新しいイゼルローン要塞は随分と小さくなった。フェリクスとキルヒアイスはそれぞれ別の艦の艦橋から同じ感想を抱いた。
事実、同盟が新たにイゼルローン回廊に建造した要塞は、かつて同盟軍を幾度となく撃退して帝国への侵攻を阻んだ強固な要塞に比べて、小さく貧相だった。要塞の崩壊からまだ半年しか経っていないから、あくまで仮の出城かもしれない。
何気に失礼な事を考えつつ、キルヒアイス率いる艦隊は巡航速度で要塞に接近。既に相手のパトロール艦ユリシーズに、敵意は無い事と捕虜交換の総責任者であることを伝えてあり、同盟に敵対行動は見えなかった。
ヨトゥンヘイム級戦艦【バルバロッサ】からキルヒアイスが、新型艦のアングルボダ級宇宙母艦【ターキッシュ・デライト】からフェリクスがそれぞれ連絡艇を使って、新たなイゼルローン要塞へと入港した。補足すると宇宙母艦の名の由来は地球時代のトルコという国のお菓子である。
要塞に入ったフェリクス達は無数の同盟兵士から困惑の視線と潜在的な敵意を向けられる。戦争中の敵対陣営への感情としては、敵意はある種健全と言える。困惑は訪れた帝国軍人達の中に同盟の有名人が混じっていたのに気付いたからだ。
アーサー・リンチ少将。同盟と帝国、両軍の中でも飛び切り不名誉な軍人。何年も前にエル・ファシル星域の民間人を見捨てて、自分だけ敵前逃亡した末に捕虜となった恥知らず。卑怯者の烙印を押された男が軍服こそ着ていなくとも、何故か帝国の将官と行動を共にする。様々な憶測が飛び交うが多くは否定的な感情の陰口である。
キルヒアイスには艦隊幕僚のベルゲングリューン少将、フェリクスにはリンチの他に護衛にカーテローゼ中尉が随伴員に付いて来ている。男達はともかく、帝国軍の軍服を着ていても明らかに未成年の少女でしかないカーテローゼには色々な声が聞こえた。
外野の声など急を要する帝国の面々には無価値だったので、気にせず要塞内を車で移動して中央会議室の札の張られた部屋に招かれた。
椅子とテーブルが置かれただけの殺風景な部屋には、既に同盟側の軍人達が厳つい炭素クリスタル製のトマホークを持った護衛付きで待ち構えていた。
「ようこそ帝国の代表の方々。捕虜交換式には少々早いようですが―――えっリンチ少将?」
新要塞の司令官ヤン・ウェンリー大将が敬礼して五人を迎え入れ、見知ったかつての上官の姿に呆気に取られた。
帝国式の平服を着たリンチは呆然とするヤンに苦笑して、同盟式の敬礼をする。
「久しぶりじゃないかヤン大将。まだ中尉だった頼りない若造が一端の軍人らしくなったぞ。ああ、俺の事は気にするな。若様の相談役に付いて来ただけさ」
肩をすくめて後ろに下がるリンチに、どう声を掛けるか迷ったヤンの前に、先んじて最高階級のキルヒアイスが代表として敬礼する。
長身のキルヒアイスと中肉中背のヤン。お互い大将の地位にあるが、どちらが軍人として堂に入っているかは一目瞭然だった。
「戦場で一度すれ違いましたが、こうして生身でお会いするのは初めてですね」
「昨年の回廊内での戦いですか。あの時の巨大戦艦には冷や汗が止まりませんでした」
要塞を奪取したヤンと奪い返した挙句に破壊し尽くしたキルヒアイス。戦場でのみ成り立つ両者の奇妙な関係は、しかし剣呑な空気は感じられない。むしろヤンは人の良い笑みを向けるキルヒアイスに好意的になれた。
挨拶が済み、両陣営はそれぞれ向かい合う形で席に就いた。全員の前に紅茶が配られる。紅茶なのはヤンの趣味だ。
フェリクスはおもむろにシュガーポットを掴んで、直接砂糖を紅茶にぶち込んだ。ザバーと音を立てて容器半分の砂糖が紅茶に沈む。その光景を見た同盟側の幹部とベルゲングリューンは目を剥く。彼等の視線など気にせず、スプーンでかき回して
