嫌味な上級生に色々と腹が立ちました」
公爵の邸宅までフェリクスが退屈しないように、フェルナーは陽気に話し続ける。それでも言葉の節々にどことなく陰の感情が臭ってくるのは、平民出身ゆえに貴族の学生と折り合いが悪かった証拠だろう。それでも二十代で大尉に昇進しているから、ブラウンシュヴァイク公爵も有能さを認めている。
しばらく適当に話を続けて、森に覆われた公爵邸に着いた。屋敷に入り、サロンで血を分けた一族に温かく迎えられる。
「ただいま帰りました」
「おおっ、我が弟よ!久しいな」
開口第一声にフェリクスを労ったのは叔父一家ではなく、彼によく似た風貌の茶髪の青年だった。
「ヴィクトル兄上も来ていらしたのですか。叔父上、アマーリエ様、エリザベートもお久しぶりです」
「うむ、一年の幼年学校生活ご苦労だったな。おぬしの評判は儂の耳にも入っておる」
甥の優秀さに機嫌の良い叔父夫婦、七歳のエリザベートも久しぶりに従兄弟に会えて喜んでいる。そしてヴィクトル・フォン・フレーゲルも兄として鼻高々だった。
「しばらくマシな食事を執っていなかっただろう。今日は叔父上が祝宴を開いてくれるから楽しみにしていろ」
兄も弟と入れ違いで、昨年まで幼年学校に通っていた。その時の食事の酷さを知っていたため、殊更に喜ばせようとしている。
「兄上も士官学校はいかがですか?幼年学校よりも規律は厳しいと思いますが」
「ふふふ、実はそうでもない。世の中は色々と上手く出来ているものだ」
不敵に笑う兄に、フェリクスは何となく察しがついてしまう。
弟の予想通りヴィクトルは実家のツテを使って、士官学校に通いながら悠々自適な生活を送っていた。士官学生の宿舎に住まず貴族専用の屋敷で暮らして、講義は頻繁に休講して同じ貴族連中とサロンに入り浸る。試験も教官に賄賂を渡して色を付けてもらう等、何のために士官学校に入校したのか分からない。
それでも学校側や同じ士官学生から咎められないのは彼が貴族だからだ。しかもヴィクトルは幼年学校を卒業と同時にフレーゲル男爵家を継ぎ、男爵位を叙爵している。門閥貴族の当主、それも帝国の二大巨頭の片割れブラウンシュヴァイク公爵の甥となると、誰も文句を言えなかった。しかもそんな彼の取り巻きも似たり寄ったりな連中ばかりだったので、ますます士官学校の規律は乱れていた。
軍人がそれでよいのかと思うかもしれないが、これが今の銀河帝国の現状である。特権階級が幅を利かせ、ルドルフ大帝が制定した質実剛健、優秀な者にこそ権利と生存権がある、という国是は麻のように乱れた。
かつて軍事は貴族が担う神聖な責務と言われていたものの、約40年前に起きた『第2次ティアマト会戦』の帝国軍の大敗により、大量の指揮官が払底してしまい、それまで極めて珍しかった平民の将官登用が大々的に行われるようになった。しかしそれはゴールデンバウム王朝の基盤であった貴族による軍事力独占が崩れて平民の台頭を許し、貴族指揮官の大量死は当然貴族階級全体の衰退と劣化を加速させてしまう。
現在の帝国軍の質的低下が士官学校の規律の緩みの常態化として表れていた。それでさえ、帝国の老いと病みのほんの一例でしかないのだ。
そんな状況を不審に思うフェリクスの方が門閥貴族として異質なのだ。実際、公爵は甥のために、一門の寄子貴族の中から同学年の子息を取り巻きに付ける事を考えていたのだが、甥の方からそれらを断ってしまった。
『誰かに命じられて働く者はあてになりません。自発的に私の下で働きたいと願う者を気長に見つけます』
プログラマーや研究者なら喜んで迎えるが、フェリクスにとって追従や耳障りの良い事だけを言う同学年の太鼓持ちなど却って邪魔なだけ。それならやる気のある者を一から自分で育てる方が余程マシだった。
甥の主張は貴族の常識から外れていたものの、公爵はとりあえず幼年学校の間だけは様子を見ると決めた。
