イゼルローン要塞より1光年は離れた回廊の某所にて、キルヒアイス中将率いる特別艦隊は異層次元に身を潜めて機を窺っていた。艦隊と言いつつも総数約20隻の小規模集団は、本来数千隻は指揮する中将が率いるにはお寒い限りである。
数が少ないのはやむにやまれぬ事情がある。この約20隻は全てフェリクスが建造した異層次元航行艦であり、宇宙の不可侵領域を無視して航行する戦略上の要。旗艦となるヨトゥンヘイム級戦艦1隻、ヘイムダル級戦艦2隻、ガルム級巡航艦8隻、フレースヴェルグ級駆逐艦10隻、R戦闘機100機。これがキルヒアイスの手元にある戦力の全てだった。
これだけで帝国領に侵攻する同盟軍20万隻を背後から強襲、混乱を引き起こして、回廊の出入り口で待ち構えるラインハルト率いる主力宇宙艦隊10万隻の援護を行う。この方針をキルヒアイスが言い出した時、親友にして上官のラインハルトはかなり危険な役目に躊躇いを見せた。一応艦の性能は同盟の軍艦を圧倒し、いざとなったら異層次元航行法に切り換えれば相手から捕捉も攻撃も無効化する点と、周辺民から食料徴収して負担をかけるのを善しとしないキルヒアイスに押し切られる形で認めた。
現在は8月25日。イゼルローン要塞に一旦集結した同盟遠征軍の先鋒4個艦隊は遠く離れ、残る半数の艦隊もある程度回廊を進軍している。
「そろそろ動きましょう。敵は既に警戒を解いて油断し始めている」
キルヒアイスは旗艦【バルバロッサ】の会議室で参謀達に告げた。最初の攻撃目標は足が遅く最後尾を進む補給部隊を始めとした後方担当と、それらの前を進む1個艦隊。主力艦隊との決戦の前に少しずつ敵の戦力と物資を剥ぎ取っていく。派手な戦いではないが重要な戦でもある。
通信士官が各艦に通信を入れて、艦隊の将兵は戦闘配置に付く。格納庫でR戦闘機の調整を行っていたフェリクスは、コックピットに座るカーテローゼの肩に手を乗せる。
「厳しい戦いになりますが死ぬにはまだ早い。戦い抜きなさい」
「はい、この命はフェリクス様のためにあります。軽々しく使い潰す事は決していたしません」
少女にとって主から贈られた気遣いの言葉は何物にも勝る御守りになった。同時に絶対に死ねない鎖となってカーテローゼを縛り付ける、加護であり呪いにもなる。
フェリクスもせめて命を賭ける従者が万全に戦えるように、愛機R-9Cの調整を完璧に済ませて激戦に備えた。
キルヒアイス艦隊は艦隊を三つに分ける。同盟軍の最後尾の補給艦隊に、浅異層次元航法を解除して通常次元に姿を見せたヘイムダル級戦艦三番艦【シャクシューカ】を中核とした駆逐艦10隻が強襲。補給物資を満載した足の遅いコンテナ船に多数のミサイルが着弾、その悉くが撃沈した。
突然背後に現れた帝国軍の軍艦に非武装の船団はなす術も無く沈められて、満載した物資、補給担当官、工兵、軍医、事務員、何もかもが宇宙の塵に変わってしまった。
いち早く事態を飲み込んだ輸送船団の提督は前方の第12艦隊に救援を要請。生き残った船に全力で前方に逃げろと緊急命令を下した後、ヘイムダル級の艦首波動砲の直撃を受けて、輸送船諸共肉体は粒子まで分解した。せめて痛みすら感じなかったのが救いだろう。
救援要請を受けた艦隊司令ボロディン中将は冷静に襲撃者の戦力を把握。たった10隻程度なら大型戦艦を加えても2000隻で排除出来ると踏み、艦隊の一部を反転させて対応させた。
迎撃に向かう小艦隊は、しかし逃げ惑う味方の輸送艦が邪魔で思うように敵を攻撃出来ない。反対に帝国軍は撃ち放題で同盟軍を沈めていく。おまけに小艦隊の背後から、浅異層次元航法を解除した第二部隊のガルム級巡航艦8隻に挟み撃ちを掛けられて混乱に陥った。
事態を重く見たボロディン中将はやむを得ず第12艦隊を全艦反転させて敵の完全排除を決める。
戦場で一旦停止した艦隊はさらなる混迷へと叩き落される。第12艦隊の側面にやはり突如姿を見せた超巨大艦、ヨトゥンヘイム級戦艦とヘイムダル級戦艦が全火砲を旗艦ペルーンに叩き込み、司令官ボロディンはあっさりと戦死してしまう。