「良い紅茶ですね。うちの家人より腕がいい」
「えっと、ありがとうございます?」
紅茶を淹れたユリアン兵長(軍属)が呆気に取られながら褒められた事に礼を言う。
「さて、時間も惜しいので本題に入らせていただきます。今回は捕虜交換の用件とは別件で会談を望みました。私はあくまで護衛ですから、後はフレーゲル中将に代わります」
唐突に交渉相手が変わり、かつ先程の奇行が目に付いた男が真の相手だった状況に、ヤン以外の同盟幹部はついて行けない。
「改めてフレーゲル中将です。同盟の方々にお尋ねしますが、今あなた方は前例の無い危機に直面しているのではないですか。例えばバーミリオン星域」
同盟の幹部に目に見えて動揺が走った。ひた隠しにしてきた秘密を暴露された人間の反応そのものだった。素面で居られたのはヤンと最初からニヒルな笑みを浮かべていたシェーンコップ准将ぐらいなものだ。
ヤンは頭を掻いて「貴方の仕込みですか」。探るような口調でフェリクスに問うた。
「私はむしろ他人の失態の後始末に来ただけですよ。本音を言えば大事な時期に余計な仕事を増やしてほしくなかった」
いかにも不本意で腹を立てているという態度を示す。半分以上は本心でもあり、下手に自分に責任があるなどと言質を取られたら堪らない。あくまで同盟側の責任で押し切る腹積もりだ。
ヤンは腹の探り合いは止めて、バーミリオン星域で起きている異常事態を白状した。一ヵ月前、星域内の惑星パラスにある軍管轄の研究所から通信が途絶えた。翌日、研究所の輸送艦が近隣の街を攻撃。ただちに艦は撃破されたが今度は襲撃された街の交通システムが暴走。自動運転車が次々通行人を轢殺して、手当たり次第にビルに突っ込んだ。無人のゴミ収集車が人を捕獲して粉砕機に放り込む。警察の対テロ車両が罪の無い市民を殺戮。病院では医療機器が治療を待つ人々を生きたまま解剖する。電子制御の機械群は何もかも狂って、本来手助けすべき人間を襲った。
事態を重く見た軍はすぐさま治安維持の兵を派遣。事態の沈静化を図ったが有効な手段を何一つ取れず、むしろ暴走した兵器に襲われて自分達が被害者の側に立たされた。バーミリオン星域の駐留軍司令は何かしらのコンピューターウイルスによる電子的攻撃と結論付けて、専門家による対策班を結成したものの、効果はまるで上がらなかった。
刻一刻と悪化の一途を辿る惑星パラス。さらなる変化に気付いたのは衛星軌道上から監視を続けていた艦の観測員だった。問題が最初に起きた研究所の自然環境がまるで別物になっているのに戸惑う。緑豊かな木々が醜悪な肉腫の柱に変わり果て、花は肉塊の種を宿し、蔦は奇怪な触手と化して動植物を無差別に捕殺し喰らった。生態系そのものの変化は更なる拡大を見せ、加速度的に変異を惑星全域に広げていく。
都市部も同様の地獄が広がっていた。醜悪な肉塊のような物体が周囲の物質、機械も人の死体も手当たり次第に取り込み、肥大化していく。歩兵が銃撃すれば肉塊は弾け、大量の粘液や肉片を振りまいて、それらが次の汚染源になって同様の肉塊を形成してしまう。肉塊はある程度の大きさまで肥大化すると、今度は互いに喰らい合って一つの巨大な肉の生産工場へと変貌して、被害は却って拡大した。
肉塊だけでなく肉の触手が人々を襲っては、数百数千の細分化した触手を体内から隈なく生やした元人間が別の人間に襲い掛かる。逃げ惑う人々を針のような触手で捕らえ、口、鼻孔、眼球等を貫き、犯して同種を増やしていく。彼等は恐らく死んでいない。触手に侵され、死ぬ事も許されず激痛と共に恐怖に支配されて生かされ続けていた。