「ところでフェリクスよ。おぬし、同学年にいる寵姫のグリューネワルト伯爵夫人の弟と関りがあるのか?」
「寵姫の弟……ミューゼルの事ですか。稀に食堂で同席する程度の、さして親しい間柄ではありませんが」
「何人もの子息に怪我を負わせたと、夜会でも色々と噂になっていますわ。控え目なグリューネワルト伯爵夫人とは趣が異なりますね」
「私は何も被害を受けておりませんよ」
アマーリエは血の繋がらない甥が不当な暴力に晒されなかった事を安堵する。実際は怪我人にもそれなりの非があるが、非は己の息子にあったなどと自ら声高に告げる貴族は皆無だ。おまけに姉の伯爵夫人は皇帝の寵愛が厚い。おいそれと批判など出来るはずもないので、殊更に弟のミューゼルと側仕えのキルヒアイスに悪意の目を向ける。
「お前の目から見て、その寵姫の弟はどう映る?」
「周囲と打ち解けようとする気遣いが皆無です。戦いの才能には恵まれていますが、集団の規律を重んじる軍人としては色々と問題かと」
「ふん、躾のなっていない駄犬。否、狂犬の類か。寵姫の姉の威光が無ければ、すぐさま幼年学校から叩き出してやるというのに」
ヴィクトルが不快な顔を隠すことなく吐き捨てる。門閥貴族の彼にとって、貧しい帝国騎士の
「そういきり立つなヴィクトル。いくら寵姫の弟とはいえ孺子一人になにが出来る。軍人になっても行きつく先は前線で野垂れ死にか、後方で飼い殺しよ。我ら貴族に敵う道理はない」
「はっ、叔父上がそうおっしゃるなら。それと私の事はフレーゲルとお呼びください」
公爵の一声でヴィクトル改めフレーゲルは怒気を鎮めた。ちなみに叔父に家名で呼ぶように頼んだのは、当主となり男爵家を背負う一人前の貴族と認めてほしいかららしい。とはいえ彼はまだ16歳でしかない。周囲は些か気負い過ぎと思いながら見守っている。
ミューゼルに最も距離が近いフェリクス自身は、仲良くする理由も無く遠巻きに眺める程度の関心しか持っていないので、兄ほどに怒る理由も無かった。
翌日、フェリクスは公爵邸の客室で目を覚ます。一年かかって慣らされた習慣により、早朝には目を覚ましてベッドメイキングを始めてしまうが、しばらくは使用人に任せればよいと思い直した。
幼年学校と貴族の生活サイクルに戸惑いつつも、その日はエリザベートの遊び相手と勉強を教えながらのんびり過ごした。夜には他の貴族の夜会に叔父一家と兄と共に呼ばれて、面倒なお付き合いを済ませた。帰りの車の中で公爵が何気なく尋ねる。
「フェリクスよ、おぬし何か欲しい物があるか?この一年、励んできたのだから遠慮せず申せばよい」
「欲しい物ですか?さて――――」
以前もこういうやり取りがあった気がする。親のいない親族の子供をついつい甘やかしてしまうのは叔父の悪い所だと思いつつ、甘えられる間に甘えて引き出せる物は引き出してしまえと打算的な考えが浮かぶ。
「では、フェザーンに行ってみたいです」
「なにフェザーンとな?」
ブラウンシュヴァイク公爵は甥の意外な申し出に厳つい顎を擦る。
フェザーンとは帝国から自治権と自由交易権を与えられた惑星である。銀河帝国と
「はい、見聞を深めてまいります」
「うーむ、フェザーンか」
幼年学校から帰ってくるなり遠方に出かけるのは寂しさを感じてしまうが、経験が成長を促す事もある。オーディンからフェザーンまでは高速艦を使えば、往復一月もかからない。学校の始業には十分間に合う。
「行くのは構わんがエリザベートが寂しがるぞ」
「叔父上が代わりに謝ってください」
「それぐらい自分でやらんか」
ものぐさな甥を窘めつつも、旅行の許可を出した。さらに従者としてアントン・フェルナーを付けて、船の手配も夜のうちに済ませてしまったのだから、身内に甘いと言えよう。
そして翌日、従兄弟から突然フェザーンに行くと告げられたエリザベートは頬を膨らませて怒りを示すが、お土産を沢山買ってくる条件で許した。