旗艦に主砲が直撃したのは偶然ではない。各艦への情報伝達量の多さを電子的に見極めた事と、フェリクスに同伴していた元同盟軍人のアーサー・リンチの助言が生んだ戦果だった。
「ボロディンは優秀な指揮官だ。生かしておくと厄介だから今のうちに殺しておきな」
突然の司令部喪失に、艦隊は混乱の極みに叩き落される。その隙をキルヒアイスは逃さない。各艦から虎の子のR戦闘機100機を投入。レーザーと波動砲の乱舞により敵艦隊を蹂躙した。
襲撃から15分後、同盟軍が混乱を抑えて指揮系統を再確立させたのを察した所でキルヒアイスは撤退命令を出す。R戦闘機は最寄りの艦に着艦。出来なければ戦闘前のブリーフィング通り、浅度異層次元に退避した後、予定した合流地点に向かい集結。各艦は一斉にその場から姿を消した。
まるで最初から何も無かったように宇宙から突然消えてしまった帝国軍に、第12艦隊の兵士たちは訳も分からず立ち尽くす。
失われた補給艦は80隻、物資は8億トンに達する。12艦隊の軍艦は2000隻を超える被害を出し、ボロディン中将他参謀が全滅という最悪の結果にロボス元帥はコーヒーカップを取り落して足に火傷を負った。対してキルヒアイス特別艦隊は被害0、R戦闘機が数機小破に留まる大勝利を得た。
まだ帝国領にも至っていないのに提督を一人失った。この事実は緘口令を敷く間も無く、瞬く間に遠征艦隊の軍人達に広まり、彼等の士気を下げてしまった。
ところが同盟軍の悲劇は、まだ入り口でしかなかったのを誰も知らなかった。その日の6時間後には再び敵襲があり、今度は第12艦隊の前を進軍していた第8艦隊が真下から砲撃を受けて、旗艦クリシュナが大破。司令官アップルトン中将が負傷、参謀数名が戦死する事態に。不幸中の幸いに中将は足の骨折だけで済み、どうにか艦を移して指揮は執れるのが救いだった。
以降も日に最低3度は遠征軍は襲撃を受けて、そのたびに艦は沈められていく。多い時は日に7度も奇襲を食らい、指揮官だけでなく兵士もいつ自分達が襲われるか、恐怖で精神を病む者が続出。タンクベッドで精神を回復してもまるで追い付かず、一部の兵が自殺を図ったり、わざと自分の体をブラスターで撃って負傷兵として後方に送られる事を望むようになる。さらに悪い事に帝国ではほぼ撲滅したサイオキシン麻薬が同盟ではまだ流通しており、恐怖を誤魔化すために使用している兵士が多かった。麻薬常用者は死への恐怖に耐え兼ねて過度な量を使用。精神を加速度的に犯されて廃人になるか、狂乱状態に陥って反乱の末に幾つかの軍艦が自沈する有様だった。
さすがにここまで頻発するゲリラめいた帝国軍の奇襲に、同盟も手をこまねく事はせず対策を取ろうとするも、いつ敵襲があるかも全く予測不能とあっては打つ手が無い。むしろ敵襲の誤報のために何度も同士撃ちをしてしまい、無意味な被害を出して兵同士が疑心暗鬼に陥る最悪の事態を招いてしまう。
総参謀長のグリーンヒル大将は、このままでは帝国領に辿り着く前に遠征軍は自壊してしまう危険を指摘したが、ロボス元帥は断固として退却は受け入れなかった。その前に旗艦アイアスも攻撃を受けており、艦後部が中破している。やられっぱなしで逃げ帰るなど到底受け入れられない。さらに彼はこの遠征を成功に導いた後は、政界に打って出る予定だった。ゆくゆくは国防委員長を担い、同盟政府最高評議会議長の座を欲していた。だからこんな場所で終われるはずが無かった。
ロボスがこれほど意固地になっているのは本人の気質もあるが、大事な旗艦を傷つけられた屈辱が怒りを増幅していた。
「ロボスは優秀なんだが結構頑固だし自尊心が高いんだ。あと、シトレと張り合うから今更ハイネセンに逃げ帰るなんて選択はしないぜ」
リンチの人格評価を聞いたキルヒアイスはロボスを殺さず、そのまま司令官にしておく選択をした。下手に帰ってもらうより、恐怖心で瓦解寸前の軍をラインハルトと共に一気に叩いた方が後々を考えて利になると判断した。