ならばと軍艦のレーザーや中性子ビームで醜悪な肉塊群を焼き払っても、即座に増殖して損傷部位を塞いでしまう。肉の触手が戦車を捕食し、機械を操って軍艦に砲弾を浴びせて撃墜すらしてしまう。墜落した軍艦に触手が殺到。同様の手段で支配権を奪った触手が、今度は壊れた船を飛翔させて僚艦に襲い掛かる。まるで出来の悪いモンスターパニック映画のような悪夢の光景に、軍人達すら目を背けて現実から逃げ出したかった。
あまりの異常事態は、すぐさま同盟首都星ハイネセンの政府最高評議会まで連絡が届いた。軍部にも援軍要請があり、一部は生態汚染の拡大を憂慮して熱核兵器の投入すら検討する始末。さすがに自国民への核兵器の使用は忌避感が強すぎて却下されたものの、他の兵器の無制限使用は許可された。援軍にはウランフ提督率いる第10艦隊が命じられた。先のアムリッツァ会戦で半壊した艦隊の補充は完全ではなく、8000隻に留まっていたが同盟には戦力の余裕が無かった。
急行した第10艦隊と現地艦隊が合流して、今もパラス星の鎮圧活動は続いている。正確には惑星から脱出する避難民の回収や、肉塊に乗っ取られた宇宙船の撃墜を繰り返していた。原因が何なのかすら掴めず、連日の終わりの無い行動は軍人達を疲弊させ、ウランフ提督も同僚のヤンに憔悴する顔で現状の厳しさを漏らしていた。
パラスの現状を空間ウィンドウに表示して淡々と説明するヤンに、フェリクスは予想よりは被害が少なくて助かったと思った。バイド汚染の確認から既に1ヶ月が経っても、まだ惑星一つ分の生態汚染で済んでいる。下手をすれば星系まるごと滅菌作戦を考えていたからほっとした。ただしヤンはそれを見逃さなかった。
「安心するのは、もっと最悪の事態を想定していたんですか」
「ええ、不幸中の幸いでした。この規模ならまだ殲滅は楽な方です」
第13艦隊の幹部たちは無責任なフェリクスに反発を覚えた。元々イゼルローン回廊に漂っていた緑色の球状兵装のフォースを回収したのは自分達だった。その際作業員一人が犠牲になり、今もフォースを解析していたパラス星が地獄と化した責任を感じている。
そのフォースにびっしりと執拗に警告文と免責条項を書き殴ったのに、警告を無視して解析していたのは同盟の責任だろう。それでも製造者が他人事でこの世の地獄を不幸中の幸いと宣うのは、良識ある者からすれば怒りを覚える。
彼等と違い、ヤン大将は感情的にならず、可能な限り建設的で利のある交渉をまだ続けたかった。
「さすがに作った側はよく心得ている。出来れば原因のデータも我々に提供して頂きたい」
フェリクスは思考する。なるべく『人工生命体』の情報は他に出したくないが、無知な連中が今回のように汚染を度々起こしては、対処する方の負担が大幅に増える。最低限、R戦闘機を管理する整備兵レベルのマニュアルはくれてやったほうがメリットが大きい。
「いいでしょう、最低限の対処のために相応のデータは提供します」
代わりに作戦終了まで我々帝国軍は同盟領域を自由に航行する権利を要求。加えてヤン大将の艦隊はキルヒアイス艦隊に同伴して、別の同盟軍を追い払う護衛役に指名した。
この条件にはヤンが難色を示す。というより、上の許可が出るかどうか確信が持てなかった。現場の判断で勝手に持ち場を離れるのは軍の規律にも抵触する。無理なら今すぐ勝手にバーミリオン星域に行くと席を立つフェリクスを、キルヒアイスが宥めた。
「少しの間、軍上層部か同盟政府首班に連絡が取れるまで待ってみては」
「あまり悠長に構えていると、被害が拡大して別星系も焼き払う事になりますよ」
フェリクスは冷淡に突き放しつつ、友人の顔を立てて現在の地球標準時17時から明日の08時までは、この要塞で待つと承諾した。
早速ヤン達には『人工生命体』を用いた次元兵器フォースと軍艦用動力炉の取り扱いマニュアルを提供した。