戦力も艦は被害無し。R戦闘機が1機大破と未帰還が1機のみだったため、敵本艦隊が回廊を出てアムリッツァ星域で先鋒艦隊と合流するまで襲撃は不定期に続けられた。
結果、30回を超える奇襲により、同盟軍は3万隻を撃沈ないし放棄する大損害を受けた。被害は艦だけでなく、将兵も半数が精神に何かしらの異常を抱え、第12艦隊ボロディン提督は戦死、第8艦隊アップルトン提督はイゼルローン要塞に後送。17万隻を擁しても艦隊指揮に不安を抱え、士気がどん底のまま帝国軍10万隻と真っ向から戦わねばならない。
ロボス元帥の懐刀、アンドリュー・フォーク准将はそれでも同盟の勝利は揺るがないと、狂気が宿った瞳で演説を繰り返しても、士気は下がる一方だった。
無傷と言ってよい艦隊は先鋒の、ウランフ提督の第10艦隊、ヤン・ウェンリー提督の第13艦隊、ビュコック提督の第5艦隊、アル・サレム提督の第9艦隊。
士気は落ちたがまだ統率が取れたルフェーブル提督の第3艦隊、ホーウッドの第7艦隊。
司令官が途中退場して急遽副司令官が指揮を代行する第8、第12艦隊。
対する帝国軍宇宙艦隊10万隻は万全の準備をして、完璧な布陣を終えて整然と戦場に立っている。
ヤン・ウェンリー中将は旗艦ヒューベリオンの指揮デスクの上に胡坐をかいて、空間ウィンドウに表示したアムリッツァ星域の星図を無言で眺める。数こそこちらが多いが地の利は帝国に、士気はこれまで散々に奇襲を受けて半壊寸前。このまま引き返して出直したいが撤退は不可。彼はこの時点で自分達がどうなるか、大体予測が付いていた。
それでも逃げ出さないのは、自分が軍人として職務を全うする義務があるから。そして隣に控える副官のグリーンヒル中尉を筆頭に、付いて来てくれる部下たちを死なせずハイネセンに連れて帰ってやりたい。この二点のために微力でも尽くす必要があった。
同盟艦隊はまだ完全に集結していない。相手より数が多い時に攻めるが戦いの定石。帝国は敢えて定石を外してこちらが集まっているのを待っている。恐らく半端に戦って逃げられると面倒だから、ある程度纏まった所を一気に叩き潰す腹積もりだろう。
全艦が集まっても陣形を整えるには時間がかかる。敵主力艦隊が攻めるなら無防備なその期に乗じるか、さらに前の今この瞬間を狙う。ともかくいつ戦が始まっても良いぐらい一触即発の睨み合いが続いていた。
戦況が動いたのはヤンの予想を外して同盟側からだった。右翼に陣を形成していた第9艦隊の中央から、核融合の光と青白い閃光が無数に生まれた後、艦橋の通信士官が悲鳴染みた報告を上げる。
「第9艦隊旗艦パラミデュースの反応が途絶えました!原因は不明、情報が錯綜しています!」
「アル・サレム中将はやられたか」
ヤンの呟きを肯定するように第9艦隊の艦は隊列を乱し、その場で砲を撃つ艦、勝手に戦列から離れる艦、別の艦隊司令官に指示を乞う艦など、完全に統率を欠いた無秩序な行動に出てしまう。眼前の帝国軍がそれを見逃してくれるはずもなく、敵左翼の2個艦隊が第9艦隊に猛然と突撃を敢行。
どうやら同盟の科学技術は帝国に大きく差をつけられてしまったらしい。遠征前の会議であのフォーク准将が「想像を絶する新兵器があろうとも怯むわけにはいかない」などと熱弁していたが、現にその新兵器のせいで遠征軍は相当な被害を被っている。否、新兵器を内心否定したのは自分だから、敵を過小評価する驕りがあったのは同じだろう。フォークばかりを責められない。
兵器だけでなく自らも含め、使いこなす側の人間にも差が出始めているのかもしれない。ヤン・ウェンリーは大きくため息を吐き、軍帽を被り直して、この状況でどう生き残るか冷静に答えを模索し始める。
後世の歴史書に『アムリッツァ星域会戦』と記される、ローエングラム元帥率いる帝国軍宇宙艦隊10万隻とロボス元帥率いる同盟遠征軍17万隻が激突した戦いの火蓋が切って落とされた。
ヘイムダル級戦艦三番艦のシャクシューカはエジプトの卵料理の事です。アラビア地方や地中海地方でも食べられています。