話が纏まり席を立つフェリクスは、ふと思い立ってヤンに質問する。
「前のイゼルローン要塞を占拠したのはワルター・フォン・シェーンコップという軍人と聞きました。彼はまだヤン大将の部下ですか?」
「?ええそうですよ。というかこの部屋に居ますが」
横の席に座っていた伊達男に視線が集まる。
「帝国貴族様が何か用ですかな。戦場でお会いした記憶はありませんが」
「ええ初対面です。唐突ですがローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルという女性に心当たりは?15年ほど記憶を遡っていただきたい」
シェーンコップ准将はしばらく考え込み、記憶に無いと答えた。反対にその女性を尋ねる意味を問う。
「記憶に無ければ構いません。10年前に預かった頼みは済みました。お手数をかけて申し訳ない」
もはや話す価値は無いと見切りをつけてシェーンコップを視線から外す。
帝国側の五人は案内役の従卒が付けられて宿泊用の部屋を宛がわれた。ただ、リンチだけは先に艦に帰ると言い出した。
「ここは居心地が悪くてな。伝言役もいるだろ。俺は先に引き上げさせてもらうよ」
最初から敵の帝国人以上に、自ら下った元同盟人の方が風当たりは強い。まして『恥晒し』のリンチには辛かろう。彼に帰還の許可を出した。
後の四人は要塞内部を水素エンジン車で移動する。途中フェリクスはカーテローゼの手を握る。
「貴女は私の従者で、フレーゲル男爵家が育てた子です。そして優秀なパイロット、私の自慢のカーテローゼだ」
「はい」
二人の主従のやり取りに、キルヒアイスは先程の質問の意味を悟った。かつて友人がフェザーンから連れて来た孤児の少女がカーテローゼなのは知っている。そしてこの子の父親がシェーンコップ准将なのだ。幼くして母を失い、父親は存在すら知らない。本当に孤児になってしまった少女に、友人はそれでも『自慢の従者』『家の子』と存在意義を与えた。
(主従よりも兄妹…いや親子かな。両親を知らぬ男が同じ親を知らぬ少女の親代わり。何とも奇妙な関係だ)
不躾な事を考えつつ、部外者が軽々しく立ち入らぬよう気を遣い、宛がわれた部屋まで沈黙を貫いた。
会談を終えたヤンは間を置かずに超光速通信を使って、ハイネセンの統合作戦本部に緊急の連絡を入れて、軍部のトップであるクブルスリー統合作戦本部長に指示を仰いだ。極めて急を要する案件に、クブルスリーは迷ったがすぐさま同盟政府最高評議会の暫定議長トリューニヒトに許可を求めた。
「パラス星の話は聞いている。元々我々には問題の専門知識が無いのだろう、専門家が自分から動いてくれるなら断る理由は無い。この際帝国とか小さな事に拘ってはいけないよ。それにここで諍いになればせっかくの捕虜交換も立ち消える。軍が勝手に攻撃しないように、手綱を握っておいてくれ」
このような論調でその日の深夜には許可が下りた。ヤンは許可を得ても複雑な心境だった。前議長の事なかれ主義のサンフォートなら、同盟市民の心証やら、民主主義の原則による議論と投票と言って無駄に時間をかけて、期限までに許可が下りなかっただろう。あの厚顔な政治屋の思惑は何となく読める。
現在同盟は危機的状況にある。如何に敵である帝国に同盟が攻め滅ぼされないか、戦を回避する手段を何でも執るつもりなのだろう。帝国との捕虜交換で兵力を少しでも回復しつつ、友好と和平を演出。今回の帝国軍の自由行動の許可もその一環に違いない。相手に便宜を図って貸しを作る。自らの懐を痛めずに、相手が求めるモノを的確に配って人気を得る常套手段。腹立たしいが今は決断の早さには感謝せねばならない。
その夜、ヤンのブランデーの消費量が一杯分増えたのを養子のユリアンは気付いても、敢えて気付かない振りをした。